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それぞれの「雇われない生き方」

3柏井さん

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柏井 慶一さん(58歳)
(株)モンマス/東京都渋谷区
2004年にタバコ会社を退職。ロンドンのモンマス通りで見かけた店をヒントに、千駄ヶ谷にアイスミルクティー専門店「モンマスティー」を開業。「おいしい物を作り、人を幸せにする」が店のコンセプト。静岡にも店舗が。音楽活動も行っている。

VOL.172
人も街も盛り上げる 千駄ヶ谷のシンボル的店

街の真ん中、 ブレないでいるだけだよ

は7時から、夜は24時まで。いつも人が集まってる? 距離感がいいのかな。あんまり縮めないようにしてる。外の空気を吸いに出てきた会社員が、軽く天気の話でもして、なぜか元気になって帰ってく、みたいなさ。名前も働いてるところも聞かない。でも顔は覚えてるし、小さい子が来たら試飲用の紅茶に黙ってホイップをつけてやる。そういう距離感。  大きい会社に20年勤めながら「こんなんでいいのかな」と思ってた。成績さえあげれば寝ててもいい、そういう世界だったからさ。病院に行ったら看護師さんたちが一生懸命働いてる。それを見て、俺は何やってるんだ、血の汗が出るぐらい働かないとダメと思った。振り返ると20代、渋谷の紅茶屋で働いてた頃が一番苦しくて、だけど楽しかった。だから紅茶屋を開いたわけだ。  おいしい紅茶を飲んでもらいたい。けどちょっとだけ「幸せになってもらいたい」という気持ちのほうが上かな。うまく言えないけど、カップの渡し方1つ、こうじゃなきゃ、というのがある。言葉じゃないよ。俺はブレずに毎日、死ぬほど働くってだけ。それを見て、ああ俺もって、頑張るやつらがいるんだよな。


更新日:2017/5/8
取材・文/東 雄介 撮影/刑部友康、阪巻正志
アントレ2017.冬号 「これが私を生かす道 ライフワークで食べていく!」より
2村木さん切り抜き

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村木真紀さん(42歳)
(特非)虹色ダイバーシティ/大阪市北区
大手製造業、外資系コンサルティング会社などを経て、2012年に虹色ダイバーシティを設立。LGBT(性的マイノリティ)をテーマとした調査・講演・コンサルティング活動を行う。ちなみに「虹色」は多様性を意味しており、LGBTのシンボル。

VOL.171
性的マイノリティが、いきいき働く職場づくり

自分を隠さず働けるって、 素晴らしい

は5回転職しています。自分の性格のせいだと思い込んでいたんですが、LGBT対策に取り組んでいる会社が海外にあることを知ってようやく「レズビアンだからだ」と思い当たりました。  そういえばどの職場でも何となく居心地が悪かった。飲み会で「彼氏はいるの」と聞かれて女性が好きだとは言いにくい。また日本企業には職場の禁止規定に性的指向についての内容が盛り込まれていないので、差別的発言に傷つけられても訴えられません。  同じ悩みを持つLGBTがたくさんいることも分かりました。こうした問題をまとめて「LGBTがいきいき働く職場づくり」をテーマに講演するようになったのが、虹色ダイバーシティの始まり。老舗日本企業での経験、外資系コンサルでのプロジェクトマネジメントの経験、うつで休職した経験、全部をつぎ込める仕事なんです。もう隠していることもない。  ここ数年で多くのメディアに取り上げてもらいましたが、本当は裏方のほうが好き。できれば私よりしゃべれてルックスのいい人に前に立ってもらいたいんですが…日本企業の文化に精通していて、管理職を説得できる人間となると、私かー、みたいな(笑)。


更新日:2017/5/02
取材・文/東 雄介 撮影/刑部友康、阪巻正志
アントレ2017.冬号 「これが私を生かす道 ライフワークで食べていく!」より
1酒井さん

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酒井 裕司さん(41歳)
(同)南信州米俵保存会/長野県飯島町
大学卒業後、建設資材卸会社、食肉店などに勤務。2013年、長野県飯島町のご当地マラソン「米俵マラソン」の発起人に。15年、南信州米俵保存会を設立し、脱サラ。米俵マラソンに使用する米俵のほか、猫つぐらなどを製作する。

VOL.170
地元の米づくりを応援する米俵マラソンの発起人

米俵担いでマラソンを走る。 そんな町ほかにないでしょ

野県飯島町は「25年後に消滅する可能性のある町」の上位。こどもが13人しかいない学年もあります。でも地域の人は「町の宝」と言ってうちの子をいつも気に掛けてくれた。その恩返しがしたかったんです。僕は11年前に隣町から越してきた「よそもの」ですけど、こどもが生まれ育った故郷が消えるなんて、嫌だ。  目をつけたのが米とマラソンです。飯島は古くから米づくりが盛ん。マラソンは僕の趣味です。今どき地域おこしのマラソンは珍しくないですが、1~5㎏の米俵をかついで走ったら、世界に飯島町だけのマラソンになる。さんざん走った後のランナーには炊きたてピカピカの新米を腹いっぱい食べてもらいます。これ以上ない飯島のPRになるじゃないですか。  「米俵マラソン」は2016年で4回目を迎えて、参加者800名、協賛企業は100社超です。でも4年前、ゼロから立ち上げた時は何をどうしたらいいのかさっぱりでした。稲作の衰退で米俵をつくれる人もいなくなっていた。やっと見つけた職人さんに弟子入りして、1年目は50個全部、1人で夜なべしてつくりましたよ。  15年に「南信州米俵保存会」という会社を設立したのは、その米俵をつくる体制を整えるため、というのが理由です。でも会社にするからには、ちゃんと飯島のためになることがしたい。今はわら細工の技術を継承して、地元のお母さん方と一緒に米俵や猫用の「つぐら」を手づくりしています。これなら町の雇用創出につながりますし、わら細工を産業にできたら、稲作農家さんのことも支えられるはず。


更新日:2017/4/26
取材・文/東 雄介 撮影/刑部友康、阪巻正志
アントレ2017.冬号 「これが私を生かす道 ライフワークで食べていく!」より
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玉川 長雄さん(90歳)
(株)アクアテック/大阪府大東市

VOL.169
70歳で起業しポンプを製造。松下OBによるシニアベンチャー

「やらまいか!」の精神が 運命の扉を開いてくれました

 当社のチューブポンプは、リングでチューブを圧迫する仕組み。ローラーでしごく従来のポンプに比べて、チューブにかかる負担を軽減するものです。開発のきっかけは胃カメラの洗浄装置を開発する話をもらったこと。小型のポンプが必要になったのですが、ちょうどいいのが見当たらず、「ないものは自分で作ろう」と。  松下電器で50年、サラリーマンをしました。担当はオーディオ。「テクニクス」というブランドが売れに売れた時代のことです。無我夢中になって働いて、気がついたら定年。その後、中小企業の技術顧問をしているうちに、チューブポンプを開発したわけです。まさか自分が起業するとは思いませんでしたけどね。でもあちこちから引き合いがあって、さてどうしようかとなりました。  そこは「やらまいか」ですねえ。私の出身地、浜松の方言で「何でもやってやろう」という意味なんですが、おかげで運命の神様が扉を開いてくれたように思います。やったら何でもできるやんか、オーディオ屋もチューブ屋になれるんや、そう思いました。社員にも言うんです。考えてもできないというのはおかしい、とことん考えれば必ずできる、できないのは考えてないからやと。 ものづくりの楽しさ、満足は会社員時代と同じ。それをずっと当たり前に続けているだけで、苦労などありません。考え続けるというのが、健康長寿にも一番いいと思いますよ。ただ今は社長でもあるので、会社ぐるみで楽しまんといかんなとは、考えているところです。それから何より、お客さま本位のもの作りを守らないといけない。お客さまが「あったらいいな」と思っているのに、世にないもの「は」自分で作る。ないもの「を」を作ろうとすると間違いが起こりますよ。独善的で、こんなすごい技術ができたぞと自慢するようなものをやったら、売れない。「を」より「は」が大事です。


更新日:2017/4/12
取材・文/東 雄介 撮影/太田未来子、刑部友康、阪巻正志
アントレ2016.秋号 「定年無用!独立老師が語る退かない人生」より
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矢島 純一さん(71歳)
東京都中野区

VOL.168
今年は海外大会で優勝。ボウリング界のレジェンド

賞金を稼げなくなったら引退 でも稼げちゃうんだな

れまで優勝は41回。パーフェクトゲーム28回。どちらも最多記録ですが、才能より何よりキャリア50年のおかげですよ。若い頃はここぞという時緊張してフォームが崩れたものですが、今はいつでも落ち着いて練習どおりに投げられるんです。  今年6月にはシニアの国際大会で優勝できました。海外大会に参加し始めて50年目にしてようやく、日本人男子としても初です。この時は久しぶりに「この一投で優勝か…」という緊張がよみがえりました。でもそこで一息入れて、レーンのコンディションを確認してからバシンとストライクを取った。今も僕は成長してるんですね。15年前からトレーナーについてもらい、筋肉を柔らかくするトレーニングをしています。食事も変えてパスタを主食に。米よりパスタのほうが血糖値の上下がゆるやかで、パフォーマンスを維持できる時間が長いとか。妻は電気釜を捨ててしまいました(笑)。  周りには「レジェンド」なんて持ち上げてもらっていますけど、一線を退く時期は遠くないでしょう。賞金を稼げなくなったらやめようと思っています。でも現に稼いでいるから、今じゃない。闘争心も若い頃のままです。勝ったらうれしい、予選に落ちたら悔しくて眠れない。ただ昔ほど、僕自身が楽しくボウリングをするということはないんですよ。もちろんボウリングのことは好き、でも自分のプレーをお客さんに喜んでもらえたらいいと、そのためにパフォーマンスをしているだけで。  一番の楽しみは、ボウリングファンの笑顔を見ることです。まったく初めてだという人に教えて、投げさせて、たまたまスペアが取れた、間違ってストライクが取れた、その時のうれしそうな顔ときたらね。ボウリングブームの時は試合のし通しで、それ以外のことを考える余裕なんてありませんでした。今のほうがしっかり、お客さんと向き合っているんだな。


更新日:2017/3/31
取材・文/東 雄介 撮影/太田未来子、刑部友康、阪巻正志
アントレ2016.秋号 「定年無用!独立老師が語る退かない人生」より
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室井 摩耶子さん(95歳)
東京都世田谷区

VOL.167
今なおコンサート続行中。現役最高齢のピアニスト

何か足りないと思ったら、 ぶつかっていくしかないの。

三連音符というのは、非常に複雑なものを持っているのね。ベートーベンの『月光』にしても、四分音符にしてタタタタと引いたら、何とも味気がなくなっちゃう。このリズムの複雑さを本当に発見するのは、演奏家でも時間がかかります。でも、見つけるとうれしくてしょうがない。  若い頃、自分の音楽には何か足りないと思っていました。外国から来た演奏家のを聴くと、もうまるで違う。楽譜どおりに弾く、フォルテといったら強く、ピアノといったら弱く弾く。私はそれだけでした。20代の頃は「現代音楽の室井」と言われて評価もされましたが、やはり何かが足りません。  私はそれを、うやむやにはできなかった。足りなかったら、ぶつかっていくしかないわよね。それまでのキャリアを捨てて、ドイツに留学したのが35歳。人より10年遅い留学でしたけど、おかげでやっと分かりました。自分には音楽を読み解く「音楽文法」が足りなかったんだということが。ある音がある音へ行きたがっている。作曲家は休符1つに、これだけの感情を詰め込んでいる。音楽は詩であり小説であり、戯曲でもある。そういうことがわかると音楽が本当に面白くなる。譜面を開くたび発見が続くのです。最近はハイドンに夢中。子供たちの練習曲だなんていう人もいますが、もうすごいんだから。 今も毎日4時間、ピアノを弾いています。演奏のほうは、1日2日休むとダメね。頭から指の先、出した音から耳へと、非常に繊細な経過で音楽は生まれるものだから、神様が「サボっちゃだめよ」と言うのね。「これだ」という演奏ができて、お客さんからとても素敵だった、心に染み込むようだ、うちに帰ってもまだ音が響いています、なんて言われようものなら、私は天にものぼらん気持ちになる。それで神様に「まだやることがあるから、もうちょっと生かしといてね」とお願いしてるわけ。


更新日:2017/2/10
取材・文/東 雄介 撮影/太田未来子、刑部友康、阪巻正志
アントレ2016.秋号 「定年無用!独立老師が語る退かない人生」より
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永久保 喜也さん(80歳)
理容ナガクボ/東京都世田谷区

VOL.166
演歌に乗ってハサミを握る。お客を招きカラオケ大会も

職人根性を押し付けたらだめ。 お客さんこそ財産です

元の中学を出て、職安を尋ねたら理容師の住み込みの仕事を紹介してもらったんです。私は手に職をつけたかったし、理容師はちょうどいい仕事。そこから年季奉公です。本当は、記者になりたかったの。それで今もこうやって、店内のポップを全部手書きしたりしてね。パソコン打ちの字が1つもないお店です。  上京して、1960年にはホテルニュージャパンの理容室のチーフになりました。高級店ですから各界の名士がやってきて、歴代総理だけとっても、岸さん、福田さん、中曽根さん。そこで腕を磨いて、東京オリンピックのあった年に自分の店を構えました。高級ホテルで活躍したという前評判のおかげで本当に忙しかった。朝飯を食べ損ねると昼まで食べられないから、小さなお握りとわかめのスープを作って店の奧に置いとくんです。お客さんの顔に蒸しタオルを乗せて、トイレに行くようなふりをしてお握りをほおばる。  ある程度の腕を身につけた後は、お客さんの扱い方のほうが大切になる仕事です。職人根性で、ここはこうだと押し付けてもいけない。髪の毛も頭もお客さんのもの。お客さんを見て、お客さんのやりたいことをやってあげなくては。「どこを切ればいいんだろう?」というような頭の人でも、喜んで切ってあげる(笑)。そうして「ほかの人に頼む気がしない」と言ってくれるようなファンができれば、長く働けるでしょう。ファン作りのコツですか? お客さんにはもちろん礼節を尽くしますが、他人行儀は求められていないし、おっかなびっくり触っていると神経を使わせてしまう。「楽しい話をしてるうちに切り終わったな」ぐらいがいいんです。私は歌が好きでね。気の合ったお客さんを呼んでカラオケ大会をしたり、その映像をDVDに焼いて渡してあげたり。昭和の歌謡曲のリクエストも受け付けています。ストックは800曲以上。これもファン作りの1つですよ。


更新日:2017/2/10
取材・文/東 雄介 撮影/太田未来子、刑部友康、阪巻正志
アントレ2016.秋号 「定年無用!独立老師が語る退かない人生」より
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福田 英康さん(82歳)
レストランサム/東京都台東区

VOL.165
ケチャップ以外は手作り。365日無休の老舗洋食店

好きな料理を作って、満足して帰ってもらう。 疲れるわきゃないよね。

事だけでやってるなら疲れもくるだろうが、趣味だから疲れないわけ。朝から晩まで仕事に入ってるせいで、この街のことは何にも知らない。たまには休みたいなと思うんだけどさ、昔からのお客さんがいつ来るかもわからないし。それで年中無休、正月も開けている。  新橋で42年、レストランを経営しました。ホテルオークラに勤めたままなら偉くもなったんだろう。けど、うちは子供がいなかったから、もう少し暴れてやろうかとなったんだね。お店は繁盛して、最盛期は洋食が2店に中華、和食、すし、ケーキで計6店舗。従業員は50人ぐらいになったかな。そこを閉めて上野に移ったのは、言ってみれば隠居仕事をするためです。好きな料理を好きなように作って、言いたいことを言って、お客さんに喜んでもらうこと。さっきはわざわざ岡山から来た人が「おいしかった、また来ます」と。そんなこと言ってもらえたら、苦労も何にもなくなる。昼間は助けてくれるスタッフがいるが、夜は1人でお店に立ちます。忙しくなれば「ちょっと待ってね」とお客さんにお願いをする。皆「分かってます!」と言って待ってくれるよ。毎日きゃあきゃあ、やってるんだ。  仕事が面白いかどうかではなく、面白くすることが大切だ。料理の場合は、いかにしておいしいものを出し、お客さんを満足させるか。僕は「お客さんを“だます”」という言葉を使うの。悪い意味じゃない。高い材料で高級料理を作るのは誰にもできる、安い材料で高級料理を作るのが腕だ。それはきっと料理の世界のことだけではないはずだよ。うちはケチャップ以外ぜんぶ手作り。それができるか、できないか。逆を言うと、お客さんをだませなくなったら潮時だ。お客さんからクレームがついて、もうおやめなさいということになる。でもそれまではやる。お客さんが喜んで帰ればいいんだと、それだけ考えるんだよ。


更新日:2017/1/24
取材・文/東 雄介 撮影/太田未来子、刑部友康、阪巻正志
アントレ2016.秋号 「定年無用!独立老師が語る退かない人生」より
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自身のキャリアや将来、人生設計や未来についての相談などに乗っていると、「とりあえず○○ができるようになりたいです」といった言葉をとにかく多く聞く。 それは例えば現在就いている仕事において期待されているスキルの獲得であったり、あるいはまだ見ぬ『いつかする独立』へ向けた必須技能(とどこかの本や記事で紹介されているようなもの)だったり。個人によって様々だ。 もちろん、その思考自体は素晴らしいことだと思う。 何をするにしたって準備しすぎるという事はないし、できること、できると周囲から認められることを一つひとつ積み重ねていく姿は少なくない評価を獲得していけることだろう。 けれど、もしも『自分らしく自由に人生を生きたい』と望むのであれば、この考え方は少々の危険性をはらんでいるのではないだろうか? 今回はそんな話をしてみようと思う。
―著者:中村 健太 株式会社ビットエーCMO。Techメディア「BITA デジマラボ」のプロデュースやAIカンバセーションエンジンの開発など、Webのみにとどまらず様々な分野で活動するマルチプロデューサー。KaizenPlatformのグロースコンサルとしても知られ、2014年より一般社団法人日本ディレクション協会の会長も務める。主な著書に「Webディレクターの教科書」など。元々大手コーヒーチェーンの店長職からキャリアをスタート。副業としてのアフィリエイター活動からWebマーケティング業界へ入るという珍しい経歴を持つ。

自分自身の人生を生きるための自由とは

まず「自分自身の人生を生きる」というのはどういった状態なのか?だが、ここではシンプルに『何かをやりたいと思った時、自由に立場と選択肢を選んで実行できること』と置いてみる。 例えるなら、朝起きて「さーて今日は何やろっかなー」と考え 実行プランを立てる上での自由度…といったところだ。 それはほぼ無限の選択肢に広がり、やろうと思ったことを自由に実行できる状況であれば、(個々人の性格によるところはあれど)かなり自由に自分自身の人生を生きていると言えるはずだ。 何しろ自分が何をするかの選択肢を自身で握れていることになるのだから。 では、現在のあなた自身にとってその選択肢の数はどうだろう? 極端な話、多くの人にとってその選択肢は大きく2つ程度しか存在しない。つまり「会社に行くか」「サボるか」の二択だ。 これが ”自由で自分らしい生き方” か?と聞かれれば、そうは言いにくいのが現実だろう。

どれだけの人に「自身の価値」を認知させるか

ではどうすれば自分の選択で行動を決められるだけの自由を得ることができるのだろう? ここからはかなり私自身の持論になるが、『自身の価値を認識している人の数と質』により、その多くが決定されると思っている。つまり『何か新しくやってみよう!と決めた時に賛同してくれる人の数と質』が重要なのだ。 その数が多くなれば多くなるほど、質が高くなれば高くなるほど。思いつきの行動は企画と呼ばれるようになり、ちょっとした活動がプロジェクトとして動き始める原動力になっていく。 話がとんでしまったが、つまり そのためにこそ『○○ができるようになったら…』といった極めて会社員的な思考が少々邪魔になってくるのだ。

限定された世界での評価を得るための階段型思考

企業の中でどれだけ期待されたスキルを身に着けても、それは「既にそこまでは出来るようになってほしい」という他人の立てた戦略の中の成果でしかない。 期待する成果のために用意された人員にしかあなたのスキルや成果は認識されないし、取引先などを含めて多く見積もってもその数はせいぜい数十人程度しかいないはずだ。
これを読んでいるあなたも、 『自分自身の仕事っぷりを知り、ある程度できると認識してくれている人の数』 を数えてみて欲しい。恐らく30人を大きく超えるケースは稀なはずだ。
改めて話を戻そう。 「○○ができるようになる」という当面の目標があったとして、その先にあなたは何を目的に置いているだろうか? ○○ができるようになり、例えば課長や部長などの立場になり、マネジメントなどのスキルを得て、次の役職をもらい… はたしてその先にあるのは、何だろうか? 社内の人間を中心とした、数十人程度の『限定された世界での評価』は、果たしてあなたの人生における選択肢を増やしてくれるだろうか。 これに「その通りだ!」と答えられる人やシーンは、実際のところそんなに多くはなかったりするのだ。(あくまで著者の経験上の話だが)

より具体的な状態目標からマイルストーン型思考で行動を設計する

ではどうすれば良いのか。 それこそ人による…といいたいところだが、それではあまりにも無責任なので、以下に著者が実践している方法を紹介してみようと思う。 考え方としては、階段ではなくプロジェクト・マイルストーンに近いもの。つまり、「○○ができるようになったら」「次は○○できるようにして」「その後は…」ではなく… 「最終的に○○をやる」と決めた後に「ということは○年後にこうなってるはず」 ⇒ 「だから半年後はこうなっていて」「つまり1ヶ月後にこうなっていて…」 といった形に自身の置かれている状況や状態を先に置いて、そこに至るまでの途中経過を分解していくイメージだ。 そしてその上に、より具体的に最終的な到達ビジョンを洗い出していく。 例えば「独立する」といったフワッとした目標を「○年後には従業員数300人程度の○○系事業を指揮する代表の立場にある」といった形に落とし込んでいくイメージだ。 それを明確にしてしまえば、あとはシンプル。
  • それを実行するために何人の人間に認知されるべきなのか?
  • どんな実績をどうマーケットに認識させるべきなのか?
  • そのために○ヶ月後までに必要な成果とその成果を認知させるために必要なデリバリーはどうあるべきなのか?
などなど。様々な考えがほぼ勝手に広がっていくはずだ。 極少数の人間にしか知られず、限定的なコミュニティの中でしか認知されていない状態では「どうあがいてもそんなところに到達できない」と、誰が考えてもわかるのだから。

まず「どうありたいのか」ありきで考えれば行動は実行できる

こういった話をされると、つい「いやそんな巨大な野望とかありませんし…」となってしまうことだろう。それが普通だと思う。 実際、著者にしても初期は「3年後に今の年収の3倍もらう!」くらいの目標しか掲げることができなかった。(新卒時の話なので3倍といっても大した金額ではない) が、不思議なことにこれを掲げ、行動の指針として掲げることで例えば…
  • 忙しいけど時間を作って副業やってみる
  • 何のスキルも無いけど、とりあえずサイトを立ち上げてみる
  • 何もかも上手くいかないけど、マイルストーンにむけてなんとか頑張る
  • いつの間にか成果が生まれ、社外の多くの人に認知されはじめる
  • やりたいと思った事がプロジェクトとして動かせるようになる
  • 気づいたら目標をクリアしていたので再度別の目標を立て直す
といった、 客観的にみれば無謀と言える行動を当たり前のようにとることができたのだと思っている。 もちろん個々人によって向き不向きはあるはずだが、今この瞬間に所属している『組織によって設定された目標』をクリアするだけではなく、 自身にとっての状態目標を明確にした上で、階段型ではないマイルストーン型の思考と行動設計を行ってみるのも、自身の人生を自由に生きようと思った上では重要なのではないだろうか。 そのために副業が必要ならばやってみればいいし、もし禁止されているのであれば非営利でも外のプロジェクトに関わり、自分自身を評価してくれる人間の数と質、そして軸を増やしつつ行動してみればいい。 少なくとも、その生き方であれば「○○のスキルを手に入れたハズなのに評価されない」「○○の役職になった後のプランが考えられない」といった『自分の人生と向き合えていない』状態を脱することは可能になるはずだ。 まず、何年後にどうありたいのか ありき。 状況に流され選択肢を徐々に失っていく人生はきっと、辛く苦しいもの。だと思うので。
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山根 明さん(81歳)
東京タブレット研究会/東京都小金井市

VOL.164
各種プレゼン大会で優勝。シニア向けスマホ講座を主宰

行くとこない、会う人いない、やることない。 そんな老人になりたいですか

若い皆さんは毎日忙しいでしょうが、シニアは違います。朝起きて行くところがない、会う人がいない、やることがない。それまでバリバリ働いていた偉い人が、定年後に弱ってしまう姿を見ました。悠々自適な老後なんてありえない。定年前に何か準備しないといけないと思ってパソコン教室に通い始めたことが、今の仕事につながっています。  私たちのスマホ講座、タブレット講座の特徴は、学ぶ側も教える側もシニアだということです。だから、ゆっくり、やさしく、楽しく教えられる。若いインストラクターの皆さんの講座は、申し訳ないのですが、シニアにするとまずペースが速い、そしてカタカナ用語が多い。もう「日本語だ」としかわかりません(笑)。シニアは聞いたこともすぐ忘れてしまう。そこで、私たちは「赤ん坊は泣くのが仕事。シニアは忘れるのが仕事」と最初にお話をする。これで受講生も安心してくれます。  シニアの感動が私のエネルギーです。パソコンは企業の生産性を高めるための道具ですが、スマホやタブレットはコミュニケーションの道具。シニアが講座に求めているものもコミュニケーションの楽しみであり、人間関係です。私たちはそれを提供し、教えるのではなく一緒になって楽しむ。これも、同じシニアでないとできないこと。最近はシニアもLINEにハマっています。講師含めて8人のうち7人がガン生還者だった講座がありました。聞けば、入院中に「今晩の病院食はこれだよ」「おいしそうだね」などとやりとりしている。LINEのおかげでガンが治るとか乱暴なことは言いませんが(笑)、少なくとも自分は1人じゃない、サポートしてくれる人がいると分かる。そこにもシニアの感動があるんです。


更新日:2017/1/4
取材・文/東 雄介 撮影/太田未来子、刑部友康、阪巻正志
アントレ2016.秋号 「定年無用!独立老師が語る退かない人生」より
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和田 京子さん(86歳)
和田京子不動産(株)/東京都江戸川区

VOL.163
元主婦が80歳で起業。仲介手数料無料で年商5億円

自分の足で、自分の名で、 世のお役に立ちたかったのです

のね。夫を亡くした時、達成感があったんです。もう自分はいつ死んでもいいんだって。ところが介護生活から解放されて、食べたい時に食べ、寝たい時に寝ていたら自浄作用で元気になった。自由ばかりも何だから勉強でもと孫が渡してくれた宅建のテキストが、また面白くて。私これまで7つの家に住みましたが、欠陥住宅と訳あり住宅に、ずいぶん泣かされてきたんです。    79歳で資格を取得して80歳で起業。何でその年でと人には言われます。でも1億玉砕の時代を知る人間には、自分だけ生き残ってしまって申し訳ないという気持ちがある。私は学校を出ると家庭に入り、何もできずにいました。親に養われ、夫に養われで、自分の名前を呼ばれる機会もなかった。ずっと思っていたのです。自分の足で立ち、自分の名前で、世間のお役に立ちたいと。  不動産業は人に好かれる仕事ではない、と身にしみて感じます。ちょっとした営業トークのつもりでも、お客さまは言葉のとおりに受け止めて期待をし、そして現実を見てがっかりされる。これが不信感のもとです。だから私は、誠実であろう、うそだけは言うまいと努めてきました。「昨日はああ申し上げましたが、実際はこう申し上げたほうが正解かも分かりません」と後になって訂正したことが何度もあります。うちへいらしたお客さまは皆、私を信じてくださった。本当に感謝です。    この年ですから、相棒の孫の支えなしではやっていけませんが、ひとり立ちしたことには変わりがない。こればかりは最後まで譲れない喜びです。まあでも、会社経営がどれだけ大変か知っていたら起業しなかったかもしれません。購入者からの仲介手数料無料なんて、3日で「しまったな」と思いました。かといって、やめますと言ったらお客さまが許しません。仕方がないので、私が死ぬまで、ということにしました(笑)。


更新日:2017/1/4
取材・文/東 雄介 撮影/太田未来子、刑部友康、阪巻正志
アントレ2016.秋号 「定年無用!独立老師が語る退かない人生」より
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杉本 あきほさん(51歳)
オフィス共笑/東京都港区
飲食業、携帯電話の営業などを経て研修講師を目指して独立。修業中、笑いとヨガの呼吸法を組み合わせた「ラフターヨガ」に出合う。現在は「第3の笑い」をコンセプトに企業研修などを行う。2015年にはNHK『オイコノミア』でピース又吉さんと対談。

VOL.162
ストレスから身を守るメンタルヘルス研修

笑いの世界に革命を ギャグなしネタなしの「第3の笑い」

1の笑いは喜びや安心から自然に生まれる笑い。第2の笑いはギャグやユーモアによる意図的な笑い。私が広めている「第3の笑い」はネタ不要の自ら生み出す笑いです。これができたらいつでもどこでも笑えて、ストレスマネジメントに大いに効果あり。要は「面白いから笑うのではなく、笑うから面白い」ということなんですが、普通の人は心のなかで「何がオモロくて笑うねん」と自己否定するはず。そこを腹落ちしていただくのが、私の仕事です。    大阪に生まれて、人を笑わせてナンボの文化で育った人間です。コンプレックスだって、いじれば笑いの種になる。でも九州で働いてた頃、笑いが人を傷つけることがあるとわかったんです。そこへいくと「第3の笑い」は誰も傷つけない笑い。出合った時は自分の奥底から「これだ!」というエネルギーを感じましたよ。この新しい笑い、新しい価値観を伝えるために起業したんです。ご理解いただけずに「職場で笑うなんて不謹慎」としかられることもあります。でも「生まれて初めてこんなに笑った」という人もいる。何をするにもダイレクト。その日やったことがすぐ自分の励みになるなんて、最高だと思います。


更新日:2016/11/24
取材・文/東 雄介 撮影/太田未来子、刑部友康、阪巻正志
アントレ2016.夏号 「儲けも損も財産だ 激白!社長の醍醐味」より

2016年11月24日

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鈴木 幸生さん(56歳)
ユー・エス・エム(株)/横浜市中区
雑貨を扱う会社で社長の右腕となり、社員数人だった会社を200人規模にまで成長させるが、50歳で独立。20年間暮らしていた横浜で「横浜らしさ」を表現するものづくりを思い立ち、船舶に使われる帆布を生地にした「横濱帆布鞄」を開発した。

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実は少ない横浜ブランド港町ならではの帆布鞄

地域に根をおろし ものづくりで街の魅力を伝える

まれは浜松なんだけど、代官山の会社に通うのに横浜本牧へ越して20年です。横浜はカッコいいな、ハイカラだなって、それだけの理由なんだけどね。会社員のうちはただ住んでるだけで、知らないところばっかり。    50歳まで勤めた雑貨の会社を辞めて起業したのは、魔が差したっていうのかな(笑)。会社の看板なしの丸裸になったら何ができるか試してみたくなったんです。最初はコンサルタントをやろうと思ったんだが、口だけで食えるほど甘くなかったね。自分の原点に帰ってものづくりをしよう、そういえばファッションにしても横浜ブランドは案外少ないな。というのが「横濱帆布鞄」の始まりです。横浜といったら港町。船舶に使われる耐水・耐熱性に優れた帆布でつくった鞄に、横浜の市外局番「045」をプリントしました。    横浜との縁が本当に深くなったのは、横浜のブランドを謳って起業してからかもしれません。地元の人と付き合いができて、最近は街づくりのお手伝いも始めている。やっと横浜に根をおろせたかな。こんな場所にしゃれた鞄屋があるよと言ってもらえると、横浜の価値の1コマ分になれた気がする。うれしいよね。


更新日:2016/11/16
取材・文/東 雄介 撮影/太田未来子、刑部友康、阪巻正志
アントレ2016.夏号 「儲けも損も財産だ 激白!社長の醍醐味」より

2016年11月16日

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齋藤 真帆さん(37歳)
(株)ヴィヴィッドクリエーションズジャパン/東京都渋谷区
大学卒業後、出版社を経てメーカーに。2006年にシンガポールの日系企業に就職。フリーランスのコーディネーターを経て09年にシンガポールで起業。15年には日本法人も設立し、2カ国でイベントやPRを中心としたマーケティングサービスを行う。

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日本のコンテンツを輸出「リアル脱出ゲーム」も

日本とシンガポール 国境を越えて人をつなげる

事な時は感性を頼りにするタイプです。これだ!と思ったら止まらない。いいな!と思った人にはすぐ会いにいく。海外でベンチャーをやってると言うと興味を持っていただけることが多いですし。そこからまた会いたい人につながっていく。これが醍醐味かな。    学生時代の憧れはニューヨーク。人種のるつぼで皆が夢を持って切磋琢磨している。私も一緒に頑張りたかったんですが、その時はハードルが高かった。でもやっぱり海外で働きたいと思い立った時、シンガポールと出合いました。ニューヨークと同じく多国籍でエネルギーにあふれる国。そこで働き始めて、やっと人生のスタートラインに立てた気がしました。    シンガポールは新しい国で独自の文化を形成しているところ。一方、日本には素晴らしい文化がある。両者をつないで日本のコンテンツをシンガポールに紹介しようと思ったのが起業の動機です。ただし一方的に発信するのではなく現地に合わせてローカライズするのがポイント。例えば立川志の春さんの英語落語。現地での体験をマクラにして、質疑応答も自分の言葉でする志の春さん、すごい柔軟性です。こういう人に会うと自分もいい仕事ができる気がする。


更新日:2016/11/3
取材・文/東 雄介 撮影/太田未来子、刑部友康、阪巻正志
アントレ2016.夏号 「儲けも損も財産だ 激白!社長の醍醐味」より
雇われない生き方img_vol.159

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川岸 亮造さん(34歳)
(株)KOMPEITO/東京都渋谷区
大学卒業後、日系コンサルティングファームで製造業の研究開発部門のコンサルを担当。のちにKOMPEITO共同創業者となる渡邉瞬氏と出会い、農業界が抱える問題を痛感。農産物物流の変革を目指し、起業。都内オフィスに新鮮野菜を届ける。

VOL.159
会社に野菜を「置く」発想「オフィスで野菜」運営

大手を巻き込み 農業界を変える「没頭」の力

ンサル会社で働いていた頃は複数のプロジェクトを掛け持ちしていました。どれも面白いけど「こなす」感じは否めない。一つに没頭できればもっと大きなインパクトを残せるのに……。そんな折りに会社の同期に農業界が抱える問題を聞かされたんです。この先農業界は変わる、そこで自分が没頭すればインパクトが出せる。そう思って同期と2人で起業しました。    「オフィスで野菜」は都内160社に新鮮な野菜を届けるサービスです。中間業者を挟まずまとまった量の野菜を届けるので、農家さんが手にするお金を増やせます。代金は会社持ちで、社員は健康に。仕事中でも気軽につまめるよう、ミニトマトみたいな小さい野菜をそろえました。初期は僕らが自転車をこいで「お前は港区内担当な」とかやって野菜を届けていたんですが(笑)、今は朝日新聞の販売所と提携して配送を仕組み化しました。考えてみると自力にこだわる必要もないんですよね。実はキユーピー(株)とも提携しているんです。僕らがハブになってそういった既存の大手プレイヤーを巻き込めば、世の中を動かす力はもっと大きくなる。でも主役はやっぱり自分たち。僕らはこのスタイルで農業を変えます。


更新日:2016/10/5
取材・文/東 雄介 撮影/太田未来子、刑部友康、阪巻正志
アントレ2016.夏号 「儲けも損も財産だ 激白!社長の醍醐味」より

2016年10月24日

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岸田 浩和さん(40歳)
(株)ドキュメンタリー4/東京都杉並区
映像作家、映像記者。大学卒業後、レンズメーカー勤務の傍ら、ライター&カメラマン活動を開始。東日本大震災後、被災した宮城県石巻市内の缶詰会社を追った短編ドキュメンタリー映像が5カ国9カ所の映画祭で入賞・入選したのを機に独立を果たす。

VOL.158
映像記事や企業ビデオを制作 映画祭に入賞した作品も

不可能を可能に 35歳からの映像作家デビュー

35

歳の時、大学時代の友人に罵倒されたんですよ。「お前にはがっかりした!」って。バックパッカーやってた頃の僕を面白がってくれてたのに、その時の僕は会社の愚痴ばかり。「お前の経験を書き残せ」とも言われて、酔っぱらった勢いでライタースクールに申し込みました。    転機は石巻市内で被災した缶詰会社を取材したことです。カメラはまだ始めて数カ月、でもその時撮影したムービーが映画祭に入賞しました。今は自分が興味あるニュースを追いかけながら、企業のPR映像などの依頼を受けています。転がる石のような経緯ですが、結果的にやりたいことに近づきました。誰も知らない人、知らない土地、知らない景色を自分の表現で伝えること。    35歳を超えて、普通の会社員から映像作家へ。こんな転身ができたのはその年齢が“熱源”になったからだと思うんです。正攻法ではとても無理。気になるメディアの社長が登壇するイベントに押しかけては名刺を渡して売り込みました。でもこっちだって事業主です、憧れだけの人間じゃない。本気でかかっていけば、向こうも「こいつは何者だ?」って本気になってくれるんですよ。


更新日:2016/10/18
取材・文/東 雄介 撮影/太田未来子、刑部友康、阪巻正志
アントレ2016.夏号 「儲けも損も財産だ 激白!社長の醍醐味」より

2016年10月18日

雇われない生き方img_vol.157

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馬場 加奈子さん(44歳)
(株)サンクラッド/香川県高松市
大学卒業後、日動火災海上保険に入社。後に3人の子どものシングルマザーとなる。長女が障害を持って生まれたことから「子育てしながらできる仕事を」と考え、起業を思い立つ。大同生命を経て、2011年に中古学生服の売買を行う「さくらや」を開店した。

VOL.157
お母さん1人で開業できる 学生服リユースショップ 

働き方は自分で決める 育児する母のためのビジネスモデル

ングルマザーとして3人の子どもを育てながら、生命保険の営業をしてました。楽しい仕事でしたよ。でも忙しくて。私はもっと子どもに寄り添いたかったんです。    学生服リユースはまず自分が欲しいと思ったビジネス。学生服って安くても1着1万数千円するのに、学校行事に参加していないのでお下がりを頼めるママ友がいませんでした。同僚に聞いてみると「私も」だって。無店舗で創業したら「学生服を売り買いするなんてアヤシイ」と言われて半年間は泣かず飛ばず。実店舗を出したらやっと信用されて、地域のお母さんも「こんなお店が欲しかった」と言ってくれるようになりました。    各校制服のデザインが少しずつ違うので細かい在庫管理が大変。でも買い取りの査定ルールをつくり、1万点以上の商品はPOSレジシステムで管理することで育児中のお母さんが一人でもお店を回せるよう効率化しました。だから営業時間も週4日の10時から15時まで。パートナー店を増やしてこの仕組みを全国のお母さんに広めるつもりです。お客さんからありがとうと言われるのはもちろんうれしい。でも私らが子どもと一緒に過ごす時間を持ちながら仕事もちゃんとできること、それが一番。


更新日:2016/10/12
取材・文/東 雄介 撮影/太田未来子、刑部友康、阪巻正志
アントレ2016.夏号 「儲けも損も財産だ 激白!社長の醍醐味」より

2016年10月12日

雇われない生き方img_vol.156

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角田 太郎さん(46歳)
(株)ワルツ社/東京都目黒区
大学卒業後、WAVE渋谷店、六本木店でバイヤーを経験。2001年アマゾン・ジャパンに入社し、消費財事業部長や新規開発事業部長を経て15年3月に退職。カセットテープやレコードを販売する「waltz」をオープン。カセットの店頭在庫は約3500本。

VOL.156
元Amazon部長が開業 カセットテープ店

時代に逆行 カセットテープが音楽業界を再生する

マゾンの黎明期から14年働きました。辞める直前の僕はよくいる外資系マネジメント人間です。アマゾンのことは誰よりも愛しています。でも僕がやりたかったことは別で。新卒でWAVEに就職したんですが、CD産業が衰退して不完全燃焼。アマゾンに転職してインターネットで音楽を売りながら「自分ならこんな店をつくるのに」ってずっと空想してました。    恵まれたポジションを手放すからには、アマゾンでは絶対できないことをしたい。そう思った時部屋のなかを見渡したら約1万本のカセットが並んでいたわけです。 僕はおそらく世界的なカセットコレクター。市場らしい市場がないのでカセットの入手は困難。でも入手困難だからこその「ありがたみ」があります。それこそ定額で音楽聴き放題の時代になって失われてしまったもの。    僕のビジネスの持論は時代に逆行すること。そうすれば誰もいないところにたどり着ける。起業したら社内稟議もなくなる、いっそう説得不要で逆行できますよね。SNSもマーケティングもしない。音楽離れが叫ばれているなか、それでも開店前からお客さんが並んでくれる。メディアが変わるだけで音楽はまだ売れるんです。僕は本気で、カセットから音楽業界を再生するつもりですよ。


更新日:2016/10/5
取材・文/東 雄介 撮影/太田未来子、刑部友康、阪巻正志
アントレ2016.夏号 「儲けも損も財産だ 激白!社長の醍醐味」より
雇われない生き方img_vol.153

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斎藤 材さん(47歳)
ファンテイル/群馬県みなかみ町
機械メーカーで設計に従事後、車の性能をテストする会社へ。1年間、ワーキングホリデーでニュージーランドに滞在。その後、フリーターを経て群馬県のラフティング会社に契約スタッフとして勤務後、就職。2003年に独立。旅行会社を介さず、群馬の自然の魅力を案内する独自のガイドツアーを行う。

VOL.155
群馬の自然の魅力を知り尽くすアウトドア・ネイチャーガイド

転職内定をけって海外放浪。 自分の本当の望みがわかった

日、同じ仕事をこなし、給料をもらうだけの会社員時代。このままでは先がないと思い、転職を決意しました。しかし、給料も待遇もいい会社から内定をもらっても、なぜか心は冷めていたんです。自分の望みが一体何なのかわからず、悶々とし続けましたね。その時、ふとワーキングホリデーで海外に行った知人を思い出し、「今までは普通に就職する生き方しかないと思っていたけれど、違う道があるのかもしれない」と。そこで、内定をけってニュージーランドへ行くことに。全く違う環境に身を置き、1年間放浪しようと考えました。
 現地に到着すると、「明日から何をしても自由」という環境に戸惑い、行き先すら決められない自分に驚きましたね。けれど、自ら情報を調べ、目的地もやりたいことも決めていく毎日に、自分の意思と力で生き抜く手ごたえを感じた。おかげで「何をやっても生きていける。じっくり考えよう」と思えるようになりました。
 ネイチャーガイドの仕事は現地で知り、憧れを感じましたが、帰国当時の日本はまだアウトドアビジネスの黎明期。半年間、フリーターをしながら情報を集めていたところ、この地域でラフティングガイドを募集していると知り、移住を即決! 3年間、経験を積んだ後、群馬の自然の見どころを案内するツアーガイドで独立しました。今思えば、僕の本当の望みは、「誰かに支配されず、自分で考え、自分で決めて生きたい」だった。悩むより、行動したことで、答えにたどり着けたと思います。


更新日:2016/10/19
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康、阪巻正志、四宮義博、仲本 潤、町田里仁
アントレ2016.春号 「独立VS転職 私たちの決断」より
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蜂谷 詠子さん(37歳)
㈱BEEVALLEY/横浜市中区
システムエンジニアとしてIT企業数社を経験。2011年に出産、13年に独立。女性起業家専門にWebや広告制作を手がけ、稼げる集客の仕組みづくりを行う。また、女性起業家マッチングアプリの発信や、育児中の女性をスポット雇用し、中小企業のWeb更新を行うサービスも手がけている

VOL.154
女性起業家専門のWeb制作で 収益の出る仕組みづくりを支援

子育てママに転職は厳しい。 夫が背中を押してくれた

職のIT会社は、育児への理解が深く、出産後も働きやすい環境でした。けれど、自分じゃなくてもできる仕事のために、幼い我が子を預けて働くことに罪悪感があったんです。将来、子どもに胸を張れるような、「私にしかできない仕事」をしようと思い、女性や子どもの事業を手がける会社への転職を目指しました。ところが、現実は厳しかった。
 その後、女性支援事業で独立しようと決めたものの、退職の日が迫る中、「会社に残りたい」という言葉がノドまで出かけていました。独立すれば、お金や子どものことで家族に迷惑をかけるかもしれない。迷いはありました。しかし、一度決めたらやり通すという私の性格をよく知っている夫は、「やってみたら?」と賛成してくれて。独立しないことへの言い訳ができなくなりました(笑)。
 現在、女性起業家専門で収益アップにつながるWeb制作や、子育て中の女性向けに在宅Web業務のマッチングサービスを行っています。多くの女性起業家は「子どもや家族のために起業したのに、忙しくなるだけで稼げない」という“起業迷子”のような状態に陥っています。目標は、Webサービスを通じ、そうした課題を解決していくこと。同じ母であり、女性起業家である私だからこそ、寄り添っていきたいと思います。


更新日:2016/9/14
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康、阪巻正志、四宮義博、仲本 潤、町田里仁
アントレ2016.春号 「独立VS転職 私たちの決断」より
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屋良 尚平さん(42歳)
Bar yaranight/沖縄県那覇市
東京のスポーツ新聞社に15年半勤務し、社内システムの開発に従事。2012年、早期退職制度を利用して退職し、故郷の沖縄にUターン移住。13年に独立。スポーツにかかわった仕事経験と東京在住時のDJ経験を生かし、音楽イベントとスポーツ中継を楽しめるバーを開業。地域の交流の場を目指す。 

VOL.153
沖縄の地域活性も目指す音楽とスポーツを楽しめるバー

Uターンで故郷に貢献したい! 独立は、そのための手段

いつか故郷の沖縄に帰るつもりだったけれど、東京の生活は楽しく、気づけば40歳目前。Uターンを決めたのは、仕事が一段落した時期に、会社の早期退職者募集が重なったから。両親も健在で何の支障もなく、「今が帰るタイミングだ」と感じました。
 もともと地元に貢献したい思いが強く、沖縄の地域活性に役立つ面白いことがしたいと考えていました。独立でも転職でも構わない。どちらも収入は東京より下がるし、一人身なので最低限の生活でいい。あくまでやりたいことを実現する手段として、2つの選択肢を比較しました。まず、以前から接客業に興味があったので、バーの開業を視野に入れました。そこで、東京にいるうちにバー経営を学ぶスクールに通っておくことに。一方、帰郷後は、ハローワークで仕事を探しましたが、自分にとってバーに勝るほど面白いと思える仕事がなかったし、組織に入れば、地域のためを考えた厳しい意見も言えなくなるだろうと。
 独立後の収入は厳しく、店を維持するだけで精一杯。でも、「地元の人が世代を超えて楽しく交流できる場をつくる」という目標には、少しずつ近づいています。楽しい体験をした地元の人々がどんどん外に出るようになれば、沖縄の夜にも活気が戻るはず。ここから一歩一歩でも、地域活性につなげることができたら、と考えています。結果を出すまで長い時間がかかると思っていたし、貯蓄を切り崩しても、故郷のため、自分のために、やる意義がある。後悔は一切ありませんね。


更新日:2016/9/6
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康、阪巻正志、四宮義博、仲本 潤、町田里仁
アントレ2016.春号 「独立VS転職 私たちの決断」より
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山本 豊さん(49歳)
出版SPプラス/東京都渋谷区
三省堂書店に勤務後、専門書の出版社を2社経験。その後、徳間書店にて販促営業・商品管理に10年間従事。2012年、出版社や著者に向けた販促サポートと営業代行事業で独立。書店展開や目標部数を考える販売プロジェクトも手がけ、書籍の販売・発行部数を伸ばす支援を行う。

VOL.152
出版販促サポート&営業代行で著者や出版社を支援

親の介護に子どもの進学。 苦悩の果てに叫んだ“自由”

版業界で長く販促に携わってきましたが、突然、両親ともに病気の治療で動けなくなり、昼は仕事、夜は介護の二重生活が始まりました。介護は待ったなしですが、管理職の自分に定時上がりは難しかった。時間に自由が利く会社に転職しようと、同業界の知人に相談し、求職情報も調べましたが、この年齢では責任あるポスト以外に職がなく、状況は変わらない。異業種に至っては、年齢制限で土俵に上がることもできませんでした。
選択肢は、会社に残るか、独立しかないけれど、このまま会社にいても気苦労の多い毎日が続くだけ。でも、息子の大学進学も控える中、独立して本当に収入を確保できるか不安が残ります。グルグルと悩み、いても立ってもいられずに、仕事でかかわった起業本の著者に相談することに。「独立すれば、会社員のように仕事は与えられず、自分でつくらねばならない」という厳しい話をされましたね。しかし、逆に考えれば、自分次第でやりたい仕事ができる自由があると感じました。それまで不安に揺れ続けてきたけれど、「何とかなる」という色紙をもらった瞬間、覚悟が決まった。そこから会社に交渉し、業務委託で営業の仕事をもらえることになり、当面の収入も確保できました。
独立初日には、鎖から解放されたような気持ちになり、坂道を上る車の中、「これが自由だーっ!」と叫びました(笑)。振り返ってみれば、体力的にはギリギリで、独立に役立つ人脈はできていたあの時が、決断のベストタイミングだった気がします。


更新日:2016/10/5
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康、阪巻正志、四宮義博、仲本 潤、町田里仁
アントレ2016.春号 「独立VS転職 私たちの決断」より
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堀越 建夫さん(51歳)
スタートライン/東京都葛飾区
印刷会社で営業を経験後、経営コンサルティング会社に10年勤務。その後、リサイクル会社に転職し、株式上場準備に従事。2014年9月に外資系の会員制コンシェルジュサービスの代理店として独立。旅行や飲食の予約代行、ギフト販売のほか、セミナー開催、各種専門家の紹介などを行う。

VOL.151
海外の会員制コンシェルジュサービスを扱う代理店

“自分の夢”と“家族の幸せ” 両方大事にするための独立を

時4歳だった娘が難病を発症したのは、勤め先が株式上場する直前の時期。準備に追われる中、毎晩、入院先を訪ね、病室で仕事を続けました。2カ月が過ぎる頃、社長から「仕事と娘とどっちが大事なんだ!」と迫られました。頭に来て「娘だ」と答えれば、「じゃあ辞めろ」と。もう引くに引けず、その場で会社を辞めることになりました。
すると、私の窮状を知った知人が、高収入で残業がない仕事を紹介してくれて。以前から、「次は転職でなく、独立したい」と思っていたのに、厚待遇にグラリときて1カ月ほど悩みましたね。目先の収入にとらわれて、自分の気持ちにフタをしていいのか。しかし、家族や住宅ローンのことを考えると不安は尽きない。そんな葛藤する日々の中、起業セミナーに参加したら、「ハワイにホテルを建てたい」という夢を思い出したんです。また、「夢に向かうことが家族を捨てることにはならない」という話も聞いて。“自分の夢”と“家族の幸せ”、どちらを取るか悩み続けていましたが、「両方大事にするための独立だってできるんだ」と思えましたね。
その後、独立に向けて勉強する中、現在手がけている外資系の会員制コンシェルジュサービスに出合った。可能性を感じ、海外の本拠地を訪問して直接交渉した結果、代理店をやらせてもらえることになりました。あのまま転職していたら自分の夢は消えていたはず。逃げずに、その不安をしっかり受け止めたことが、自分を動かす原動力になりました。


更新日:2016/9/14
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康、阪巻正志、四宮義博、仲本 潤、町田里仁
アントレ2016.冬号 「独立VS転職 私たちの決断」より
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竹井 美和さん(41歳)
LASIXOOL/東京都中央区
エステ会社に勤務後、派遣社員を経て、ITベンチャー企業に転職。その後、コンサルティング会社の立ち上げメンバーとなり、事務全般、マーケティング支援などに携わる。2015年8月に独立。「想いを利益に変える会社」を増やすことを目標に、ビジョン経営に導くコンサルティングを行う。

VOL.150
組織づくりと業務改善のコンサルティングで企業を支援

無難な道より、挑戦を選んだ。 今の自分の生き方に満足!

前職のコンサルティング会社には創業から携わり、社長の右腕を務めてきました。ある時、社員や取引先とのトラブルが立て続けに起き、組織運営を見直すことに。社長と2人であらためて経営を学び、人前に出ることが苦手だった自分もコンサルタントとしての活動を開始しました。無我夢中で会社のために走り続け、再び運営が安定する頃、私は40歳に。人生の折り返し地点で自分の今後を考えた結果、「もっと組織づくりの面から会社経営を支えたい」と。そんな想いを意識するうち、社長と意見がぶつかることが増え、やがて「目指すゴールは同じでも、その道のりが違う」と気づいてしまった。会社が大好きだった自分。だからこそ、お互いのために辞める決意をしました。
当初、転職も考えましたが、40歳という年齢の壁があるし、私の理想とする組織に出合えなければ、また辞めることになるだろうと。一方、コンサルタントとして独立するにも、仕事のアテはない。そこで、先輩経営者や友人に相談したら、みんなが「応援する」と言ってくれて。とても心強かったですね。考えてみれば、この先、働ける時間は長くない。自分の使命と夢に向かう新しい挑戦をしてもいいと思えたんです。
独立後は、会社をより良くしたいと願うお客さまと、同じ目標に向かうやりがいを感じています。食べていくことに不安や危機感はあっても、喜びも大変さも肌で感じるおかげで「生きていくこと」に向き合えた。無難に会社に残る道を選ばず、人生初の挑戦に向かう今の自分に満足しています。


更新日:2016/8/31
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康、阪巻正志、四宮義博、仲本 潤、町田里仁
アントレ2016.春号 「独立VS転職 私たちの決断」より
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川崎 大輔さん(40歳)
合同会社アセアンプラスコンサルティング/埼玉県新座市
旅行会社に勤務後、大手中古車販売会社の海外事業部で自動車アフタービジネス(中古車、整備など)の立ち上げを行う。その後、自動車金融会社を経て、2015年に独立。日系企業のアジア進出支援を行う。(独)中小企業基盤整備機構による創業支援施設「ビジネスト」に入居し、起業家コミュニティづくりにも注力。

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日系企業のアジア進出を支援する 日本とアジアの架け橋代行人

2度の転職で会社に失望。 “安定”というリスクもある

度目の転職先は組織が大きく、スピーディな事業判断ができない歯がゆさを感じました。2度目の転職活動をしながら独立も考えたけれど、具体的に何をすればいいのかわからない。幼い子ども2人を抱えて安定を手放すのはこわかったし、次こそ自由に仕事ができるだろうと、転職先に期待しました。
ところが、任された海外進出プロジェクトは1年で打ち切られ、赴任先のタイから帰国してみると仕事は何もなく、職場では「あの人、何しに来てるの?」という空気に。これはマズいと思い、日系企業のアジア視察ツアーを企画し、現地ビジネスについてのコラム連載も開始したら、それを見た企業からコンサルティングの依頼があったんです。さっそく事業化しようと動きましたが、会社は「業務外のことをするな」と。やっぱり、会社と自分の考えにはズレがあると痛感しましたね。
「今なら独立してもやっていけるんじゃないか」と思ったものの腹をくくれず、転職活動を進めても、どの会社とも考えが合わなかった。そこで、過去に自分のライフプランを書き出したノートを見返したら、「40歳で会社経営」という文字が目に飛び込んできました。私の父は40歳で起業し、61歳で亡くなりましたが、すでに自分も40歳。親父に追いつきたかったし、いつ死ぬかはわからない。自由を取るか、安定を取るか、自問自答の果てに、自由が1㎜だけ勝ったんです。妻に貯蓄をすべて渡し、「これがなくなったら皿洗いのバイトをするから挑戦させてほしい」と覚悟を伝えました。
独立後は、自分で何でも決定でき、スピーディに仕事を進められますし、毎朝、「生きてて良かった」と幸せを実感しています。会社員時代、給料は自動的に入るものだと思っていたけれど、今はお金の動く仕組み、稼ぐ方法を考えられるようになりました。会社を一歩出れば、見える景色は変わり、可能性も広がる。“安定”にはリスクもあると気づかされました。


更新日:2016/8/17
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康、阪巻正志、四宮義博、仲本 潤、町田里仁
アントレ2016.春号 「独立VS転職 私たちの決断」より
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成田 和正さん(32歳)
ナカラボ/東京都豊島区
デザイナー、エンジニアなどの仕事を経て、Tシャツ制作を行う会社に4年勤務。趣味の同人誌制作活動を並行し、会社を通じて同人誌仲間のグッズ制作も手がけた。2015年にフリーランスで独立。アニメのキャラクターを全面に入れたサイクルジャージ(痛ジャージ)などの制作を行う。

VOL.148
「痛ジャージ」をはじめとするアニメグッズを企画・制作

アニメオタクをついに公言! 人生はやりたいことをやるべき

わゆる「萌え」に目覚めたのは中学生の時。妹が見ていたアニメ番組の主人公に、何とも言えない恋のような気持ちを感じました(笑)。アニメ好きが高じて、同人誌制作の活動も始めましたが、オタクと思われたくなくて、人にはずっと言えなかった。それが変化したのは、同人誌のつながりでグッズ制作を請け負うようになってから。勤務先のTシャツ制作会社なら安くできると思ったのが始まりで、口コミで受注が増えるうち、これは会社の新規事業にできるぞと。けれど、組織はなかなか動かず、もう自分一人でやるほうが早いと思いました。
第一にあったのは、定収入を手放す不安。そこを解消するため、個人的な取引先を増やしながら、どの仕事がなくなっても大丈夫な売り上げが立つよう見通しをつけました。一人で仕事を請け負う不安は、スケジュール感をつかみ、安定供給できる仕事の流れをつくることで解消しました。最終的に、協業で一緒にグッズ制作をしたいと声をかけてくれた会社が現れ、これでいけると思えたんです。
もちろん、世間体を考えると、オタク文化を仕事にすることに抵抗はありました。けれど、準備を進めた2年間で状況は変わり、アニメもクール・ジャパンとして受け入れられるように。何より「自分はアニメが好きなんだから、隠さず堂々と仕事にしたい」と、ふつふつと感じましたね。人生は、やりたいことをやるべきです!
自分のつくったアニメジャージを着て自転車レースに出場する人がいることがうれしいし、不安なんて、それで吹き飛びますよ。


更新日:2016/8/17
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康、阪巻正志、四宮義博
アントレ2016.冬号 「いざ独立!私たちの第一歩」より
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谷貝 英之さん(37歳)
つむぐカフェ/東京都文京区
広告代理店で企画営業に従事した後、アパレル関係の副資材を扱う商社に勤務。体調を崩して休職した後、洋食コックの経験を持つ妻・茜さんと独立を決意。退職後の8カ月、店舗物件探しを続けた。12年、散歩の名所・谷根千エリアに、パングラタンを名物料理にした親子でくつろげるカフェを開業。

VOL.147
「これでいいのか」の答えは、最大の武器、“妻の料理”!

子連れ客大歓迎のカフェ。 料理も自慢の憩いの空間

社で営業をする中、定年後は元コックの妻と一緒にカフェでもやろうと話していました。それが早まったのは、体調を崩して休職したことで、会社に自己退職をにおわされたから。転職するか会社に残るか。悩んでいたら、妻は「戻っても状況は厳しいし、転職しても同じかも。それなら独立してみない?」と言ってくれました。とはいえ、当時は子どもが生まれたばかり。また、震災後の外食産業の状況にも希望は持てなかった。安定を手放す根拠がほしくて、一つひとつ自分なりに結論を出すことにしました。
 まず、「定収入があれば子どもは育てられるけれど、自分と妻は不自由。独立は自由になれるけれど、必死で働かねば稼げない」と何度も条件を天秤にかけ、人生を豊かにできるのは独立だという結論に。また、自分の持つ資源の中では、洋食のコックだった妻の料理が最大の武器であり、それを生かすには飲食店しかないと。僕は広告代理店で販促企画に従事した経験があるので、力を合わせればやれると考えた。さらに、2人とも散策やインテリア、音楽が好きで、親子でもくつろげる店がつくりたかったことを考えると、すべて表現できるのはカフェでした。
 「本当にこれでいいのか」と不安になる時があっても、二人で結論を出してきたから、それでいいと思えましたね。経営が軌道に乗るまで1年半かかりましたが、あの時、決断しなかったら、ストレスでダウンしていたかも。それに、定年まで待っていたら今の店はつくれなかったと思うんです。


更新日:2016/8/3
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康、阪巻正志、四宮義博
アントレ2016.冬号 「いざ独立!私たちの第一歩」より
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﨑山 博教さん(41歳)
ザック国際特許事務所/大阪市淀川区
化学メーカーで研究開発職を1年経験。家業の表具店を継ごうと考え退職後、特許事務所に12年勤務。仕事の面白さに目覚め、独立に向けて弁理士資格取得へ。7回の不合格を経て合格。13年に独立。現在、大阪・東京に2拠点を構え、スタッフ5名を擁し、「開業5年以内にスタッフ30名」を目指す。

VOL.146
技術者出身の知識を生かした特許や商標登録申請の代理人

7回落ちた不安と焦り。 手放したことで開眼!「本質がわかる弁理士」に

許申請の代理人。それが弁理士ですが、年に1度の資格試験の合格率は、わずか数パーセント! 実は私、この資格試験に7回も落ち続けました(笑)。
 技術者出身ながら、文章を書くのが好き。人に勧められて特許申請事務所で働いてみたら、知識と文章力が必要な仕事は、天職のごとく楽しかった。世に発表されていない新技術に触れ、ワクワクする日々を味わい、「資格を取って独立しよう」と決めました。
 最初の3年は独学で挑戦し、それじゃ無理だと気付いてから、資格学校に通い、明けても暮れても勉強の日々。独立したくてしょうがないのに、受けても受けても受からない。焦るほどに成績も落ち、7年目を迎えた年、「もう、やってられへんわ」と(笑)。そこで、ギリギリまで一切勉強せず、自分を追い込む決意をしました。
 これが功を奏し、翌年、8回目の挑戦でついに合格! 思えば、長年の間に、資格取得が目的になっていて、独立して何をするのかを一切考えていなかった。論述試験でも、ありったけの知識を書き込んだだけ。つまり、特許申請で一番重要であるはずの、「技術の特徴」を端的に伝えることができていなかった。勉強から距離を置いたことで、その本質に立ち返り、合格できたんだと思います。
 特許申請は、一度出願したら内容を変更できません。発明者の権利を守るのは自分の文章であり、その技術が生きるも死ぬも、本質を伝えられるかどうかにかかっています。責任ある仕事に携わる今、大きなやりがいを感じます。


更新日:2016/7/20
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康、阪巻正志、四宮義博
アントレ2016.冬号 「いざ独立!私たちの第一歩」より
雇われない生き方img_vol.145

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岡田 憲さん(42歳)
GSSコンサルティング㈱/川崎市宮前区
アパレルメーカーに13年勤務。営業、企画開発、生産管理、収益管理など、業務全般を幅広く経験。2008年、中小企業診断士の資格取得。10年に独立。商品開発や営業戦略のコンサルティングから経営・人材育成の研修講師、行政機関の専門家相談、衣料品製造代行事業まで幅広く手がける。

VOL.145
中小企業診断士としてコンサルタント、講師業で活躍

「できるか」より、「やるのか」。 腹を決め、見上げた空は青かった

パレルの仕事には満足していましたが、30歳目前、商社や銀行で働く友人の活躍ぶりを見て、「自分はこのままでいいのか」と自問してしまった。35歳までに転職か独立したいと考え、まずは中小企業診断士の資格取得を目指しました。
 資格取得した4年後。今度は、人脈もノウハウもないまま独立して食べていけるのかと悩んだ。コンサルティング会社への転職活動もしましたがうまくいかず、目の前の仕事にも集中できず、中途半端な自分にどんよりするだけ。
 そんな中、中小企業診断士の集まる研究会に参加し、セミナー講師に2、3年後には独立したいと話したら、「その様子では独立しないだろう」と言われて。腹が立ったけれど、自分を見つめ直したら、独立するのがこわくて逃げ道を探しているだけなんだと気付きました。それでも決断できず、父に独立のことを話したら「やってみろ」と。ここに来てようやく、「できるのか」より、「やるか、やらないか」だと腹が決まった。後日、辞表を出した帰り道は、空がやたら青く見えました(笑)。
 独立後は、士業の交流会などにドンドン顔を出し、仕事があると聞けば、どんな小さなものでも真っ先に手を挙げました。目の前の仕事に真剣に取り組むうちに、次の仕事につながり、期待にこたえる喜びを実感中! 先が見えない未来も、進んでいく中、少しずつ形が見えてくるものですよ。  あの頃の僕は「青い鳥症候群」でした。踏み出すのがこわくて、自分の可能性をただ探し続けていただけなんです。


更新日:2016/7/6
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康、阪巻正志、四宮義博
アントレ2016.冬号 「いざ独立!私たちの第一歩」より
雇われない生き方img_vol.144

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玉木 洋平さん(39歳)
Drole Drole/東京都渋谷区
大手エクステリアメーカー勤務を経て、OEM事業を手がけるアパレルメーカーに10年勤務。オリジナルストールのブランド、ドローレ・ドローレを立ち上げる。2014年、ブランドを譲り受けて独立。主に百貨店の催事スペースで販売展開し、デザイン性と完全日本製の高品質で注目を集める。

VOL.144
オリジナルストールの企画・販売。百貨店の催事で注目のブランドに

会社にしがみつくより、 カッコいい親父になろうと決めた

時、3人の子どもたちの年齢は5歳を頭に、3歳と0歳。しがみついてでも会社を辞めたくないと思っていましたね。
 10年勤めたアパレル会社は、社長と二人三脚でやってきました。震災後の不況で業績が落ち、必死で立て直そうとしてオリジナルストールのブランドも立ち上げた。けれど、軌道には乗らず、ほかの事業もジリ貧状態。「自分の給料を下げていいから、可能性のあるこのブランドに注力したい」と説得し、半年間で売り上げを伸ばしました。でも、業績は赤字で、社長は再び薄利多売の商売に方針を変えた。ビジョンのずれに「もう辞めるしかないのか……」と。
 自分が辞めれば社長の負担も減る。でも、独立したら何の保証もないし、実際、同じ業界で独立して失敗した人も見てきました。最初は頑張れても、子どもたちに満足のいく未来を与えられるのか。めまいがするほど不安になっていたら、妻が「遅かれ早かれ独立するんじゃない?」と言うんです。考えたら、ブランドを引き継いで自分のビジョンを実現するチャンス。子どもたちにも、会社にしがみつくより、喜びとやりがいを感じながら仕事する父の姿に、誇りと希望を感じてほしい。「カッコいい親父になろう」と決めました。
 独立後、自ら百貨店の売り場に立ち、ひたすら接客し続けて結果を出しました。どれだけ頑張ってるかって、開店を知らせる音楽が流れると、日本代表戦に臨むくらい熱い気持ちになるほど(笑)。「全力プレー」。この本気さでブランドを成長させていきます。


更新日:2016/6/22
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康、阪巻正志、四宮義博
アントレ2016.冬号 「いざ独立!私たちの第一歩」より
雇われない生き方img_vol.143

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石村 真紀子さん(55歳)
NPO法人みんなのおうちバンビのピエノ/川崎市麻生区
保育士を経て、専業主婦に。その後、幼児教室の保育士、自治体の学童保育施設のパートタイム指導員を経験。2008年、NPO法人を設立。市の助成金を受け、9年、英語、算数・国語、書道、絵画の習い事もできる学童保育で開業。現在の利用生徒数は約70名、スタッフは10名に。

VOL.143
習い事もできる学童保育で有意義な時間を過ごす場を

「あれよという間に助成金申請。 不安は走りながら解消できる

ートタイムで学童保育の指導員をしていた頃、ただ時をやり過ごす子どもたちを見て、「勉強や習い事もできるような、有意義な時間を過ごせる場をつくれたら」と思っていました。きっかけは、妹から「子どもを遅くまであずかってくれる学童保育が見つからないから、ぜひやってほしい」と言われたことから。
 まさか私が?でも、自分の思い描いていた学童保育ができるかもしれない。興味本位で市の起業塾に行ったら、偶然、知人の親御さんが参加していて、「絶対にやったほうがいい」と、NPO法人を立ち上げて市の助成金を受ける方法まで教えてくれました。
 すっかりその気になった私を、待っていたのは夫の反対でした。当時、私の住む町では、1つの小学校に1施設の無料学童保育を併設していたので、「わざわざお金を払う人はいない」と。さらに、子どもをあずかる全責任を持てるのかと問われ、一気に不安になりました。それでも、保育士仲間や幼児教育の先生などに話をするうち、一緒にやってくれるという人が2人も現れたんです。
 利用したいという親御さんも多く、起業塾の先生たちも応援してくれました。もう引くに引けず、あれよという間に申請手続きを進めることに。夫も私の本気をわかってくれましたが、開設の前夜まで、後戻りできない不安でろくに眠れなかった。でも、初日に子どもたちの顔を見た瞬間、「これからはこの子たちのために頑張るんだ」と希望にあふれました!
不安があっても、走りながら解消すればきっと何とかなります。

更新日:2016/6/10
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康、阪巻正志、四宮義博
アントレ2016.冬号 「いざ独立!私たちの第一歩」より
雇われない生き方img_vol.142

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小林 俊広さん(44歳)
㈱クリエイティブ・アセット・カンパニー/東京都港区
金融・不動産開発を手がける大手企業に17年勤務。不動産の鑑定、開発、運用、仲介に携わる。2010年、MBA(経営学修士)ビジネススクールに通い、14年に卒業。15年、独立。「社会問題を不動産で解決する」をコンセプトに、消費者目線のわかりやすさを大切にする不動産コンサルタントとして活躍。

VOL.142
消費者目線でのわかりやすい不動産コンサルティングを行う

「独立準備」は完璧じゃなくていい。 MBAとアパート経営で好機つかむ

社を辞めること自体が大きなハードルでした。なかでも、家族を養っていけるのか、お金を回す仕組みをつくれるのかが、最大の不安でしたね。 リーマンショックの影響で会社の業績が低迷し、失敗したプロジェクトの後始末ばかりをさせられたことが独立の転機になりました。
 誰からも評価されない仕事に虚しさを味わう日々に、「会社でどんなに頑張っても、結局は歯車なのだ」と痛感。ならば、自分の能力を磨こうと、MBAを取得するため、ビジネススクールに通うことにしたんです。
 それまでは会社をポンと辞めて起業する先輩を見ても、自分には関係ないと思っていました。でも、ここで経営判断能力を身につけたことが大きな自信になり、「起業したっていいんじゃないか」と思えるようになりましたね。
 長年培った不動産業の知見を生かせば、人の役に立つ仕事ができると思えたし、目の前の人に感謝されるやりがいを味わいたかったんです。私が考えたのは、アレルギー体質だった自分の経験を生かし、自然素材の住宅を提供するビジネスでした。
 ところが、実現に向けて通った起業塾では明確な評価を得られず、またも不安に。それでも、会社を辞めたい気持ちは止められませんでした。
「どストライクの正解じゃなくても、お金が回る仕組みがあれば飛び出したっていいじゃないか」と。
 以前から起業の不安を解消する方法として、アパート経営で収入を得ようと考えていたので、自然素材を使って一から自分で建てれば、コンセプト商品もできて一石二鳥! これなら一歩を踏み出せると思えましたね。
 現在は、土地活用やマイホーム取得などの不動産コンサルティングを手がけています。食べていけるだけの2本柱をつくれたのは、自分で経験し、そこで感じた意義を伝えたいと思えたからこそ。「社会問題を不動産で解決する」という大きな目標もでき、やりがいもさらに大きくなりました。
 「100%完璧だ」と思える独立準備はないと思います。私自身も、そこまで待っていたらチャンスを逃していたかもしれませんね。不完全な部分があっても、ほかの手段で補うことでクリアできると実感しています。

更新日:2016/6/1
取材・文/上野真理子 撮影/刑部友康、阪巻正志、四宮義博
アントレ2016.冬号 「いざ独立!私たちの第一歩」より

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