17歳、高校2年生。
皆さんが17歳、高校2年生だった時、どんな学生生活を送っていましたか?
部活に精を出していた人、アルバイトをしていた人、友達と遊んでいた人、進路について悩んでいた人、早くから大学受験を考えて勉強をしていた人。
きっとそれぞれの懐かしい思い出があったと思います。
今回お話を伺ったのは、「株式会社ノーブル・エイペックス」の代表取締役社長・大関綾さん。彼女は17歳・高校2年生の時に、起業をしました。
「女子高生社長」として早くからメディアに注目されてきた大関さん。アパレル業からPR・マーケティング業への転身、自分より年上しかいないビジネスの世界の中で生き抜いてきた処世術、女性経営者ならではの苦悩、そして成功―。
起業してから決して平坦な道のりではなかった8年間。その軌跡をお聞きしました。
大関綾2010年に株式会社ノーブル・エイペックスを設立し代表取締役社長。中学3年(14歳)で神奈川ビジネスオーディションに出場し、来場者賞と月刊アントレ賞を受賞し出場最年少記録を樹立(14歳7カ月)。2010年1月、当時高校2年生(17歳)で株式会社ノーブル・エイペックスを設立し代表取締役社長に就任。
「誰かの元に就職するつもりがなかったから、大学を辞めました。」こどもの頃から身近にあった”経営”という選択肢
―17歳、高校2年生の時に起業をされた大関さん。今でこそ「女子高生で起業」している方もいらっしゃいますが、8年前の2009年にはまだそこまで多くなかったと思います。なぜ起業しようと思ったのでしょうか?
親戚が会社を経営していました。小学生の頃から親戚の会社へよく遊びに行っていたのですが、遊んでいる内にだんだんちょっとしたお手伝いをするようになっていったんです。
当時からPCやPhotoshop、Illustratorなどをいじるのが好きだったので、画像加工や画像編集などを小学生ながら手伝っていたんです。
今振り返ると、その頃から「会社で働く経験」そして「会社を経営する」ことを間近で見ていました。
「なんで高校生の時に起業したんですか?」と、よく聞かれるんですが、おそらく私は普通の高校生よりもたまたま「会社」や「経営」との距離が近かったんです。
中学生の頃から本格的に起業したいと思うようになり、高校生になって実際に起業をしてみたんです。
―育った環境が、大関さんに「起業」という選択肢を与えたんですね。ちなみに起業した時に、親御さんや高校の友人に相談したりしたんですか?
親には相談しました。最初は母親に反対されていたんですが、なんとかそこを押し切って(笑)。だから、起業した当初に周りにいたのは、ほとんど親族でした。会社を経営していた親戚に会長になってもらい、母親に経理をお願いしていました。
―反対していたお母様にも手伝ってもらっていたんですね。
はい(笑)。高校の友達にはほとんど相談していないですね。だからみんな私が起業していることは知らなかったんじゃないかなと思います。
ちなみに高校にはちゃんと毎日通って、仕事は放課後と土日にやっていました。
高校時代はずっと帰宅部でしたし、学校の時間以外は仕事をしていたので、今思い返せばものすごく付き合いの悪い子だったと思います(笑)。
―なるほど、高校卒業後は大学に進学したんですか?
はい。ですが、入学してすぐにやめてしまいました。というのも、必修の科目や教養科目など、1年次で取らなければいけない単位がたくさんありすぎて、全然仕事ができなくなってしまって。
当時はアパレル事業をやっていたのですが、百貨店に自社商品を販売する結構大事な段階だったんですよ。タイミング的にも仕事を優先させたかったんです。
―せっかく受験をして入学金や授業料も払ったでしょうに、なんだかもったいない気もするのですが…。
たしかに当時は私もそう思ってました(笑)。キャリアの選択において「大学を卒業したら就職する」という道を選ぶのだとしたら、たしかに大学できちんと勉強して卒業していた方が有利なのかもしれません。
ですが私の場合、ずっと自分で事業をやって仕事をしていくつもりだったので、正直大学の勉強よりも目の前の仕事でキャリアを積むほうが大切だなと思ったんです。
大学はまた勉強しなおせばいつでも入れるけど、目の前の仕事は待ってはくれない。
だから私は仕事を選びました。