バリアフリー音声ガイド製作者という仕事を、知っているでしょうか?
バリアフリー音声ガイド製作者とは、視覚障害者が映画を楽しめるよう、シーンの情景や人物の表情といった「視覚情報」を言語化し、伝える仕事。
今回お話を伺った和田浩章さんも、その1人です。
和田さんは日本初のユニバーサル映画館(※)「CINEMA Chupki TABATA」で支配人を務めた後、独立。現在はフリーランスのバリアフリー音声ガイド製作者として活躍しています。
※目や耳の不自由な人や車椅子、こども連れの人など、誰もが安心して映画を楽しめる映画館。
「視覚障害者だけでなく、全ての人へ映画の感動を届けたい――」と語る和田さん。今回はそんな和田さんのキャリアを振り返るとともに、「全ての人」へ映画の感動を届けるための、ある新たな挑戦について伺いました。
和田浩章さん
バリアフリー音声ガイド製作者
大学を中退後、映画業界を志望し就職活動を続けていく中、視覚障害者支援ボランティアと出合う。
その後、2014年に上映スペース「Art Space Chupki」の立ち上げを経て、2016年には日本初のユニバーサル映画館「CINEMA Chupki TABATA」をオープン。支配人として同劇場の運営に携わる。
現在は、フリーランスのバリアフリー音声ガイド製作者として独立。視覚障害者の映画鑑賞のサポートに尽力する。
視覚障害者が、もっと映画を楽しめるように。「バリアフリー音声ガイド」の仕事とは
――現在、バリアフリー音声ガイド製作者(以下、音声ガイド)として活躍されている和田さん。あまり聞き慣れない職業ですが、どのようなお仕事なのでしょう?
視覚障害者の方が映画を楽しめるよう、人物の表情や辺りの情景といったシーンに合わせた視覚情報を音声で届ける仕事です。
具体的には音声で届けるための台本作り、台本に書いた言葉を実際に自分で読み上げる仮録。台本を声優やナレーターに読んでいただく場合には、ディレクションも行います。
映画における「視覚情報の音声化」に必要な、全ての工程を担当しています。
平たく言えば、テレビドラマなどの「副音声」のようなものを想像いただけると、分かりやすいかもしれません。
――どういった経緯で音声ガイドの仕事を始められたのですか?
こどもの頃から映画が好きだったんです。特に中学時代は病気で入院していたことがあって。入院生活の唯一の楽しみが、映画や音楽だったんです。
レンタルビデオ屋でCDやDVDをたくさん借りて、それを視聴する――。闘病中、心細かった僕にとって、そういった文化や芸術に触れることが、生きる希望になっていきました。
それから、映画の素晴らしさを伝えたいと思うようになっていったんです。
――それで映画の仕事を考えるように?
はい。ですが就職活動では苦戦してしまい、なかなか映画業界に入ることができなくて……。
そんな中ある視覚障害者支援のボランティア団体と出合いました。その団体は視覚障害者に映画を楽しんでもらうために、さまざまな取り組みを行っていて。
音声ガイドという仕事にも、そのタイミングで出合いました。
音声によるシーンの解説を交えることで、視覚障害者の方にも映画をより楽しんでもらえる。初めて視覚障害者の方たちと一緒に見た映画の、その会場で起こった感情の高鳴り、感動を今でもよく覚えています。
それまではあくまで、視覚障害者の方へのボランティアの一環だったのですが、いつでも誰でも映画を楽しめる環境を作りたいと思うようになっていって。
そこでボランティア団体の代表と一緒に、ユニバーサル映画館を作ろうということになったんです。
そうして2014年に「Art Space Chupki」を開業。2016年には募金やクラウドファンディングなどを介して1800万円を集め「CINEMA Chupki TABATA」をオープンさせました。
――「CINEMA Chupki TABATA」は最大席数21席という、日本で1番小さな映画館だそうですね。
はい。ユニバーサル映画館を設立するということで、音声ガイドや日本語字幕に対応するのはもちろん、駅からスロープがありアクセスしやすい物件を探したり。
また限られた予算の中ではありましたが最高の音響環境を実現するために、著名な音響監督に監修をいただいたり……。
「全ての人に映画を安心して楽しんでいただく」という信念のもと、いろいろな方に支えられてなんとかオープンできました。
僕は「CINEMA Chupki TABATA」の支配人として、映画館の運営もしつつ、音声ガイドの仕事をする日々が続きました。
視覚障害者だけでなく、「全ての人」へ映画を届けたい。音声ガイドの先にある挑戦
――独立のきっかけはなんだったのでしょう?
ちょうどその頃こどもが生まれたこともあり、仕事とプライベートの両方で多忙を極めていました。その無理がたたってか、病気を患ってしばらく休職していたんです。
その時、過労からか、ある種の燃え尽き症候群のような状態に陥ってしまって……。そんな時に声をかけてくれたのがアニメーション制作会社「STUDIO 4℃」の社長さんだったんです。
というのも『海獣の子供』(2019年公開)という映画の音声ガイドを担当させていただいたことがご縁で、同スタジオの『映画 えんとつ街のプペル』(2020年公開)の音声ガイドを、またやってくれないかとお話をいただいて。
「自分の仕事を認めてくれる方がいるなら……!」と、もう一度僕の中で火がついたんです。そしてどうせやるならと、覚悟して独立を決意したんです。
――和田さんのこれからの展望を教えてください。
視覚障害者の方にも映画を楽しんでいただけるよう、音声ガイドの仕事を続けていくことはもちろん、視覚障害者に限らず「全ての人」へ、映画の素晴らしさを伝えられるような活動をしていきたいです。
そのための最初のステップとして、まずは島根県に映画館を作ろうと思っているんです。
――島根県に映画館を?
ええ。島根県には松江市と出雲市に1館ずつ、合計2館しかないんです。
そのいずれも大手の映画配給会社が運営しており、「CINEMA Chupki TABATA」のようなミニシアターは1館もありません。
というのもプライベートな話ではありますが、8月に第二子が生まれるタイミングで、妻の実家がある島根県に引っ越そうと考えていました。
音声ガイドの仕事はリモートでもできますし、「それなら思い切って、島根への移住してみようか」と検討していたところ、なんと島根県には映画館(ミニシアター)が1館もないということに気がついて……!
――それで映画館を作ろうと?
一応これまでゼロから映画館を作ってきた実績があるので……(笑)。
それに、学生時代の僕のように、映画によって人生が変わったり、救われたりする人って必ずいると思うんですよね。
だから、たとえ小さな規模の劇場だとしても、映画を見に行ける場所が「存在すること」に意味があるんじゃないかと。
もちろん自分にとっても初めての土地で、映画館を開くことが簡単ではないのも分かっているつもりです。
「映画や音楽など、サブスクリプションが全盛期の今の世の中で、映画館を作ることになんの意味があるの?」と反対されるかもしれませんし、もしかすると地元の方から歓迎されないかもしれない……。
けれど「映画館で映画を見ることの素晴らしさ」を感じてくださる方や映画館という「場所」を大切に思ってくださる方も、きっといらっしゃるはず。
独りよがりにならないよう気をつけつつも「全ての人が映画を楽しめる」環境を、少しずつでも実現できたらと、そう思うんです。
文化も芸術も、決して不要不急なんかじゃない。続けて残していくことにこそ、意味がある
――和田さんにとっての「全ての人」とは、本当に「全ての人」なんですね。なにも、障害者の方だけ、というわけでは決してなく。
押し付けがましいかもしれませんが、僕は全ての人に文化や芸術が必要だと思っています。
というより、今の世の中に生きている全ての人が「何かしらの形で文化や芸術に(間接的にでも)触れている」といった方が正しいかもしれません。
着ている服も住んでいる家や部屋も、人類の長い歴史の中で醸成された文化や芸術から生まれたもの。「僕は映画には興味ないよ」という人だって、必ずどこかでそういったものに触れているはずです。
だからこそ文化や芸術を享受するための1つの機会として、映画という媒体を僕は大切にしていきたい。
映画を通して、文化や芸術の尊さを伝えていく。
いろいろな事情で、映画に触れられない人へも積極的にアプローチをするには、音声ガイドなり映画館を作るなり、とにかくたくさんの機会を生み出すことが大切だと思うんです。
――いじわるなことを聞くようですが、それは儲かるか儲からないかで言えば……?
まぁ、儲からないでしょうね(笑)。
そもそもこうした芸術の世界と、ビジネスの相性はあまり良くはありません。他の業界と比べても決して莫大な利益をもたらす「儲かる産業」とは言えないでしょう。
それはかつて僕自身が映画館を運営していて、痛いくらい体験していますから。
でも儲からないからといって、誰も何もしなかったら、文化や芸術が廃れていってしまう。そんなの悲しいじゃないですか。
だから収入と経費が“トントン”に近い状態だったとしても、続けることそのものに意味がある。
文化も芸術も、決して不要不急なんかじゃありません。
……ここまで来ると、もはや意地ですね(笑)。「絶対に続けて、誰かに伝える。残していく」という意地が、そうさせているのかもしれません。
――最後に、読者の方へメッセージをお願いします。
独立・起業をするとしたら、自分の良さや“らしさ”を今一度見つめ直すといいんじゃないかなって思います。
お話してきたように、僕はずっと映画業界に入りたかったんです。本当に紆余曲折、さまざまな出会いや出来事を経て、今こうしてどうにか映画業界の隅っこで、僕なりに必死にがんばっています。
まさかこんな形で映画と関わることなんて、就職活動時の僕は少しも想像していませんでした。
だから今の世の中って、どんなことが仕事になるかって分からないなと、つくづく思うんです。
自分がこれまで会社でやってきた仕事だったり、ずっと自分が好きなことや趣味だったりが、急に線でつながることだってある。どんなところに自分の事業のタネが転がっているかなんて、分かりませんから。
まるでビュッフェで配られる「大きなお皿」のように。その皿を、どう自分らしく彩っていくかが、大切なんじゃないかなって思います。そのためにももう一度自分の良さや“らしさ”と向き合ってみる。すると何かヒントが得られるんじゃないでしょうか。
取材・文・撮影=内藤 祐介