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個人事業主として1人で独立するか、法人を立ち上げ起業するか。 業種によっても異なりますが、開業そのものにお金がかからないこと、従業員を雇うことでの固定費が発生しないことから、まずは試しに1人で開業する人も少なくありません。 今回お話を伺った荒木雄志さんもその1人。荒木さんは株式会社ミライトオンの代表取締役で、主にVTuberのプロデュース業や楽曲制作などを手掛けています。 (さらに…)
人生設計、という言葉があります。 どんな仕事をして、いつまでに結婚し、いつまでにどれくらい稼いでいくのか。 その目標を達成させるための選択肢として、独立・起業を検討される方も多いのではないでしょうか。 今回お話を伺ったのは、歌手のmiccoさん。 (さらに…)

2019年12月31日

あなたは、自分が成長していくために、どのようなことに取り組んでいますか? 何か1つのことを徹底的に学んで、誰よりも極めることができれば、その分野でトップの地位を確立することができるかもしれません。 しかし、単一の物事だけでは、成長するにも限界があります。 (さらに…)
仕事の作り方。 一般に、仕事を与えてもらう機会の多い会社員とは異なり、独立・起業される方は、自分で仕事を作っていかなければなりません。 今回お話を伺ったのはギタリストの福江元太さん。 福江さんはこれまでプロのギタリストとして、数多くの楽曲制作や、ライブなどをはじめ、講師や演奏業など、ギターを用いて様々な方面で活躍をされています。 今回はそんな福江さんのキャリアについて伺っていくのと同時に、フリーランスとしての仕事の作り方について、お話を伺いました。
<プロフィール> 福江元太さん ギタリスト、作曲家、ギター講師。 アイリッシュやソロギターのスタイルを軸に全国で幅広く活動している。 葉加瀬太郎「What a day」ツアーで、アイリッシュフィドラー功刀(くぬぎ)丈弘とNHKホール、オーチャードホール等で前座を務めたほか、革製品の会社Sukumo LeatherとスニーカーメーカーBluestoneのプロモーションCMの楽曲全面制作、また山田孝之主演、石橋義正監督の映画「ミロクローゼ」の挿入曲に参加するなど活動は多岐にわたる。 現在「功刀丈弘's Tabula Rasd」「la feau」「Hanz Araki Band」「ライノス」「水瓶」などのバンドと平行してソロでも多くの場所で演奏している。

未経験から葉加瀬太郎のオープニングアクトに。ギタリスト福江元太の、栄光と挫折

―福江さんの経歴について教えてください。
福江さん ギターを始めたのは、大学生になってからです。 当時、鍼灸師になるための大学に通っていたのですが、大学の授業を聞くのが苦手でした。 そんな中、出合ったのがギターでした。 通っていた大学の軽音サークルがそこそこ盛んだったこともあり、ロックからジャズ、アイリッシュに至るまで様々な音楽に触れることができました。 そんな状況も相まって、僕はギターの魅力に取り憑かれていきました。
―そんな福江さんが、プロのギタリストとして、活動されるようになったきっかけは何ですか?
福江さん まだギターを始めて2年ほどしか経っていないころ、路上ライブやアイリッシュパブでセッションをしている時に、声をかけてくださったのが、葉加瀬太郎さんのコンサートでオープニングアクトを務めていた、功刀丈弘さんでした。 功刀さんに、葉加瀬さんのツアーの前座バンドのメンバーに抜擢していただいたのをきっかけに、プロのギタリストとしてのキャリアをスタートさせました。 このタイミングで大学も中退しました。
―まだギターを始めて1〜2年という短い時間でプロとして活動され始めたことに対して、不安はなかったのでしょうか?
福江さん 不安はありました。 未来へのビジョンというか、これからどうなっていきたいのか、自分でも明確な答えを出すことは、当時は全くできていなかったですね。 それでもやっぱりギターは好きでしたし、何より自分のギターを必要としてくれる環境に、「居場所」みたいなものを感じられたんです。 大学の授業を聞いているよりも、ギターを弾いている方が楽しかったので。
―プロのギタリストとして専業になってからは、いかがでしたか?
福江さん 本当に大変でしたね。 3バンドほど掛け持ちしていたのですが、それら全てのアルバム制作やツアーの日程調整、ライブの出演などほぼ休みなく働いていました。 23〜24歳の時には、ライブの年間本数が300本を超えていたので、ほぼほぼ毎日ライブをしつつ、楽曲の制作活動はもちろん、裏方の事務仕事も全てやっていました。 そしてとうとう25歳の時に、過労とストレスで、体調面も精神面も壊してしまったんです。
―それだけのハードな活動をされていたら、無理もありませんね…。その後はどうされたのでしょう?
福江さん もう身体も心も限界だったので、活動の全てを停止して、一度実家に戻りました。 しばらく病院に通って静養しつつ、時間の経過とともに体調も安定してきたので、地元のカフェ・バーでアルバイトを始めました。 お店のオーナーが音楽好きで、よく店内でツアーミュージャンがライブをしていました。 そして僕の経歴を知ってか知らずか、「福江くんも何かやってみる?」と誘っていただき、オーナーのご厚意で、たまにギターを弾くようになったんです。
―久しぶりのギターは、どうでしたか?
福江さん 純粋に楽しかったです。 今までは、あれよあれよとプロの道へ進み、毎日の忙しさに追われながら「仕事」として音楽をやっていたのですが、そういうのを抜きにして弾くギターはとても楽しかったし、新鮮だったんです。 楽しみながらお店で音楽を奏でる機会が増え始めた頃、かつて一緒にバンドをやっていたメンバーから、もう一度音楽をやらないかと誘われ、今に至ります。 「仕事」ではなく、純粋に音楽を楽しむことでなんとか立ち直ることができました。

いい演奏が、次の仕事を作る。福江元太流・仕事の作り方

―紆余曲折を経て、もう一度音楽という仕事に戻ってきた福江さん。現在のお仕事についてお聞かせください。
福江さん 現在6つのプロジェクトを同時進行しており、各プロジェクトのギタリストとして、演奏及び楽曲制作を担当しています。 その他、制作依頼を受けて、映画などに楽曲を提供する仕事もしています。
―アルバイトはせず、全てギタリストとしての活動で収益を立てていらっしゃる、ということでしょうか?
福江さん はい。ありがたいことに昔からの縁もあって、徐々に音楽の仕事が増え始め、アルバイトを辞めて再びギタリストの仕事のみで生活できるようになりました。 ただし、上記に挙げた仕事は全て「水物」として捉えています。ライブや楽曲のリリースは、時期によっても異なりますので。 固定収入は、ギター講師としての収益と、飲食店などの定期演奏で賄っています。 家族もいますので、最低限必要な額はその固定収入で稼ぎ、ライブやリリースといった活動をして入ってきたお金はプラスアルファとして考えています。
―なるほど。そのやり方なら「ギター」を使って、固定収入と臨時収入の両軸を賄えるわけですね。
福江さん そうですね。まあもちろん、ここまでの土台を作るのにはかなり苦労しましたが(笑)。 それこそギター講師といっても、最初は生徒さんを獲得するのが難しかったので、街のカルチャースクールを窓口にして生徒さんを探しました。 生徒さんにレッスンをしても、僕が教えていることがつまらなければ、すぐに辞めて別のところに行ってしまいます。 だからこそ、生徒さんが飽きず、楽しみながらレッスンを受けられるような仕組み作りを常に考えています。
―生徒さん、すなわち消費者の行動は、極めてシンプルですからね。でも、楽しいレッスンがきちんと展開できていれば、口コミでまた新しい生徒さんが増えていくのではないですか?
福江さん おっしゃる通りです。僕のレッスンの評判を聞いて、新しい生徒さんが来てくださると、とても嬉しいですね。 そしてこれは、ギター講師に限ったことではありません。 ライブや楽曲制作においても、同じことが言えると思っています。
―どういうことでしょうか?
福江さん 例えば今まで演奏したことのないライブハウスでライブをしたいなと思った時にも、これまでいい仕事やいい演奏をしていれば、割とすんなり受け入れてもらえることが多い気がします。 全く新しい土地やコミュニティーに入って、そこでの出会いを仕事につなげようと思った場合、大概は知り合いの知り合いから僕の評判を聞いたり、そうでなければ今この場で演奏してみてと、言われたりします。 その時に(ないしはこれまでに)いいパフォーマンスができていたら、自ずと「じゃあやってみなよ!」ってなると思うんです。 いい演奏が、いい仕事が、次の仕事を呼ぶ。とても基本的なことではありますが、それの繰り返しだと思うんです。

一度立ち止まったからこそ、音楽の楽しさに気づけた。ピンチをチャンスに変えるコツ

―これからの展望を聞かせてください。
福江さん いくつかやりたいなと思ってることがあります。 まずレッスン業で言えば、学校を作ってみたいですね。やっぱり僕自身あまり学校に馴染めていなかったので、そういった子でも通えるような「居場所」を作ってみたい。 ギターをはじめとする、音楽の学校が作れたらいいですね。 またギタリストとしては、バンド以上にソロが自分の活動の軸になりつつあるので、アメリカでツアーを組みたいですね。 国内はもちろん、ギター1本でアメリカで挑戦してみたいです。
―最後に、独立・起業を考える人へ何かアドバイスをいただけますか?
福江さん 独立・起業って最初の立ち上げも大変だし、立ち上げてそれを維持、成長していくのもまた大変なんです。 苦しいときって必ず訪れると思うんです。そんな時は、一度状況を見直して落ち着いてみるのもいいかもしれません。 僕自身、最初はかなり苦しい思いをしたので。 でも一度立ち止まったからこそ、音楽の楽しさだったり、仕事のありがたみだったりを考えるきっかけになったんです。 「ピンチをチャンスに変える」と言いますが、何かの不和を見直す契機に、きちんと不和を解消したからこそ、成り立つ言葉だと思います。 独立・起業をするにあたって、ピンチな状況に陥った時は、一度現在の状況を見直してみる。 そして仕事のパフォーマンスが向上すれば、その仕事がまた新たな仕事を作ってくれる、良い循環が生まれると思います。 自ら仕事を作っていかなければならない、独立・開業だからこそ、大切にして欲しいポイントだと思っています。
自分の大切なモノを修理する。 何かを修理に出そうと思った時、できる限り信頼のおける人に依頼したいものです。中でも楽器のような、高価で愛着のあるものの手入れをするなら、なおさらですよね。 今回お話を伺ったのは、楽器リペアマン・石川哲也さん。 石川さんの工房は、個人開業のため、決して大規模なリペアショップではありません。けれども石川さんの工房には、多くのお客さまが集まり、着実にリピーターを増やし続けています。 なぜ石川さんのリペアショップは人気であり続けるのか。 「ギターの修理だけを提供するのではなく、お客さまに楽しんでもらえる環境を作ることが大切なんです」と話す石川さん。 リペアマンとしての強いこだわりをお聞きしました。
<プロフィール> 石川哲也(いしかわ・てつや)32歳 弦楽器工房「Path」代表 大学卒業後、地元の栃木県で管理業務を行う一般企業に就職するも、不規則な勤務時間に苦労し、再就職を決意。 専門学校に入学し、楽器のリペアを学習後、自身の工房を立ち上げる。 立ち上げ時はアパートの一室に工房を構え、地道にリペアの経験を重ねる。 自身もギタリストとして活動しながら、その経験を活かしてギターのリペアを1人で請け負っている。お客さま1人1人への手厚い接客は評判が高く、リピーターが多数。 「お客さまに寄り添う」ことを第1に、リペアだけではない豊富なサービスを提供する。

待っていても自分に「箔」は付かない。自分の価値を高めたいなら、行動あるのみ!

ー石川さんのこれまでの経歴を教えてください。
石川さん 小学生の頃から両親の影響で音楽を聞き始め、高校生の時に母の勧めで、ゴスペルを始めました。 その後大学に進学してからもゴスペルを続けようと思って、ジャズ研に入ったんです。
ー大学生になるまではギターではなく歌うことがメインだったのですね。
石川さん そうですね。 ジャズ研に入ってコピーバンドを結成した時に、初めてギターと出合いました。 ギターを弾く楽しさに、すぐのめり込み、大学生の間はずっとギターを弾いてましたね(笑)。
ー大学卒業後はどのような道を進んだのですか?
石川さん 音楽とは離れて、一般企業に就職しました。 私は栃木県出身なんですが、その会社の事業所が栃木にあったので、地元に帰って働きました。 しかしその仕事がとても大変だったんです。 私はもともと喘息持ちで体が弱かったので、しばしば体調を崩していました。このままではまずいと思い、1年半ほどでその仕事を辞めて次の仕事を探し始めました。 前職の辛い経験の後ということもあって、次は自分が好きなことを仕事にしようと思いました。
ーそこで音楽を仕事にしようと思ったのですね。
石川さん はい。自分の好きなギターを仕事にしようと思ったんです。 弾くのももちろん好きなんですが、ギターをいろいろいじることも好きだったので、リペアを仕事にしようと思い、渋谷にある「代官山音楽院」(現、島村楽器テクニカルアカデミー:http://academy.shimamura.co.jp/)という専門学校で2年間学びました。 そこで本格的に、楽器のリペアについて勉強したんです。 専門2年目の時、ギターのリペアの仕事を求めて就活を始めました。 普通であればリペアマンは、まず大手の店舗で販売職を経験してから、工房に入ってリペアの仕事を始めます。 もしくは、自分の師となる人を見つけて、その人に弟子入りしてから独立することが一般的です。 しかし当時の私は26歳で、年齢的に余裕がある訳ではなかったので、焦っていました。 「自分に箔が付いてないと、誰もリペアを依頼してくれない」と思っていたので、最初は有名な工房に弟子入りを考えました。 しかし、そもそも弟子入りできる工房が少ない上に、実務経験の少ない私は門前払いされることが多いので、途方に暮れていましたね。
ーリペアマンになる道は、簡単ではないということですね。その状況をどう乗り越えたのでしょうか?
石川さん 専門学校の先生方や、リペアマンとして実際に働いている方に「自分はどうするべきか?」を聞いて回りました。 すると共通して「自分に箔が付かないといけないって思って迷っている間は、箔は付かない。ゼロからでも、自分で始めてしまった方が良いのでは?」とアドバイスされました。 かなり悩みましたが、弟子入りできる目処が立っていませんでしたし、遅かれ早かれ独立して工房を立ち上げるなら、と、アドバイスを活かして自分のギターリペアショップを立ち上げました。 上手くいく勝算があったわけではないのですが、まずは工房を立ち上げてみて、そこから考えてみようと思ったんです。 とはいえ最初は、資金も場所もなかったので、自室として借りていた小さなアパートの一室を工房としてスタートさせました。
ー自分の価値は自分の行動力で高めるのが大事、ということですね。最初はどのように利益を得たのでしょうか。
石川さん 最初はとにかく知り合いに頼んで、安い値段でも楽器を直させてもらいました。地道に実績を重ねていくうちに、口コミで段々とリペアを頼んでくれる人が増えていきました。 そして、27才の頃転機が訪れました。 私は自分の工房を経営する傍ら、音楽のスタジオでアルバイトをしていたのですが、偶然にもロックバンドの「THE NOVEMBERS」(http://the-novembers.com/)のメンバーさんと知り会いました。 そこで「THE NOVEMBERS」の皆さんにリペアを頼まれたんです。
ー「THE NOVEMBERS」といえば、人気のロックバンドですよね?
石川さん はい。私もびっくりしたのですが、誠心誠意仕事をさせてもらいました。 すると気に入っていただけたのか、その後も定期的に私にリペアを依頼してくれるようになったんです。 この出来事をきっかけに、さらに口コミも広まり、私にリペアを依頼してくれる人が急増しました。 このあたりから、リペアの仕事だけで安定した収入を得ることができるようになりました。
ー石川さんが根気強く行動した結果、チャンスを掴み取ることができたのですね。
石川さん そうかもしれません(笑)。 あの時に思い切って独立して良かったと思っています。 自分から行動し続けたことで、自分の仕事に自信を持てるようになりましたし、「THE NOVEMBERS」さんと出会えたことで、今までよりさらに”出会い”を大事にするようにもなりました。

リペアだけでは終わらない。個人経営だからこそできる、リピーターを増やす方法

ー現在はどのようにお店を経営されているのでしょうか?
石川さん お客さまからリペアの依頼を受けて、実際に楽器に手を加えるまで、私が1人で行っています。
ー従業員は雇わないのですか?
石川さん はい。これからも私1人で経営も実務もやっていこうと思っています。
ーそれはどうしてでしょうか。
石川さん お客さまのニーズに応えることができるからです。 私のような個人にリペアを依頼するお客さまの多くは「こちらの要望を正確に汲み取って、リペアしてほしい」という思いを抱えていらっしゃいます。 大手のリペアショップだと、お客さまが要望を伝えた相手と、実際にリペアする人が違う場合が多いです。 そうなると伝達が上手くいかずに、お客さまの要望通りにリペアされないこともあります。 その点、私はヒヤリングからリペアまで、全て1人で行うので、お客さまと十分に話し合ったうえで、要望を正確に把握することができます。 細かい要望にも柔軟に対応できるので、それこそが私の強みであり、私に依頼してくれる意味であると思っています。
ーそれはかかりつけのお医者さんと似ていますね。ギターの専門医みたいな。
石川さん まさに、そんな感じですね。 実際にカルテのようなものを作っていますよ。 「どんな問題点があったか」「どのようにリペアしたか」などを記録しておけば、またリペアを依頼されてもすぐに対応できますし、お客さまにとっても安心ですから。
ーしかし、全てお1人でやられると、リペアできる数が限られるのではないでしょうか?
石川さん そうですね。だから、どうしても1回のリペア代は高くなってしまいます。 価格が高くなってしまう分、お客さまに「この人なら要望通りにリペアしてくれる」と満足度を提供できるよう、1人1人のお客さまに全力で対応するようにしています。
ー石川さんは、あくまでお客さまに寄り添うことを大事にしているのですね。
石川さん そうですね。 お客さまとは、仕事以外でも関係を継続しています。例えば、私はリペアを依頼していただいたお客さまのライブに積極的に足を運ぶようにしています。
ーなぜですか?
石川さん 仕事だけの関係になってしまうと、お客さまの本当の要望を掴みづらくなってしまうからです。 なにより自分が手掛けたギターが、ステージでちゃんといい音を出しているかを確認したいですから。 しっかり演奏されているのを確認して、ようやく私の仕事が完了したなと確認できるというか(笑)。
ーそこまでされると、お客さまもまた石川さんにリペアを頼みたくなるでしょうね。
石川さん 私のような個人のリペアマンにとって、お客さまには要望以上のことを提供するのが大切だと思っています。 だから、お客さまからリペアを依頼されていない箇所でも、手を加えた方が良い箇所があれば手を加えますし、若干不調でもあえて修理せずにそのままの音を維持することもあります。 そのギターを使って、どのような音や音楽を作るか、という点が私とお客さまとの間でしっかりと握れているかどうかがキーポイントになってくるのです。

修理だけがリペアマンの仕事ではない。お客さまに楽しんでもらう環境作りの大事さ

ー石川さんの工房に足を運ぶのは、どういった層のお客さまが多いのでしょうか。
石川さん プロのミュージシャンの方から学生まで、幅広くリペアを依頼してくださいます。 中には、進路相談をしたいという大学生もいますよ(笑) 一般企業に就職した方が良いのか、音楽を諦めずに続けた方が良いのか、という相談が多いです。 私も経験したことなので、親身になって相談に乗るようにしています。
ー修理に関わること以外の相談にも乗っているのですね?
石川さん そうですね。 お客さまに「また来たい」と思っていただくためには、修理をすることが全てではないと思っています。 先程のライブに足を運ぶこともそうですし、進路の相談に乗ること、ここにある大量のゲームソフトで一緒に遊ぶことなど、お客さまにとって居心地がいい環境を作ることが大切だと思っています。
ーお客さまとゲームで遊ぶのですか(笑)?
石川さん はい(笑)。 リピーターの方だと、ゲームだけしに来ることもあるくらいです(笑)。 もはやギターの修理には何も関係ありませんが、そうやってお客さまが「また来たい」「楽しい」と思っていただける環境を作ることが、結果として仕事にもつながりますから。
ーその点も、個人経営ならではですね。最後に、これからの展望を教えてください。
石川さん 今後も、高い満足度をお客さまに提供できるよう、丁寧な仕事をしていきたいですね。 また今後はリペアだけじゃなく、ギターそのものを作り、それを販売してみたいです。 近年、ギターに使われる木材が減少し、価格が高騰しています。一方で、少子高齢化の影響で使われなくなった空き家が増えています。 そこで家の柱などで使われた良い木材を、ギターの材料として再利用するのです。 お客さまの思い出の家や家具がなくなっても、ギターとしてまた一緒に同じ時間を過ごすことができる。 そんな素敵なお手伝いができたら、嬉しいですね。
個性。 他者とは異なる、その人特有の性質や性格。価値を見出され重宝されれば強い武器にもなりえますが、使う場所やタイミングを間違えると弱点にもなります。 今回お話を伺った、悠情(ゆうじょう)さんも、その個性を武器に活躍される「フィドラー」(バイオリン演奏者)です。 (さらに…)
日本の伝統的な文化である、日本舞踊。 古くからある「舞」や「踊り」を合わせたものであり、近年では国際化に伴い、諸外国で「Nihonbuyo」とも呼ばれています。 今回お話を伺ったのは、花ノ本以津輝(はなのもと・いづき)さん。 花ノ本さんは、日本舞踊を教える「花ノ本流」の師範でありながら、日本舞踊や殺陣(たて)といった表現者を擁する和洋折衷バンド「破天航路(はてんこうろ)」のメンバーとしても活躍されています。 そして、よりバンドに力を入れるために、2017年10月に起業。株式会社WISTERIENCEの取締役としてもキャリアをスタートさせました。 日本舞踊家であった花ノ本さんは、なぜ「破天航路」を結成し、起業に至ったのか。 そこには「日本の文化の素晴らしさをもっと身近にしたい」という熱い想いがありました。
<プロフィール> 花ノ本 以津輝(はなのもと・いづき) (表紙写真・1番左) 日本舞踊 花ノ本流師範/公益社団法人 日本舞踊協会会員 株式会社WISTERIENCE取締役・「破天航路」日本舞踊担当 2歳より伯母である師匠の元で日本舞踊を始め、4歳で初舞台を踏む。 幼少よりピアノ・電子オルガン・太鼓・篠笛・三線などの楽器、 声楽、ジャズダンス等を学びながら育ち17歳で花ノ本流師範となる。 桐朋芸術短大芸術科演劇専攻ミュージカルクラスに入学し、様々なジャンルの音楽や演劇・ダンスの基礎を学び、市川亀治郎丈(現・猿之助丈)主催、2010年 第8回亀治郎の会「上州土産百両首」にて女優デビュー。 現在、日本舞踊家として国立劇場等で行われる舞台に出演、またTVやワークショップなどで指導にあたる他、日本の伝統文化を国内外に発信するため、様々なジャンルの音楽や表現とのコラボレーションを積極的に行っている。 2016年には、ギター×バイオリン×日本舞踊×殺陣×ダンスといったメンバーを擁するバンド「破天航路」を立ち上げ、国内外問わず活動を展開。 2017年7月にはフランス・パリで行われた「JAPAN EXPO in Paris 2017」に於いてスタンディングオベーションの大喝采を浴びる。

「やる人」も「見る人」も減っている日本舞踊をなんとかしたい。和洋折衷バンド「破天航路」が結成されるまで

―日本舞踊家である以津輝さん。以津輝さんのキャリアから教えてください。
以津輝さん 私は幼い頃より日本舞踊に触れて育ってきました。 「花ノ本流幹部師範」である伯母・寿以知のもとで2歳から稽古を始め、4歳の時には初めて舞台に立ちました。 その後、日本舞踊をやりながらも演劇や歌など、自分が興味を持ったことは一通り経験してきました。 そして高校生の時に、蜷川幸雄さん演出の、シェイクスピア作品を歌舞伎にアレンジした舞台に衝撃を覚えたんです。
―どういったところに衝撃を覚えたのですか?
以津輝さん とにかく自由だったんです。 舞台全面を鏡張りにするなど、歌舞伎を初めて見る方も惹きつける演出と分かりやすさ、そしてきちんと歌舞伎の要素もある。 日本舞踊や歌舞伎など、なじみのない方からすると「分かりにくさ」というのはとても大きな壁なんです。 そこに漠然とした課題を感じていた時に、その舞台を見たのでとても驚きました。 そして、日本の伝統文化もやり方次第で、まだまだ新しいファンを獲得するチャンスがあるな、と思ったんです。
―やはり日本舞踊や歌舞伎の世界において、新規ファンの獲得は難しいのでしょうか?
以津輝さん そうですね…。 伝統芸能を教える人も教わりたい人も徐々に減っているので「やる側」の人が少なくなっている上に、先程お話した「分かりにくさ」に加え、「敷居の高さ」も相まって「見る側」の人も少なくなっています。 私は日本舞踊だけでなく、いろいろなものを経験してきましたが、やはり日本舞踊にルーツがあるので、この現状をなんとかしたい、といつしか思うようになったのです。
―その問いの答えとして行きついたのが「破天航路」だったのですね?
以津輝さん そうなります。 以前「レディー・ガガ」の曲のダンスを、日本舞踊でアレンジして踊ったことがあり、その時に周りの人から称賛されたことがありました。 そこで、今風の音楽に日本舞踊などといった要素を融合させれば、敷居の高さを感じさせず、もっと身近に年齢層の幅も広いお客さまたちに、受け入れてもらえるのでは? と思ったんです。 そんなことを自分の知り合いに話していたら、私と同じように「日本の文化をもっといろんな人に知ってほしい」と思っている方を何人か紹介され、志が同じ仲間が、9人揃いました。 そして、バンド×日本舞踊・殺陣・ダンスといった異色の和洋折衷バンド「破天航路」が自然に結成されたのです。

一過性ではなく継続して「和文化の良さ」を広めるために選んだ、起業という選択肢

―「破天航路」について教えてください。
以津輝さん 「破天航路」は、ギター・ベース・ドラム・バイオリンといった洋楽器を担当するメンバーと、日本舞踊や殺陣、ダンスといった動きを担当するメンバーとで成り立っているバンドです。 「和文化を正しく踏襲した上で新しいモノを創る」というコンセプトのもと、メタルといった斬新な切り口で、古典的な『和』を表現しています。 ダンス、日本舞踊、殺陣パフォーマンスを演奏中に繰り広げるので、聞いても楽しい、見ても楽しい舞台となっています。
―なぜ「バンド」という形式をとったのでしょう?
以津輝さん バンドって、解散しない限りはずっと続いていきますよね。 私たちは、継続的に「日本の文化の良さを発信していきたい」と思っています。一過性のものではなく、常にメッセージを発信していきたい。 そのためにはコンスタントにステージに立っていなければなりません。 バンドという形であれば、自分たちのワンマンライブだけでなく、イベントへの出演がしやすいですし、なによりバンドとしての成長を見守っていただきやすい。 だから、バンドという形を取りました。
―そして、昨年10月に株式会社WISTERIENCEを発足し、以津輝さんは取締役に就任されました。会社を立ち上げた理由を教えてください。
以津輝さん 「破天航路」のライブを行う会場が大きくなったり、海外での活動が増えるにあたって、関わる人が増えていきます。 バンドのミッションを支える意味でも、しっかりとした地盤を作るために、会社を立ち上げた方が良いのではないかと考え、起業を決意しました。
―どのような事業をされているのですか?
以津輝さん 株式会社WISTERIENCEでは目下、「破天航路」のグッズやWeb・SNSの運営、ツアーの会場などを管理する制作会社として運営しています。 また、日本舞踊における所作、着付けの指導やワークショップの開催、舞台音楽の制作やアーティストのサポートも行っております。
―以津輝さんをはじめ「破天航路」で活躍する皆さんのスキルを活かした事業なんですね。
以津輝さん はい。日本舞踊家の私だけでなく、メンバーはダンス、殺陣、楽器など、その道プロフェッショナル達です。 それぞれの仕事や活躍が「破天航路」の幅を広げることにも、つながればいいなと思っています。

JAPAN EXPOでは1,000人の観衆がスタンディングオベーション! 娯楽の未来をつくるために

―「破天航路」としての、最近の活動を教えてください。
以津輝さん 昨年フランスで行われた「JAPAN EXPO」(http://www.japan-expo-france.jp/jp/)では、ありがたいことに1,000人を超える観客の皆さまに、スタンディングオベーションをしていただきました。
―それはすごいですね…! ライブを見てくださった、フランスのお客さまはそれだけ「破天航路」のパフォーマンスに圧倒された、ということですね。
以津輝さん そうだと嬉しいですね(笑)。 でも見に来てくれたお客さまとお話させていただいた時に、和文化が好きな海外の人はやはり「目が肥えていらっしゃるな」と思いました。 だからこそ、こちらもより上質なパフォーマンスをしないといけないなと、身が引き締まる思いでした。
―海外でも圧倒的な人気を誇る「破天航路」ですが、国内でのライブにも力を入れているとお聞きしました。
以津輝さん はい。 国内外問わず、和文化の良さを伝えるというのが、私たちのミッションなので、もちろん国内でも積極的にライブを敢行していきます。
直近のライブはコチラから! 破天航路 単独公演 2018 牛若 -USHIWAKA- 2018.4.3.(THU.) OPEN 18:30 / START 19:30 浅草六区ゆめまち劇場 https://hatenkohro.wordpress.com/
―今後の展望をお聞かせください。
以津輝さん 伝統的な日本文化に特化した大型フェス、「和文化フェス」の開催を目指しています。 能狂言・歌舞伎・文楽・日本舞踊といった純古典から、「破天航路」のような和洋折衷で和文化を体現する新進気鋭のアーティストなどを一同に集結させ、和文化をエンターテインメントとして、お客さまと一緒に楽しむ。 そんなイベントを作りたいなと思っています。 そしてそうした活動を通して、もっと和文化への敷居を低くして、和文化を楽しんでくださいる人を増やしていきたいですね。 私たちがきっかけで、日本舞踊や歌舞伎といった和文化が、皆さんにとっての「娯楽」の1つになっていただければ幸いです。
結婚式。 そんな晴れの舞台で、これから夫婦として共に歩んで行くパートナーへの誓いや、育ててくれたご両親への感謝の気持ちを手紙に託す人も多いですよね。 直筆の文字もステキですが、もしその手紙が、自分だけのオリジナル曲にもなったとしたら―。 今回お話を伺ったのは、手紙を歌詞にして曲を作るサービスを展開する「音色ポスト」の代表、近藤あきらさん。 (さらに…)

プロフィール:湯川治往(ゆかわ・はるゆき) 1961年生まれ、東京都出身。小学校時代をイタリア・ローマで過ごし中学生の時に帰国。3年の浪人と1年留年しながら学習院大学を卒業。ビクター音楽産業株式会社に入社。主に「ORQUESTA DEL SOL」、「LOVE PSYCHEDELICO」などのディレクターを務める。40代半ばで早期退職し07年に独立。レコード会社「Hot River Records(EUR Inc.)」を立ち上げる。「吾妻光良 & The Swinging Boppers」(以下、バッパーズ)などが在籍。 (さらに…)

2016年11月18日

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埼玉県・西川口。 ここに、ひと教室の生徒数が20〜30人と言われる中で、150人を超える生徒を抱える人気ボーカル教室があります。 代表を務めるのは、本山nackeyナオトさん。業界内で「カリスマ」と呼ばれるボイストレーナーです。 (さらに…)
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