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起業家・先輩から学ぶ
203件のまとめ

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岡安大輔さん(35歳) 吉井広宣さん(38歳) 吉井竜一さん(41歳)
(株)TMO/千葉県船橋市
左から竜一さん(長男)、大輔さん(三男)、広宣さん(次男)。 父は厩務員(厩舎で働く従業員)、竜一さんは現役騎手、広宣さんは元厩務員という競馬一家。 大輔さんが創業した(株)TMOを広宣さんも手伝う。 事業内容はSIMフリー携帯電話、飲食事業、競馬事業など。

VOL.184
競馬一家に育った3兄弟。ダービー優勝の夢を追う

バラバラになった家族の絆。 会社と馬で取り戻す

が高校の頃、上の兄が騎手としてデビューしました。強かった。 重賞レースに勝ち続けて、地方競馬の夢舞台、東京ダービーも確実視されてたんですよ。でも直前で馬が故障して欠場。それが悔しくて。僕は憧れの騎手にはなれず、見習で入った厩務員も合わず、すぐに脱走。でもずっと思ってました。 今度は馬主になって競馬の世界に戻ってくるんだ、自分の馬で東京ダービーに挑戦するんだって。  20歳の時、厩務員だった父親が失踪しました。もともと自由人、ふっといなくなるのは日常茶飯事でしたが、この時は本気の失踪。後に残ったのは金利を含めて6000万円の借金。兄が建ててくれた家は借金のかたに取られ、吉井家の暗黒時代です。皆バラバラ。花形騎手の兄の迷惑になってはいけないと、借金は僕が背負い込むしかなかった。全額返済まで7年かかりました。   どうやって返したか? 1日20時間働きました。 その頃「日銭の仕事には限界がある」と気づいたことが起業のきっかけです。  2番目の兄と久しぶりに温泉に行った時のこと。「やっぱり競馬はいいね」という話になって、馬主になるという20年越しの夢に向かってスイッチが入りました。それから2年、本業で稼いだお金で、先月ついに馬を買ったんです。 当然、上の兄に乗ってもらいたい。2番目の兄も誰より競馬に詳しいですから、会社の一員として競馬関連の事業を任せています。会社を作る時から「いつか家族で」という青写真がありました。競馬は僕が育った場所であり、家族が人生を共にする場所。それを取り戻すために、です。  照準はもちろん、東京ダービー。たとえ兄が取れなくても、騎手の養成学校に通っている兄の息子に目指してもらうつもり(笑)。 しつこいんですよ、僕の夢は。



構成・文/東 雄介 撮影/刑部友康、阪巻正志
アントレ2017.夏号 「1人では決断できなかった 私と家族の独立物語」より

2017年11月20日

あなたの好きなことはなんですか? こどもの頃、何かに夢中になったときと同じように、今も何かに夢中になれていますか? 大人になって社会に出ると、いつの間にか仕事だけの毎日。仕事に忙殺され、ふと気づいた時に「俺、なにやってんだろう?」と、人生に疑問符が現れることってありますよね。

2017年11月13日

1年半後に迎える定年退職までに開業準備をし、退職後は家族を養うため、開業して働き続けたいという林原さん。これまでの経歴と趣味を生かし、カーリペアのフランチャイズに加盟したいと考えているが、実際に加盟しているオーナーさん数名に、直接、経営についての話を聞いてから判断したいと考えている。

2017年11月10日

ナポリから直輸入した石窯をシンボルとするお店には、近隣の家族連れや鮫洲運転免許試験場帰りのお客さまがアツアツのナポリピッツアを頬張る姿が。イタリアンの伝統的なスタイルに縛られることなく、もっと自由で楽しいナポリピッツアを届けたいと語るオーナーの硲さん。資金もノウハウもない中でスタートした独立はハードルだらけだったと笑います。
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新井翔平さん(30歳)
新井集客事務所/川崎市中原区
大学卒業後、カナダに留学。 帰国後、求人広告の営業などを経て、2015年、営業コンサルティング会社の代理店として独立。 一定の成果を挙げるも、のちに借金300万円の多重債務者に。 16年4月にマーケティングコンサルタントとして再起した。

VOL.183
集客に悩む経営者を助けるマーケティングコンサルタント

奪うよりもまず与えること。 ドン底で学んだ商売の本質

しの労力で大きな報酬を手にするんだといって営業コンサルタントとして独立。面白いぐらい売れませんでした。見る見る資金が減って、何とか手に入れた200人の顧客リストに“売り込み臭”の強いDMを打ってしまう。返事はゼロです。  師匠に泣きついたら言われました。「相手のポケットからお金をどう奪うかというマインドに陥っている」「ビジネスは社会に対し先払いで価値を届け、後払いで報酬を受け取るゲームですよ」……金言でした。営業の成功事例をまとめた小冊子を自作し、それを3カ月間送ってから改めてセールスしたらボンボンと契約がとれた。  いろいろやらかして、借金を返すため箱根の山奥でリゾートバイトしたことも。もう一度何か始めるにも絶対にコンサルだけはやらないって思ってました。人に迷惑かけたし。でも別の師匠がその経験を生かせと言ってくれたんです。わんわん泣きました。さんざん失敗したけど結果を出すための行動も少しずつ分かってきた、今はそんな感覚。これからも行動しまくったろと思ってるんです。   めちゃくちゃ面倒くさいことだけど、「楽な道はない」と分かっただけでも気持ちは楽になったかな。


更新日:2017/10/31
構成・文/東 雄介 撮影/刑部友康、阪巻正志
アントレ2017.春号 「起業家7人が語る 私がプロになった瞬間」より

2017年10月31日

9月15日(金)、16日(土)の2日間にわたり、東京ドームシティ内のプリズムホールにて『アントレフェア2017』が開催されました。 多くのフランチャイズ本部や代理店本部と直接相談することができ、様々な業界の情報を集めることができる当イベント。 その中でも大盛況だったのが、ライフネット生命保険株式会社創業者である出口治明さんによるスペシャル講演です。

2017年10月25日

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神戸貴子さん(42歳)
N.K.Cナーシングコアコーポレーション(同)/鳥取県米子市
出産を機に看護師を退職。育児と介護の両立に苦労した経験から、病院付き添いなど介護保険では補えないケアサービスを行う「わたしの看護婦さん」を2014年に立ち上げる。 現在の利用者は約30名、スタッフは15人。

2017年10月23日

ご自身の託児に対する理想像・考え方の合うフランチャイズに加盟し、2017年4月に託児所をオープンした菊地さん。とにかく、こどもと触れ合っていたいと思っていたものの、開業当初は集客に苦戦していました。運営を手伝ってくれる娘さんといっしょに、様々なSNSを利用した情報発信や近隣市役所などへの営業活動をするなど、色々な販促活動を行ってきましたが、今月はどんなチャレンジをしているのでしょうか。

2017年10月20日

株式会社エス・ピー・アイ(あ・える倶楽部)/東京都渋谷区 代表取締役

篠塚恭一さん(55歳)

1961年、千葉県生まれ。大手旅行会社の添乗員を経て、旅行専門の人材派遣会社に勤務、“人づくり”を担ってきた。91年、「エス・ピー・アイ」設立。98年、高齢者とその旅を支える人々が集う場として「あ・える倶楽部」を立ち上げ、介護旅行サービスを本格化。2006年には、広くトラベルヘルパーを育成することを目的に「日本トラベルヘルパー協会」を設立し、多くのプロを輩出している。教育、医療研究機関との連携も進んでおり、その活動は大きな広がりを見せている。

2017年10月19日

あなたには、コンプレックスはありますか? 見た目、学力、地位、財産…。多かれ少なかれ、人は様々なコンプレックスを抱えています。 今回お話を伺ったのは、デザイナー、占い師、VJ(ヴィジュアルジョッキー)、大学講師、フードデザイナーの5つの職業をこなす、市角壮玄さん。 これだけ幅広い仕事をこなす超人に、コンプレックスなんてあるのか、と思ってしまいますが、市角さんは実は幼少期”グズでノロマ”と言われ続けてきたそうです。

2017年10月18日

1年半後に迎える定年退職までに開業準備をし、退職後は、開業して家族を養っていきたいという林原さん。これまでの経歴と趣味を生かし、カーリペアのフランチャイズに加盟したいと考えているが、実際に加盟しているオーナーさん数名に、直接、経営についての話を聞いてから判断したいと考えている。

2017年10月13日

就農するきっかけは人それぞれ。 実家を継いで農家になる人もいれば、脱サラして農業を始める人、希望を持って就農する人もいます。 神奈川県藤沢市の「湘南佐藤農園」の園主、佐藤智哉さんは結婚を機に就農。前向きな気持ちで農業に取り組んでいたものの、今に至るまでにたくさんの困難、決断の場面に直面してきました。
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宮田昇始さん(33歳)
(株)KUFU/東京都渋谷区
ITベンチャー企業を経て、2013年に起業。 2つのウェブサービスに失敗するも、Open Network Labが手がけるアクセラレータプログラムを経て、社会保険・雇用保険の労務手続きを自動化するクラウド労務ソフト「SmartHR」をリリースすると大ヒット。現在までに3700社以上が登録している。
何かを変える人は、強い信念を持っているもの。 建築デザイン事務所・パウダーイエローの代表、稲垣史朗さんは「やりたいことをやりたい時に、やりたいようにやる」と語る68歳のベテランデザイナーです。 現在に至るまでの経歴を伺うと、一見奔放にすら思える稲垣さんですが、リフォームや建築デザイン業界で数々の成功を収めてきました。 その理由は、決してブレない信念を持っているから。そして「感性に従って、やりたいことをやりたい時にやる」と語る裏に、たしかな努力や的確な思考があるから。 稲垣さんは、今もなおパイオニアであり続け、日本の建築デザイン業界の可能性を広げるために新たな事業「VETRINA(ベトリーナ)」を立ち上げました。格好良い生き方をひたすら追求する、稲垣さんの人生デザインに迫ります。
<プロフィール> 稲垣史朗さん・パウダーイエロー代表 1949年に京都市に生まれる。 日大芸術学部・放送学科卒業後、テイジンパピリオ入社、宣伝広報部に配属。 1974年に東京・六本木/乃木坂に建築デザイン事務所 フライデーを設立。幼少期の夢である建築現場で日々、建築知識を独学で研鑚。 1987年東京・南青山に事務所を移転。「リノベーション」と「インテリアコーディネイト」を融合させたハイクラスな住宅を造る。 1994年湘南・茅ケ崎に「建築デザイン事務所」と(住宅のショウルーム)を併設して移転。そして2017年、再度、東京・青山に事務所を移転し日本初のバーチャルショールーム『VETRINA』(ヴェトリーナ)を立ち上げる。

http://vetrina-interno.com/

やりたいことをやる。その理由は“格好良い”から

――前回のインタビューにおいて、「やりたいことをやりたい時に、やりたいようにやる」とおっしゃっていた稲垣さん。まずは、改めて稲垣さんの経歴について教えてください。

大学を卒業して父親のツテで入った商社を辞め、昔から興味のあったデザインや建築関係の世界に飛び込みました。25歳の頃だったと思います。 当時は知識も経験も何もなかったのですが、やりたいことを思い切りやってみたかったからです。 その後、何の経験もなく六本木に建築デザイン事務所を構え、「内装屋」として、リフォームの現場でペンキ塗りや図面の見方、デザインを学んできました。

――最初からデザインの道にいらしたわけではなく、そのような下積み時代もあったのですね。

何もないところから始めたら、そんなの当たり前のことですよ。海外でデザインを学んだりもしましたし。 “やりたい”という意思を原動力に、理想を追い続けました。やっていくなかで新たな可能性を見つけたりして、時には自分のやりやすい方向へシフトしながら、何十年もこの仕事を続けてきたんです。

――事務所が大きくなってきたところで、一度全てを捨てて茅ヶ崎へ事務所を移転したそうですが、それにはどんな意味があったのですか?

茅ヶ崎へ移ったのは45歳くらいの頃で、ちょうどバブル後でした。バブル後の東京はとても息苦しくて「こんなところにいたら潰れてしまう」と感じたんです。 それと、事業はある程度成功していたのですが、徐々に自分のやりたかったことからずれてしまったような気がしていて。 優秀なデザイナーを雇って、マネジメントだけに徹するというのは、お金があれば誰にでもできることですからね。 それで事業がうまくいってもデザイナーの感性のおかげで、自分の手柄ではない。社長として利益は得ることができたとしても、モノを作る人間・デザイナーとして業界のパイオニアにはなれません。 そこでもう一度、ゼロから自分にしかできないブランドを作り上げていこうと決心しました。ちょうど縁があって茅ヶ崎に越すことになり、いったん全てを捨てて、新しい土地でフリーのデザイナーとしてまた道を進み始めたんです。

――そこから「Kitchen collection」や「湘南スタイル」という稲垣さんのブランドを確立していき、テレビや雑誌でも紹介されるようになったのですね。

とことん自分のやりたいことを追求していった結果です。 「思い切ったことをやっている」という見方をされることもありますが、僕は自分の感性に従っているだけです。経験や知識・他人の意見も大切だと思うけれど、それに惑わされて諦める方向に傾いてしまうくらいなら、勇気を持って自分の心だけを信じればいい。 何事も、やってみなきゃわかりませんからね。自分の人生なのだから、やりたいことをやったほうが楽しいし、そっちのほうが絶対、格好良いと思うんですよ。

仮想空間でショールームを。新規事業を興したのは?

――今回、稲垣さんはまた新たなチャレンジとして、「VETRINA(ベトリーナ)」という仮想空間内で家具を紹介する事業をスタートさせたそうですね。「VETRINA」について簡単に教えてください。

「VETRINA」は、3DCGを駆使して構築するバーチャルショールームです。 デザイナーの図面をもとに具現化させた家具などを、さまざまなロケーションで展示することができるシステムなんですよ。

http://vetrina-interno.com/

車のCMで、実際に車が大自然を走っているかのような映像をCGで作りますよね。あれと似たようなもの、と言えばイメージしやすいかもしれませんね。

――仮想空間に家具のショールームを作ることができるのですね。このアイデアを思いついたきっかけは?

作品を見せるショールームがなかったから、自分で作ることにした、というだけの話です。 55歳くらいから僕はまた仕事のシフトチェンジをして仕事の量を絞りました。 そして、自分のこだわり抜いた作品を作ることに力を入れていったのです。 しかし、本物を追求したはいいものの、作品をお披露目する場所がなかったんですよね。せっかく作ったモノが、見てもらえないのでは意味がありません。

――そこでバーチャルショールームを作ろうと?

作品を作った当時はまだ、漠然とした理想を持っていた程度で、作品を披露する良いタイミングを窺っていました。 その後しばらくして、「東京デザインウィーク」に作品を出展する機会をいただき、2年間お蔵入りしていた作品を引っ張り出して、東京に持って行きました。 しかし、ようやく日の目を見られると喜んだいたのもつかの間。搬入やら準備やらが大変だったり、「東京デザインウィーク」だけのために作ることになったパンフレットに予想以上に時間もお金がかかっていったんです。 「これは自分のやりたいこととは違う」と思いました。そこで何か良いアイデアはないものかと、自分の中にあるモヤモヤしたものをまとめ上げて、たどり着いたのが“仮想空間のショールーム”でした。 先ほどもお伝えした通り、技術的には車のCMなどで実現できていることですから、自分もバーチャルの世界で家具のショールームを作ってやろう、と思ったわけです。

新規事業に込めた願い。そして、パイオニアたる者の役割

――新規事業「VETRINA」にはどんな利点があるのでしょうか?

第1に、仮想空間のショールームなので、土地などの物理的なコストを必要としません。 これは自分で感じた問題点を解消するメリットでありますが、一方で、若手や地方で活動するデザイナーたちにチャンスを与えるきっかけにもつながると思っています。 普通は、資本力のある会社や有名デザイナーでなければ、ショールームを構えたり、展示会を開いたりすることはできません。しかし「VETRINA」を使えば、個人のデザイナーであっても素敵なショールームを持つことができるんです。

――お金やネームバリューの有無に関係なく、デザイナーに公平なチャンスを提供できる空間ということですね。

そうですね。僕だけでなく「VETRINA」の世界では、この家具はこういうリビングに置きましょうという提案ではなく、現実には置くことのできない世界遺産のような場所などに作品を展示することもできるので、作品そのものを見せることができるはずです。 デザイナーたちが情熱を注ぎ込んだ作品を“ショールームという世界観”から解放することで、純粋に作品の良さだけを伝えることができるのではないかと思います。 現実世界のショールームでは、イマジネーションがストップしまうことがあるんですよね。一言でいえば、「夢がない」んです。 極端な例ですが、まったく同じ家具であっても、高級ブランドが構えるショールームに飾られてあるのと、ホームセンターに陳列されているのとでは、受けるイメージが絶対に違いますよね。 ショールームの広くて綺麗なキッチンに置かれた棚があったとしたら、「こんな素敵なキッチンに、こんな配置で置かなければいけない棚なんだ」という固定観念にとらわれてしまうかもしれません。 そんな現実的すぎる世界から家具の存在を切り離してしまうことで、自然と家具そのものに目が行くようになります。周りの環境にイメージを左右されがちな家具の“本質”だけを見せることができるんですよ。

――なるほど。そのような意図も込められているのですね。稲垣さんが若手デザイナーなどを支援するのには、何か理由があるのでしょうか?

建築デザイン業界の発展のためと、過去の自分の経験から、ほかのデザイナーをサポートしていきたいと思うようになりました。 僕が業界に入った頃は何もないところからがむしゃらにモノを作り上げていくしかない時代だったけれど、今は技術やアイデアがあふれていて、何でもできる一方で、逆に何をやるかが難しくなっています。 それに、やる気や努力だけでは埋められない格差も生まれています。きっかけを掴もうにも、お金がないと何もできなかったり、メディアで話題にならなければ見向きもされなかったり。 せっかく同じ業界で、こだわりのモノ作りをしたいという若者や、素晴らしい感性を持っている人材がいるのに、チャンスすら与えられないのは不公平だと思うんですよ。 そこで僕にできることは、自分の感性や長年培ってきたものを活用して、これからの業界を担っていく人たちが思い切ってやりたいことをやれる環境を作ることです。 感性の優れた人が活躍できるような業界になれば、もっと日本の住宅や建築デザインのレベルは上がっていくはずですからね。

不安はチャンスに変える。パイオニアであり続けるための地道な努力

――バーチャルショールームの構想を実現するために、どんなことに力を入れてきましたか?

昨年の11月から本格的に立ち上げを始めて、今年9月にようやく公開まで至ったのですが、約11カ月間、いろいろ調べて回りました。 特に、業界でショールームを運営している人にたくさん会って、話を聞きましたね。社長などにも簡単に会えてしまうのは、年の功なんですけど(笑)。 とにかく自分の足を使って、アナログに情報収集をしました。直接、人と話したほうが周りの状況がよくわかりますから。いろいろな話を聞いて、自分の目のつけ所は正しいのか、このアイデアを誰よりも先に実現できるのか、入念に確認しながら自信をつけていきました。 結果的に、誰もやっていないことだったし、業界の人は業界の常識にとらわれていてやろうとしていなかったので「これはチャンスだ」と思い、実現まで走り続けることができました。やるからには、やはりパイオニアでありたいですからね。

――誰もやっていないこと=「チャンス」なのですね。稲垣さんはしばしば思い切った決断をしたり、新たな挑戦をしたりしていますが、不安になることや落ち込むことはないのですか?

僕だって、不安になったり落ち込んだりしますよ(笑)。 落ち込む時は、とことん落ち込みます。誰とも会わず、沈めるところまで沈んで、逆にそんな自分を客観視できるくらいまで、落ち込むことを楽しむんです。 人間はなぜか、マイナス方面のことは論理的に考えられるのに、プラス方面のことは夢見がちになるだけで、なかなか建設的に考えられないんですよね。だから、落ち込んで悪いことを考え尽くしたら、あとは底から這い上がります。

――何事も思い切りやるんですね(笑)。しかし実際は、やりたいことがあってもなかなか思い切れない人はたくさんいると思います。何かアドバイスがあれば、ぜひお願いします。

やはり「勇気」が必要不可欠ですね。 “やりたい”と思ったら、とにかくやる。とことんやる。周りの人になんと言われようが、自分の人生ですからね。やりもしないで不安になっていても、仕方ないと思います。 あれこれ深く考える前に、まずは思いついたことをとにかくやってみることが大切ですよ。そうすると、自然に枝葉が伸びていくものですから。今やっている仕事から新しい可能性が見えてきたりして、次々と自分のやりたいことが連なっていきます。 僕は計画を一切立てないで、やりたいことをひたすら突き詰めてきたわけですが、「こういう人になりない」という“なりたい自分像”はずーっと同じで、そこを目指し続けています。 僕の場合は、人生を格好良くデザインしたかった。たったそれだけで、年齢なんて関係なく、いつでもやりたいことにチャレンジできるんです。

――今の時代、1つのことを極めることはなかなか難しいことかもしれませんが、稲垣さんのおっしゃる「勇気」を持って、まずは飛び込んでみることが大切なのですね。本日は貴重なお話、ありがとうございました!

あなたが独立して、その道でもしも「世界一」になったらどうしますか? 類まれな実力があり、誰もがあなたの腕を認める。地位だって名声だってある。 当然お金には困らないし、もしかしたら一生遊んで暮らせるだけのお金がもらえるかもしれない。 もしもそうなったら、仕事なんてやめて遊んで暮らしますか? 今回お話を伺ったのは、大阪は港区弁天町にある「すし活」初代当主・川口正弘さん。
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