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ブルーオーシャンでの独立。その利点と困難をトピアリーの第一人者・宮崎雅代さんに聞く

ブルーオーシャンでの独立。その利点と困難をトピアリーの第一人者・宮崎雅代さんに聞く

「事業を立ち上げるなら、ブルーオーシャンを狙おう」。

競合となるライバルの少ない分野で事業を立ち上げるのは、経営戦略の定番とも呼べる考え方です。しかし、競合が手をつけないのには、それなりの理由があることも――そう語るのは、日本のトピアリー(テーマパークなどにある、植物を使った造形物)の第一人者である宮崎雅代さん。

かつて専業主婦だった宮崎さんは、当時まだ日本で産業として確立されていなかったトピアリーに関する事業を立ち上げました。まさにブルーオーシャンを狙っての新規事業だったのですが、それゆえの困難があったそうです。

今回は、道なき道を歩いてトピアリー事業を20年以上続けてきた宮崎さんに、歩みやブルーオーシャンで独立することの利点と困難、その困難を乗り越えるための方法について伺いました。

<プロフィール>
宮崎雅代さん
トピアリスト/株式会社ネバーランドインターナショナル代表取締役

短大時代、アメリカ留学の際にテーマパークでトピアリーと出合う。短大卒業後に大手損保会社に入社。2年後に結婚をきっかけに退社する。出産の後、息子が小学校に進学したタイミングで、自分で事業を立ち上げるために花について学び始める。

1997年にカルチャースクールで、日本ではあまり一般的でなかったトピアリーの講座を開講。その後、企業や自治体から仕事を受けるようになり、現在はトピアリーの制作・プロデュースや、制作したトピアリーの手入れ・管理ができる人材の育成にも力を入れている。

普通の専業主婦が、日本のトピアリーの第一人者に。宮崎さんの歩み

――トピアリーを扱った事業を展開している宮崎さん。まずはあまり聞き馴染みのない方のために、トピアリーとはどのようなものか教えていただけますか?

宮崎さん
トピアリーとは、植物を人工的に立体で形作る造形物のことを指します。

遊園地などのテーマパークや駅などの公共施設に、こうした造形物があるのを見たことはないでしょうか?


鉄腕アトムのトピアリー(新名神高速道路 宝塚北SA)

宮崎さん
私が経営する株式会社ネバーランドインターナショナルでは、こうしたトピアリーの制作やプロデュース、制作物の手入れと管理をするための人材育成を中心とした事業を展開しています。

――なぜトピアリーの事業を始めることになったのでしょうか?

宮崎さん
実はかなり紆余曲折あるので、順を追って説明しますね。

原体験は、短大時代にアメリカへ留学した際、遊びに行った有名テーマパークでトピアリーを見たことでした。

植木や植物を使って綺麗に作られた有名キャラクターを見て、とても心が躍ったことを今でもよく覚えています。

とはいえ、当時はトピアリーを見て「すごいなあ」と思う程度で、それがまさか仕事になるなんて、思いもよりませんでした。

短大卒業後、損保会社に入社したのですが、結婚を機にわずか2年で退職しました。本当は働き続けたかったのですが……時代ですよね。社内結婚だったこともあり、結婚をしたら寿退社をするのが当たり前、というのが当時の価値観だったんです。

その後、長男が生まれて小学校に上がったタイミングで何か始めようと思い、足を踏み入れたのがポプリ(※)、そしてフラワーアレンジメントといったお花の世界でした。

※ドライフラワーにアロマオイルなどを混ぜて作る、香りを楽しむアイテムのこと。

――働き続けたかったと思っていたということは、ゆくゆくはまた仕事をしたいと思っていたのでしょうか?

宮崎さん
そうですね。会社を退社して以降、ずっと専業主婦だったので。いつか自分で事業を立ち上げて、税金を自分で払って、自分の名前でクレジットカードや名刺を持ちたいなと密かな野望を抱いていました(笑)。

とはいえ、当時の自分には何か事業を作れるほどの特技やスキルもなかったので、まずはお花を学んでみようと思ったんです。元々、お花が好きだったので。

その後、ある程度スキルが身について、今度は自分がポプリやお花の講座を開いて教える側に回るのですが……。ライバルが多いので、お花の先生として食べていくのは、それはそれでやっぱり大変なんですよね。

従来のお花の講座からさらに踏み込んで、ライバルのいない領域を手がけようと考えた時に思い浮かんだのが、かつて留学をした時にアメリカで出合ったトピアリーでした。


宮崎さんがトピアリー制作のバイブルにした、Patricia R.Hammer著『THE NEW TOPIARY』

――ここでトピアリーに繋がってくるんですね。

宮崎さん
そうなんです。1997年に、小さいサイズのトピアリーの制作が学べるトピアリー講座をカルチャースクールで開講したところ、想像以上の反響をいただきました。

その後、「トピアリーを人に教えるにはどうしたらいいですか?」と生徒さんからお声をいただくようになり、今度はトピアリー講師を育成する講座をスタートしたんです。

そうした流れもあって再びアメリカへ渡り、本場のトピアリーについてさらに学んで、知見を深めていきました。

帰国後は教室をしながら行政や企業と組んで、街おこしやプロモーションの一環としてトピアリーを制作する仕事も請けるようになっていったんです。

誰も手をつけないのには、それなりの理由がある。ブルーオーシャンに飛び込むことの利点と困難

――では、宮崎さんは日本にトピアリーを広めた第一人者というわけですね。

宮崎さん
そうかもしれませんね。

私のトピアリー講座で学んだ生徒さんが、後に講師となって各地で活躍するようになっていきました。そして、そのメンバーが中心となってNPO法人日本トピアリー協会が発足したんです。

そうは言っても、自分で第一人者と名乗るのは少々恥ずかしい気もしますが……(笑)。

――お花の先生というレッドオーシャンではなく、トピアリーというブルーオーシャンに注目したことで、事業が成功したわけですよね。宮崎さんのお話を聞いていると、事業を立ち上げるならライバルのいない分野に着目することが大切なんだなと思います。

宮崎さん
こう振り返ると、確かに「ブルーオーシャンに目をつけたから上手くいった」という解釈もできるかもしれませんが、正直それは結果論に過ぎないんです。

よく、「独立・起業を考えるなら、ライバルの少ないブルーオーシャンを狙おう」と耳にしますよね。実際、トピアリーを仕事にしようと思っていた、かつての私自身もそう考えていました。

ですが、「ブルーオーシャンに着目できたから上手くいく」と考えてしまうのは、少々安直な気がします。誰もその領域に手をつけないのは、それなりの理由があるものです。

――ブルーオーシャンを選べば勝てる、というほど甘くはないと。詳しく教えてください。

宮崎さん
例えば、私が事業にしたトピアリーの場合、そもそもノウハウも材料も日本にはほぼ輸入されておらず、今以上に一般的ではありませんでした。

実は、1990年に大阪で「国際花と緑の博覧会」(通称、花の万博)が開催された時に一度海外から輸入され、企業が一般に広めるための施策を講じたそうですが、残念ながらその計画は頓挫してしまったんです。

なので当時、トピアリーについて学ぶのには苦労しました。今ほどインターネットやSNSが普及していたわけでもありませんから。

そして、トピアリーを制作するのも一苦労でした。例えば、トピアリーを作る際には「トピアリーフレーム」という、制作物の元となる金属の型枠が必要です。

トピアリーフレームの一例。植木にこのフレームをかぶせたり、植物を飾りつけたりして形作っていく。

宮崎さん
テーマパークや駅などに設置する大きいものは、流石に自分の力では作れないので、鉄工所に行ってトピアリーフレームを作ってもらえないか、職人さんにお願いするのですが……。

「フレームを作って欲しい」と言っても、そもそも職人さんもトピアリーについて知らないので、何をどう作っていいのか分からないんですよね。

逆に、私は鉄や金属のことなど技術的なことを全く知りません。だから職人さんからいただく質問にも、満足に答えられなかったんです。

――職人さんに仕事を発注するにしても、お互いの領域が違い過ぎて、会話が噛み合わなかったと。

宮崎さん
はい。だから私は、鉄や金属、溶接の知識を一から勉強したんです。そうすれば最低限、職人さんと意思疎通をはかることが可能になりますよね。

同じ要領で、植物生産者の方や、造園業者さんを開拓する際には、植物に関して猛勉強しました。

といったように、トピアリーを満足に制作できるようになるだけでも、かなり時間と労力がかかったんです。

困難があっても続けられた理由は、トピアリーへの愛。事業を長く続ける上で必要なこと


「ここに来ればトピアリーに合える場所」として宮崎さんが制作を構想する、トピアリーカフェ。

――制作だけでなく、トピアリーを知らない企業や行政などのお客さまへの営業も、一筋縄ではいかなそうですね……。そこまで大変なのに、なぜトピアリーの事業を続けられたのでしょう?

宮崎さん
税金を払える社会人に戻りたかったことと、とにかくトピアリーが好きだから、というその2点に尽きますね。

ありがたいことに、私の元には「トピアリーを学びたい」という熱意を持った生徒さんがたくさん集まってくださいました。

だからこそ、トピアリーをもっと広めないと、という使命感が私の中に芽生えていったんです。

それに先ほどもお話しした、短大時代に見たアメリカのテーマパークのトピアリーが、やはり大きな原動力になりました。

「トピアリーを見るとみんなが笑顔になる」「日本にも笑顔を生む場をたくさん作りたい」というトピアリーへの愛が、ここまで私を支えてくれた気がします。

――改めて、宮崎さんにとって事業を立ち上げる上で大切なことはなんだと思いますか?

宮崎さん
今、目の前にあることに全力投球すること。そして、失敗した時にこそ真摯に向き合い、誠意を尽くすことですね。

その繰り返しで、私はこれまで20年以上、事業を続けることができました。これからもクオリティの高い制作物を作ることはもちろん、トピアリーを通して、人との繋がりを広げていきたいと思っています。

――人との繋がりですか?

宮崎さん
トピアリーは植物を扱っているため、完成後も手入れが必要です。今や全国各地の自治体や企業に納品しているので、各所でトピアリーの手入れができる人材の育成にも力を入れています。

トピアリーを通して、周りの人との会話や多世代の交流が生まれたら嬉しいな、と思って日々の仕事に取り組んでいるんです。

――最後に、読者の方へメッセージをお願いします。

宮崎さん
事業への愛とやりがいを自分の中で明確にしておけば、たとえ苦しい状況になったとしても、精神的な支えになって乗り越えられるんだなと、この20数年を振り返って改めて思います。

「ブルーオーシャンだからその分野を狙う」とか「レッドオーシャンだからこの分野はやめた方がいい」といった相対的な判断も大切ですが、結局最後にものを言うのは、諦めないかどうかなんです。

そして、自分で立ち上げた事業を諦めないためには、その事業を愛せるかどうか、やりがいを感じられるかどうかが大切です。

さらに、自分を支えてくれる周りのスタッフや家族に日々感謝をして、大切にしてあげてください。

せっかく立ち上げた事業を1日でも長く続けていくために、私の話が少しでも参考になったら幸いです。

取材・文=内藤 祐介
写真提供=株式会社ネバーランドインターナショナル

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