病気で仕事ができなくなってしまう。
会社員であろうが、独立・起業をしていようが、誰もが起こりうるリスク。それが病気である。
今回お話を伺ったのは、声優の宮村優子さん。
宮村さんは人気アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』の惣流・アスカ・ラングレー役として来年の6月に公開予定の『シン・エヴァンゲリオン劇場版』に出演。世界中から大きな期待が寄せられている。
また『名探偵コナン』では遠山和葉役として出演。2017年に公開された映画『名探偵コナン から紅の恋歌』では、メインキャラクターを務めた。
今回は宮村さんに、声優という仕事との出合いから、世界中にファンのいる話題作『エヴァ』や『コナン』について、そして一時期は和葉役を降板するつもりだったという病気について、話を伺った。
宮村優子さん
声優/声優養成所講師
兵庫県出身。
1994年『勇者警察ジェイデッカー』のレジーナ・アルジーン役で声優デビュー。
1995年に放送が始まった『新世紀エヴァンゲリオン』では惣流・アスカ・ラングレー役で大ブレイクする。
TVのバラエティ番組への顔出し出演のほか、音楽活動も精力的に行うなど、1990年代を代表するアイドル声優の1人として人気を博す。
しかし2度の大病を患い、一時期は声優業の引退を考えるも、治療をしつつ仕事を継続。2017年公開の映画『名探偵コナン から紅の恋歌』では、遠山和葉役としてメイン出演を果たす。
実は綾波レイ役でオーディションを受けていた? 声優・宮村優子さんと“アスカ”の出合い
―人気声優であり、近年では後続の育成にも力を入れられている宮村さん。まずは声優業界に入ったきっかけから教えてください。

もともと舞台が好きだったので、高校の時に演劇部に所属し、卒業後は東京の短大で演劇を勉強しました。
20歳で短大を卒業したのですが、なかなか劇団の役者だけでは食べていくことができず、並行して始めたのが声の仕事だったんです。
―なぜ声の仕事を選んだのでしょうか?

ちょうど同じ短大の先輩だった、かないみかさん(※1)や川上とも子さん(※2)が、舞台役者から声優に転身して活躍されていたのを知っていたので、自分も挑戦してみたいなと。
それで声の事務所オーディションを受けたら合格することができ、そこから声の仕事が始まりました。
また当時入りたかった劇団の入団テストに落ちてしまったこともあり、舞台の仕事より声の仕事の割合が徐々に増えていったんです。
※1かないみかさん:声優。ポケットモンスターシリーズ、アンパンマンなどに出演。
※2川上とも子さん:声優。少女革命ウテナ、ヒカルの碁などに出演。
―アニメはもともとお好きだったんですか?

好きでしたよ。特に『うる星やつら』が大好きで、アニメは欠かさず見ていました。
でも当時は今よりももっと“サブカル”な感じで。好きな人は好き、という感じだったんです。本屋さんでも、アニメ雑誌は隅っこに置かれていた時代でしたから。
だから今みたいに若い人たちがフランクに「アニメが好き!」って言っているのを見ると、時代が変わったんだなぁ、と(笑)。
声優というお仕事も、今よりも全然メジャーではありませんでした。
短大を卒業してから地元の人に「優子ちゃん、お仕事何してるの?」って聞かれたことがあって。
「セイユウやってます」と答えたら、しばらくスーパーマーケットの“西友”に勤めていると思われていたくらいですから(笑)。
―そういった世間のアニメへの認識が変わったのは、やはり宮村さんの代表作でもある『新世紀エヴァンゲリオン』(以下、エヴァ)の影響でしょうか。

そうかもしれませんね。『エヴァ』の惣流・アスカ・ラングレー(以下、アスカ)役との出合いは私にとっても大きな出来事でしたね。
でもアスカとの出合いは、かなり偶然だったんです。実は私、もともとアスカではなく綾波レイ役で『エヴァ』のオーディションを受けていたんです。
―そうだったんですか?

はい。舞台出身の役者だったこともあり、当時はまだ声優の仕事に慣れていなかったんです。
だからオーディションの時もマイクと自分の声との距離感が掴みきれていなくて。
「あなたは死なないわ! だって私が守るものーー!!」みたいな感じになっちゃったんですよね(笑)。
―なんだかとても元気な綾波ですね…(笑)。

舞台で求められる発声と、声優で求められる発声って全然異なるものなんですよ。どちらも同じ「声」なんですけどね。
当時の私は舞台発声だったからか、声が少し張り気味だったんです。
それで、急遽スタッフの方に「こちらのセリフも読んでいただけますか?」と渡されたのがアスカのセリフでした。それがアスカにピッタリだったようで、合格したんです。
和葉を降りることも考えた―。 病気を克服して挑んだ『から紅の恋歌』への想い
―アスカとの出合いにそんなお話があるとは…。運命的なものを感じます。アスカで人気を博し、その後『名探偵コナン』(以下、コナン)の遠山和葉役としてもご活躍されています。2017年に公開した映画『名探偵コナン から紅の恋歌』(以下、から紅)では、その和葉がメインキャラクターを務め、大活躍されていました。

『から紅』で、元気いっぱいの和葉を演じることができて、本当に嬉しかったです。
この20年の間、一時期は和葉を演じることを諦めざるを得ない状況に陥ったこともありましたから。
―どういうことでしょうか?

実は2007年に甲状腺の病気(バセドウ病:甲状腺機能が亢進してしまう病気)を発症してしまいました。
そこからは病気と付き合いながら仕事をしたり育児をする毎日を送っていたのですが、2011年に橋本病(バセドウ病とは逆に、甲状腺機能が低下してしまう病気)を患ってしまったんです。
―原因は何だったのでしょうか?

おそらくストレスだと思います…。
2004年に結婚をして、2007年からオーストラリアに移住することになったのですが、和葉の声のお仕事だけは続けていました。
なので、当時の私の日々のメインタスクは、子育てだったんですよ。
とはいえ異国の地で子育てをするとなると、どうしても家の中でこもりがちになってしまって。子育て自体はとても楽しかったのですが、普段顔を合わせるのが自分の娘くらいだったので、自分も含め、誰も私の異変に気づいていなかったんです。
―異変に気づいたきっかけ、というのは?

『コナン』のお仕事で、一時的に帰国した時だったと思います。
マネジャーと話をしていた時に「ろれつが回ってないよ…?」と言われて。すぐに病院に行って検査をしてもらった結果、橋本病を発症していたことが分かったんです。
声が出なくなったり、ろれつが回らなかったり、声優としては致命的なダメージですし、いつ治るかも分からない。
―だから、和葉の降板も考えたんですね。

はい。定期的にやらせていただいていた声の仕事は、和葉だけだったので。
いつ治るかも分からない中、『コナン』チームの皆さんに迷惑をかけられないと思い、プロデューサーに和葉役を降ろしてもらえないか相談したんです。
でもプロデューサーからは「いつかはともかく『治る病気』であるならば、まずは治せるよう治療に専念してください。どうしても無理だったらその時に考えましょう」と言ってくださって。
治療から1〜2年ほどでようやく体調が回復しました。
『から紅』の話は、そんな時に来たお話でした。これまでいろいろ迷惑をかけてしまった分、そして期待していただいた分をちゃんとお芝居で返せるよう、気持ちを入れてやらせていただきました。
人との約束は必ず守る。仕事をする上で、大切にしていること
―『から紅』の裏側には、そんな苦悩があったんですね。『コナン』のキャストの方からは何か励ましの言葉があったりしたのですか?

励まし、というよりは、ほんとにいつも居心地の良い空間を作ってくれるんです。特に座長の高山みなみさんには、たまにしか現場に来ない私も入りやすいようにしていただいて。
実は江戸川コナン役の高山みなみさん、灰原哀役の林原めぐみさん、そして『から紅』のゲストキャラクター・大岡紅葉役のゆきのさつきさんとは、20年前に一度、『それゆけ!宇宙戦艦ヤマモト・ヨーコ』というアニメの現場で共演しているんです。
私たち4人がそのアニメのメインキャラクターを務めたということもあり、久しぶりにそのメンバーが揃った、同窓会のような雰囲気もありました。
『から紅』は特に『コナン』映画の中でも、ラブコメ要素が強いので、女性声優陣はキャーキャー言って盛り上がりながら収録を進めていました。
キャストの皆さんも、スタッフの皆さんも『コナン』チームは、いつも温かく迎えてくれるのでとても楽しいですね。
がんばって病気を克服して、元気な和葉を演じられて、本当に良かったなと思います。
―ありがとうございます。これからの展望について教えてください。

こどもを育てる母親として、声優として、引き続き精一杯がんばっていきたいなと思っております。
2018年にオーストラリアから帰国しました。オーストラリアにいた時から、声優の講師の仕事をしているのですが、その仕事も継続していきたいですね。
直近では来年の6月に公開される『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の収録もあります。いよいよ、という感じです。楽しみに待っていてください(笑)。
―最後に読者の方へ、何かメッセージをいただけますか?

こどもたちにもよく話すんですが、仕事に限らず、最も大切なことって人との信頼関係だと思うんですよ。
人は1人では生きられないですし、会社に属していても、独立をしていても、必ず「誰か」の助けがあって生きているはずなんです。
だから、周りの人への感謝を忘れないこと、そして約束は絶対に守ることが大切なんじゃないかなと思います。
信用って貯めるのは難しくて、失うのはほんの一瞬ですから。逆に言えば、ちゃんと信用される人でいれば困った時に誰かがきっと助けてくれる。
信頼関係を大切に生きていけたら独立も起業も、上手くいくのではないでしょうか。
取材・文=内藤 祐介
撮影=鈴木雅矩