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起業家・先輩から学ぶ
318件のまとめ

大人になれば誰しも1つは持っているお財布。 お金との付き合い方は人それぞれなように、お財布との付き合い方も人によって異なる。デザインや容量など、特徴の異なる一品を持っている人もいるだろう。 私事ではあるが、筆者はm+(エムピウ)というブランドの「ミッレフォッリエ」という財布を使っている。 これは小銭、お札、カードがコンパクトにまとめられる財布。気づけば10年ほどの付き合いで、現在は同じモデルの2代目を使用中だ。 ミッレフォッリエは根強いファンの多い財布で、同じモデルを使い続ける人が多く、発売から14年が経った今でも、月に800個は出荷されるという。 このお財布を生み出したエムピウの代表・村上雄一郎さんは、元・建築士という異色のキャリアの持ち主。彼は、一級建築士から革製品のデザイナーへと、どのように転身を果たしたのだろうか?
<プロフィール> 村上雄一郎さん バッグ/革小物デザイナー。建築事務所に勤務していたが、素材としての革に興味を持ちバッグ・革小物のデザインを開始し、2001年「m+」(エムピウ)をスタート。設立から4年後、創業支援施設台東デザイナーズビレッジに1期生として入居。 台東区での業務の利便性を感じ、蔵前に拠点を構える。

遊ぶものは自給自足、ものづくりの楽しさを学んだ幼少期

− まずは村上さんが建築士になるまでをお聞きしたいです。建築士と革製品のデザイナーはプロダクトを生み出すという点で共通していますよね。ものづくりは昔からお好きだったのですか?
村上雄一郎さん(以下、村上さん) 幼少時代から好きでしたね。田舎に生まれて遊ぶものがないから、自分で作るのが当たり前だったの。拾ってきた真鍮を磨いてピカピカにしたり、木片で工作をしたり、手を動かして結果が現れるのが楽しかった。そうするうちにものづくりが好きになってしまったんだよね。 建築の道に進んだのも作ることに興味があったから。大学で建築を学んで、そのまま設計事務所に入ったんです。
− 事務所ではどのようなお仕事をされていたのですか?
村上さん 就職した事務所は建物だけじゃなく、都市計画やマップ、時には建物のなかで使う家具など、幅広く空間をデザインしている場所でした。 当時は幅広く様々な分野のアシスタントとして働いて、3年目から建築設計に携わりましたね。建築設計はよくドラマとかで出てくる、図面や模型を作る仕事です。でも、僕はその仕事に違和感を抱いてしまったんです。

「ものづくりがしたかったのに」という思いで始めた革工芸

− なぜ違和感を抱いてしまったのでしょうか?
村上さん 端的に言うと、ものづくりに関われなかったから。その事務所では、僕たちは設計とディレクション、施工は職人さんに分業されていて、現場と接する時間が少なかった。 ものづくりがしたいと思って建築業界に入ったのに、作る現場に携われないから「なんか違うな」と思うわけです。 自分は施工の現場を知らないのに、クライアントには図面や模型を前にして、「素材はこれがいいですよ」とか、まるで自分の目で見てきたようにプレゼンしないといけない。家も建物も一生の買い物ですよね。そういう性質のものを、想像だけで提案してしまうのが怖かったんです。
− そのモヤモヤが革製品を手がけるきっかけになったのでしょうか?
村上さん その通り。ものづくりがしたいなら自分の手を動かせばいいんだと思って、革工芸を始めたんですよ。
− なぜ革だったのでしょうか? 木とか鉄とか、素材は色々ありますよね?
村上さん 革は手軽にできるんです。たとえば家具を作ろうとしたら、広い工房が必要でしょ? 機材もいるし、音が出るから都心では難しい。革なら大きな機械はいらないし、音も出ない。当時は設計事務所の仕事終わりに車のなかでコツコツ製作してましたね。
− それをお仕事にしようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?
村上さん 事務所の先輩に見せたことかな。作ったものは誰かに見てもらいたいじゃない。だから設計事務所の先輩を捕まえて、完成した小物を見せていたんです。 そうしたら褒められて。クリエイターはものを見る目がありますよね? そんな人に褒められたのが嬉しくってね。 作っては見せ、作っては見せを繰り返していたら、「お前こっちの方が向いてるんじゃないか? やるならイタリアの工房で修行して箔つけてこい!」って言われてその気になっちゃいました(笑)。
− いよいよエムピウが生まれるお話が聞けそうです。ちなみにその時、ご結婚はされていました? 奥さんがいると、説得も必要ですよね?
村上さん 結婚は建築事務所時代にしていました。イタリア行きはカミさんに黙って行くわけにもいかないので、相談したら「行ってらっしゃい」とお許しが出て。それで事務所を退職し、家族を日本に残してフィレンツェの職業訓練校に入学することにしたんです。

イタリア修行とエムピウの誕生、帰国直後は二足のわらじを履いていた

− イタリアに修行に出かけた村上さんですが、イタリア語は話せたのでしょうか?
村上さん イタリア語どころか英語も話せなかったね。でも革工芸の基礎的なことは日本で一通り学んで行ったから、実技は見ていれば分かる。だから困ることはなかったかな。 職業訓練校を卒業した後は、イタリアの代表的な革ブランド「ベネトン」の工房に入ることができて、そこで1年間修行することができました。 1年経つと、今度は別の工房から引き抜きの話が来たんです。技術にも自信を持ち始めていたし、いよいよ日本にいる家族をイタリアに呼べると思っていたんだけれど、カミさんに相談したら「そろそろ戻ってらっしゃい」と言われちゃって。カミさんには逆らえませんよね、それで日本に帰国したんです。
− 志半ばという感じでしょうか?
村上さん そうでもないんだけどね。でも、革のデザインを仕事にしたいという思いはあって。帰国後はすぐにでも自分のブランドを立ち上げたかったんだけど、家庭もあるし、取引先もなかったから、設計事務所に戻って建築士と革デザイナーを掛け持ちしてたの。 当時は革製品のメーカーから委託でデザインを請け負っていたりしてた。そのなかで、クライアントと打ち合わせをしたり、製品を作って卸したり、ブランドを運営するうえで一連の流れは勉強できたんだけど、やっぱり自分の作りたいものを手がけたい気持ちが強くなってきて。 自分のブランドが必要だと思って2001年にエムピウを設立したんです。
− エムピウとして最初のお仕事はどのようなものだったのでしょうか?
村上さん 最初に発注してくれたのは、銀座にある文具専門店でしたね。 製図用のA3サイズのバッグを作って提案したら置かせてもらえるようになった。でもそのバッグは5万円したから、全然売れなくってね(笑)。 色んなところに売り込みをかけながら製作を続けていたんだけれど、2004年には活動の幅を広げようと思って、台東区にあるファッションやデザインの創業支援施設「デザイナーズビレッジ」の第1期生に応募してみた。 無事選出されて、エムピウ1本で活動できるようになって、財布やペンケース、キーケースなどを、デパートの催事場などに置かせてもらって売り込みをかけていたんです。

看板商品ミッレフォッリエ、ヒットのきっかけは新聞記事だった

− ところで、看板商品の「ミッレフォッリエ」はいつ頃生まれたんですか? 今日はそのお話も聞きたくって!
村上さん 2004年にはもう販売していたね。ミッレフォッリエは発売して14年経つけれど、いまだに月間800個は出荷されていく。エムピウが続いているのもこの財布のおかげですよ。
− 根強いファンが多いお財布ですけれど、看板商品になるまでにはどのような経緯があったのでしょうか?
村上さん ヒットは新聞記事がきっかけでしたね。松屋百貨店の催事場でミッレフォッリエを見た新聞記者がコラム枠で紹介してくれて、電話やFAXで問い合わせがじゃんじゃん来たの。それから先は口コミでファンが増えていったんです。 その時は、メディアの力ってすごいなと思いましたね。狙ってやったわけではないんだけど、人の目に触れさせることって大事なんだなと。 ミッレフォッリエはその後、パクリ製品が出るくらい人気になりました。お客さんから「パクられてますよ!」ってお怒りの電話がかかってくるんですよ(笑)。心境は複雑だったけれど、それだけお客さんから愛されているのは嬉しかったですね。
− 村上さんは蔵前に工房とショップを構えていますけど、お店はいつごろ構えられたんですか?
村上さん 2006年のことだったね。店はデザイナーズビレッジを卒業するときに事務所兼ショールームが必要になって構えたの。製品が売れるようになったら大家さんが2階も貸してくれるようになって、1階がショップ、2階が工房兼事務所という現在の形になりました。

承継は考えていない、エムピウは僕一代のブランドです

− エムピウは、財布以外にキーケースやペンケース、バッグなども手がけていますよね。これらの製品はどのようにデザインされているのでしょうか?
村上さん うーん、ものによって様々だけど、基本的には自分が必要なもの、欲しいと思うものをデザインしてます。「デザインを考えてくれませんか?」という依頼もないことはないんだけど、納期を決められちゃうと嫌なんです。自分が興味関心を感じられるものじゃないと作れない。 製品が生まれるまではだいたい生みの苦しみがあるんだよね。うんうん唸って、長いこと悩んで。でも、生まれる瞬間は、頭に寝かせておいたアイデアや構造が組み合わさって腑に落ちるんです。「おっ! これだっ!」ってね。
村上さん それをスケッチに落とし込んで、試作品を作って、あとは微調整かな。「うーん、ここのアールが違うな」とか(笑)。楽しいですよ。
− そんな風に作られているんですね。これだけ評判になると、ブランドは村上さん1人では運営しきれないですよね? 全国にお取引先もあると思いますし、組織としてはどのようにされているのでしょうか?
村上さん 言っても小さなチームですよ。営業はいないし、店舗の運営と受発注の作業だけスタッフに手伝ってもらっています。生産は工場に委託しているので、僕は工房でデザインしたり、お取引先や工場と打ち合わせをしたりすることが多いですね。
− 最後に、これからのエムピウについてお聞きしたいです。事業は軌道に乗っていますが、誰かに受け継いだりなどは考えていませんか?
村上さん 実はあまり考えていないんです。「m+(エムピウ)」は、村上の「m」と、使う人を表す「+」を合わせた名前。だから、僕がいなくなったら違う名前にするべきだと思っている。他の人が考えたデザインに「エムピウの商品です」って言うのも嫌だしね(笑)。 ブランドとしてはミッレフォッリエに負けない看板商品をもうひとつ生み出したいと思っています。色々試行錯誤はしているんだけれど、これを超えるものはなかなか生まれなくって。だから当面の目標はそこですね。
<インタビュー終わり> このインタビューのなかで、「エムピウは僕一代のブランドです」という言葉が印象に残った。 なにか事業を始めて、それが軌道に乗ると、事業承継は考えずにはいられない問題だ。けれど村上さんはきっぱりと「承継は考えていません」と話してくれた。きっとその決定は、デザイナーであり職人である自分を大切にしたから生まれたものなのだろう。 仕事は大切なものだけれど、なぜ自分がその仕事をしたいのかは無視できないもの。 独立する前には一度立ち止まって、ゆっくりと考えてみたい。
M+(エムピウ) 住所:東京都台東区蔵前3−4−5 URL:http://m-piu.com/
<執筆・撮影:鈴木雅矩>

2018年11月16日

事業承継という言葉を知っていますか? 事業承継とは、会社の経営を後継者が引き継ぐこと。 実はこの事業承継がうまくいかずに会社を畳まざるを得ない、いわゆる「隠れ倒産」をする会社が年々増えているのです。 今回お話を伺ったのは、葬儀・仏事アドバイザーで、一般社団法人継活推進協会の代表理事である冨安達也さん。 冨安さんが代表を務める継活推進協会では、個人や会社の資産や事業、なにより「想い」を次世代に繋げる(継活)ために、様々な活動をされています。 今回はそんな冨安さんのキャリアを振り返ると共に、個人や会社が“継活”を進めることの重要性について伺いました。
<プロフィール> 冨安達也さん 葬儀・仏事アドバイザー・一般社団法人継活推進協会 代表理事 愛知県出身。 高校卒業後、東証一部の葬儀会社「燦ホールディングスグループ」(株)公益社に入社。以降3大都市圏の複数の葬儀社に勤務し、命の尊さや死生観を学ぶ。 22歳のときに、厚生労働省認定一級葬祭ディレクターを最年少で取得。 葬儀担当以外にも葬儀会館の店舗開発、他葬儀社の調査を行い、葬儀ビジネスの提案を行う。 10年間で1000件以上の葬儀を担当し、葬儀前後のサポートの必要性を実感。 2018年、一般社団法人継活推進協会(けいかつすいしんきょうかい)を発足。全国初の実務経験を経た葬儀アドバイザーとしても活躍中。

葬儀業界は完全分業制? 「人の死」における構造的な課題に、感じた違和感

―冨安さんの経歴から教えてください。
冨安さん この業界で働いていると、幼い頃に「死」というものに直面する出来事があったのですかと聞かれることがよくあるのですが、私の場合はそんなこともなく、いわゆる普通の学生時代を送っていました。 もちろん子どもの頃から、葬儀の仕事に興味があったわけでもありませんでした。
―そんな冨安さんが葬儀業界に入るきっかけはなんだったのでしょうか?
冨安さん 1つだけ、人と違ったことがあるとすれば、父の存在ですね。 葬儀会社の一管理職だった父が、私が小学生の頃に独立し、株式会社ティアという葬儀会社を立ち上げました。 創業から1代にして、葬儀社として2社目の東証一部上場を果たした父だったのですが、家では全くと言っていいほど自分の仕事について話をしませんでした。 仕事の楽しさはもちろん、仕事の不平不満や愚痴までも、とにかく仕事に関する話を家ですることはありませんでした。 高校を卒業する前、進路を決めるタイミングでそんな事に気づき、ふと父の仕事って一体どんな仕事なのだろう、と思うようになりました。 そこで地元愛知から離れ、大阪に本社がある(株)公益社に入社しました。
―きっかけは、お父さまの仕事への興味からだったのですね。実際に働かれてみて、いかがでしたか?
冨安さん 人の「死」と向き合う仕事です。悲しみに暮れているご家族と接することは並大抵のことではありません。 しかし、ご遺族より心から感謝の言葉を頂ける仕事であり、本当にやりがいのある仕事です。 公益社に入社後は、数度別の葬儀会社に転職をして、大阪、東京、そして地元名古屋とさまざまな場所・会社で「人の死」を見届けてきたのですが、次第に業界に関する、ある課題感が自分の中で芽生えてきました。
―どのような課題感だったのでしょう?
冨安さん 葬儀会社は、「人生最後の時」に関して「包括してサポートはできない」ということです。 当たり前のことなのですが、葬儀会社は基本的に、お通夜とお葬式・法事などにしか関わることがありません。しかし「人生最後の時」において、お通夜とお葬式だけが必要なわけではありません。 お通夜・お葬式はもちろん、生前なら介護、認知症の問題、相続問題、亡くなった後もお墓の設置や管理の問題など、課題は実に多様に存在します。 介護なら医者や介護士、相続なら税理士や司法書士などの士業の方、お葬式なら葬儀会社、お墓なら墓石会社やお寺など、現状ではそれぞれの専門家に依頼することになります。 そしていずれも決して安い金額で依頼できるものばかりではありません。
―「人生最後の時」において発生する問題が多すぎるが故に、事前準備をしておく必要がある、ということですね。
冨安さん はい。そこで「人生最後の時」を包括して支えることができないかと考え、立ち上げたのが「一般社団法人継活推進協会(けいかつすいしんきょうかい)」だったのです。

「隠れ倒産」の原因は、事業承継ができていないから。会社の事業も“継活”すべき理由

―「人の死」を包括してサポートする目的で立ち上げた、一般社団法人継活推進協会ですが、具体的にどのようなことをされているのでしょう?
冨安さん 私たちは個人・法人問わず、次世代への継承活動“継活”のお手伝いをさせていただいております。 ここ数年で“終活”という言葉が市民権を得るようになりましたが「終わる」のではなく、「継ぐ(つぐ・つなげる)」ことが大切だという思いを込め、「次の世代に想いや事業をつなげる」ために、継活推進協会(けいかつすいしんきょうかい)という名前で立ち上げました。 具体的には「まだ元気だけど、自分に何かあった時の準備をしたい」という方や、両親・高齢の家族のことを考えたいという子ども世代の方から相続や葬儀、お墓などについての相談を受け、目的や要望、予算に応じて最適なものをご紹介しています。 また、事業の後継ぎがいない中小企業の経営者を対象に、事業承継のサポートや相談・コンサルティングも実施しています。 そのほか老人ホーム・行政・お寺さまなどからのご依頼で、入居者さまやご家族の方へ、葬儀や相続についての講演をしたり、行政や寺院と提携してお墓に関するお悩みに答えるセミナーを開くといった活動もしております。
―“終活”もしくは“継活”とは、個人を対象にするものというイメージがあったのですが、「法人」も対象なのは意外です。
冨安さん 法人は「隠れ倒産」(資産が負債を上回る資産超過の状態で、経営の余力を残しているにも関わらず、自主的に会社を休業・廃業したり、解散したりすること)の多くは、人材不足と後継者不足が原因だと言われています。 経営状態は決して悪いわけではないにも関わらず、自主的に会社を畳んでしまうのはとてももったいないですよね。 とはいえ後継者がいなければ事業を存続することもできない、といった悩みを抱えている経営者の方は実はたくさんいらっしゃいます。

自分の財産や事業、そして想いを、次の世代にスムーズにバトンタッチするために

―個人の財産はもちろん、会社の事業も“継活”する必要があるのですね。
冨安さん これは法人にも個人にも言えることですが、次の世代にスムーズにバトンタッチするには、それなりの時間と準備が必要です。 個人の話で言えば、日本は特に相続税が高い国として知られています。 相続税がかかる財産とは、本人が持っている現金(貯金)だけではありません。不動産(建物や土地)、株、動産(車や宝石など)も全て財産として含まれます。 そして注意しなければならないのは、相続税は原則「現金」で支払わなければなりません。 つまり不動産を始めとする現金以外の財産も現金換算し、その分の税金を国に支払わなければならないのです。
―とはいえ、建物や土地はすぐに売るわけにもいかないケースもありますよね?
冨安さん はい。相続によって財産を受け取るはずが、相続税を現金で支払えず返済に困ってしまう、という事例は数多く存在します。 さらに言うと、不動産は相続放棄(相続を放棄してしまうこと)することもできますが、相続を放棄したとしても、建物と土地の管理義務は発生するので、何かとお金がかかってしまいます。 いずれにせよ、不動産を簡単に手放すことはできないのです。 そうした状況になるのを防ぐために、まずは自分が引き継ぐ、ないしは引き継がせる予定の財産について、被相続人と相続人との間で綿密に話し合っておくことが重要です。
―葬儀やお墓と同様に、相続に関しても「亡くなってから」では遅いということですね。
冨安さん はい、私はそう考えて活動を行っております。家族の方が慌ただしく準備をする様子や、伝えたいことを伝えられずに後悔してしまう方、相続時に資産を無くした方にも出会って参りました。 起こってから動くでは遅いのが「相続問題やお葬式」であると考えています。 相続や亡くなる前に自分の葬式のことやお墓のこと、「自分の想い」をエンディングノートなどに記しておかないと、遺族に自分の意志を伝えることができなくなってしまいます。 また相続や葬儀、お墓などに何か懸念点がある場合でも、事前に現状を確認し、準備ができれば必ず何らかの対策を打つことができます。
―冨安さんの今後の目標を教えてください。
冨安さん 高齢者の方はもちろん、若い人に対しても“継活”の重要性を広めていきたいです。 「死」は人生において、最後にして最大の出来事と言っても過言ではありません。その日を迎えた時に、心残りがあると本人も家族の方も苦しいでしょう。 若ければ若いほど、普段「死」について考える機会はまずございません。 しかし、自分や自分の身近な人にもいつか必ず訪れる「最後の時」を意識することができれば、きっと色々な人たちとの「時間を大切にしよう」と思えます。 死を常に意識してほしいというのではなく、大切な人との「時間」を大事にしてほしいというのが私の伝えたいことです。そのための「予防策」を私たち継活推進協会は提案しています。 自分の財産や事業、そして想いを次の世代にスムーズに繋げる。“継活”の考え方がもっと世の中に広まるように、今後も啓蒙していきたいと思います。

2018年11月13日

PLOFILE
松田雅也さん(37歳)
八面六臂(株)/東京都中央区
京都大学卒業後、銀行などを経て2007年にエナジーエージェント(現・八面六臂)を創業。電力代理販売事業に打って出るも振るわず、休眠。総合物流ホールディングスの通信事業の立ち上げに参画した後、11年4月、飲食店向け生鮮食品のECサービスをスタートさせた。

2018年11月9日

JALとANAという2つの国内航空会社で働いたあと、独立して社員研修や講演の仕事をすることになった、稲川愛さん。 実家に近いということで、選んだ就職先が空港。そして、そこでJAL国際線のグランドスタッフとして働くことになります。その後、一念発起してANA国内線のフライトアテンダントに転職した稲川さん。順風満帆な人生に見えますが、航空性中耳炎を3度煩い体調を壊したことで飛行機を降りる決心をし、独立の道をたどります。 今現在は研修講師、講演家として全国を飛び回っているという稲川さんの経験に基づいて、仕事における苦労と楽しさを伺いました。

2018年11月8日

皆さんは洋服をどこで購入しているだろうか? ファストファッションの通信販売やファッションに特化した巨大ECサイトなどの台頭により「安くてそこそこ質のいいもの」をネットで手軽に購入する手段が、ここ数年で急速に増えている。 当然「洋服はネットで購入する」という読者も少なくないだろう。

2018年11月6日

以前「あるWebサービスを作った女子大生が起業した」というニュースが、ネットを中心に話題になりました。 今回お話を伺ったのは、そのサービスを作り上げた株式会社Coupe(クープ)の代表・竹村恵美さん。 竹村さんは、大学4年生で美容室とサロンモデルのマッチングサービス「Coupe」を立ち上げました。

2018年11月2日

PLOFILE
竹内志朗さん(84歳)
(株)シュプール/大阪市中央区
1933年生まれ。中学3年生の時にシェイクスピアの舞台を見たのをきっかけに、舞台装置家を志す。高校卒業後は、舞台装置の仕事と並行してテレビのタイトル字やテロップを担当。「探偵!ナイトスクープ」「剣客商売」など多くの人気番組を手がけた。現在も、時代劇映画のタイトル字や舞台装置のデザインで多忙。

2018年10月30日

人は誰しも死を迎え、そこには遺品が残る。近年では、故人が残したスマホやパソコン、Web上のデータなどは「デジタル遺品」と呼ばれている。これらのデジタル遺品は年を追うごとに数を増やし、対処に困っている人も増えているという。 今回お話を伺った古田雄介さんは、フリーライターとして活動する一方、デジタル遺品の専門家としても活動している。

2018年10月23日

PLOFILE
鈴木富佐江さん(81歳)
(株)さくら着物工房/東京都調布市
1936年生まれ。幼少から着物に親しんでいたが、定年退職後の2001年、脳梗塞を患い、帯が結べなくなる。 折り紙をヒントに、わずか2分で結べる帯「さくら造り」を考案し、特許出願。 さくら着物工房を開設して講師養成講座をスタート。 今では、さくら造りを含めて4つの特許を保有している。

2018年10月22日

今の仕事から離れ、新しい職場に行く時ほど不安なものはありません。 転職にしろ、独立・起業にしろ、その選択が必ずしも「成功する」という保証はないからです。 ですが、若いうちからの地道な努力は今後の仕事の成功も呼び込むと、今回お話を伺った元プロサッカー選手の千代反田充さんは言います。

2018年10月15日

会社の中でデザイナーとして日々、忙しく働いていた、タニカワみおさん。 タニカワさんは現在、デザイナーではなく似顔絵を描く絵描きとして独立し、紆余曲折を経て似顔絵の仕事を軌道に乗せています。そして、宮崎県の郊外にある田舎にログハウスを建て、そのアトリエの中でイラストや漫画を描いているそうです。 デザイナーとして働いていたタニカワみおさんが、売れっ子似顔絵作家、マンガ家として、田舎のログハウスを建てるまでの紆余曲折の出会いと思いをお伺いしました。

2018年10月12日

夏場に川や海に集まってするバーベキュー。それが仕事になると聞いたら、あなたは驚くだろうか? この記事で紹介する中村圭一さんは、トングとグリルを持ち歩いて全国に出張し、食材を焼いて振る舞うことを生業にしている「プロのバーベキュー屋」である。 出張料は食材込みで1人5000円から(10名から申し込み可能)。圭一さんは自ら出張し、お客さんの前で肉を焼いている。

2018年10月10日

先代の後を継ぐ。 実家が自営業の方は、いずれ継ぐか否かの大きな決断をすることになるでしょう。 一方で実家の家業ではなく、自分が本当にやりたいと思っている仕事に就きたい場合は、その板挟みになることも。 今回は、大阪は港区弁天町「寿司茶屋すし活」で、2代目を務める川口元気さんのインタビュー後編です。 前編では、寿司屋の2代目として働く傍ら、高校で英語教員としての顔を持つ川口さんの、教育への思いを伺いました。 後編では、そもそもなぜ寿司職人の道1本ではなく、教員とのパラレルキャリアを選んだのか、そして自らが「家業を継ぐ」ことについてお聞きします。 偉大な先代である父の後を継ぐ、2代目の覚悟と役割とは、一体何でしょうか?
<プロフィール> 川口元気(かわぐち・げんき)38歳 寿司茶屋すし活 2代目/高校英語教員 実家は国内外問わず人気を博す「寿司茶屋すし活(以下、すし活)」。 初代である父と共に、「すし活」の人気を支えている。 大学卒業後から家業を継ぎながらも、ツアーコンダクターや家庭教師派遣業務にも携わり、常にパラレルキャリアを実践する。 現在は寿司職人と同時に、大阪の私立高校で英語教員としても働いている。(現在は育児休暇中) 世界1周旅行やツアーコンダクターの経験から得た幅広い知見で、独自の英語教育を展開する。
※以前アントレnet Magazineでは「寿司茶屋すし活」の大将で、世界的に有名な寿司職人である、川口正弘さんにお話を伺いました。 「寿司茶屋すし活」大将、川口正弘さんの記事はコチラから! 世界一なんて、他人が決めた物差しでしかない。世界一の寿司職人が目指す、更なる“高み”

自分の「やりたい」を尊重する。寿司職人が、パラレルキャリアを選び続ける理由

ー前編では、まず元気さんの寿司職人と教員の二足のわらじについて伺いました。そもそもなぜ、寿司職人と教員のパラレルキャリアを歩もうと考えたのでしょうか?
元気さん 自分の興味の幅が広いからですかね(笑)。 幼い頃から父の背中を見ていて、寿司には興味はありましたし、一方で前編でお話したように、外国語にも興味がありました。 だから寿司職人だけでなく、自分が好きな外国語の勉強を生かせる英語教員や、バーの経営者、ツアーコンダクター、塾の講師など、その時に自分が興味を持った仕事に就きました。 せっかくやりたいことがあるのに、1つの仕事だけに囚われて、他のやりたいこと(仕事)を諦めてしまうのはもったいないなと思ったんです。
ー複数の仕事をこなそうとすると、時間の制約や業務量など、大変なことが多いと思います。元気さんはどのようにして複数の仕事をこなしているのでしょうか?
元気さん 今は育児休暇中なので少し異なりますが、僕の場合はシンプルに、仕事を曜日で分けていました。 月火水は英語教員、木金土は寿司屋で働く、といった具合に。 ちなみに二足のわらじ生活そのものは、今に始まったことではありません。 大学卒業後から、バーの経営をやっていた時もツアーコンダクターをやっていた時も、曜日で分けて複数の仕事をしてきました。
ー常にご自身がやりたいことを実践し続けるために、様々な工夫をされているのですね。
元気さん そうですね。 僕は自分の仕事を、 ①やらなければならないこと ②やりたいこと ③できること の3種類に分けています。 僕の場合は、①が家業である寿司屋、②は教員(その都度変わる)、③がツアーコンダクター、寿司屋といったところでしょうか。 ポイントは、②の「やりたいこと」を大切にするということです。
<元気さんが教室長を務める、知窓学舎大阪サテライト教室> ーそれはどういうことでしょうか?
元気さん ③の「できること」というのは、すなわちその仕事で、しっかりお金を稼ぐことができる、という意味です。 生計を立てられる仕事の種類が増えれば、どれかの仕事を急にできなくなってしまったり、あるいは仕事がなくなってしまっても、致命的なダメージを受ける可能性は低くなります。 他の仕事である程度収入のカバーができますからね。 先程もお話した通りポイントは、②の「やりたいこと」を尊重すること。 なぜなら②の「やりたいこと」をやった結果、いずれ③の「できること」、すなわちお金を稼ぐ仕事へ変わっていくからです。 「好きこそものの上手なれ」ということわざにあるように、自分が「やりたい」と思っていることになら熱心に打ち込むことができますし、好きではない仕事をするより、上達が早くなります。 自分が「できること」(お金を稼げる仕事)を増やすためにも、自分にとってやりたいことを常に尊重するのは大切なことだと思っています。

先代と自分を比べる必要はない。「資本主義より“幸せ主義”」を支える、2代目の役割

ー①の「やらなければならないこと」についてですが、やはり寿司屋は「家業だからやらなければならない」ということでしょうか?
元気さん 一応便宜上、①を家業である寿司屋の仕事について書きましたが、正直「やらなければならない」というほど、肩肘を張っているわけではないですけどね(笑)。 あくまで自分のやりたいことの1つでもあるので、そういった意味では②と③にも当てはまるんですが、やはり寿司屋に関しては、自分の生い立ちや境遇も関係してくるものですから。
ーこどもの頃から寿司屋を継ぐことを考えていたのですか?
元気さん そうですね。こどもの頃は「自分もいずれ寿司職人になるのかなあ」くらいに、漠然としていましたけど(笑)。 一方で「絶対に店を継がなければいけない」という意識はなかったです。先代である父からも、継ぐことを強制されたわけではありませんし。
ーしかし、大学を卒業してすぐ寿司職人の道を進むことになるんですよね。
元気さん はい。ターニングポイントになったのは、自分が外国に行った時でした。 就職を考える時期になって、いよいよ寿司職人になることが現実味を帯びてきた時、急に逃げ出したくなったことがあるんです。
ーやはり、先代の背中の大きさでしょうか?
元気さん そうですね(笑)。 「寿司職人になること」が現実味を帯び始めた途端、寿司に関して世界一と言われる程、圧倒的なスキルを持つ父の後を継ぐことに、かなりのプレッシャーを感じるようになったんです。 「2代目になって味が落ちた」と言われるのは、やっぱり怖いなあと。 そこで一度家を出て、外国へ逃亡してみました(笑)。 逆説的ですが、実はそこで寿司職人になる決心が固まったんです。
ーなぜでしょう?
元気さん 外国に行くと、日本の文化についてめちゃめちゃ聞かれるんですよ。ましてや日本が好きな方と会話する時はなおさらです。 周知の通り、日本の「寿司」という食文化は外国でも圧倒的な人気を誇ります。それこそ「すし活」にも、日本だけでなく海外からも多くのお客さまがいらっしゃいますし、海外メディアからの取材も多く受けてきました。 外国の人は僕の実家が寿司屋だと知ると、目をキラキラさせていろんなことを聞いてきてくれました。 そこで思ったんです。 そんな世界が注目する寿司文化というステージで仕事ができるなんて、冷静に考えたらなかなか経験できることじゃないですし、寿司を通して日本の文化をもっと世界へ発信していきたいなと。
ー日本を離れてみて改めて、自分のルーツを知ったんですね。
元気さん はい。 こうして寿司屋で働くことを決めたのですが、ただ漠然と寿司屋で仕事をするのではなく、もっと僕にしかできない役割を考えながら仕事をしようと思ったんです。
ー元気さんにしかできない役割とは、具体的にはどのようなことですか?
元気さん 例えば、食材の仕入れやその仕込みといった下準備、父と一緒にお客さまの接客、海外からのお客さまへの対応、お金周りを始めとする、店に関するその他の業務などですね。 もちろん僕自身も寿司を握ることはありますが、やはり「父の握る寿司のレベル」には及びません。 しかし父が握るその寿司は、僕が仕入れたもので、父が握れるように仕込んだものなんです。 父のような寿司が握れずとも、その父を支えることはできます。 父が店作りで大切にしている「資本主義より“幸せ主義”」という理想を叶えるには、きちんと現実をしっかりと見た上でサポートする人間が必要ですから。 ※資本主義より“幸せ主義”とは、利益重視ではなく、少数のお客さまの満足度を最大限に高める経営スタイルのこと。 https://entrenet.jp/magazine/10895/
ー寿司屋にとって「寿司を握る」という役割と同じかそれ以上に、寿司を「握る前」と「握った後」は大切ですからね。
元気さん そうなんです。 無理に先代と自分を比べる必要なんてないんですよ。僕は僕のやり方で「すし活」を盛り上げていければいい。 「すし活」に来てくださるお客さまは、そのお客さまにとって特別な日に来てくださることが多いです。 そんな特別な時間を、最高のおもてなしでお出迎えしたい。僕も父も、そこにかける想いは同じです。 見ている方向が同じなら、後は役割分担をするだけ。父は父の、僕は僕の得意なことをやっていければと思います。

「自分の代で、家業を畳む覚悟があるか?」― “家業を継ぐ者”としての責任

ー現在は先代と共にお店を営まれていますが、いずれは先代も引退される日が訪れると思います。その時、元気さんは「すし活」をどうしていこうとお考えですか?
元気さん 具体的には考えていませんが、その時の自分の中の「最善のやり方」でお店を継ごうと思っています。 例えばスポーツのチームでも、同じですよね。ある選手が引退したら、その時に在籍している選手で最善の布陣を組んで試合に臨む。 うちの店にも限らず、どんな会社でもそうですが、先代と同じことをやる必要はないんですよ。 経営者なら、その「最善」考えていくことが大切だと思います。
ーでは最後に、家業を継ぐかどうか迷っている人へアドバイスをいただけますか?
元気さん 人によって様々な事情があるとは思いますが、僕はやっぱり、自分がその家業を楽しめないのなら、無理に継ぐ必要はないと思います。 家業を継ぐことは、正直そんな簡単なことではないからです。
ー家業を続けるにはそれ相応の覚悟が必要、ということでしょうか?
元気さん そうですね。 どんな家業にも歴史があるわけですが、僕は自分の店を、自分で終わらせてもいいくらいの気持ちで日々働いています。 自分が楽しいと思えない、つまり本気になれない仕事をダラダラと続けるくらいなら、いっそ店を畳んでしまった方がいい。 それはここまで家業として続けてきてくれた、先代たちへの敬意だと思いますし、仕事をする上での最低限の礼儀だと思っています。 逆に、自分が継がせる立場になった時、こどもが僕と同じかそれ以上にこの仕事を楽しめないなら、無理に継がせようとは思っていません。 そうなった時に自らの手で店を畳む覚悟を持っているからこそ、毎日の仕事に悔いが残らないように楽しんで続けていきたいですね。

2018年9月21日

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塙 茂さん(76歳)
NPO法人グラウンドワーク笠間/茨城県笠間市
1942年生まれ。高校卒業後、日立工機(株)に就職。 57歳で早期退職するも、地元IT企業へ再就職。管理部長、役員、子会社の社長を歴任する。 やがて地域貢献活動に目覚め、12年にグラウンドワーク笠間を設立。 コミュニティーカフェや農業の6次産業化、社会貢献活動などに尽力する。

2018年9月20日

「自分にしかできないこと」を仕事にする。 「自分にしかできない仕事」をより求めるために、独立・起業を志す人も多いのではないでしょうか。 今回お話を伺ったのは、大阪の「寿司茶屋すし活」で2代目を務める川口元気さん。 以前アントレnet Magazineでは「寿司茶屋すし活」の大将で、世界的に有名な寿司職人である、川口正弘さんにお話を伺いました。
「寿司茶屋すし活」大将、川口正弘さんの記事はコチラから! 世界一なんて、他人が決めた物差しでしかない。世界一の寿司職人が目指す、更なる“高み”
寿司職人である父とともに寿司を握る傍ら、元気さんは大阪の私立高校で、英語の教員としても活躍されています。 なぜ寿司屋の2代目が、教育の道にも進もうと思ったのでしょうか? 「僕にしか伝えられないこと」を増やす。その真意を伺いました。
<プロフィール> 川口元気(かわぐち・げんき)38歳 寿司茶屋すし活 2代目/高校英語教員 実家は国内外問わず人気を博す「寿司茶屋すし活」。 初代である父と共に、「寿司茶屋すし活」の人気を支えている。 大学卒業後から家業を継ぎながらも、ツアーコンダクターや家庭教師派遣業務にも携わり、常にパラレルキャリアを実践する。 現在は寿司職人と同時に、大阪の私立高校で英語教員としても働いている。(現在は育児休暇中) 世界1周旅行やツアーコンダクターの経験から得た幅広い知見で、独自の英語教育を展開する。

僕だけにしか伝えられないことを増やしたい。寿司屋の後継ぎが、教育の道を志した理由

ー現在は「寿司茶屋すし活」の2代目として活躍されながら、高校で英語を教えていらっしゃる川口元気さん(以下、元気さん)。家業を継ぐだけでも大変なことなのに、教育の道へ進もうと思ったきっかけはなんでしょうか?
元気さん 学生の頃から英語をはじめとする言語を勉強することが好きだった、というところから、教育の道へのスタートが始まっていますね。 大学では英語以外の外国語も勉強してみたいと思い、スペイン語を専攻しました。    そして大学3年生の時、就職を考える時期になって、家業を継ぐだけでなく他の仕事も経験したいなと思い始めたんです。 そこで「外国語の勉強を生かせる職は何か」と考え、英語の教員免許を取得しました。
ーでは大学を卒業して以来、ずっと寿司職人と教員の二足のわらじを履いていらっしゃるのですか?
元気さん 寿司職人は大学卒業後から15年間ずっと続けていますが、教員はもう少し時間が経ってから始めました。 というのも大学を卒業してすぐ教員になっても、自分の担当する「教科」だけしか教えられないな、と思ったんです。 「教科」の勉強だけでなく、もっとより実社会で役立つ実践的な学びや、人間的に成長する学びをこどもたちに提供するには、自分はまだ何も知らなすぎるなと。
ー世の中のことをもっと知るべきだと考えたんですね。
元気さん はい。この話には、原体験があります。 実は僕、大学生の時に父が所有していたビルの空き店舗で、バーを経営していたことがあるんです。 毎日そこで会社員から経営者、個人事業主問わず、本当にたくさんのお客さまと関わっていました。 大阪という土地柄もあってか、なかなかディープなお話を聞いているうちに、世間には本当にいろんな人がいて、自分が知らないことがまだまだたくさんあるな、と肌で感じました。
ーバーでお酒が入ってたら、たくさん面白い話が聞けそうですしね(笑)。
元気さん そうなんですよ、本当に面白いお客さまが多くて。 同時期に大学で学んでいたスペイン語も、大きく役に立ちましたね。言語の数だけ文化があり、人の考え方も多様にあるんだなと。 自分の視野がもっと広がれば、こどもたちを前にした時に、僕にしか伝えられないことが増えるだろうと思いました。 だから大学を卒業した後は、寿司屋の仕事をしながら、長期休みを使って世界1周旅行をしたり、ツアーコンダクターの仕事を始め、日本各地に足を運んだりと、とにかく自分の視野を広げる経験を積んでいきました。 もちろん、寿司職人としても役立ちます。「すし活」には日本各地、さらには海外からもお客さまがいらっしゃるので、自分が見たり聞いたりしたことを、お客さまとの会話のネタにすることができます。

人によって、伝え方の切り口を変える。寿司にも教育にも必要不可欠な、コミュニケーションの真髄

ー20代は視野を広げ、満を持して教員としてのキャリアをスタートされた、ということですね?
元気さん そうですね。現在は育児休暇中ですが、最近まで寿司屋と両立しつつ、大阪府内の私立高校で英語教員として、教鞭をとっていました。 当時は毎週、月火水は英語教員、木金土は寿司屋をしていました。 寿司屋は完全予約制で、木金土しか営業していないので。
ーお忙しいのですね…。視野を拡げるための仕事や旅では、何か発見はありましたか?
元気さん いろいろありますが、1番は「相手を理解しようとしてから、自分の考えを適切な手段を用いて伝える」ことの大切さに、気が付いたことですね。 これはあらゆる場所で様々な人に会えば会うほど、強く実感しました。
ーどういうことでしょうか?
元気さん 当たり前なことですが、コミュニケーションって自分と相手の「相互理解」があってこそ、成り立つものなんです。 ポイントなのは、自分の考えを「一方的に伝える」だけではコミュニケーションとは言わないということ。 例えば、日本語が分からない外国人に対して、日本語であれこれ注文しても、伝わるわけがないですよね? 相手によって伝え方を変えていかなければ、コミュニケーションは成り立たないということです。 そしてこれは、何も日本人と外国人に限ったことではありません。 日本人同士でもコミュニケーションに問題があるシーンは、いたるところで見られると思います。
ーコミュニケーションがうまく成り立たずに起こってしまう問題というのは、人間関係のトラブルにおいて圧倒的に多いケースですからね。
元気さん そうなんです。 そこで大切なのは、相手のことをよく知ろうとすること。 相手が何を伝えたいのかを理解する、相手の文化的、言語的な背景や境遇に、想像力を働かせる。 その気持ちを前提に置いて、あとは手段を考えます。 言葉が通じない外国人になら、絵や図でもいいしジェスチャーでもいい。 それと同じように日本人同士でも、相手の年齢や性別、出身を考慮しながら、相手に伝わる言葉や表現を選んでいきますし、必要であればもちろん絵や図、ジェスチャーも交えます。 これは外国を旅行中に出会った人でも、教育であればこどもたちでも、寿司屋であればお客さまでも、変わりありません。
ー大学で学ばれたことや、バーでの経験、ツアーコンダクターや世界を旅したことで得た、まさに「元気さんにしか伝えられないこと」なのですね。
元気さん 上っ面の言葉をなぞるだけなら誰でもできるでしょうけど、あらゆる経験を経て実感し、この温度でコミュニケーションの大切さを伝えられる人は、そう多くはないんじゃないんですかね(笑)。 コミュニケーションの根幹は愛であると、僕は思っています。 誰かを好きになれば、その人のことをもっと知りたいと思うようになりますよね。逆に特に好きでもなければ、その人のことを知ろうとも思わないんです。 言い換えると、コミュニケーションの齟齬が起きる1番大きな原因は、お互いがお互いに「無関心」でいること。 だから教員として教壇に立つ時は、関わる生徒1人1人に愛情を持って接するように心がけていますし、寿司職人として厨房にいる時はお客さまの好みから性格まで、事細かに考慮した上で仕事をしています。 ここに気づくことができたのは、今の仕事をする上で、大きな財産になっています。

人は「自分の欲しいもの」を知らない。

ーここまで寿司職人としても教員としても大切にされている、コミュニケーションについてお話を伺ってきました。ここからは教員の仕事についてお伺いします。満を持して教員の仕事を始められて、いかがでしたか?
元気さん 教員の仕事も寿司屋の仕事も、コミュニケーションの視点から言えば本質は変わらないので、とてもおもしろいですし奥深いですね。 ここも寿司屋の仕事に通ずるところがありますが、そもそも教員の役割とは「生徒が抱える問題を解決する」のではなく、「そもそもその生徒がどんな問題を抱えているのかを明らかにする」ことだと思っています。 例えば、ある生徒の英語のテストの点数が低かったとしましょう。 その生徒が「自分はこの分野の理解が足りていないから、次はこの分野と、関連するあの分野を勉強してテストに臨もう」といった具合に、自分にとって何が足りてなくて何をしなければならないのかを把握しているケースは、ほとんどありません。 というか、自分の力で完璧に把握できていたら、そもそも低い点数を取る可能性は限りなく少ないでしょう(笑)。
ーたしかに(笑)。
元気さん つまり、その子自身の問題点を明らかにして、どう乗り越えていくかを一緒に考えていく。 だからこそ、先程もお話した通り教員は1人1人の生徒に対して、その生徒以上に生徒のことをよく知っておくことが重要になるのです。
ー「顧客の“欲しいもの”を聞いて、与えるだけではいけない」という、スティーブ・ジョブズの思想に近いものを感じました。
元気さん まさにその通りだと思います。 自分の欲しいものや問題点を明確に理解して行動するのは、大人だってそう容易いことではありません。 だからこそ、生徒が問題を見つけてそれを乗り越える姿を間近で見られるというのは、とても嬉しいですし、何にも代えがたい大きなやりがいを感じています。
ー今、元気さんが教員として目指していることはありますか?
元気さん 「勉強することって楽しいんだな」と、1人でも多くの生徒に気づいてもらえるような場を作っていきたいですね。 本来、知的欲求を満たす行為って楽しいはずなんです。自分の好きなスポーツや好きなアニメについて調べてる時って、楽しいじゃないですか。 勉強って、ジャンルが違うだけで「知る」という行為には変わらないんですよ。
ー「知ることを楽しむ場作り」として、力を入れていることはありますか?
元気さん 現在は育児休暇中なので高校の教員はしばらくお休みしています。代わりに今年から、探究型学習塾『知窓学舎』の大阪サテライト校の教室長を務めることになりました。 (知窓学舎とは、横浜に本校を置く探究型学習塾。探究型学習塾とは、学力向上や受験合格をバックアップするといった従来の学習塾が担ってきた役割を果たすことはもちろん「知性」を養う学習の機会を提供する塾のこと)
元気さん 子育てをしながら、教員よりも比較的自分のペースで仕事ができる塾という場で、教育の仕事をしています。 知窓学舎大阪サテライト校は、生徒にとってより探究的で活きた学びがあるような場所にしていきたいですね。
ーありがとうございました。後編では、いよいよ寿司職人について伺います。なぜ寿司職人と教員のパラレルキャリアを選んだのか。そして偉大な先代の「後を継ぐ」ということについてお聞きします。
『知窓学舎』塾長・矢萩邦彦さんの記事はコチラから! ・お金よりも大切なものがある。20年間続けて見つけた、パラレルキャリアの価値【矢萩邦彦・前編】 https://entrenet.jp/magazine/7477/ ・大人だからこそ自分に正直でいてほしい。好きなことを仕事にするたった2つの方法【矢萩邦彦・後編】 https://entrenet.jp/magazine/7689/

2018年9月19日

働き方改革の実現が政府主導で進められているが、仕事環境が劇的に変わったと感じている人は少ない、と思われる。 理想と現場の実情はなかなか噛み合わない。おそらく効果が出るのはずいぶん先で、制度だけでなく、仕事に対するイメージそのものも変えなければいけないのだろう。 という前置きはさておき、「休みがもう1日欲しい」と考えている人も多いはず。

2018年9月13日

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古田弘二さん(76歳)
愛犬のお散歩屋さん/東京都武蔵野市
1942年生まれ。小さいころから犬好き。大学卒業後、カネボウ(株)に入社。 53歳で早期退職。保険関係の仕事で起業するも、頓挫。途方にくれるなか、近所の人に犬の世話を頼まれる。 これをヒントに「愛犬のお散歩屋さん」をスタート。フランチャイズ(FC)展開もし、現在は50店ほどの加盟店がある。

2018年9月12日

お寺の僧侶とは最も身近で、最も縁遠い仕事なのかもしれない。多くの人が生涯に一度はお世話になる職業なのに、僧侶になろうと思う人は少ないし、どうすればなれるのか、仕事の内容がどのようなものなのかを知る人は少ない。 この記事で紹介する小野常寛(おの・じょうかん)さんは、都内のお寺に生まれながら大学卒業後すぐには僧侶にならず、新卒でベンチャー企業に就職した。

2018年9月11日

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