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起業家・先輩から学ぶ
303件のまとめ

先代の後を継ぐ。 実家が自営業の方は、いずれ継ぐか否かの大きな決断をすることになるでしょう。 一方で実家の家業ではなく、自分が本当にやりたいと思っている仕事に就きたい場合は、その板挟みになることも。 今回は、大阪は港区弁天町「寿司茶屋すし活」で、2代目を務める川口元気さんのインタビュー後編です。 前編では、寿司屋の2代目として働く傍ら、高校で英語教員としての顔を持つ川口さんの、教育への思いを伺いました。 後編では、そもそもなぜ寿司職人の道1本ではなく、教員とのパラレルキャリアを選んだのか、そして自らが「家業を継ぐ」ことについてお聞きします。 偉大な先代である父の後を継ぐ、2代目の覚悟と役割とは、一体何でしょうか?
<プロフィール> 川口元気(かわぐち・げんき)38歳 寿司茶屋すし活 2代目/高校英語教員 実家は国内外問わず人気を博す「寿司茶屋すし活(以下、すし活)」。 初代である父と共に、「すし活」の人気を支えている。 大学卒業後から家業を継ぎながらも、ツアーコンダクターや家庭教師派遣業務にも携わり、常にパラレルキャリアを実践する。 現在は寿司職人と同時に、大阪の私立高校で英語教員としても働いている。(現在は育児休暇中) 世界1周旅行やツアーコンダクターの経験から得た幅広い知見で、独自の英語教育を展開する。
※以前アントレnet Magazineでは「寿司茶屋すし活」の大将で、世界的に有名な寿司職人である、川口正弘さんにお話を伺いました。 「寿司茶屋すし活」大将、川口正弘さんの記事はコチラから! 世界一なんて、他人が決めた物差しでしかない。世界一の寿司職人が目指す、更なる“高み”

自分の「やりたい」を尊重する。寿司職人が、パラレルキャリアを選び続ける理由

ー前編では、まず元気さんの寿司職人と教員の二足のわらじについて伺いました。そもそもなぜ、寿司職人と教員のパラレルキャリアを歩もうと考えたのでしょうか?
元気さん 自分の興味の幅が広いからですかね(笑)。 幼い頃から父の背中を見ていて、寿司には興味はありましたし、一方で前編でお話したように、外国語にも興味がありました。 だから寿司職人だけでなく、自分が好きな外国語の勉強を生かせる英語教員や、バーの経営者、ツアーコンダクター、塾の講師など、その時に自分が興味を持った仕事に就きました。 せっかくやりたいことがあるのに、1つの仕事だけに囚われて、他のやりたいこと(仕事)を諦めてしまうのはもったいないなと思ったんです。
ー複数の仕事をこなそうとすると、時間の制約や業務量など、大変なことが多いと思います。元気さんはどのようにして複数の仕事をこなしているのでしょうか?
元気さん 今は育児休暇中なので少し異なりますが、僕の場合はシンプルに、仕事を曜日で分けていました。 月火水は英語教員、木金土は寿司屋で働く、といった具合に。 ちなみに二足のわらじ生活そのものは、今に始まったことではありません。 大学卒業後から、バーの経営をやっていた時もツアーコンダクターをやっていた時も、曜日で分けて複数の仕事をしてきました。
ー常にご自身がやりたいことを実践し続けるために、様々な工夫をされているのですね。
元気さん そうですね。 僕は自分の仕事を、 ①やらなければならないこと ②やりたいこと ③できること の3種類に分けています。 僕の場合は、①が家業である寿司屋、②は教員(その都度変わる)、③がツアーコンダクター、寿司屋といったところでしょうか。 ポイントは、②の「やりたいこと」を大切にするということです。
<元気さんが教室長を務める、知窓学舎大阪サテライト教室> ーそれはどういうことでしょうか?
元気さん ③の「できること」というのは、すなわちその仕事で、しっかりお金を稼ぐことができる、という意味です。 生計を立てられる仕事の種類が増えれば、どれかの仕事を急にできなくなってしまったり、あるいは仕事がなくなってしまっても、致命的なダメージを受ける可能性は低くなります。 他の仕事である程度収入のカバーができますからね。 先程もお話した通りポイントは、②の「やりたいこと」を尊重すること。 なぜなら②の「やりたいこと」をやった結果、いずれ③の「できること」、すなわちお金を稼ぐ仕事へ変わっていくからです。 「好きこそものの上手なれ」ということわざにあるように、自分が「やりたい」と思っていることになら熱心に打ち込むことができますし、好きではない仕事をするより、上達が早くなります。 自分が「できること」(お金を稼げる仕事)を増やすためにも、自分にとってやりたいことを常に尊重するのは大切なことだと思っています。

先代と自分を比べる必要はない。「資本主義より“幸せ主義”」を支える、2代目の役割

ー①の「やらなければならないこと」についてですが、やはり寿司屋は「家業だからやらなければならない」ということでしょうか?
元気さん 一応便宜上、①を家業である寿司屋の仕事について書きましたが、正直「やらなければならない」というほど、肩肘を張っているわけではないですけどね(笑)。 あくまで自分のやりたいことの1つでもあるので、そういった意味では②と③にも当てはまるんですが、やはり寿司屋に関しては、自分の生い立ちや境遇も関係してくるものですから。
ーこどもの頃から寿司屋を継ぐことを考えていたのですか?
元気さん そうですね。こどもの頃は「自分もいずれ寿司職人になるのかなあ」くらいに、漠然としていましたけど(笑)。 一方で「絶対に店を継がなければいけない」という意識はなかったです。先代である父からも、継ぐことを強制されたわけではありませんし。
ーしかし、大学を卒業してすぐ寿司職人の道を進むことになるんですよね。
元気さん はい。ターニングポイントになったのは、自分が外国に行った時でした。 就職を考える時期になって、いよいよ寿司職人になることが現実味を帯びてきた時、急に逃げ出したくなったことがあるんです。
ーやはり、先代の背中の大きさでしょうか?
元気さん そうですね(笑)。 「寿司職人になること」が現実味を帯び始めた途端、寿司に関して世界一と言われる程、圧倒的なスキルを持つ父の後を継ぐことに、かなりのプレッシャーを感じるようになったんです。 「2代目になって味が落ちた」と言われるのは、やっぱり怖いなあと。 そこで一度家を出て、外国へ逃亡してみました(笑)。 逆説的ですが、実はそこで寿司職人になる決心が固まったんです。
ーなぜでしょう?
元気さん 外国に行くと、日本の文化についてめちゃめちゃ聞かれるんですよ。ましてや日本が好きな方と会話する時はなおさらです。 周知の通り、日本の「寿司」という食文化は外国でも圧倒的な人気を誇ります。それこそ「すし活」にも、日本だけでなく海外からも多くのお客さまがいらっしゃいますし、海外メディアからの取材も多く受けてきました。 外国の人は僕の実家が寿司屋だと知ると、目をキラキラさせていろんなことを聞いてきてくれました。 そこで思ったんです。 そんな世界が注目する寿司文化というステージで仕事ができるなんて、冷静に考えたらなかなか経験できることじゃないですし、寿司を通して日本の文化をもっと世界へ発信していきたいなと。
ー日本を離れてみて改めて、自分のルーツを知ったんですね。
元気さん はい。 こうして寿司屋で働くことを決めたのですが、ただ漠然と寿司屋で仕事をするのではなく、もっと僕にしかできない役割を考えながら仕事をしようと思ったんです。
ー元気さんにしかできない役割とは、具体的にはどのようなことですか?
元気さん 例えば、食材の仕入れやその仕込みといった下準備、父と一緒にお客さまの接客、海外からのお客さまへの対応、お金周りを始めとする、店に関するその他の業務などですね。 もちろん僕自身も寿司を握ることはありますが、やはり「父の握る寿司のレベル」には及びません。 しかし父が握るその寿司は、僕が仕入れたもので、父が握れるように仕込んだものなんです。 父のような寿司が握れずとも、その父を支えることはできます。 父が店作りで大切にしている「資本主義より“幸せ主義”」という理想を叶えるには、きちんと現実をしっかりと見た上でサポートする人間が必要ですから。 ※資本主義より“幸せ主義”とは、利益重視ではなく、少数のお客さまの満足度を最大限に高める経営スタイルのこと。 https://entrenet.jp/magazine/10895/
ー寿司屋にとって「寿司を握る」という役割と同じかそれ以上に、寿司を「握る前」と「握った後」は大切ですからね。
元気さん そうなんです。 無理に先代と自分を比べる必要なんてないんですよ。僕は僕のやり方で「すし活」を盛り上げていければいい。 「すし活」に来てくださるお客さまは、そのお客さまにとって特別な日に来てくださることが多いです。 そんな特別な時間を、最高のおもてなしでお出迎えしたい。僕も父も、そこにかける想いは同じです。 見ている方向が同じなら、後は役割分担をするだけ。父は父の、僕は僕の得意なことをやっていければと思います。

「自分の代で、家業を畳む覚悟があるか?」― “家業を継ぐ者”としての責任

ー現在は先代と共にお店を営まれていますが、いずれは先代も引退される日が訪れると思います。その時、元気さんは「すし活」をどうしていこうとお考えですか?
元気さん 具体的には考えていませんが、その時の自分の中の「最善のやり方」でお店を継ごうと思っています。 例えばスポーツのチームでも、同じですよね。ある選手が引退したら、その時に在籍している選手で最善の布陣を組んで試合に臨む。 うちの店にも限らず、どんな会社でもそうですが、先代と同じことをやる必要はないんですよ。 経営者なら、その「最善」考えていくことが大切だと思います。
ーでは最後に、家業を継ぐかどうか迷っている人へアドバイスをいただけますか?
元気さん 人によって様々な事情があるとは思いますが、僕はやっぱり、自分がその家業を楽しめないのなら、無理に継ぐ必要はないと思います。 家業を継ぐことは、正直そんな簡単なことではないからです。
ー家業を続けるにはそれ相応の覚悟が必要、ということでしょうか?
元気さん そうですね。 どんな家業にも歴史があるわけですが、僕は自分の店を、自分で終わらせてもいいくらいの気持ちで日々働いています。 自分が楽しいと思えない、つまり本気になれない仕事をダラダラと続けるくらいなら、いっそ店を畳んでしまった方がいい。 それはここまで家業として続けてきてくれた、先代たちへの敬意だと思いますし、仕事をする上での最低限の礼儀だと思っています。 逆に、自分が継がせる立場になった時、こどもが僕と同じかそれ以上にこの仕事を楽しめないなら、無理に継がせようとは思っていません。 そうなった時に自らの手で店を畳む覚悟を持っているからこそ、毎日の仕事に悔いが残らないように楽しんで続けていきたいですね。

2018年9月21日

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塙 茂さん(76歳)
NPO法人グラウンドワーク笠間/茨城県笠間市
1942年生まれ。高校卒業後、日立工機(株)に就職。 57歳で早期退職するも、地元IT企業へ再就職。管理部長、役員、子会社の社長を歴任する。 やがて地域貢献活動に目覚め、12年にグラウンドワーク笠間を設立。 コミュニティーカフェや農業の6次産業化、社会貢献活動などに尽力する。

2018年9月20日

「自分にしかできないこと」を仕事にする。 「自分にしかできない仕事」をより求めるために、独立・起業を志す人も多いのではないでしょうか。 今回お話を伺ったのは、大阪の「寿司茶屋すし活」で2代目を務める川口元気さん。 以前アントレnet Magazineでは「寿司茶屋すし活」の大将で、世界的に有名な寿司職人である、川口正弘さんにお話を伺いました。
「寿司茶屋すし活」大将、川口正弘さんの記事はコチラから! 世界一なんて、他人が決めた物差しでしかない。世界一の寿司職人が目指す、更なる“高み”
寿司職人である父とともに寿司を握る傍ら、元気さんは大阪の私立高校で、英語の教員としても活躍されています。 なぜ寿司屋の2代目が、教育の道にも進もうと思ったのでしょうか? 「僕にしか伝えられないこと」を増やす。その真意を伺いました。
<プロフィール> 川口元気(かわぐち・げんき)38歳 寿司茶屋すし活 2代目/高校英語教員 実家は国内外問わず人気を博す「寿司茶屋すし活」。 初代である父と共に、「寿司茶屋すし活」の人気を支えている。 大学卒業後から家業を継ぎながらも、ツアーコンダクターや家庭教師派遣業務にも携わり、常にパラレルキャリアを実践する。 現在は寿司職人と同時に、大阪の私立高校で英語教員としても働いている。(現在は育児休暇中) 世界1周旅行やツアーコンダクターの経験から得た幅広い知見で、独自の英語教育を展開する。

僕だけにしか伝えられないことを増やしたい。寿司屋の後継ぎが、教育の道を志した理由

ー現在は「寿司茶屋すし活」の2代目として活躍されながら、高校で英語を教えていらっしゃる川口元気さん(以下、元気さん)。家業を継ぐだけでも大変なことなのに、教育の道へ進もうと思ったきっかけはなんでしょうか?
元気さん 学生の頃から英語をはじめとする言語を勉強することが好きだった、というところから、教育の道へのスタートが始まっていますね。 大学では英語以外の外国語も勉強してみたいと思い、スペイン語を専攻しました。    そして大学3年生の時、就職を考える時期になって、家業を継ぐだけでなく他の仕事も経験したいなと思い始めたんです。 そこで「外国語の勉強を生かせる職は何か」と考え、英語の教員免許を取得しました。
ーでは大学を卒業して以来、ずっと寿司職人と教員の二足のわらじを履いていらっしゃるのですか?
元気さん 寿司職人は大学卒業後から15年間ずっと続けていますが、教員はもう少し時間が経ってから始めました。 というのも大学を卒業してすぐ教員になっても、自分の担当する「教科」だけしか教えられないな、と思ったんです。 「教科」の勉強だけでなく、もっとより実社会で役立つ実践的な学びや、人間的に成長する学びをこどもたちに提供するには、自分はまだ何も知らなすぎるなと。
ー世の中のことをもっと知るべきだと考えたんですね。
元気さん はい。この話には、原体験があります。 実は僕、大学生の時に父が所有していたビルの空き店舗で、バーを経営していたことがあるんです。 毎日そこで会社員から経営者、個人事業主問わず、本当にたくさんのお客さまと関わっていました。 大阪という土地柄もあってか、なかなかディープなお話を聞いているうちに、世間には本当にいろんな人がいて、自分が知らないことがまだまだたくさんあるな、と肌で感じました。
ーバーでお酒が入ってたら、たくさん面白い話が聞けそうですしね(笑)。
元気さん そうなんですよ、本当に面白いお客さまが多くて。 同時期に大学で学んでいたスペイン語も、大きく役に立ちましたね。言語の数だけ文化があり、人の考え方も多様にあるんだなと。 自分の視野がもっと広がれば、こどもたちを前にした時に、僕にしか伝えられないことが増えるだろうと思いました。 だから大学を卒業した後は、寿司屋の仕事をしながら、長期休みを使って世界1周旅行をしたり、ツアーコンダクターの仕事を始め、日本各地に足を運んだりと、とにかく自分の視野を広げる経験を積んでいきました。 もちろん、寿司職人としても役立ちます。「すし活」には日本各地、さらには海外からもお客さまがいらっしゃるので、自分が見たり聞いたりしたことを、お客さまとの会話のネタにすることができます。

人によって、伝え方の切り口を変える。寿司にも教育にも必要不可欠な、コミュニケーションの真髄

ー20代は視野を広げ、満を持して教員としてのキャリアをスタートされた、ということですね?
元気さん そうですね。現在は育児休暇中ですが、最近まで寿司屋と両立しつつ、大阪府内の私立高校で英語教員として、教鞭をとっていました。 当時は毎週、月火水は英語教員、木金土は寿司屋をしていました。 寿司屋は完全予約制で、木金土しか営業していないので。
ーお忙しいのですね…。視野を拡げるための仕事や旅では、何か発見はありましたか?
元気さん いろいろありますが、1番は「相手を理解しようとしてから、自分の考えを適切な手段を用いて伝える」ことの大切さに、気が付いたことですね。 これはあらゆる場所で様々な人に会えば会うほど、強く実感しました。
ーどういうことでしょうか?
元気さん 当たり前なことですが、コミュニケーションって自分と相手の「相互理解」があってこそ、成り立つものなんです。 ポイントなのは、自分の考えを「一方的に伝える」だけではコミュニケーションとは言わないということ。 例えば、日本語が分からない外国人に対して、日本語であれこれ注文しても、伝わるわけがないですよね? 相手によって伝え方を変えていかなければ、コミュニケーションは成り立たないということです。 そしてこれは、何も日本人と外国人に限ったことではありません。 日本人同士でもコミュニケーションに問題があるシーンは、いたるところで見られると思います。
ーコミュニケーションがうまく成り立たずに起こってしまう問題というのは、人間関係のトラブルにおいて圧倒的に多いケースですからね。
元気さん そうなんです。 そこで大切なのは、相手のことをよく知ろうとすること。 相手が何を伝えたいのかを理解する、相手の文化的、言語的な背景や境遇に、想像力を働かせる。 その気持ちを前提に置いて、あとは手段を考えます。 言葉が通じない外国人になら、絵や図でもいいしジェスチャーでもいい。 それと同じように日本人同士でも、相手の年齢や性別、出身を考慮しながら、相手に伝わる言葉や表現を選んでいきますし、必要であればもちろん絵や図、ジェスチャーも交えます。 これは外国を旅行中に出会った人でも、教育であればこどもたちでも、寿司屋であればお客さまでも、変わりありません。
ー大学で学ばれたことや、バーでの経験、ツアーコンダクターや世界を旅したことで得た、まさに「元気さんにしか伝えられないこと」なのですね。
元気さん 上っ面の言葉をなぞるだけなら誰でもできるでしょうけど、あらゆる経験を経て実感し、この温度でコミュニケーションの大切さを伝えられる人は、そう多くはないんじゃないんですかね(笑)。 コミュニケーションの根幹は愛であると、僕は思っています。 誰かを好きになれば、その人のことをもっと知りたいと思うようになりますよね。逆に特に好きでもなければ、その人のことを知ろうとも思わないんです。 言い換えると、コミュニケーションの齟齬が起きる1番大きな原因は、お互いがお互いに「無関心」でいること。 だから教員として教壇に立つ時は、関わる生徒1人1人に愛情を持って接するように心がけていますし、寿司職人として厨房にいる時はお客さまの好みから性格まで、事細かに考慮した上で仕事をしています。 ここに気づくことができたのは、今の仕事をする上で、大きな財産になっています。

人は「自分の欲しいもの」を知らない。

ーここまで寿司職人としても教員としても大切にされている、コミュニケーションについてお話を伺ってきました。ここからは教員の仕事についてお伺いします。満を持して教員の仕事を始められて、いかがでしたか?
元気さん 教員の仕事も寿司屋の仕事も、コミュニケーションの視点から言えば本質は変わらないので、とてもおもしろいですし奥深いですね。 ここも寿司屋の仕事に通ずるところがありますが、そもそも教員の役割とは「生徒が抱える問題を解決する」のではなく、「そもそもその生徒がどんな問題を抱えているのかを明らかにする」ことだと思っています。 例えば、ある生徒の英語のテストの点数が低かったとしましょう。 その生徒が「自分はこの分野の理解が足りていないから、次はこの分野と、関連するあの分野を勉強してテストに臨もう」といった具合に、自分にとって何が足りてなくて何をしなければならないのかを把握しているケースは、ほとんどありません。 というか、自分の力で完璧に把握できていたら、そもそも低い点数を取る可能性は限りなく少ないでしょう(笑)。
ーたしかに(笑)。
元気さん つまり、その子自身の問題点を明らかにして、どう乗り越えていくかを一緒に考えていく。 だからこそ、先程もお話した通り教員は1人1人の生徒に対して、その生徒以上に生徒のことをよく知っておくことが重要になるのです。
ー「顧客の“欲しいもの”を聞いて、与えるだけではいけない」という、スティーブ・ジョブズの思想に近いものを感じました。
元気さん まさにその通りだと思います。 自分の欲しいものや問題点を明確に理解して行動するのは、大人だってそう容易いことではありません。 だからこそ、生徒が問題を見つけてそれを乗り越える姿を間近で見られるというのは、とても嬉しいですし、何にも代えがたい大きなやりがいを感じています。
ー今、元気さんが教員として目指していることはありますか?
元気さん 「勉強することって楽しいんだな」と、1人でも多くの生徒に気づいてもらえるような場を作っていきたいですね。 本来、知的欲求を満たす行為って楽しいはずなんです。自分の好きなスポーツや好きなアニメについて調べてる時って、楽しいじゃないですか。 勉強って、ジャンルが違うだけで「知る」という行為には変わらないんですよ。
ー「知ることを楽しむ場作り」として、力を入れていることはありますか?
元気さん 現在は育児休暇中なので高校の教員はしばらくお休みしています。代わりに今年から、探究型学習塾『知窓学舎』の大阪サテライト校の教室長を務めることになりました。 (知窓学舎とは、横浜に本校を置く探究型学習塾。探究型学習塾とは、学力向上や受験合格をバックアップするといった従来の学習塾が担ってきた役割を果たすことはもちろん「知性」を養う学習の機会を提供する塾のこと)
元気さん 子育てをしながら、教員よりも比較的自分のペースで仕事ができる塾という場で、教育の仕事をしています。 知窓学舎大阪サテライト校は、生徒にとってより探究的で活きた学びがあるような場所にしていきたいですね。
ーありがとうございました。後編では、いよいよ寿司職人について伺います。なぜ寿司職人と教員のパラレルキャリアを選んだのか。そして偉大な先代の「後を継ぐ」ということについてお聞きします。
『知窓学舎』塾長・矢萩邦彦さんの記事はコチラから! ・お金よりも大切なものがある。20年間続けて見つけた、パラレルキャリアの価値【矢萩邦彦・前編】 https://entrenet.jp/magazine/7477/ ・大人だからこそ自分に正直でいてほしい。好きなことを仕事にするたった2つの方法【矢萩邦彦・後編】 https://entrenet.jp/magazine/7689/

2018年9月19日

働き方改革の実現が政府主導で進められているが、仕事環境が劇的に変わったと感じている人は少ない、と思われる。 理想と現場の実情はなかなか噛み合わない。おそらく効果が出るのはずいぶん先で、制度だけでなく、仕事に対するイメージそのものも変えなければいけないのだろう。 という前置きはさておき、「休みがもう1日欲しい」と考えている人も多いはず。

2018年9月13日

PLOFILE
古田弘二さん(76歳)
愛犬のお散歩屋さん/東京都武蔵野市
1942年生まれ。小さいころから犬好き。大学卒業後、カネボウ(株)に入社。 53歳で早期退職。保険関係の仕事で起業するも、頓挫。途方にくれるなか、近所の人に犬の世話を頼まれる。 これをヒントに「愛犬のお散歩屋さん」をスタート。フランチャイズ(FC)展開もし、現在は50店ほどの加盟店がある。

2018年9月12日

お寺の僧侶とは最も身近で、最も縁遠い仕事なのかもしれない。多くの人が生涯に一度はお世話になる職業なのに、僧侶になろうと思う人は少ないし、どうすればなれるのか、仕事の内容がどのようなものなのかを知る人は少ない。 この記事で紹介する小野常寛(おの・じょうかん)さんは、都内のお寺に生まれながら大学卒業後すぐには僧侶にならず、新卒でベンチャー企業に就職した。

2018年9月11日

転職したい、環境を変えたいと思いながらも、実際に行動することができないという人は少なくありません。 単純に今の仕事が忙しい人もいれば、次のキャリアに進むのに自信が持てない人もいるでしょう。 ですが、今回お話を伺ったカメラマンの松本時代(マツモト・ジェダイ)さんは、カメラの仕事はもちろんのこと、小説家やデザイナーとしても活躍されており、以前はお笑い芸人として活動されていた過去もお持ちです。

2018年9月6日

PLOFILE
鈴木富司さん(82歳)
川崎市麻生区
1935年生まれ。大学卒業後、三菱商事に入社。 自動車の海外事業や新規事業開発、大規模テーマパーク事業に従事。 リタイヤ後の2013年からスマホアプリ開発に没頭。 これまでにシニアのためのiPhoneアプリ「スマホの勉強シリーズ」をリリースしたほか、企業からの受託開発も行う。

2018年8月30日

あなたが夢中になれることは何ですか? 毎日仕事場と自宅の往復ばかりで「夢中になれるものがない」「夢中になるやり方を忘れてしまった…」という人も、多いのではないでしょうか。 もし、これから新たな道に進むなら「夢中になれることを探してほしい」と、今回お話を伺った元プロサッカー選手の阿部祐大朗さんは語ります。

2018年8月29日

PLOFILE
平賀国雄さん(88歳)
どんぐり未来工房/神奈川県座間市
1929年生まれ。高校卒業後、金融機関などを経て、農業に転身。 「どんぐり」の栄養価に着目し、せんべい、ラーメンなどの食品を開発。 2012年にはどんぐり商品で障害者の自立支援を目指す(株)まちふくにも参画。 14年、開発にさらに力を入れるため「どんぐり未来工房」を設立した。

2018年8月27日

仕事の作り方。 一般に、仕事を与えてもらう機会の多い会社員とは異なり、独立・起業される方は、自分で仕事を作っていかなければなりません。 今回お話を伺ったのはギタリストの福江元太さん。 福江さんはこれまでプロのギタリストとして、数多くの楽曲制作や、ライブなどをはじめ、講師や演奏業など、ギターを用いて様々な方面で活躍をされています。 今回はそんな福江さんのキャリアについて伺っていくのと同時に、フリーランスとしての仕事の作り方について、お話を伺いました。
<プロフィール> 福江元太さん ギタリスト、作曲家、ギター講師。 アイリッシュやソロギターのスタイルを軸に全国で幅広く活動している。 葉加瀬太郎「What a day」ツアーで、アイリッシュフィドラー功刀(くぬぎ)丈弘とNHKホール、オーチャードホール等で前座を務めたほか、革製品の会社Sukumo LeatherとスニーカーメーカーBluestoneのプロモーションCMの楽曲全面制作、また山田孝之主演、石橋義正監督の映画「ミロクローゼ」の挿入曲に参加するなど活動は多岐にわたる。 現在「功刀丈弘's Tabula Rasd」「la feau」「Hanz Araki Band」「ライノス」「水瓶」などのバンドと平行してソロでも多くの場所で演奏している。

未経験から葉加瀬太郎のオープニングアクトに。ギタリスト福江元太の、栄光と挫折

―福江さんの経歴について教えてください。
福江さん ギターを始めたのは、大学生になってからです。 当時、鍼灸師になるための大学に通っていたのですが、大学の授業を聞くのが苦手でした。 そんな中、出合ったのがギターでした。 通っていた大学の軽音サークルがそこそこ盛んだったこともあり、ロックからジャズ、アイリッシュに至るまで様々な音楽に触れることができました。 そんな状況も相まって、僕はギターの魅力に取り憑かれていきました。
―そんな福江さんが、プロのギタリストとして、活動されるようになったきっかけは何ですか?
福江さん まだギターを始めて2年ほどしか経っていないころ、路上ライブやアイリッシュパブでセッションをしている時に、声をかけてくださったのが、葉加瀬太郎さんのコンサートでオープニングアクトを務めていた、功刀丈弘さんでした。 功刀さんに、葉加瀬さんのツアーの前座バンドのメンバーに抜擢していただいたのをきっかけに、プロのギタリストとしてのキャリアをスタートさせました。 このタイミングで大学も中退しました。
―まだギターを始めて1〜2年という短い時間でプロとして活動され始めたことに対して、不安はなかったのでしょうか?
福江さん 不安はありました。 未来へのビジョンというか、これからどうなっていきたいのか、自分でも明確な答えを出すことは、当時は全くできていなかったですね。 それでもやっぱりギターは好きでしたし、何より自分のギターを必要としてくれる環境に、「居場所」みたいなものを感じられたんです。 大学の授業を聞いているよりも、ギターを弾いている方が楽しかったので。
―プロのギタリストとして専業になってからは、いかがでしたか?
福江さん 本当に大変でしたね。 3バンドほど掛け持ちしていたのですが、それら全てのアルバム制作やツアーの日程調整、ライブの出演などほぼ休みなく働いていました。 23〜24歳の時には、ライブの年間本数が300本を超えていたので、ほぼほぼ毎日ライブをしつつ、楽曲の制作活動はもちろん、裏方の事務仕事も全てやっていました。 そしてとうとう25歳の時に、過労とストレスで、体調面も精神面も壊してしまったんです。
―それだけのハードな活動をされていたら、無理もありませんね…。その後はどうされたのでしょう?
福江さん もう身体も心も限界だったので、活動の全てを停止して、一度実家に戻りました。 しばらく病院に通って静養しつつ、時間の経過とともに体調も安定してきたので、地元のカフェ・バーでアルバイトを始めました。 お店のオーナーが音楽好きで、よく店内でツアーミュージャンがライブをしていました。 そして僕の経歴を知ってか知らずか、「福江くんも何かやってみる?」と誘っていただき、オーナーのご厚意で、たまにギターを弾くようになったんです。
―久しぶりのギターは、どうでしたか?
福江さん 純粋に楽しかったです。 今までは、あれよあれよとプロの道へ進み、毎日の忙しさに追われながら「仕事」として音楽をやっていたのですが、そういうのを抜きにして弾くギターはとても楽しかったし、新鮮だったんです。 楽しみながらお店で音楽を奏でる機会が増え始めた頃、かつて一緒にバンドをやっていたメンバーから、もう一度音楽をやらないかと誘われ、今に至ります。 「仕事」ではなく、純粋に音楽を楽しむことでなんとか立ち直ることができました。

いい演奏が、次の仕事を作る。福江元太流・仕事の作り方

―紆余曲折を経て、もう一度音楽という仕事に戻ってきた福江さん。現在のお仕事についてお聞かせください。
福江さん 現在6つのプロジェクトを同時進行しており、各プロジェクトのギタリストとして、演奏及び楽曲制作を担当しています。 その他、制作依頼を受けて、映画などに楽曲を提供する仕事もしています。
―アルバイトはせず、全てギタリストとしての活動で収益を立てていらっしゃる、ということでしょうか?
福江さん はい。ありがたいことに昔からの縁もあって、徐々に音楽の仕事が増え始め、アルバイトを辞めて再びギタリストの仕事のみで生活できるようになりました。 ただし、上記に挙げた仕事は全て「水物」として捉えています。ライブや楽曲のリリースは、時期によっても異なりますので。 固定収入は、ギター講師としての収益と、飲食店などの定期演奏で賄っています。 家族もいますので、最低限必要な額はその固定収入で稼ぎ、ライブやリリースといった活動をして入ってきたお金はプラスアルファとして考えています。
―なるほど。そのやり方なら「ギター」を使って、固定収入と臨時収入の両軸を賄えるわけですね。
福江さん そうですね。まあもちろん、ここまでの土台を作るのにはかなり苦労しましたが(笑)。 それこそギター講師といっても、最初は生徒さんを獲得するのが難しかったので、街のカルチャースクールを窓口にして生徒さんを探しました。 生徒さんにレッスンをしても、僕が教えていることがつまらなければ、すぐに辞めて別のところに行ってしまいます。 だからこそ、生徒さんが飽きず、楽しみながらレッスンを受けられるような仕組み作りを常に考えています。
―生徒さん、すなわち消費者の行動は、極めてシンプルですからね。でも、楽しいレッスンがきちんと展開できていれば、口コミでまた新しい生徒さんが増えていくのではないですか?
福江さん おっしゃる通りです。僕のレッスンの評判を聞いて、新しい生徒さんが来てくださると、とても嬉しいですね。 そしてこれは、ギター講師に限ったことではありません。 ライブや楽曲制作においても、同じことが言えると思っています。
―どういうことでしょうか?
福江さん 例えば今まで演奏したことのないライブハウスでライブをしたいなと思った時にも、これまでいい仕事やいい演奏をしていれば、割とすんなり受け入れてもらえることが多い気がします。 全く新しい土地やコミュニティーに入って、そこでの出会いを仕事につなげようと思った場合、大概は知り合いの知り合いから僕の評判を聞いたり、そうでなければ今この場で演奏してみてと、言われたりします。 その時に(ないしはこれまでに)いいパフォーマンスができていたら、自ずと「じゃあやってみなよ!」ってなると思うんです。 いい演奏が、いい仕事が、次の仕事を呼ぶ。とても基本的なことではありますが、それの繰り返しだと思うんです。

一度立ち止まったからこそ、音楽の楽しさに気づけた。ピンチをチャンスに変えるコツ

―これからの展望を聞かせてください。
福江さん いくつかやりたいなと思ってることがあります。 まずレッスン業で言えば、学校を作ってみたいですね。やっぱり僕自身あまり学校に馴染めていなかったので、そういった子でも通えるような「居場所」を作ってみたい。 ギターをはじめとする、音楽の学校が作れたらいいですね。 またギタリストとしては、バンド以上にソロが自分の活動の軸になりつつあるので、アメリカでツアーを組みたいですね。 国内はもちろん、ギター1本でアメリカで挑戦してみたいです。
―最後に、独立・起業を考える人へ何かアドバイスをいただけますか?
福江さん 独立・起業って最初の立ち上げも大変だし、立ち上げてそれを維持、成長していくのもまた大変なんです。 苦しいときって必ず訪れると思うんです。そんな時は、一度状況を見直して落ち着いてみるのもいいかもしれません。 僕自身、最初はかなり苦しい思いをしたので。 でも一度立ち止まったからこそ、音楽の楽しさだったり、仕事のありがたみだったりを考えるきっかけになったんです。 「ピンチをチャンスに変える」と言いますが、何かの不和を見直す契機に、きちんと不和を解消したからこそ、成り立つ言葉だと思います。 独立・起業をするにあたって、ピンチな状況に陥った時は、一度現在の状況を見直してみる。 そして仕事のパフォーマンスが向上すれば、その仕事がまた新たな仕事を作ってくれる、良い循環が生まれると思います。 自ら仕事を作っていかなければならない、独立・開業だからこそ、大切にして欲しいポイントだと思っています。

2018年8月24日

熾烈な生き残り争いが繰り広げられている、飲食業界。 2017年1〜10月までの飲食店の廃業数は634件に達し、前年同期比19.8%増を記録しています。 出典:東京商工リサーチより 今回お話を伺ったのは、愛知県の刈谷市でカフェ・バー「music & cafe BIRDLAND」を経営する、青山伸さん。 青山さんは、独自の方法で試行錯誤を繰り返し、20年もの長い間、店を経営し続けています。 青山さんが20年、店を続けられた理由とは一体何でしょうか? 青山さんの経歴とともに、試行錯誤の過程や「music & cafe BIRDLAND」独自の取り組み、そして20年経った今も新たに挑戦していることについて、伺いました。
<プロフィール> 青山伸(あおやま・しん)48歳 カフェ・バー「music & cafe BIRDLAND」マスター/クレイアートアーティスト 大学に入学後、音楽系のカフェ・バーでアルバイトとして経験を積む。大学中退後、1995年「coffee & cafe Kaede」をオープン。 1998年に現在の愛知県刈谷市でカフェ・バー「music & cafe BIRDLAND(以下BIRDLAND)」を開店。 2013年にはクレイアートアーティストとして、CBCテレビで作品が紹介される。 そして、根強い人気を博しながら、2018年に「BIRDLAND」が20周年を迎える。 アート活動と、バー経営との二足のわらじに日々奮闘する。

どん底だった日々から「BIRDLAND」を開業するまで

―現在は愛知県の刈谷市で「BIRDLAND」を経営されている青山さん。開業するまでの流れを教えてください。
青山さん 大学に入学してすぐ、カフェ・バーでアルバイトを始めました。 その店のマスターが「The Beatles」の大ファンだったんです。その人はカリスマ性があって、私はすぐ影響されていきました。 「いずれはお客さまに音楽も提供できるバーを開きたい」と、思うようになったきっかけですね。
ーアルバイト先が、現在の「BIRDLAND」の原点になっているのですね。
青山さん そうです。 楽しかったアルバイトがあった一方で、通っていた大学には、なんとなく行く意味を見出だせなくて。 1年生の時から休学して、ずっとアルバイトに明け暮れていましたね。 5年間ほど休学した後、大学を中退し、同時にアルバイトも辞めました。バーを開くためにいろいろ勉強しようと思ったんです。 しかし当時の私には、店を開業するだけの資金も土地もありませんでした。とりあえずただなんとなく毎日を生きているだけの日々が続いていたんです。 そんな鬱屈とした日々に、ある転機が訪れました。
ーどのようなことが起こったのですか?
青山さん ある知人から「自分が管理しているテナントに空きが出るんだが、何かやらないか?」と、勧められたんです。 その話を聞いた時に「このチャンスを逃してはいけない」と、強く思いました。なんというか、自分の中で「やるぞ!」とスイッチが入ったんです。 そして開店したのが、「BIRDLAND」の前身にあたる、「coffee & cafe Kaede」でした。
ー偶然舞い込んだ話の流れで、開業することになったんですね。しかし、土地や物件は押さえられても、資金などの課題もあったと思います。成功する算段はあったのでしょうか?
青山さん 正直、そんな算段なんて、全然ありませんでした(笑)。 それでも「このままじっとしていても何も変わらない。考えていても何も変わらないなら、とにかく行動するしかない」と思ったんです。 物件と土地はあっても、お金がない。だからまず、お金を調達することにしました。 当時は今みたいにクラウドファンディングなどもありませんから、銀行に行って、自宅を担保に開業資金を借りたんです。 以前のアルバイトでの経験を頼りに必要なものを調達し、なんとか開業に至りました。
ー腹を括って行動を始めてからの流れが、まるで別人のようですね(笑)。
青山さん 今の日本って、学生時代まではある程度「決まった道」みたいなのがあるじゃないですか。でも、大人はそうじゃない。 社会人になってからは、会社で働くことも、フリーランスで働くことも、各人の選択次第です。 だからこそ、このチャンスを逃したら「もう一生ズルズル行くんじゃないか」と、言い知れぬ不安感に襲われていましたし、同時に、夢だったバーを開業できることの嬉しさが入り混じった複雑な感情がありました。 そして気がついたら、開業するためにあれこれ動き始めていたんです。
ーなぜ「coffee & cafe Kaede」から「BIRDLAND」を開店するに至ったのでしょう?
青山さん このテナントを借りて開業した時、3年で店を畳むことを決めていました。 その間に資金を貯めて、人から借りるテナントではなく、自分の好きな場所で自分のお店を持ちたい、と思っていたんです。 ゼロからのスタートだったので、この3年は本当に大変だったのですが、なんとか資金も貯めて、現在の場所に「BIRDLAND」をオープンすることができました。

“2年で50%の飲食店が潰れる”現実と、どう戦う? 開業以来続く、「投げ銭」制度にかける想い

ー「BIRDLAND」というお店は、一般的なバーと何が違うのでしょうか?
青山さん 「BIRDLAND」の特徴は、お店でお酒を飲みながら、プロのミュージシャンの演奏をライブで聞ける、という点です。 「BIRDLAND」では、年間150回以上ものライブを行っており、素晴らしい演奏を生で聞きながらお酒を楽しめます。
ーバーとしての役割と、ライブハウスとしての役割を兼ね備えているのですね。
青山さん はい。そして「BIRDLAND」の最大の魅力は、ライブのチケットを売ってお客さまに来ていただくのではなく、ライブを無料で鑑賞していただいた後、「投げ銭」という形でお代をいただいております。
ーライブハウスといえば、チケットを購入してライブを見る、というシステムが一般的だと思いますが、なぜ「投げ銭」を採用したのでしょうか?
青山さん 正直な話プロのミュージシャン、といってもテレビに出るような、いわゆる「メジャーミュージシャン」と呼ばれる方たちでない限り、チケット制で集客を見込むことは厳しいのが現状です。 1,000円でも2,000円でも、「チケット代がかかるなら、行くのをやめようかな」という心理が、どうしても働いてしまうんですね。 それならばまず、チケット代を無料にすることで、心の壁を乗り越えます。 お客さまからしたら「無料なら、観に行って見ようかな」となるんですね。 もちろん「BIRDLAND」で演奏していただいているアーティストさんたちは、皆さん素晴らしい方ばかりです。 プロの素晴らしい演奏を、先に無料で聞いていただき、聞いていただいた後に「投げ銭」という形で報酬をいただく。 「投げ銭」はあくまでお客さまのお気持ちなので、当然ゼロ円でも構いません。 ですが「素晴らしい演奏を聞かせてくれて、ありがとう!」と、多くのお客さまがアーティストへの感謝の気持ちとともに、お金を落としてくださいます。
ー無料でライブを開いているからこそ、多くの集客が見込める上に、結果的にチケット制よりも儲かる、ということですね。
青山さん はい、ありがたいことにそういったケースが非常に多いですね。 ちなみにこの「投げ銭」システムは、20年前に「BIRDLAND」をオープンして以来、ずっとこだわって続けています。 今でこそ、Webを通した「投げ銭」システムが盛んになっていますが、日本のライブハウス・バーでこの「投げ銭」システムを始めたのは、「BIRDLAND」が初めてなんじゃないかと自負しています(笑)。
ーこの「投げ銭」制度が、他のライブハウスやバーとの大きな差別化のポイントになっているのですね。
青山さん そうですね。 どの業界でも言えることだと思いますが、最終的には「オリジナリティを出す」ことが極めて重要だと思っています。 それこそ、最初は見よう見真似で、上手くいっているお店を真似て始めることも重要ですが、そのやり方だといつか必ず限界が訪れます。 特に、バーといった飲食店は、比較的簡単に出店できてしまいます。 ネットや本で調べれば開業についてのノウハウを知ることができるし、美味しい料理を提供することもそこまで難しいことではありません。 でも逆に言えば、誰でも簡単に出店できるからこそ、プラスアルファで「自分のお店の色」を打ち出していかないと、長続きしないんです。 飲食の世界は「開業して3年で約7割が閉店する」と言われていますから、私も生き残りを賭けて必死にオリジナリティを探してきました。

必要なのは、きっかけや偶然を信じて、行動を起こす力

ーバーと音楽演奏、そして「投げ銭」制度という独自の手法を打ち出して、20年間お店を経営されてきたのですね。それ以外にも何か工夫されていることはありますか?
青山さん 紙粘土で作る、ハンドクラフトが趣味なのですが、最近インスタグラムなどを中心に、とても人気になってきています。 もともと父親が絵描きだったこともあり、昔から絵を描いたり何かを作ったりするのは好きだったんです。 大人になってふと、ハンドクラフトを作ってみたくなって、作って「BIRDLAND」に飾ってみたら、お客さまからの評判がとても良くて。 それが口コミで広がって、個展を開いたり、マスコミから取材を受けたり、テレビに出たりもしたんですよ。
<青山さんのFacebookより> ーすごいですね。ハンドクラフトは青山さんにとって「BIRDLAND」に次ぐ、新たな強みになっているのですね。今後、何か手がけようと思っていることはありますか?
青山さん 「BIRDLAND」は、20年という長い時間を経て今の型ができました。「BIRDLAND」に来ることを楽しみにしてくださるお客さまや、ミュージシャンが大勢いらっしゃいます。 私だけでなく、様々な人のおかげで今の「BIRDLAND」があります。 今後も「BIRDLAND」が大事にしているスタイルやポリシーは変えず、引き続きお客さまとミュージシャンに喜んでもらえる環境を作りたいです。 また、「BIRDLAND」の経営状態も悪くなく、時間に余裕がある今だからこそ、ハンドクラフトにもっと力を入れていきたいです。 「BIRDLAND」では比較的“裏方”に徹することが多いのですが、このハンドクラフトでは1人の“プレイヤー”として、成長していきたいですね。 きっとプレイヤーとしての経験が、「BIRDLAND」経営にも還元することができると思っています。
ー最後に、独立や起業を考えている方々へアドバイスをいただけますか?
青山さん 20数年前、なんとなく生きていた僕が、まさか20年も自分の店を続けることになるとは思いもよりませんでした。 もちろんこれまで何度も試行錯誤を繰り返して、一生懸命がんばってきたからこそ、20年も続いたのかもしれませんが、最初のきっかけは本当に偶然でした。 何かのきっかけや偶然って、皆さんの人生にも転がっていると思うんです。 自分の中で「これだ!」と思えるものと出合えたら、どうかその直感を信じてあげてほしいです。 行動以外からは、何も生まれません。 自分の心を信じて、まず行動してみる。そこから全てが始まるのだと思います。

2018年8月22日

会社を回しているのは社長だけではありません。特に規模が大きくなってくると取締役や執行役員など、様々な形で会社の一端を担っている役員が生まれてきます。当然、責任も大きいため、役員報酬という形で対価が支払われていますが、この役員報酬はどのように決めるのが良いのでしょうか。ここでは役員報酬の決め方をご紹介していきます。

2018年8月21日

夏といえば、高校野球。 甲子園では熱戦が繰り広げられていますが、日本で唯一、50歳でも現役で高校球児たちと同じグラウンドで審判(アンパイア)をしている社会保険労務士の篠原丈司さん。 独立して約10年。昨年は、124回も講演をこなし、年間50〜70試合の審判もしているという。ワークライフバランスの良い自由な働き方を手に入れたアンパイア社会保険労務士の活動についてお伺いしました。

2018年8月20日

PLOFILE
中野章三さん(81歳)
中野ブラザーズ/東京都世田谷区
1937年生まれ。兄の啓介さんと「中野ブラザーズ」として活動、日本タップ界の第一人者に。 啓介さんの急逝後も現役続行。17年にはデビュー70周年記念公演も。 近年は後進の指導や一般社団法人中野ブラザーズタップダンス連盟とともに「座タップダンス健康法」の普及に努める。

2018年8月17日

事業を始める上で必ず必要になる、お金。 特に融資を受けた「借金」ともなると、上手に付き合っていけるかどうか、不安ですよね。 今回お話を伺ったのは、税理士・公認会計士である、齋藤雄史さん。 齋藤さんは20代〜30代をはじめとする、多くの若手起業家をお金の管理・使い方という側面からサポートされています。 今回は、齋藤さんが税理士事務所を開業するに至るまでの経歴から、お金、中でも「借金」との付き合い方についてお聞きしました。
<プロフィール> 齋藤雄史さん 税理士/公認会計士 宮城県仙台市出身。 高校卒業後、進学資金を貯めるため、新聞販売店に勤務。その後、地元の簿記専門学校に進学、東日本大震災同年の2011年公認会計士試験合格。 合格後、新日本有限責任監査法人福島事務所勤務。 法律の世界に魅せられロースクールに進学し、同時期に板橋区にて会計事務所を開業。 ITやクラウド対応を武器に顧客開拓に成功し、20代〜30代をはじめとする多くの起業家から厚い信頼を得ている。

お金が足枷になって、挑戦できない人を減らしたい。税理士事務所を開業したワケ

―これまでの経緯を教えてください。
齋藤さん 高校時代はコンビニでアルバイトをしていました。 当時はコンビニの店長になりたいと思っていたので、簿記の勉強を始めたのがきっかけです。 ところが高校を卒業する時、家庭の事情で大学への進学が厳しくなってしまいました。 そこで一旦就職をしてお金を貯めてから大学へ行こうと思いました。
―どんなお仕事をされていたのですか?
齋藤さん 地元の仙台から上京して、新聞配達の仕事を始めました。 1年で100万円ほど貯金してそのお金を元手に、地元仙台の税理士・公認会計士の専門学校に入学しました。
―なぜ税理士・公認会計士の専門学校だったのですか?
齋藤さん 私はこれまで、お金によってキャリアの選択肢が狭められてきたからです。 お金をもっと自由に扱うことができたら、と思い勉強を始めました。 そして専門学校に入学して数年が経ち、公認会計士の試験に合格した年に東日本大震災が起こりました。
―仙台で震災に遭われたんですか、それはとても大変でしたね…。
齋藤さん はい。地元仙台をはじめ、東北地方全体でとても大変な状況でした。その経験から「復興関係の仕事がしたい」と思うようになり、監査法人に就職し、3年ほど働きました。
―具体的にはどのようなお仕事をされていたんですか?
齋藤さん 主に国や地方公共団体、上場企業の監査を担当していました。 しかし、国や上場企業など、大きな組織を相手にするのではなく、お金に困っている人、特に若い起業家や、中小企業やベンチャー企業のサポートがしたいと思うようになりました。
―なぜでしょうか?
齋藤さん 自分自身が、お金に困った経験がありましたし、自分の親も小さな飲食店を経営し、お金に苦しんでいた様子を近くで見ていたからです。 だから、お金が原因で選択肢が狭められている人の助けになる仕事をしたかったのです。 よりお客さまに近い距離で仕事をするために監査法人を退職し、税理士・公認会計士の事務所を開くことにしました。

自分に自信をつける。税理士が語る、「借金」との上手な付き合い方

―税理士事務所を開業された齋藤さん。現在のお仕事について教えてください。
齋藤さん 仕事の内容は、税理士事務所と変わりません。 ですが私の事務所では、主に中小企業やベンチャー企業、個人事業主を中心にお取り引きさせて頂いております。 特に20代から30代の若い経営者の方と、一緒にお仕事をさせていただくことが多いですね。 最近は年に一度の確定申告や、話題の副業に関する税金のご相談も増えてきました。
―20代30代の方を中心に、お仕事をされている税理士の方は珍しいのではないですか?
齋藤さん そうですね。業界的にも非常に珍しい立ち位置だと思います。 一般的に税金、税理士と聞くと「なんか相談しづらい」「ちょっと怖い」というイメージがあると思っています。 まだ僕自身が若いからこそ、若い人や起業に挑戦したい人が、気軽に相談できる環境を作ることができる。 そう信じて、お金が不安で1歩を踏み出せない人をサポートしています。
―そんな齋藤さんに伺いたいのですが、初めて起業をされる方は特に、お金との付き合い方について困ることが多いと思います。上手にお金と付き合っていくためにはどうすれば良いのでしょうか?
齋藤さん お金、特に「借金は怖い」という認識は、多くの起業を志す方にとって共通する認識だと思います。 僕がこれまで見てきた、自分で会社を立ち上げて会社を大きくしていった人たちに共通するのは「借金を上手に使っている」ということです。 「どれくらい借金をして、どのタイミングでどう返済するか」をきちんと計画立てて、実行できている人は、事業を成功させているケースがとても多いです。
―事業を大きくするためには、借金や借金をすることのプレッシャーを、上手く飼いならす必要があるということですね。
齋藤さん はい。 そしてそのスキルを身につけるためには、小さな成功体験を積み重ねることが極めて重要です。 例えば僕の場合、現在税理士と公認会計士の資格を持っていますが、それも簿記検定3級の受験から始まっています。 いきなり税理士や公認会計士の試験を受けたわけではありません。 簿記検定3級から始まり、2級、1級と段階を踏んで勉強してきました。 つまり全ては、小さなことの積み重ねなのです。
―それは事業やそれに伴う借金に関しても同じことが言える、ということでしょうか?
齋藤さん 全くその通りです。 いきなり何の経験もなく事業を立ち上げて、成功する人はごく一部でしょう。 例えば今会社員であるのならば、副業など経験を積み、事業がどのように動いていくのかを勉強しても良いのではないでしょうか。 できる限り小さいことから始めて、ある程度うまく回せるようになれば、自然と自分に自信がついていきます。 お金との付き合い方もまさに同じことで、これまでの事業の経験を活かして「何をするためにどれくらいお金が必要なのか」、そして「借りたお金をどうやって返済するのか」まできちんと見えていれば、自ずと自信が湧いてくると思います。

今の延長線上に、将来がある。お金で可能性を狭めない世界を創るために

―齋藤さんの今後の展望を教えてください。
齋藤さん 挑戦したい人が挑戦しやすい世の中、お金が挑戦の足枷にならない世界を創っていきたいです。 そのために、いま目の前にある仕事に一生懸命になることはもちろん、税理士・公認会計士の枠にとらわれず様々なことに挑戦していきたいと思っています。 具体的には現在ロースクールに通っており、弁護士免許を取得するための勉強をしています。 お金や法律といった様々な切り口から、はじめの1歩を踏み出す人のお手伝いができたらと思っています。
―最後に独立・起業を考えている方に対して何かメッセージをいただけますか?
齋藤さん 小さなことでもいいので、自分に自信をつけていくことが大切だと思っています。 先程お金との付き合い方でもお話しましたが、良い経営者は自分に自信があるケースが多いです。そしてその自信を裏付ける、数多くの経験をしています。 いきなり別世界に行くことは難しいかもしれませんが、小さなことからコツコツと経験を積み重ねることで、いつか必ず大きくジャンプすることができます。 結局、今の延長線上にしか将来はないのです。 自らの独立・起業に必要な経験を増やしていくことから、始めて見ると良いのではないでしょうか。

2018年8月14日

PLOFILE
後藤稔行さん(49歳)
ジー・ブーン(株)/東京都千代田区
アパレルなどを経て、2006年に創業。 大手企業を顧客としたITアウトソーシング事業のほか、 アイデアが生まれるレンタルスペース「アイデアの城」、バンコクではフォトスタジオ「姫と侍」などを展開。 写真は「アイデアの城」の一室、「アリスのホワイトルーム」。

2018年8月8日

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