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伝統だけでは未来を創れない。笛木醤油十二代目が挑む、新しい時代の醤油作り

伝統だけでは未来を創れない。笛木醤油十二代目が挑む、新しい時代の醤油作り

伝統。

特に歴史のある企業において、現在に至るまでの歴史や経緯は重要視する傾向があります。しかし先行きの見えない現代において、伝統だけを頼りに経営するのはリスクを伴うもの。

今回お話を伺ったのは、十二代目笛木吉五郎さん。笛木さんは、埼玉県で200年以上の歴史を誇る醤油醸造所の代表で、5年前に現職に就任しました。

社長就任後「金笛しょうゆパーク」を開業、飲食店経営からバームクーヘン製造などに着手し、それまではいわゆる「普通の醤油蔵」だった笛木醤油は、ここ5年でさまざまな改革に踏み切りました。

しかし大掛かりな改革には反対の声がつきものです。今回は笛木さんの激動の5年間を振り返るとともに、笛木さんの「伝統」との向き合い方について伺いました。

<プロフィール>
十二代目笛木吉五郎さん/本名・笛木正司さん

笛木醤油株式会社 代表取締役社長。
埼玉県比企郡川島町に本社を構え、創業200年以上を誇る醤油醸造所の長男として生まれる。大学卒業後に笛木醤油株式会社へ入社。

2017年に当時社長を務めていた叔父が急逝。その後を引き継ぐ形で代表取締役社長に就任。翌年2018年8月、正式に「十二代目笛木吉五郎」を襲名する。

社長就任後は川島町本社に、醤油を“食べる”“学ぶ”“買う”“遊ぶ”ことができる「金笛しょうゆパーク」のオープン。そのほか飲食店経営やバームクーヘン製造や抜擢人事など、従来の醤油醸造所に留まらない、さまざまな取り組みに挑戦している。

「目に見えないバトン」を受け継ぐ重圧。笛木さんが会社を継ぐまで

――創業200年以上の老舗醤油醸造所、笛木醤油。その十二代目を務めているのが、笛木さんだと伺いました。まずは笛木さんが会社を継ぐまでの経緯から、お聞かせください。

笛木さん
僕は、笛木醤油十一代目当主だった父の元に生まれ、その長男でした。

だから生まれながらにして、家業を継ぐことが決まっていたのですが……正直、こどもの頃は継ぎたくなかったんです。

この手の話でよくあることかと思いますが、ものすごくレールを敷かれてる感じがなんとも嫌で(笑)。

そんな僕に、2つの転機が訪れました。

1つ目は高校時代、父が亡くなってしまったこと。2つ目は大学時代、アメリカの大学に留学していた時のことでした。

留学先のルームメイトだったアメリカ人の友人が、日本食のスーパーマーケットに行った際、笛木醤油の商品を見つけて僕に知らせてくれたんです。

「世界中の人に、醤油の素晴らしさを知ってほしい」。父は生前、醤油の輸出に力を入れていました。

日本から遠く離れた異国の地で、まさかこんな形で自分の家の醤油に出合い、父の想いに触れるだなんて思ってもいなくて。

その出来事がきっかけで、家に戻って大学卒業後に就職することを決意したんです。

――笛木醤油に就職されてからは、どのようなお仕事を?

笛木さん
醤油作りの工程はもちろん、営業や包装、運送などといった事業に関わる全ての工程を勉強しました。

2016年から常務に就任し、経営会議にも参加するようになったのですが、翌2017年、亡くなった父の代わりに、社長を務めていた叔父が急逝。叔父から引き継ぎを受ける間もなく、急遽社長に就任することとなったんです。

――突然の社長就任、いろいろと大変だったのではないでしょうか?

笛木さん
そうですね。

僕は生まれてからずっと「目に見えないバトン」を感じていて。入社を決意した時から来るべき時に備えて準備はしていたものの、ついにそのバトンを受け継ぐ時がやってきました。しかもかなり突然に。

それと今だから言えるのですが、社長を引き継いだ当時、会社の経営状態があまり芳しくありませんでした。

加えて歴史のある会社ですから、僕以上に長く働いているスタッフも大勢います。社長に就任したとはいえ、まだまだ僕は若造です。だから必要以上に、各方々にいろいろ気を使いすぎてしまって。

経営上解決しなければならない問題点や課題が、たくさんあることは分かっていたのですが……。

就任当初は結局、今までのやり方を変えることができずにいたんです。

素材を活かす醤油を作るように、人の長所を活かせる経営者でありたい。「十二代目笛木吉五郎」の流儀

――社長に就任して5年。現在は「金笛しょうゆパーク(※)」などを始めとする、さまざまな取り組みや事業を展開されていますが、笛木さんにどのような変化があったのでしょうか?

※2019年、川島町の本社にオープン。「おいしい工場見学&しょうゆ蔵のレストラン」がキャッチコピー。醤油作りを体験できる工場見学に加え、同社で製造されている醤油やバームクーヘンの直売店、醤油を使った食事を提供するレストランなどが併設されており、さまざまなアプローチで醤油について学ぶことができる。
https://kinbue-park.jp

笛木さん
そんな余裕のない僕を見た、ある先輩経営者の方から「笛木さんがやりたいと思うことをやりたいようにしていた方が、みんな仕事をしていたくなる」と、アドバイスをいただいたんです。

その時「人の顔色ばかり見ているのが社長の仕事ではないよな」と、気がついたんです。

そしてアドバイスを信じて、自分が本来やりたかったことに、思い切って挑戦しようと思うようになりました。

――笛木さんのやりたかったこと、とは?

笛木さん
端的に言えば「醤油作りを変える」ということです。

一口に「醤油作り」といっても、さまざまな解釈があります。まず着手したのは、醤油そのものの「味」について。醤油の味は、代々「当主の性格が色濃く出る」と言われています。

僕の性格、アイデンティティとは何か。何を大事にして、どんな存在でありたいかを、もう一度考え直してみました。

その結果、醤油とは“活かす存在”である、という答えにたどり着きました。

醤油はそれ単体で食べるものではありません。あくまで素材や料理を引き立たせるような、そんな醤油を作りたいと思ったんです。


↑笛木さんに代変わりをして作られた醤油(右2つ)。味はもちろん、デザインも従来のもの(左)から変わっている。

――醤油を作る上でのベースとなる考え方、味の方針を打ち出したんですね。

笛木さん
そしてもう1つ、そして醤油作りで欠かせないのは「醤油を作るための環境整備」。

この笛木醤油をどう経営していくか、すなわち「十二代目笛木吉五郎」としての在り方を定義しようと思いました。

この答えも味作り同様、“活かす存在”でありたいなと。

僕1人では醤油作りはできません。スタッフの個性や性格、長所を見出して適材適所に活かしていけるような、そんな経営者になろうと思ったんです。

伝統だけでは未来を創れない。十二代目が挑む、新たな時代の醤油作り

――経営のスタイルも、醤油の味作りに通ずるところがあるんですね。そんな思いから「金笛しょうゆパーク」を始めとする事業へと繋がっていったと。

笛木さん
醤油醸造所が年々減少の一途をたどる中で「醤油作りを変える」ためには、もっと多くの人に醤油作りを知っていただかなければなりません。

醤油作りを次世代へ繋いでいくために「金笛しょうゆパーク」をオープンしました。

――「金笛しょうゆパーク」では、醤油作りの工程や仕組みを学べる、いわゆる工場見学の要素もありながら、醤油で作った料理を提供する飲食店があり、そしてバームクーヘンも製造されていると伺いました。

笛木さん
飲食店自体は先代の時代から経営していました。やはり座学だけでなく、醤油や醤油を使った料理の味も知っていただきたいですから。

バームクーヘンに関しては、これも「金笛しょうゆパーク」同様、直近で始めた事業の1つです。

笛木さん
醤油の可能性をさらに広げるために、菓子作りをしてはどうかと考えていたんです。プリンや団子、煎餅など、さまざまな菓子が候補に挙がったのですが……。

バームクーヘンが、醤油を作るのに欠かせない木で作られた「桶」に似ていること、木の年輪のように繁栄と長寿がモチーフになっていて縁起がいい、といった理由からバームクーヘンを作ってみようということになりました。

――社長就任からわずか5年で、ここまで大きな改革をなされた笛木さん。しかし老舗であるが故に新しい挑戦に対して、さまざまな軋轢があったのではないか、と邪推してしまいますが……?

笛木さん
そうですね(苦笑)。新たな挑戦に対して、反対が全くなかったかと言われると、決してそんなことはありませんでした。

たしかにこれまで醤油を製造して販売する、いわゆる“普通の醤油蔵”だった笛木醤油が「やれしょうゆパークだ、バームクーヘンだ」と変わっていったわけですから、その変化に戸惑ってしまう人がいるのは、ある意味当然のことです。

しかし「醤油作りを変える」ためには、新たな挑戦は必要不可欠だったんです。

――過去のしがらみや聖域があるのは、歴史のある会社だからこそかもしれません。しかし新しい挑戦に拘らず「従来通りの伝統を守る」というやり方も、選択できたのではないですか?

笛木さん
たしかに、守るべき「伝統」はあります。しかし伝統があるから「挑戦をしなくていい」という理由にはなりません。

むしろ“伝統”という言葉を間違って解釈して、あぐらをかいてしまっていたからこそ、経営があまり良い状態ではなかったわけですから。

醤油醸造所は減少していき、コロナ禍で先行きが不透明な現代において「今まで通りだけ」を守っていれば「今日と同じような明日」がやってくるわけではありません。

伝統そのものが、未来を創ってくれるわけではないんです。

↑「金笛しょうゆパーク」内、しょうゆ蔵のレストラン

――では笛木さんにとっての、守るべき「伝統」とはなんですか?

笛木さん
お客さまや地域の人との絆であり、食文化です。絆や文化といった「人と人との繋がり」は、一朝一夕で生まれるものではありません。これは絶対守らなければならない「伝統」です。

逆に言えば、その本質を理解して伝統を守るためなら手段やアプローチは、時代やニーズに応じて変えていけば良いと思っています。

醤油という食文化を未来へ残すために、1人でも多くの人に醤油作りというものを知ってもらいたい。

「金笛しょうゆパーク」やバームクーヘン事業には、そんな想いが込められているんです。

困難を乗り越えていくには、自分にとっての折れない芯が必要

――笛木さんのこれからの展望を教えてください。

笛木さん
会社としても、僕自身としても、新しいことにどんどん挑戦していきたいです。

直近で言えば、もうすぐバームクーヘンの直営店が川越にオープンします。川越という観光の街がコロナ禍で疲弊してしまった今、少しでも元気になれる取り組みができたらいいなと。

また次世代を担うリーダーを育てていきたいですね。それは会社内もそうですが、会社の外、地域にも同じようにリーダーを育てていけるような土壌を作っていきたいと思っていて。

食材の味を活かす醤油と同じように、人の才能や能力に目を向けて、その人らしい良さを活かせるような環境を作るお手伝いをしていきたいですね。

――最後に、読者の方へメッセージをお願いします。

笛木さん
独立・起業をするしないに問わず、自分の人生にとっての「芯」を見つけられると、生きやすくなるかもしれません。

振り返ると僕は、ずっと「伝えること」を大切に生きてきました。

学生時代はサッカー部でキャプテンをしていました。サッカーは上手くなかったですけど、チームの柱としてずっと発信してきましたし、大学時代は留学先でひたすら英語でプレゼンをしていたり。

そして今は笛木醤油の十二代目として、醤油作りや食文化を伝えています。

1つ1つの点は、一見すると関係ないことばかりですが、僕の中ではそれらは線で繋がっていて。

大袈裟かもしれませんが、人に何かを「伝えること」は、僕の人生の使命のようにも感じています。

独立・起業は困難の連続です。僕のわずか5年の社長人生を振り返っても、本当にたくさんの困難がありました。

そしてそれを乗り越えていくためには、折れない芯が必要だったんです。

きっと皆さんにも、皆さんなりの芯が、どこかに必ずあるはず。まずはぜひその芯を探してみてはいかがでしょうか。

取材・文・撮影=内藤 祐介

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