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“正解”のない世界を生き抜く。中日ドラゴンズ4番・福田選手を支える「セルフコーチング」という考え方

昨今、プロのスポーツ選手の「セカンドキャリア」が話題になっています。

現役選手時代、若くして多くの年俸を手にし、30-40代で引退する。その後の人生の方が長いにも関わらず、それまで培ってきたスポーツのスキルをそのまま活かせる環境はごくわずかです。

しかし、今回お話を伺った株式会社レーザービームの代表・福山敦士さんは、独自の理論「セルフコーチング」を活用してアスリートの「セカンドキャリア」ではなく「ファーストキャリア」を支援しています。

「セルフコーチング」とは、自分自身をコーチングするということ。自分自身を客観視し、スキルを暗黙知から形式知化するプロセスで、成果を出す確率を高める手法です。

他のことに脇目も振らずに本業であるファーストキャリアで成功すれば、引退後も活躍できる選択肢が広がると、福山さんは言います。

福山さんは、現在中日ドラゴンズの4番を務める福田永将選手のコーチングも担当しています。福山さんの支えもあり、福田選手は2017年シーズン、ホームランを18本も記録しています。

ビジネス以上に、安定した成績を残すことが難しいスポーツの世界で、どのようにしたら結果を出し続けられるのでしょうか。

福山さんの提唱する「セルフコーチング」には、スポーツ選手に限らず、結果を残すことを求められている全ての人が身につけておくべきメソッドがありました。

<プロフィール>
福山敦士さん
2005年3月に甲子園出場しベスト8入りを果たす。2011年4月に慶應義塾大学環境情報学部を卒業し、同年4月から株式会社サイバーエージェントに入社。

2014年10月からサイバーエージェントグループ会社の取締役に就任。その後株式会社サイバーエージェントから独立し、2016年7月株式会社レーザービーム創業、代表取締役CEOに就任。

野球もビジネスも、成果の出し方は変わらない。福山さんがユニフォームからスーツに着替えたワケ

―福山さんが独立に至るまでの経緯をお聞かせください。

福山さん
私は小中高大と16年、野球を続けてきました。

小学校の頃から全国大会に出場し、中学時代は全国大会で春夏2連覇を経験、そして高校時代は甲子園に出場してマウンドに立ちました。

世代的には田中将大さん、斎藤佑樹さんが活躍された2006年の代です。

しかし、彼らの豪速球を間近で見て、投手としてプロの野球選手になるのは厳しいだろうと思いました。

でも同世代の野球選手たちに負けたくなかったのです。そこで野球ではなく、ビジネスの世界でトップになるために起業することを、決意したんです。

―全国大会で優勝、さらには甲子園出場も経験されていたんですね。しかしどうして「ビジネスの世界」でトップになることを目指されたのですか?

福山さん
それは、私が起業を決意した、もう1つの理由にあります。

私が高校野球に打ち込んでいる時に、父の会社の経営が悪化したことが原因で、多額の借金を背負うことになってしまいました。

1軒家だった自宅が古い木造のアパートになり、借金取りも来るようになりました。その時に両親は戦略的に離婚、兄は大学を辞めて働きに出て、私の学費を賄ってくれました。

そんな現状に、こどもながら「生きていくためには、お金が必要なんだ」という価値観を否応なしに刻み込まれたんです。

そこで、絶対にお金を稼げる大人になってやる、と心に誓いました。

―甲子園出場という華やかな経歴とは裏腹に、壮絶な高校時代を過ごされてきたんですね。

福山さん
私立の高校に通って、野球を好きなだけやって、お金を稼いでいない自分に罪悪感を感じていました。

目に見える形で生活が変わっていった、その時の経験は忘れることはできません。

そしてこの出来事が今の私を作っていると言っても過言ではありません。

―その後、福山さんはどうされたのですか?

福山さん
兄が大学を辞めて働いていたので、僕も高校を卒業したらすぐに働くことを考えていました。

しかし高校卒業までの学費は兄が負担してくれて、大学の奨学金もたくさん借りることができたので、なんとか大学に進学することができました。

大学では、人工知能に関する研究を専攻しながら、準硬式野球部の学生コーチ(監督)を経験しました。

そこで初めて野球に対して「プレイヤー」としてではなく、チームをまとめる「マネージャー」として関わるようになったのです。

当時監督をしていたチームは試合になかなか勝てず、士気も低迷していました。

独学で学んだマネジメント論や人工知能の研究で得た知識を使って、チーム全体の再建に貢献し、その結果27年ぶりの六大学リーグ戦の優勝・全日本大会出場・ベスト8にまで結果を残すことができました。

―福山さんは今現在、アスリートのキャリア支援をされていますが、この時の経験が礎になっているのでしょうか?

福山さん
今振り返るとたしかにそう思います。

ですが、大学卒業してすぐに独立してアスリートのキャリア支援を始めたわけではありません。

起業するという目標があったものの、16年間野球しかやってこなかったので、ビジネスの基礎が全く分かりませんでした。

なので、守られた環境で0から1を生み出すことのできる場所で働きたいと思い、新卒で株式会社サイバーエージェントに入社しました。

サイバーエージェントでは5年間勤めました。1年目からグループ会社の起ち上げを経験し、プロデューサー職から、営業部長、取締役まで上り詰めました。

そして社会人6年目に独立し、株式会社レーザービームを立ち上げました。

―高校時代に願った夢を、1つ叶えたのですね。グラウンドからオフィスへ移動してきて、何か気づいたことはありますか?

福山さん
1番の大きな気付きは「野球もビジネスも、成果の出し方は変わらない」ということですね。

「フィールドワーク」と「オフィスワーク」一見すると全く異なることに思えますが、環境が違うだけで成果を出すプロセス自体は全く変わらないんです。

当たり前かもしれませんが、目標に対して正しく逆算をし、やるべきことを列挙し、それをやり切れば必ず結果が出せます。

そのためには自分を客観視して、何ができていて何ができていないのか、自問自答を繰り返さなければいけません。

―株式会社レーザービームの事業について聞かせてください。

福山さん
メインの事業は、BPO/RPO事業とキャリア教育事業の2つです。

バックオフィス業務や営業事務、一般事務といったタスクを、弊社で教育した人材にアウトソーシングすることで、忙しい経営者の方の時間を生み出し「自分にしかできない仕事」に専念していただくためのサービスを展開しています。

そしてキャリア教育事業では、若手ビジネスパーソンを対象に「学校では学ばないけど、社会で必要な力」を提供しています。

営業力や交渉力、ビジネス開発など内容は多岐にわたります。

弊社のプログラムで学びを深めていった方が、次に進むためのキャリア支援・転職先の紹介も行っています。

そして、いま新たに挑戦していることが、アスリートのキャリア支援です。

アスリートのキャリア支援というと、「セカンドキャリア」支援といった、アスリートの次の人生を転職先斡旋でサポートするというのが一般的です。

しかし、私が挑戦しているキャリア支援とは、グラウンドからオフィスへ導くことではなく、どんな場所でも活躍できる「自分」をつくるということです。
それは、成果の再現性を高める「セルフコーチング」という考え方にもとづいています。

今のキャリアで、成果の再現性を高める。新時代のキャリア支援「セルフコーチング」という考え方

―よくスポーツ選手は引退後の仕事がない、などと言われていますよね。

福山さん
そうですね。ですが私は、スポーツ選手として圧倒的な活躍をしていれば、引退後に仕事で困ることって少ないんじゃないかなと思います。

結果を出し続け、チームのファンではなく、選手個人のファンを増やしていき、仮に職業が変わっても、そのファンのリソースを活用したビジネスをつくることは可能だと思います。

そこは選手だけだと難しいので、僕もサポートします。

スポーツ選手にも自分を他の人に売り込むための「セルフプロデュース力」を身につけていく時代が来ているのです。

―たしかに現役時代は競技のことだけに集中できれば、実力が上がって活躍できる可能性は向上しますし、ある一定の結果や人気を残せていれば、引退後もその選手に応じたブランディングで仕事を得ることも不可能ではないと思います。

福山さん
はい。

スポーツ選手にその道をサポートできないかと思い、試験的にスポーツ選手の個人コーチのようなものを務めています。

―具体的にはどなたのコーチをしていらっしゃるのですか?

福山さん
現在中日ドラゴンズで活躍している、福田永将選手です。

福田選手と私は同級生で、幼なじみの間柄です。

ちょうど去年のシーズンから彼が成績で伸び悩んでいると相談を受けたことがきっかけでコーチを始めました。

―やはり大学時代の野球部コーチとしての経験が活せているのでしょうか?

福山さん
はい、野球部時代のコーチングや、ビジネスの現場での教育/育成方法を野球に応用してアドバイスをするようにしています。

私はこれまで野球のプレイヤーとして、そしてビジネスパーソンでもそれなりに成果を出すことができました。

先程「野球もビジネスも、成果の出し方は変わらない」と言いましたが、要するに自分をどれだけ客観視して分析できるか、がカギです。

客観視するためには、自分のスキルを言語化することが極めて重要です。

なので、私は福田選手に「なぜうまくいったのか(もしくは、うまくいかないのか)」をひたすらノートに書いてもらっています。

最初は福田選手もノートに何を書いていったらいいのかが分かっていなかったのですが、だんだんやり取りを重ねるにつれて、文章量が増えていきました。

「今日監督に褒められたのはなぜか」「今日あの場面で打てなかったのはなぜか」など、あらゆる事象に関して原因を自分なりに考える癖がついてきたからです。

そのうちに福田選手は、私に言われなくてもノートに書いて繰り返し分析するようになりました。そしてたまに私に会った時に、ノートに書いた内容について自分なりの意見を話してくれるようになりました。

書いてある内容が正しいのか正しくないのかは、重要ではありません。

大切なのは、結果を出せる時と出せない時で何が違うのか、どうしたら結果を出せるようになるのか、について分析できるようになり、自分で修正・改善できるということなのです。

このやり取りをし続けた結果、福田選手の中でメンタル面でもスキル面でも自分なりの「勝ちパターン」ができあがり、昨年は年間ホームラン数10本という記録を、今年は年間18本に伸ばすことができました。

中日ドラゴンズの4番として、再起を果たしたのです。

―これが「セルフコーチング」を活用したキャリア支援の在り方なのですね。

福山さん
まさにその通りです。

福田選手が2軍落ちし、なかなか結果が出ずに悩んでいた時期に、私は「去年、一昨年、調子が良かった時は、どんなことを意識してたの?」と聞きました。

すると彼から、技術の話、体調の話、人間関係の話と、あらゆる情報が出てきました。

そこから「何を意識するとよくなる?」と彼に聞くと「要は早寝早起きだ」と答えてくれました。

そして早寝早起きを実践して、その翌週から彼は1軍に昇格しヒットを量産。クリーンナップを任されるようになりました。

「セルフコーチング」の目的は、自分自身で成果の出る状態に気付き、コントロールすることです。

あれこれ考えるフェーズも必要ですが、結果を出すタイミングでは「これだ!」と決めて、1つのことだけに集中するフェーズが必要です。

一度にたくさんのことをいっぺんに意識することはできません。

ただ、結果が出ないとコーチ、監督、先輩方からも「あーした方がいい、こーした方がいい」と、多方面でのアドバイスが降ってきます。

真面目な選手であればあるほど、全部を聞き入れようとしてしまい、アドバイスが重荷になって負のサイクルに突入してしまいます。

これはスポーツだけでなく、ビジネスの現場でも全く同じことがあると思います。

さらに私とのやり取りで、自分を客観化する訓練をしているので、福田選手は「結果の出し方を言語化」することができています。

それをさらに誰にでも分かりやすく伝えることができれば、指導者としての道も拓けてくるでしょう。

この自分を客観化・言語化するスキルと、セルフブランディング・プロデュース力がもっと強く自分と周りに浸透していけば、今後の福田選手の人生にとって必ず財産になると思っています。

スキルを上げたいなら、質のいい「知覚」と「思考」を繰り返す。ブレない羅針盤を持つこと

―福田選手を始めとするスポーツ選手や若手ビジネスパーソンにアドバイスされている福山さんですが、独立・起業を考えている方へ、何かアドバイスはありますか?

福山さん
ビジネスパーソンの方に「自分のスキルを高めたいのですが、どうしたらいいのか」とよく言われます。

スキルを伸ばすために何が必要かを考えるにあたって、人間の認知の構造を知る必要があります。

人間は「知覚(感性)」「思考(考える力)」「行動(スキル)」の3つプロセスが存在し、これら3つの要素が絡み合って認知が成り立っていると言われています。

スキルを伸ばす、すなわち行動の質を上げるためには、他の2つも同時に質が高いものでなければなりません。

私が先程お話した、福田選手とのやり取りはまさに「行動」(自分が起こした出来事)に対して「知覚」(何を感じて)、そして「思考」(どう考えたのか)という認知のプロセスを言語化することでした。

認知のプロセスを言語化し、他者との会話を繰り返すことで、よりその「知覚」と「思考」の質が向上していきます。それを積み重ねたことで「行動」の質も向上した、ということです。

よって、もし自分のスキルを今よりも上げて独立・起業を考えたい、という方はまず「知覚」と「思考」の質が向上するよう努めてみてください。キーワードは言語化です。

―なるほど。認知の仕組みを知って、自分を客観視して言語化する、という考え方はスポーツ選手だけでなく、ビジネスの世界でも応用できそうな考え方ですね。

福山さん
はい。だから私は「野球もビジネスも、成果の出し方は変わらない」と言いました。

自分のことを客観視できる、という力の最大の強みは、結果が出ている時も出ていない時も、自分がどんな行動を取ればいいのかが分かる、コンパスのような働きをする点です。

スポーツの世界でも、ビジネスの世界でも、決まった”正解”はありません。”正解”のない世界を生き抜くために、自分がどこに向かうべきなのかというブレない羅針盤を持っておくことは極めて重要だと思います。

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皆さんの、独立・起業へのモチベーションはなんですか?

会社員ではなく、雇われずに生きてみたい。ずっと前から興味のあった分野の仕事に挑戦してみたい。など、人それぞれ異なることでしょう。

今回お話を伺ったのは、長野県の白馬村でラーメン屋「高橋家」を営む、高橋恭平さん。

実は高橋さんは、数々の大会での優勝経験やナショナルチーム(日本代表)にも選ばれたことのある、凄腕の元プロスノーボーダー。

そんな高橋さんは現在、現役を引退し地元・白馬村でラーメン屋を営んでいます。

なぜプロスノーボーダーからラーメン屋へ転身したのでしょうか。今回は高橋さんの過去から、ラーメン屋にかける想いについて伺ってきました。

<プロフィール>
高橋恭平さん

ラーメン屋「高橋家」店主/元プロスノーボーダー

10歳の時に長野県白馬村に移り住み、スノーボードに出合う。

16歳でJSBA(Japan SnowBoarding Association) のJrカテゴリーで優勝、18歳の時にJSBAが主催する全日本スノーボード選手権大会で最年少優勝の後、ナショナルチームにも選ばれる。

30歳で現役を引退し、現在は長野県白馬村でラーメン屋の経営をスタートさせる。地元の人々だけでなく、県外からも多数のお客さまが足を運び、人気を博している。

プロスノーボーダーとしての栄光と挫折。挫折の先に見つけた、感謝の気持ち

ー元プロスノーボーダーでありながら、現在は長野県白馬村でラーメン屋を経営されている高橋さん。プロ生活を引退後、ラーメン屋への転身は珍しいのではないかと思います。まずは、プロスノーボーダーになるまでの経緯から教えてください。

高橋さん
僕は山形県で生まれました。その後は親の転勤に伴って、東京で5年間過ごした後、10歳の時、この白馬村に引っ越してきました。

スノーボードと出合ったのも、この白馬村でした。

ご存知の通り、白馬はスノーボードに打ち込むには最適な環境だったので、どんどんスノーボードの面白さにのめり込み、腕を上げていきました。

中学、高校と進学する頃には様々な大会で優勝し、ナショナルチーム(国を代表するチーム)のジュニア枠にも選ばれました。

そして18歳の時に、プロ資格を取得。ここまでは比較的、順風満帆なスノーボード人生を歩んでいましたね。

ー念願のプロの世界に入ってからはどうだったのでしょうか?

高橋さん
20歳の時、スイスで行われたジュニアワールドカップに参加した際に、両方のかかとにヒビが入ってしまい、その年はケガで戦線離脱してしまいました。

このケガを経験してから、大会に参加しても優勝できなくなってしまったんです。

ー選手として、苦しい時期に差し掛かったのですね。

高橋さん
かかとのケガから1年後、アメリカの大会に参加したのですが、その大会でも結果を残せないでいました。そして帰国した後の大会で今度は脳しんとうを起こしてしまい戦線離脱。

再び、ケガに悩まされる日々が始まりました。そしてこの時期ぐらいから、次第に自分のキャリアについて考えるようになりました。

ーその後はどのような活動をされていたのでしょう?

高橋さん
選手としての活動を全うできない時に、違う形でスノーボードと関わる方法もあるんだと認識し始めました。

例えば、プロスノーボーダーとして雑誌媒体に出たり、スノーボードのキャンプを開いてコーチを勤めたり、プレイヤーではない形でスノーボードと関わっていました。

ープレイヤーから一度離れてみて、いかがでしたか?

高橋さん
この頃は、まず自分が培ってきたスノーボードの経験を活かすところから始まりましたが、次第にスノーボードに代わる何かしらのスキルを身に着けていきたいなと思うようになりました。

でもまだプレイヤーとしてやり残したことがあったので、脳しんとうから3年ほど経ってから、再びプレイヤーとしてアメリカの大会に挑戦することにしました。

ーケガから復帰して、なぜアメリカなのでしょう?

高橋さん
まずアメリカは、スノーボードがとても盛んな国であるということ。そして自分が前回挑戦した時にケガをして断念してしまったことなどが、理由に挙げられます。

ケガの療養中にプレイヤー以外の経験を積んで、スタッフを始めとするいろいろな人に支えられて、スノーボードに打ち込むことができたんだと再確認しました。

だからこそ今回のアメリカは、人に頼らず自分の力だけ行こうと思いました。

飛行機のチケットを取って、ホテルを予約して、そして試合に臨む。とはいえ異国の地にたった1人で赴いた時、どうしても困ったことに遭遇することもあるんですよね。

そんな時はやっぱり助けてくれるんです。アメリカ人も、現地にいる日本人の方も。

やっぱり自分はいろんな人に助けられていることに、アメリカに来て改めて実感することができました。

ースノーボード以外で大きな発見があったんですね。

高橋さん
そうですね。そしていつしかその「感謝の気持ち」が、僕の行動原理になっていくようになり、起業をする時のモチベーションにもなりました。

そしてもう1つ、スノーボード以外で大きな収穫がありました。

アメリカで現地の人に美味しいハンバーガー屋を紹介してもらったのですが、そこのハンバーガーがあまりにも美味しくて、滞在中はずっと通っていたんです。

その美味しさのあまり「日本に帰ったらハンバーガー屋を開きたい」と思うようになりました。

脳しんとうを起こしたくらいから、スノーボードを引退した後のことを考えていたので、まさにちょうどいいタイミングで出合うことができました。

そしてアメリカの大会を終え、帰国してライスバーガー屋を立ち上げたんです。

スノーボードもラーメンも本質は同じ。目的から逆算する力

ー最初はラーメン屋として開業したわけではなかったんですね(笑)。でもなぜ、ハンバーガー屋ではなくライスバーガー屋としてお店を立ち上げたのですか?

高橋さん
白馬村には、すでにたくさんのハンバーガー屋があったので(笑)。それならライスバーガーにしようと思って。

ーなるほど。では、どのようにライスバーガー屋を始めたのでしょうか?

高橋さん
アメリカから帰ってきたばかりで、土地もお金もなかったので、最初はトラックを買って、自分で改造して移動式のライスバーガー屋を始めました。

夏場には、ラフティングやパラグライダーなどのアウトドアのインストラクターをしつつ、冬場はスノーボードとライスバーガー屋を営む生活をしていました。

ーでは、ライスバーガー屋からラーメン屋に切り替えたきっかけはなんだったのでしょうか?

高橋さん
スノーボードを引退したことと、こどもが生まれたことです。

アメリカから帰ってきて、ライスバーガー屋をやりながらスノーボードも続けていたのですが、2年前に正式にプロスノーボーダーを引退しました。そして同時期に、こどもが生まれたんです。

こどもができたのはもちろん嬉しかったのですが、その反面しっかり家族を養っていかなければいけない、という自覚が芽生えました。

妻と2人ならまだしも、こどもを育てていくためには、移動式のライスバーガー屋や、夏場に短期の仕事をしているだけでは、正直不安定だなと思ったんです。

そこで安定した収入を得るために、1年中経営できる店を開きたいと考えました。そんな時ちょうど妻の知り合いから「居酒屋の居抜きがあるから、何か店を出さないか」というお話がありました。

このチャンスを逃すわけにはいかないと思い、すぐに申し出を受け、経営の準備に取り掛かりました。

白馬村は日本人だけでなく外国人もたくさん訪れますが、日本人にも外国人にも、ラーメンは人気があるので、思い切ってライスバーガーからラーメンに切り替えました。その居抜きに、ラーメン屋を開く条件が揃っていましたし。

ーラーメン屋への転身は、どうでしたか?

高橋さん
最初は毎日が、試行錯誤の繰り返しでした。プレオープンを経て正式に開店してからも、スープの味が決まらずに、ずっと悩んでましたから。

ーライスバーガー屋を営んでいたとはいえ、ラーメンは畑違いですからね。未経験の世界に飛び込むのはとても勇気のいることだと思います。

高橋さん
たしかにやってることは違いますね。でも僕はスノーボードもラーメン屋も、本質は同じだと思っています。

ーどういうことでしょうか?

高橋さん
僕がやっていた「スノーボードクロス」という競技は、複数名と混走することが前提です。スピードは元より、技術や人との駆け引きなど総合的な滑走能力が試されます。

そして勝ち上がるためには、自分の欠点と長所を見極め、今どんな行動が必要かを考えます。

ラーメン屋も同じです。売り上げを増やすためには、何が足りていて、何が足りていないのかをしっかり把握する。そこから自分がすべきことを逆算して考えていくんです。

例えば、僕はライスバーガー屋を経営した経験があるので、店のマネジメントは強みです。逆に美味しいラーメンを作る技術は未熟だったので、店を出した後も、ラーメン作りに試行錯誤していました。

長所と短所を冷静に自分で分析できていたからこそ、美味しいラーメンを作ることに最大のリソースを割くことができた。

その結果、今ではお客さまに胸を張って出せるクオリティのラーメンが完成しました。そしてありがたいことに、多くのお客さまにご来店いただけるようになりました。

お客さまにとって居心地がいいお店にしたい。それが、故郷・白馬村への恩返し

ー経営に必要な目的から逆算して行動する力は、スノーボーダーとしての経験で培われていたんですね。ところで、ライスバーガー屋の時から「白馬村」で商売をする、ということにこだわっているように思いますが、なぜでしょう?

高橋さん
それは僕が白馬村が大好きで、この場所と人に感謝しているからですね。

白馬村は自分が育った場所であり、この環境があったからこそ、プロスノーボーダーになることができました。

先程も言いましたが、僕はいろいろな人に支えられて、スノーボードに打ち込めて、現役を引退した後もこうしてラーメン屋を営むことができています。

それは故郷である白馬村と、自分の周りにいる人たちのおかげです。

そんな白馬村に恩返しができるとするなら、それはきっと僕が営むラーメン屋がお客さまにとって居心地が良く、笑いが絶えない場所であり続けることだと思います。

そのために、単に美味しいラーメンを提供するだけではなく、気持ちの良い接客も心がけています。地元の方も観光で来られる方も、皆さんに「また行きたいな」と思っていただけるような店作りを目指しています。

ーでは最後に、独立を目指している人へアドバイスをお願いします。

高橋さん
独立は、誰にも縛られずに自分の意志であらゆることに挑戦できます。逆に言えば、自分から行動を起こさなければ何も始まりません。

それなら自分が「楽しそう」「面白そう」と思うことに積極的に挑戦してみた方がいいと思います。

僕自身、単身アメリカへ渡った時、そしてライスバーガー屋を経てラーメン屋を開いた時など、人生で幾度となくそういったターニングポイントを乗り越えてきました。

自分はそもそも何がしたいのか、そしてその何かを達成させるために何が必要で、何が足りないのか。それを分析し、行動することができれば自ずと結果はついてくるのではないかと思っています。

2018年12月12日

PLOFILE

金谷宏さん(63歳)

(株)KDP/大阪市港区
高校卒業後、大阪で電車との接触事故を起こす。運送会社で働きながら賠償金を完済。別の運送会社を経て、「家族を養うため」物流関係の仕事で1991年に起業。その後、物流人材の派遣サービスに進出、現在に至る。自身は2009年に会長職についた。
(さらに…)

2018年12月11日

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