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独立に1番必要なものは何か、石巻市で震災後11年間飲食業を営む神野文寿さんに聞いた

独立に1番必要なものは何か、石巻市で震災後11年間飲食業を営む神野文寿さんに聞いた

独立に1番必要なものとは、なんでしょうか。

経営に関するノウハウ、開業するための資金、仕事を獲得するための人脈……。事業を行うにはいずれも全て必要に思えますが、それ以上に必要なものがあります。

そう語るのは、今回お話を伺った神野文寿さん。

神野さんは宮城県石巻市で、お食事処「楓楸栞」(読み:ふうしゅうかん)を運営しています。

2011年3月に東日本大震災で被災し、自宅も前職の職場も津波によって流されてしまったものの、その後紆余曲折の末、翌2012年4月から楓楸栞を開業しました。

全てが「ないないづくし」で始まった楓楸栞も創業11年を迎えます。今回はそんな神野さんに、独立に1番必要なものは何かを伺いました。

<プロフィール>
神野文寿さん
お食事処「楓楸栞」店主
宮城県石巻市出身。和食の仕出し屋として勤務。
2011年3月11日、東日本大震災に被災し、前職の職場、そして自宅が津波によって流されてしまう。2012年4月、独立し石巻市内にお食事処「楓楸栞」をオープンする。

「食」という側面で復興を支えたい。神野さんが「楓楸栞」を開業するまで

――まずは神野さんの現在の事業について、お聞かせください。

神野さん
宮城県石巻市でお食事処「楓楸栞」(以下、楓楸栞)を運営しています。唐揚げをはじめ、定食をメインに提供しています。2012年4月に開業したので、今年の春でオープンしてから丸11年となりました(取材は2023年6月に実施)。

――2012年の開業、そして宮城県石巻市と聞くと、タイミング的に東日本大震災を思い出してしまうのですが、やはり開業のきっかけは震災だったのでしょうか?

神野さん
そうですね。もし震災がなかったらお店を開業してなかったんじゃないかなと思うほど、震災は僕にとって大きなきっかけとなりました。前職は同じく石巻市で和食の仕出し屋を営む会社に勤めていました。

しかし、2011年3月11日に発生した東日本大震災によって、前職の職場、そして僕の自宅も津波に流されてしまったんです。

前職の会社は廃業を余儀なくされてしまいました。

――震災によって、突然職を失ってしまったと……。

神野さん
あの震災の日から2012年4月までの約1年間、本当にさまざまなことを考えさせられました。被災して数カ月は仕事どころではなく、妻とこども3人と炊き出しに参加したり友人の家を転々とさせてもらったり……。

とにかくその日その日を精一杯生きることに必死な毎日でした。

そしてしばらくすると、徐々に復興へ向けての取り組みが始まっていきました。

――それで独立を決意されたのでしょうか?

神野さん
正直、悩みました。妻ともたくさん話し合いましたし、自分自身との対話もずっとしていました。まず手堅いのは再就職するという選択肢だったのですが……これは年齢的にも厳しいんじゃないかと。

今までのキャリアを考えるとずっと料理の世界で生きてきました。

思い起こせばこどもの頃、漠然とカフェや飲食店を持ってみたいと憧れていたことや、復興が進んでいく中で今後もたくさんの人がこの石巻という街に訪れてくれるだろうということなど、さまざまなことが頭をよぎりました。

そしてこうして自分が今、どうにか健康で生きていることには、きっと意味があるんだろうなと。

愛する地元に自分がどう貢献できるかを考えた時、独立してお店を出し、石巻で復興に取り組む皆さんを「食」という側面で支えていけたらなと、最終的には考えるようになりました。

そして、2012年4月に楓楸栞を開業しました。

人がいれば、そこに商売が生まれる。独立も復興への貢献の形だった

――石巻の復興を「食」で支える。とても神野さんらしい動機だと思います。楓楸栞を立ち上げて11年、いかがでしたか?

神野さん
まだまだ被災の爪痕が深く残っている地域もありますが、震災直後の石巻の悲惨な状況を知っている身からすると、「人間の底力」というものを感じざるを得ないほどに街は復興していきました。地震と津波であんなに何もかもがめちゃくちゃになってしまっても、それでもまたゼロからやり直せるんだなと、痛感したんです。

そして、ありがたいことに楓楸栞も石巻の復興とともにこうして11年間歩ませていただきました。お店に足を運んでくださったお客さまはもちろん、支えてくださった方々には、感謝してもしきれないですね。

――11年前、迷いながらも独立を決意したその判断は、間違っていなかったんですね。

神野さん
そうですね。「金は天下の回りもの」と言いますが、人が生きていれば、そこには商売が必要で、そして商売こそが地域を潤すんだなと。

言葉にすると当たり前のことかもしれませんが、それを身をもって体感した11年でもありました。

もちろんまた会社に再就職して仕事を頑張ったり、ボランティアをしたり、はたまた募金をしたりと、さまざまな復興の貢献の形がありますが、独立して自分で事業を起こして商売をする、というのも立派な復興への貢献の形だったのかなと、今になって思いますね。

人との出会い、自分自身との対話を経て、覚悟が生まれた。独立に1番必要なもの。


https://www.fushukan.com/

――独立もまた、復興への貢献だった。石巻で11年事業を続けた神野さんだからこそ、説得力のある言葉だと思います。

神野さん
ありがとうございます。でも誤解のないようにお伝えしたいのは、11年事業を続けてこられたというのは結果論であり、何も僕が特別だったというわけでは決してありません。

飲食の仕事に長く勤めていたとはいえ、店舗経営については素人でしたし、そもそも住む家すらままならないような、そんな状況でしたから。

そんな状況下でも一歩を踏み出せた理由があるとすれば、震災を経て、家族を含めた他者、そして自分自身と対話する機会が増えたからかなと思います。

――自分自身との対話、ですか。

神野さん
震災からの1年間、自分や家族ともう一度、ちゃんと向き合う時間をたくさん取れたんです。そしてボランティアの方をはじめ、これまでの僕の人生で会ったことのないような、さまざまな人との出会いがありました。

自分の知らない世界を知っている方のお話や価値観に刺激を受け、そして家族、何より自分自身の気持ちというものに向き合う。

仕事も住む場所もままならなかったからこそ、はからずもじっくり時間をかけて気持ちを整理できました。

お金も人手も物資も建物も、何もかもが"ないないづくし"でしたが、それでもその時間のおかげで覚悟を持って独立を決断することができました。

そして、独立を決めてからは足りないものは走りながらその都度どうにかする、という繰り返しでした。

そう考えると、独立に1番必要なものは自分の「こうしたい」という気持ちや覚悟そのものなのかもしれませんね。

――最後に、読者の方へメッセージをお願いします。

神野さん
独立・起業に限らず、何か悩みがあるのなら、積極的に人に会って話をするのがいいんじゃないかなと思います。僕も独立をする前、いろいろとこれからのことについて悩んでいる時に、事業を運営している方をはじめ、たくさんの方とお話をさせていただきました。

当たり前な話ですが、人間はどうしても自分の価値観の中でしか判断ができないものです。

自分1人で悩むくらいなら、人の力を借りたり参考にしたりとできることはたくさんあるはず。迷った時には人の話を聞いて、その後に自分の頭で考えて決断することが、大切なのではないでしょうか。

取材・文=内藤 祐介

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