近年、政府が推し進める「働き方改革」達成の有効的な手段として話題の、複業(副業)。
今働いている会社に在籍しながらも、就業前後や休日を使って、新たに会社とは別の仕事を始める方も増えています。
今回お話を伺ったのは、柳谷智宣さん。
柳谷さんは20代から手に職をつけようと、ライターとしてのキャリアを積む一方、都内に4店舗構える飲食店「原価BAR」の経営者としての顔も持っています。
さらに、海底熟成ウイスキー販売、飲食店人材育成サービス、NPOでの活動など、合計5足のわらじを履いているのです。
なぜ、柳谷さんは数多くの事業をされているのでしょうか?
今回は、柳谷さんのキャリアを振り返るとともに、複業(副業)で稼ぐためのポイントについて、教えていただきました。
柳谷智宣さん
ライター・編集者/株式会社ハイテンション・共同創業者ITやビジネスといったカテゴリーで執筆しているライター。キャリアは20年目。雑誌やムック、単行本、新聞といった紙媒体から、Web記事、メールマガジン、プレスリリースなども手掛ける。現在は、執筆だけでなく、企画提案から編集までを行う。
2011年に株式会社ハイテンションを起業し、専務取締役に就任。「原価BAR」の1号店を五反田に出店。
ライター/「原価BAR」の経営の他に、飲食店人材育成サービス・株式会社レベリング、海底熟成ウィスキー販売を扱う・株式会社トゥールビヨン、高齢者のデジタルリテラシー向上を支援する団体・「DLIS(ドリス)」を立ち上げるなど、その活動領域は多岐に亘る。
手に職をつけて、ストック型ビジネスを実践。柳谷さんがライターという職を選んだ理由
―現在に至るまでの経緯を教えてください。
20代前半はふらふらしていたのですが、それでも食えるだけの生計は立てられていたので、特に生活に困っていませんでした。しかし、20代も後半となり、そろそろ何かしら手に職をつけて、一生続けていける職業を探そうと思ったんです。
―そこで選んだ職業が、ライター業だったのですね。
そうです。自分が「どんな職業でならがんばれるかな?」と考えてみたところ、消去法でクリエイターになるしかないと思ったんです。
―なぜでしょう?
もともと文字を書くことが好きだったこと、手に職をつけて実力の世界で勝負してみたいと思ったからです。とはいえ、どうやってライターになったらいいのかはまったく知りません。そこで編集プロダクションの求人に応募し、業務委託としてジョインしてライターとしてのキャリアをスタートさせました。
―始めてみていかがでしたか?
文章を書くことは好きだったので、苦ではありませんでしたが、当然仕事としては未経験だったため、最初はとにかく必死でしたね。そして入社して3ヶ月ほど経った時に、転機が訪れました。IT系週刊誌の雄、「週刊アスキー」(http://weekly.ascii.jp/)の6ページ分の特集に挑戦してみないかと、上司から声をかけられたんです。まだキャリアも短く、右も左も分からないままでしたが、いろいろとアドバイスを受け、書き上げました。
何日も徹夜して苦労しましたが、それでもなんとか無事出版され、雑誌に載っている自分の名前を見て、衝撃を覚えました。
―苦労して作り上げたものが世に出るのを見ると、感動しますよね。
そうなんです。あの衝撃は今でも忘れられないくらいのものでした。その成功体験があったからこそ、20年間ライター・編集者としての腕を磨いてこれたんです。
―その後ライター・編集者としてどのようなお仕事をされたのでしょう?
記事作りから雑用まで、基本的に任された仕事は全て行ってきましたね。当時はインターネットの黎明期だったので、Webサイトやフリーソフトなどに関する内容を中心とした特集を多く扱っていました。仕事をしていく内に、自然とインターネットに関する知見が身についていたこと、たまたま編集プロダクションで働いていたことから、単行本を出させていただくチャンスもいただきました。
―まさに先程おっしゃっていた、ライターとして「手に職をつける」形になったのですね。
当時はどの仕事もかなり大変でしたけどね(笑)。「手に職をつける」とはすなわち、ストック型のビジネスです。例えば有名企業に就職して、その中でトッププレイヤーになったとしても、その会社内じゃないと、その人がどれくらいすごいのかって、なかなか伝わらないですよね?それよりも「本屋に行けば、僕の本が5冊置いてあります」みたいな方が、手っ取り早く自分がどんな仕事をしているのかをアピールできると思ったんです。
(もちろん、今の時代なら前者の人でもメディアやインターネット、SNSを通じてアピールできますが)
僕の時代は、なかなか自分で発信できるものがなかったので、ストック型ビジネスとなるライターという職業はまさに僕の理想にピッタリだったんです。