脚光を浴びているYouTuberやプロゲーマーなど、近年では世の中に様々な需要が生まれ、ユニークな仕事にスポットが当たるようになってきた。「焚き火マイスター」もそのひとつ。この肩書きを持つ猪野正哉さんは、アウトドアプランナーのかたわら、焚き火の専門家として活動している。
彼はどのような経緯を経て、この肩書きを名乗るようになったのか。猪野さんに話を伺った。
猪野正哉さん
アウトドアプランナー/焚き火マイスター
1975年千葉県千葉市出身。
浪人生時代に応募したオーディションに受かり、「メンズノンノ」専属モデルを2年間務めたのち独立。
ファッション誌を中心に、モデルやライターとして活躍するも、30歳を越えて活躍のフィールドを徐々にアウトドア業界へと移す。
2015 年から実家のある千葉市で、アウトドアスペース「たき火ヴィレッジ<いの>」をスタート。
焚き火を中心に、幅広いアウトドアアクティビティを通じて、自然の魅力と共存する怖さとの両面を伝える活動に勤しんでいる。
昔からなりたい仕事はなかった、依頼されたら「とりあえずやる」
――焚き火マイスターとして注目されている猪野さんですが、メインの業務はアウトドアプランナーだと聞きました。ワークショップの講師やライター、モデルだけでなく、時には撮影のセットアップもこなしているそうですが、なぜこの仕事に就いたのでしょうか?
僕のファーストキャリアはモデル業でした。そこから徐々に守備範囲が広がって今に至ります。モデルを始めたきっかけは、浪人時代に付き合っていた女の子がメンズノンノのモデル募集に応募してくれたこと。「応募してもいい?」と聞かれたので、「いいよ」と。受かるとは思っていなかったけれど、いつの間にか最終選考を通過してしまったんです。
僕はなりたい仕事があったわけじゃないし、大学に進学したかったのはキャンパスライフを謳歌したかったから。進学に強い思いがあったわけではなかったので、2年間メンズノンノの専属モデルとして働くことにしました。
――思わぬ形で入った業界だったのですね。ところでモデル業とは、どのようなお仕事なのでしょうか? ポージング等の技術をどのように習得するのか、営業はどのように行っているのかなど、イメージしづらい面もあります。
最初の2年間は集英社に所属していたので、営業は必要ありませんでした。レッスンがあったわけではないので、モデルの先輩に聞いたり、カメラマンさんに指導してもらったり、工夫して学んでいました。
2年間の専属期間を終えてからは、事務所に入らずにフリーランスとしてモデル活動を継続。独立から10年間はメンズノンノ時代に知り合った編集者さんや知人から仕事を紹介してもらいました。ほかにも、夜遊びに出かけてそこで知り合った業界人から仕事をもらっていましたね。ビリヤードで「勝ったら仕事くださいよ」と口約束を交わしたりとか。
とはいえ常に一定の仕事が入ってくるわけではないので、夜間の交通整理や工事現場のアルバイトもしていて。僕は何の仕事をしていても納得できる性分ですし、モデルだけで食べていこうと考えていなかったので、足りない分は別の仕事で稼げばいいと思っていました。
――猪野さんは、アウトドアライターとしても活動されていますよね。ライター業は出版社の方から勧められて始めたのでしょうか?
あれはそうですね。雑誌POPEYE(マガジンハウス)の編集者さんから誘われて。「猪野くんは文章には興味ないの? 書いてみない?」って。「ちょっとあります」と返事をしたら、飲食店の取材を任され、何も分からないまま一人でお店に向かいました。
当時は文章の書き方なんか分かっていなくて、編集部に提出するたび赤文字で修正が入って、10回以上は差し戻しがあったかな。「100人が読んで、全員が分かる文章を書け!」と指導されたことを覚えています。
その頃はラーメンブームで、1日に5件のお店をはしごすることもありました。残さず食べなきゃいけないので、結構辛いんです。東京から山形まで普通列車で移動して道中の冷やしラーメンを食べ歩いたこともあります。結局、ページの都合で1カットしか使われなかったんですけど。
――モデル業とライター業では、求められるスキルも異なります。なぜ挑戦してみようと思ったのでしょうか?
僕は昔からなりたい仕事がなかったので、「依頼されたらとりあえずやる」を心がけていました。僕は完成したものより、「これからどうなるんだろう」と可能性を感じるものに魅力を感じます。自身に対してもそうで、スキルは後から付いてくるのでやってみようと。
でも、大変ですよね。ライターはどんなテーマでも書けなければいけないし、手離れが悪い。モデルは撮影して終わりです。けれどライターは取材先にアポイントを取って、原稿を書いて、修正をして、校正をかけてと、とにかく時間がかかります。一方で、小売業のように在庫を抱えなくていいのが気楽でいい。それが気に入って今も続けています。
アウトドアに目覚めた要因は、多額の借金だった
――そういえば、ここまでアウトドアの要素は出ていませんね。猪野さんがアウトドアに目覚めた経緯を教えてください。
もともとアウトドアには全く興味がなかったんです。高校時代はワンダーフォーゲル部を見て、「何が楽しいんだろう?」と思っていましたし。
アウトドアにハマったのは、大きな借金を背負ったことがきっかけでした。落ち込んで、引きこもっていた僕を見かねた友人が山に誘ってくれたんです。
――借金ですか……。何があったのか聞いても良いですか?
いいですよ。原因になったのはアパレルブランドの倒産でした。当時はモデルが自分のブランドを立ち上げることが流行っていたんです。ファッション業界の先輩に誘われて僕も店を立ち上げることになり、40平米くらいの店に自社ブランドを並べて、セレクトショップを開きました。
開業資金は先輩が用意してくれましたし、オープン当初は好調でしたが、じきに運転資金が足りなくなって消費者金融でお金を借りてしまったんですね。閉店の時には借金も膨らんでいました。
閉店後は、ブランドを一緒に立ち上げた先輩が音信不通になってしまい、借金は一人で抱えることに。追い討ちをかけるように出版業界でも悪いうわさが流れ、言い返す元気もなかったので、次第に業界とは疎遠になってしまいました。
――大変な出来事でしたね……。
信頼していた先輩が突然音信不通になってしまったことがショックでしたね。それが30代前半のこと。しばらく外に出かけず、誰とも連絡を取り合わずに深夜の倉庫整理のアルバイトをしながら暮らしていました。
そんな状況を見かねた友人が山に誘ってくれたんです。そいつはファッション業界のサッカーグループで知り合ったやつで、悪いうわさが流れても変わらずに接してくれました。最初は「山なんて行きたくないよ」と思っていましたが、特に仲よくしていた友人なので「あいつが言うなら行ってみようか」と山に出かけたんです。
最初は嫌がっていた山登りでしたが、山頂を目指すうちに価値観は変わっていきました。疲れたら立ち止まっていいし、振り返ってもいい。山頂に到達すれば小さな達成感が得られます。出版業界では常に気を張って競争に晒されていましたから、自分のペースで進める世界が心地よかったんです。
気付けばアウトドアにハマり、あちこちの山に登りに行くようになりました。そのうちに、再びアウトドア誌で文章を書くようになり、モデル業にも復帰できました。
肩書きは周りが決めるもの。編集者の勧めで「焚き火マイスター」になる
――山登りをきっかけに苦境から脱した猪野さんですが、「焚き火マイスター」の肩書きはいつ頃付いたのでしょうか。
仕事で焚き火の撮影をすることが何度かあって、その時に付いたものです。僕が準備から点火まで進めていましたが、とある撮影スタッフさんから「猪野さんは焚き火が上手だから『焚き火マイスター』を名乗ったらいいのに」と提案されたんです。その肩書きがいつの間にか周囲に広まっていきました。
――ユニークな肩書きが付いてから、仕事には変化がありましたか?
比率で言えば今でもライターやモデルの仕事の方が多いのですが、ワークショップの講師を任されたり、ラジオやテレビの取材が来たりと変化はありました。
変な肩書きが付くと、やはり注目されるようです。それに助けられている面はありますね。仕事を続けていくといつの間にかスペシャリストになり、「〇〇しかできない」と思われてしまいがちですが、肩書きがイメージを変えてくれます。
気恥ずかしいので僕から『焚き火マイスター』を名乗ることはありませんが、周りから求められていることなので、これは受け入れるしかないですね……。
――なぜ、気恥ずかしいと感じているのでしょうか?
焚き火は僕が編み出したものではないですし、僕より上手い人はごまんといます。たまたま僕がその技術を仕事にできているだけなので、「5年後くらいにこの仕事がなくなっていればいい」、と思っているんです。技術や知識が多くの人に広まって、教える必要がない状況になっていればいいなと。とはいえ、「5年後に何をしよう?」と不安に思っているところはありますが(笑)。
一方で、注目されている時だから挑戦できることはあると思っていて。今は研究機関と組んで焚き火に関する研究をしてみたいですね。例えばアウトドア好きな人の周りでは「火を地面に直接置いちゃダメ」と言われているけれど、その根拠になるデータがほとんど見つからない。その理由を解明してみたいです。
――より専門的な領域に踏み込んでいくのですね。
あくまで興味の範囲ですよ。マニアックなのは好きじゃない。僕はみんなで火を囲んで楽しめていればいいんです。楽しむことが大事だから、着火に着火剤やファイヤスターターを使ってもいい。なかには便利な道具を嫌う人もいますが、焚き火の魅力とはあまり関係ないと思うんですよね。
ひとつの仕事にしがみつかない、上手くいかない時はアルバイトをしたっていい
――先ほど5年後の話をされていましたが、「将来こういうことをしたい」と考えている事はありますか?
意外だと思われるかもしれませんが、丸の内のような大都会でデスクワークがしたいです。普段から毎日自然の中にいると、都会に憧れが芽生えてしまいます。定時がある仕事で、デスクワークがしたいです。無い物ねだりかもしれませんが、フリーランスは自由に見えて、寝ても覚めても納品の締め切りに追われていたりしますから。
――最後に、これから独立される方へのメッセージをいただけますか?
まず、ちょっとでも不安があるなら独立しない方が良いと思います。僕も「5から10年後どうしよう」と口に出すことはありますが、実際そこまで不安は感じていません。
上手くいかない時はアルバイトをしてもいいんです。ひとつの仕事にしがみつくと視野が狭くなりますし、それくらい柔軟な方が長続きすると思います。
あとは、向いていないと思ったらすぐに辞めてしまってもいいと思います。「すぐに辞めたらカッコ悪い」と自分を追い込んでしまうと潰れてしまう。思っているほど、周りは自分のことを気にしていないものです。辞めても同じ業界に戻ってくることはできますし、フットワークは軽くていいんじゃないでしょうか。
僕も焚き火のワークショップで「今日はたくさん失敗してください」と参加者に伝えています。そのほうがスキルも身につきますし、気負わない方が楽しめると思います。
インタビュー中の猪野さんから、水のようにしなやかで、状況に合わせて形を変える柔軟さを感じた。独立・転職の時には「意地でもこの仕事を続けなければ」と気負ってしまうけれど、「足りない分は別の仕事で稼げばいい」「上手くいかない時はアルバイトをすればいい」、そう考えていれば追い詰められることはないだろう。
社会人は長期戦。「一度、業界を離れてもまた戻ってくることはできる」と考えれば、よりベターな選択ができるはず。
猪野さんは2020年の9月中旬に焚き火のノウハウをまとめた本を出版する。こちらも併せて読んでみたい。
取材・文=鈴木 雅矩