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デスクワークも畑仕事もすべてが本業!スーパーサラリーマンに聞く3社で「複業」するコツ【前編】

2017年3月6日

政府の正社員の副業推進に伴い、大手企業が続々と副業を解禁するなど、話題が尽きない「副業」。独立や起業を目指す方にとっては、会社員をしながらその前段階として

「まずは副業から始めたい」という方も多いのではないでしょうか?

そこで今回お話を伺ったのは、現在3社で副業ならぬ「複業」をしているというサイボウズ株式会社の中村龍太さん。

前編では、なぜ3社で「複業」をするようになったのか、複業をする上で必要なスキルやコツなどをお聞きしました。

3社すべてが本業?「複業」という新たな選択肢

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―3社で副業をされているということですが、それぞれの会社でどのような仕事をしているのでしょうか。

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中村龍太さん(以下、龍太さん)
始めに言っておかなければならないのですが、私は「副業」をしているという感覚はありません。

というのも、現在3社に所属して働いていますが、私はすべて「本業」として仕事をしているので、どの会社がメインでどの会社がサブ、という認識はあまりないんです。

複数の会社で働いているという意味で「複業」をしていると言ったほうがいいかもしれません。

―すべての仕事が「本業」なのであれば、”副業”という表現は少し異なりますね。

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龍太さん
そうですね、それを踏まえて3社での業務内容を簡単にご紹介させていただきます。

まず1社目が、東京都中央区にある「サイボウズ」です。火・水・木・金、週4日間オフィスにおります。

仕事内容は大きく2つありまして、1つが「kintone(キントーン)」という自社クラウドサービスの新たな利用用途の開発。そしてもう1つが「チームワークメソッド」という社内の研修プログラムを外部に提供・継続するための事業化をしています。

2社目がITコンサルタントの「ダンクソフト」です。こちらの会社では徳島県神山町というところにサテライトオフィスがありまして、週1回、月曜日出社しています。

そこでは広報チームとして、ダンクソフトが持ついろいろな価値みたいなものを世の中に広げる、といった仕事をしています。

そして3社目が「NKアグリ」。こちらは和歌山県和歌山市にある農業関係の会社で、土・日を中心に自宅の圃場の千葉県印西市で仕事をしています。主に「リコピン人参」という珍しい種類の野菜を作っています。

また、作って売るだけでなく、リコピン人参やNKアグリを広めるための仕事もしています。

―デスクワークから畑仕事まで龍太さんのお仕事は多岐にわたっていますが、そもそもなぜこの3社で仕事をしようと思ったのでしょうか?

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龍太さん
3社で仕事がしたい、というよりはやりたい仕事をしていったら現在のようになった、という感じですね。

順を追って説明すると、まずサイボウズに入ったのは、前職時代にサイボウズの代表の青野さんに誘われたことがきっかけです。ただ、サイボウズに転職すると前職の給与から金額がガクンと下がってしまうなあと。

当時私には大学生のこどもが2人いたものですから、正直収入を下げたくなかったんです(笑)。

そんなとき、前職の営業先だったダンクソフトの社長に話をして「サイボウズからこんな話があるんですけど、雇ってもらえませんか?」とお願いしてみたらそれが叶って。2013年10月にサイボウズとダンクソフトに2社同時転職、という形になったんです。

―普通転職ってA社からB社へ行くものだと思うんですが、龍太さんの場合、A社からB社とC社に行ってしまったというわけですね、すごいです…!

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龍太さん
ははは、そう言われれば珍しいかもしれませんね(笑)。それからNKアグリとの出合いなんですが、これは2社に転職後ですね。

私が自宅の前で農家をやっていることから、前職との繋がりでNKアグリの社長の三原さんとたまたま一緒に飲むことがありまして。そこからNKアグリでサイボウズのサービスが使われることになったんです。

―最初はお客さんだったんですね、サイボウズの。

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龍太さん
はい。そうして付き合っていくうちにNKアグリから「人参を提携農家さんと作りたい」という話と「センサーを使って収穫時期を予測したい」という話が出てきたんです。

それなら私が自分で人参を作って、自分でサイボウズの製品で収穫時期を予測してしまえば、2つの会社にシナジーが生まれるなと思ったんです。そして三原さんに「提携農家として契約してもらえませんか?」とお願いしてみたんです。

3社複業でも圧倒的パフォーマンスを出すコツは、「引き裂かれない働き方」をすること

Success Improvement Celebration Winning Excellence Concept
―そんなパワフルな中村さんですが、一体どのようにして3社での複業を成り立たせているのでしょうか?すべての仕事を円滑に回すためのスケジュールの組み方や、何かコツのようなものがあれば教えていただけますか?

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龍太さん
コツはいくつかあるのですが、まずはスケジュール感というところから話してみましょう。

先程勤めている3社の概要でも申し上げましたが、月曜日にダンクソフト、火・水・木・金にサイボウズ、土・日にNKアグリという1週間のスケジュールの組み方をしています。

ただし、常にそのスケジュールで動いているかというとそうでもありません。たとえば月曜日、ダンクソフトで仕事をしている時にサイボウズの仕事をまったくしないわけではありません。

いろんな相談や調整が入ったりするとその都度対応するようにしています。今はこれだけITのツールが発達していますし、そのツールを上手に使いつつ、それぞれの仕事の重要度や緊急度に合わせて、別の仕事をすることももちろんあります。

ちょうど今でいうところの、LINEのグループチャットに複数参加していて、場面に応じて必要な返信をするといったような、そんな感覚に近いかもしれませんね。

―曜日でどこの会社に行くかという大まかな切り分けはありながらも、状況に応じて他の会社の仕事もしている、というわけですね。

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龍太さん
そうですね。もっというと、この曜日のスケジュールが変則的に動くこともありますよ。

たとえばダンクソフトで大きな仕事があるときは、火・水・木・金でもサイボウズに行かずに徳島にあるダンクソフトのサテライトオフィスに足を運んだり、リコピン人参の収穫期などはサイボウズとダンクソフトの予定をキャンセルして収穫に専念したり。

―そこまで融通がきくんですね…!現在の社会通念的に「副業があるので、今日は出社しません」というのはなかなか難しいように感じますが…。

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龍太さん
だから「複業」なんですよ。本業と副業というメインとサブの関係ではなく、私の場合はすべてが本業なので。

―そこまで自由に自分の裁量で働けるようになった背景には、それぞれの会社の経営陣に説得したのでしょうか?

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龍太さん
説得はしてないですが、自分の裁量で働くにあたって気をつけているポイントがあります。それは「自分が仕事しやすい環境」を自分で作ってしまうこと。

私の場合、サイボウズとダンクソフトに同時転職するというちょっと変わった経緯もありますが、その際にサイボウズ代表・青野さんとダンクソフト代表の星野さんと私で一度話し合う場所を設けたんです。

サイボウズではこんな仕事を、ダンクソフトではこんな仕事をするといったように、複業を始める段階でそれぞれの仕事内容をきちんと両社に伝えました。

また、複業生活が始まってからも「今はサイボウズでこんな仕事が入っています」「急ぎの仕事があるのでダンクソフトのオフィスに向かっています」といったように、逐次各社のメンバーには自分が何をしているのかを共有しています。

いずれもそれぞれの会社の守秘義務に関わるようなことはもちろんいえませんが、ある程度オープンにできるものはきちんと公開することで信頼関係を構築することができます。

Networking communication Connection Share Ideas Concept

―なるほど、複業を両立させるには情報をできる限りオープンにして、信頼関係を築くことが大切なんですね。ほかに意識していることはありますか?

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龍太さん
「1つの会社の仕事が、他の2社の成果物になること」です。

たとえば、用途開発をしているサイボウズの仕事とリコピン人参を作るNKアグリの仕事には一見接点がなさそうですが、収穫時期を予測するためのセンサーの開発など、ITは農業において大きな力を発揮します。

農業を専門としているNKアグリという会社に、ITを専門としているサイボウズの社員がいれば、どちらの会社にとっても大きなメリットになるのです。

NKアグリとサイボウズ、ダンクソフトにはそれぞれの強みと課題があります。ある会社の強みがある会社の課題にフィットすれば相互にとってメリットになり、新たなシナジーが生まれると思っています。

―龍太さんのお話を聞いていると、それぞれの会社のお仕事がうまくつながっているように感じます。自分がどこでどんな仕事をしているのかをオープンにして、それぞれが有機的につながっているというか。そこにメイン・サブの関係ではない、「複業」の可能性を感じました。

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龍太さん
そうですね。普通の「副業」だと昼間に本業のA社を、定時で上がって副業のB社で夜な夜な仕事、みたいなパターンが多いんじゃないかなと思います。それだと仕事量が増えるだけでつらい。

そうではなく私が現在やっている複業は、「引き裂かれない働き方」。お互いに相乗効果が生まれるようにすべての仕事が有機的に繋がっていれば、私にとっては仕事量が増えるというよりも、3社でひとつの仕事をしているという感覚で働くことができます。何よりやっていてとても楽しいですね。

―「引き裂かれない働き方」を実践する龍太さんは、とても楽しそうに自分の仕事についてお話していました。そして後編では「自分のやりたいことが見つからない人」そして「現状からなかなか動けない人」に向けた、龍太さんの見解とアドバイスをお伝えします。

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2018年11月19日

大人になれば誰しも1つは持っているお財布。

お金との付き合い方は人それぞれなように、お財布との付き合い方も人によって異なる。デザインや容量など、特徴の異なる一品を持っている人もいるだろう。

私事ではあるが、筆者はm+(エムピウ)というブランドの「ミッレフォッリエ」という財布を使っている。

これは小銭、お札、カードがコンパクトにまとめられる財布。気づけば10年ほどの付き合いで、現在は同じモデルの2代目を使用中だ。

ミッレフォッリエは根強いファンの多い財布で、同じモデルを使い続ける人が多く、発売から14年が経った今でも、月に800個は出荷されるという。

このお財布を生み出したエムピウの代表・村上雄一郎さんは、元・建築士という異色のキャリアの持ち主。彼は、一級建築士から革製品のデザイナーへと、どのように転身を果たしたのだろうか?

<プロフィール>
村上雄一郎さん

バッグ/革小物デザイナー。建築事務所に勤務していたが、素材としての革に興味を持ちバッグ・革小物のデザインを開始し、2001年「m+」(エムピウ)をスタート。設立から4年後、創業支援施設台東デザイナーズビレッジに1期生として入居。
台東区での業務の利便性を感じ、蔵前に拠点を構える。

遊ぶものは自給自足、ものづくりの楽しさを学んだ幼少期

− まずは村上さんが建築士になるまでをお聞きしたいです。建築士と革製品のデザイナーはプロダクトを生み出すという点で共通していますよね。ものづくりは昔からお好きだったのですか?

村上雄一郎さん(以下、村上さん)
幼少時代から好きでしたね。田舎に生まれて遊ぶものがないから、自分で作るのが当たり前だったの。拾ってきた真鍮を磨いてピカピカにしたり、木片で工作をしたり、手を動かして結果が現れるのが楽しかった。そうするうちにものづくりが好きになってしまったんだよね。

建築の道に進んだのも作ることに興味があったから。大学で建築を学んで、そのまま設計事務所に入ったんです。

− 事務所ではどのようなお仕事をされていたのですか?

村上さん
就職した事務所は建物だけじゃなく、都市計画やマップ、時には建物のなかで使う家具など、幅広く空間をデザインしている場所でした。

当時は幅広く様々な分野のアシスタントとして働いて、3年目から建築設計に携わりましたね。建築設計はよくドラマとかで出てくる、図面や模型を作る仕事です。でも、僕はその仕事に違和感を抱いてしまったんです。

「ものづくりがしたかったのに」という思いで始めた革工芸

− なぜ違和感を抱いてしまったのでしょうか?

村上さん
端的に言うと、ものづくりに関われなかったから。その事務所では、僕たちは設計とディレクション、施工は職人さんに分業されていて、現場と接する時間が少なかった。

ものづくりがしたいと思って建築業界に入ったのに、作る現場に携われないから「なんか違うな」と思うわけです。

自分は施工の現場を知らないのに、クライアントには図面や模型を前にして、「素材はこれがいいですよ」とか、まるで自分の目で見てきたようにプレゼンしないといけない。家も建物も一生の買い物ですよね。そういう性質のものを、想像だけで提案してしまうのが怖かったんです。

− そのモヤモヤが革製品を手がけるきっかけになったのでしょうか?

村上さん
その通り。ものづくりがしたいなら自分の手を動かせばいいんだと思って、革工芸を始めたんですよ。

− なぜ革だったのでしょうか? 木とか鉄とか、素材は色々ありますよね?

村上さん
革は手軽にできるんです。たとえば家具を作ろうとしたら、広い工房が必要でしょ? 機材もいるし、音が出るから都心では難しい。革なら大きな機械はいらないし、音も出ない。当時は設計事務所の仕事終わりに車のなかでコツコツ製作してましたね。

− それをお仕事にしようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

村上さん
事務所の先輩に見せたことかな。作ったものは誰かに見てもらいたいじゃない。だから設計事務所の先輩を捕まえて、完成した小物を見せていたんです。

そうしたら褒められて。クリエイターはものを見る目がありますよね? そんな人に褒められたのが嬉しくってね。

作っては見せ、作っては見せを繰り返していたら、「お前こっちの方が向いてるんじゃないか? やるならイタリアの工房で修行して箔つけてこい!」って言われてその気になっちゃいました(笑)。

− いよいよエムピウが生まれるお話が聞けそうです。ちなみにその時、ご結婚はされていました? 奥さんがいると、説得も必要ですよね?

村上さん
結婚は建築事務所時代にしていました。イタリア行きはカミさんに黙って行くわけにもいかないので、相談したら「行ってらっしゃい」とお許しが出て。それで事務所を退職し、家族を日本に残してフィレンツェの職業訓練校に入学することにしたんです。

イタリア修行とエムピウの誕生、帰国直後は二足のわらじを履いていた

− イタリアに修行に出かけた村上さんですが、イタリア語は話せたのでしょうか?

村上さん
イタリア語どころか英語も話せなかったね。でも革工芸の基礎的なことは日本で一通り学んで行ったから、実技は見ていれば分かる。だから困ることはなかったかな。

職業訓練校を卒業した後は、イタリアの代表的な革ブランド「ベネトン」の工房に入ることができて、そこで1年間修行することができました。

1年経つと、今度は別の工房から引き抜きの話が来たんです。技術にも自信を持ち始めていたし、いよいよ日本にいる家族をイタリアに呼べると思っていたんだけれど、カミさんに相談したら「そろそろ戻ってらっしゃい」と言われちゃって。カミさんには逆らえませんよね、それで日本に帰国したんです。

− 志半ばという感じでしょうか?

村上さん
そうでもないんだけどね。でも、革のデザインを仕事にしたいという思いはあって。帰国後はすぐにでも自分のブランドを立ち上げたかったんだけど、家庭もあるし、取引先もなかったから、設計事務所に戻って建築士と革デザイナーを掛け持ちしてたの。

当時は革製品のメーカーから委託でデザインを請け負っていたりしてた。そのなかで、クライアントと打ち合わせをしたり、製品を作って卸したり、ブランドを運営するうえで一連の流れは勉強できたんだけど、やっぱり自分の作りたいものを手がけたい気持ちが強くなってきて。

自分のブランドが必要だと思って2001年にエムピウを設立したんです。

− エムピウとして最初のお仕事はどのようなものだったのでしょうか?

村上さん
最初に発注してくれたのは、銀座にある文具専門店でしたね。
製図用のA3サイズのバッグを作って提案したら置かせてもらえるようになった。でもそのバッグは5万円したから、全然売れなくってね(笑)。

色んなところに売り込みをかけながら製作を続けていたんだけれど、2004年には活動の幅を広げようと思って、台東区にあるファッションやデザインの創業支援施設「デザイナーズビレッジ」の第1期生に応募してみた。

無事選出されて、エムピウ1本で活動できるようになって、財布やペンケース、キーケースなどを、デパートの催事場などに置かせてもらって売り込みをかけていたんです。

看板商品ミッレフォッリエ、ヒットのきっかけは新聞記事だった

− ところで、看板商品の「ミッレフォッリエ」はいつ頃生まれたんですか? 今日はそのお話も聞きたくって!

村上さん
2004年にはもう販売していたね。ミッレフォッリエは発売して14年経つけれど、いまだに月間800個は出荷されていく。エムピウが続いているのもこの財布のおかげですよ。

− 根強いファンが多いお財布ですけれど、看板商品になるまでにはどのような経緯があったのでしょうか?

村上さん
ヒットは新聞記事がきっかけでしたね。松屋百貨店の催事場でミッレフォッリエを見た新聞記者がコラム枠で紹介してくれて、電話やFAXで問い合わせがじゃんじゃん来たの。それから先は口コミでファンが増えていったんです。

その時は、メディアの力ってすごいなと思いましたね。狙ってやったわけではないんだけど、人の目に触れさせることって大事なんだなと。

ミッレフォッリエはその後、パクリ製品が出るくらい人気になりました。お客さんから「パクられてますよ!」ってお怒りの電話がかかってくるんですよ(笑)。心境は複雑だったけれど、それだけお客さんから愛されているのは嬉しかったですね。

− 村上さんは蔵前に工房とショップを構えていますけど、お店はいつごろ構えられたんですか?

村上さん
2006年のことだったね。店はデザイナーズビレッジを卒業するときに事務所兼ショールームが必要になって構えたの。製品が売れるようになったら大家さんが2階も貸してくれるようになって、1階がショップ、2階が工房兼事務所という現在の形になりました。

承継は考えていない、エムピウは僕一代のブランドです

− エムピウは、財布以外にキーケースやペンケース、バッグなども手がけていますよね。これらの製品はどのようにデザインされているのでしょうか?

村上さん
うーん、ものによって様々だけど、基本的には自分が必要なもの、欲しいと思うものをデザインしてます。「デザインを考えてくれませんか?」という依頼もないことはないんだけど、納期を決められちゃうと嫌なんです。自分が興味関心を感じられるものじゃないと作れない。

製品が生まれるまではだいたい生みの苦しみがあるんだよね。うんうん唸って、長いこと悩んで。でも、生まれる瞬間は、頭に寝かせておいたアイデアや構造が組み合わさって腑に落ちるんです。「おっ! これだっ!」ってね。

村上さん
それをスケッチに落とし込んで、試作品を作って、あとは微調整かな。「うーん、ここのアールが違うな」とか(笑)。楽しいですよ。

− そんな風に作られているんですね。これだけ評判になると、ブランドは村上さん1人では運営しきれないですよね? 全国にお取引先もあると思いますし、組織としてはどのようにされているのでしょうか?

村上さん
言っても小さなチームですよ。営業はいないし、店舗の運営と受発注の作業だけスタッフに手伝ってもらっています。生産は工場に委託しているので、僕は工房でデザインしたり、お取引先や工場と打ち合わせをしたりすることが多いですね。

− 最後に、これからのエムピウについてお聞きしたいです。事業は軌道に乗っていますが、誰かに受け継いだりなどは考えていませんか?

村上さん
実はあまり考えていないんです。「m+(エムピウ)」は、村上の「m」と、使う人を表す「+」を合わせた名前。だから、僕がいなくなったら違う名前にするべきだと思っている。他の人が考えたデザインに「エムピウの商品です」って言うのも嫌だしね(笑)。

ブランドとしてはミッレフォッリエに負けない看板商品をもうひとつ生み出したいと思っています。色々試行錯誤はしているんだけれど、これを超えるものはなかなか生まれなくって。だから当面の目標はそこですね。

<インタビュー終わり>

このインタビューのなかで、「エムピウは僕一代のブランドです」という言葉が印象に残った。

なにか事業を始めて、それが軌道に乗ると、事業承継は考えずにはいられない問題だ。けれど村上さんはきっぱりと「承継は考えていません」と話してくれた。きっとその決定は、デザイナーであり職人である自分を大切にしたから生まれたものなのだろう。

仕事は大切なものだけれど、なぜ自分がその仕事をしたいのかは無視できないもの。
独立する前には一度立ち止まって、ゆっくりと考えてみたい。

M+(エムピウ)
住所:東京都台東区蔵前3−4−5
URL:http://m-piu.com/

<執筆・撮影:鈴木雅矩>

2018年11月16日

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独立開業を検討したら、まずは情報収集から始める方が多いと思います。
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2018年11月15日

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