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服を通して、人の思いをいまにつなげる。ビンテージ専門店『3(san)洋装店』が生まれた経緯

生ボイス

静岡市のビルの一角に店を構える『3(san)洋装店(さんようそうてん)』。やわらかい日差しが差し込む店内に足を踏み入れると、そこには大量のコートやシャツが陳列されています。ひとつひとつの服はどことなく温かみがあり、一着ワードローブに迎えてみたくなる佇まいです。

店主の三枝学さんに話を聞くと、これらの服は約100年前につくられたビンテージの服だといいます。主にヨーロッパから仕入れたもので、自ら修繕して販売しているそうです。

三枝さんはもともと静岡市の出身。学校を卒業した後は東京のセレクトショップで働いていたようで、結婚と育児をきっかけにUターンしてきました。彼はなぜビンテージ服の専門店を開こうと思ったのでしょうか。その経緯を伺ってみました。

<プロフィール>
三枝学さん
文化服装学院を卒業後、東京のアパレル企業に就職。六本木ヒルズや自由が丘のセレクトショップに配属され、店舗管理や仕入れ、販売、商品企画に携わる。その後、渋谷区にブランド専門の修理、お直し専門店の立ち上げメンバーとして携わり、主にメンズフォーマル&カジュアルを担当。アパレルメーカーに勤務しながら、2012年に銀座テーラーが運営する日本テーラー技術学院を卒業。2014年、 Sarut Hiro代表 廣川輝雄氏の元でフルオーダーの製図、フィッティング、テーラリング技術を学ぶ。

2017年に退社し、静岡市に移住。

服は「文化」と気づいてから、この世界にのめり込んでいった

--とても素敵なお店ですね。今日は三枝さんが開業するまでの経緯を聞かせてください。最初に聞きたいのは服について。なぜ服飾に興味を持ったのでしょう?

三枝さん
きっかけは軽率で、モテたかったんです(笑)。多くの人が通る道だと思うんですけど、中高生の僕は「こんな人になってみたい」と理想の自分を思い描いていました。その姿に近づくために服を買い始めたんです。けれどもいろんなお店に足を運び、店員さんに話を聞くうちに服は「文化」だと気づいた。人の数だけ服があって、そこには生活や物語があります。それからはカルチャーとして服を楽しむようになりました。

--とても熱中されていたんですね。進学先は服飾の学校だったのでしょうか?

三枝さん
それが一度は大学に通っていたんです。実家が教員一家なので、「当然進学するよね」という雰囲気で。僕も大学生活に憧れがあったので、とりあえず経営学部に通いました。一度本気で勉強しましたが興味を持てず、「大学に居続けても無駄だ」と感じたんです。同じ勉強なら好きなことを学びたい。そこで両親に、服飾専門学校の『文化服飾学院』に通いたいと打ち明けました。反対はされましたが意見を押し通したら、無事に通えることになったんです。入学後はカリキュラムだけでなく独学で色々なことを学びましたね。服飾は人体学に近いと感じたのもこの時です。人はそれぞれ骨格が違うので、服だけを見ていてはいけない。着る人の体型や価値観を伴って、はじめて調和するものだと思っています。

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卒業後はアパレル業界へ。二足のわらじでテーラーの学校にも通った

※本記事は取材当時の情報を基にしており、団体名、サービス名、法令等が現在と異なる可能性があります。しかし、取材時の想いや状況を正確に伝えるため、内容をそのまま掲載しています。ご了承ください。

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