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家があって暮らせればいい。ファッションブランド『途中でやめる』山下陽光の半生

家があって暮らせればいい。ファッションブランド『途中でやめる』山下陽光の半生

アイドルグループ『でんぱ組.inc』の夢眠ねむがファンだと公言するファッションブランド『途中でやめる』。

そのブランドデザイナーの山下陽光さんは、リサイクルショップで仕入れた古着をリメイクし、オンラインのショップや直売会を通して販売している。

山下さんの服は大好評で、サイトに商品が掲載されるとほぼ同時に完売してしまうという。

それではさぞかしもうかっているのでは、と話を聞くと、彼はそんなことには興味がないらしい。事実、服の価格もTシャツで3000円、ワンピースで7000円と、デザイナーズにしては手に取りやすい価格だ。

しかも、稼いだお金は服作りを手伝ってくれるアルバイトにほとんど還元しているという。

聞けば聞くほど不思議な商いをしている山下さんに、半生をうかがった。

<プロフィール>
山下陽光(やましたひかる) さん
『途中でやめる』デザイナー

1977年生まれ、長崎県出身。文化服装学院を出て、劇団員や借金取り、Tシャツのプリント工場勤務などを経て、2004年に「途中でやめる」スタート。

05年に高円寺で古着屋「素人の乱」をオープン。東日本大震災を機に、13年に長崎県に移住。現在は福岡市在住。アルバイトをやめて好きなことだけして生きるためのワークショップを全国で開催。その内容をまとめた「バイトやめる学校」(タバブックス)が発売中。

自由な高円寺時代、「何も売らない店」を開いたことも

――山下さんは『途中でやめる』を始める前に、『素人の乱』というリサイクルショップを運営されています。どのような経緯でお店を始めたのか、教えてください。

山下さん
店を始めるまでの経歴を簡単に話しておくと、僕は18歳の頃に文化服装学院に入学しました。進学した理由は、服が好きで、地元の長崎から出る理由が欲しかったから。

とはいえ当時は裏原宿ブームで、入学してみるとみんなが同じ方向を向き過ぎていたので、気持ちが冷めてしまって。卒業後はどこかに就職せず、Tシャツのプリント工場や服屋、劇団員や借金取りなどいろいろな仕事を転々としていました。

店を始める前にはフリマの転売もしていて。終了時間直後に会場に行くと、店じまい前はみんな持って帰りたくないから安くして売り払っちゃう。

その様子を見て「安くなった服を買って、別のフリマで売ったら商いになるんじゃないか」と思いつきました。

実際やってみると、同じことをしている人や、ヤフオクに転売する人がいて、「今日は売り上げどうでした?」とゆるくつながっていくんです。

転売する人向けにフリマを開く人もいて、そこには小さな経済圏が存在していた。自分で商いをする感覚はここで芽生えたのかもしれません。

山下さん
店を開いたのはもう少し後で、友人と一緒に期間限定のショップを開いたんです。当時、僕は6人の友人と映像を撮っていました。

活動の一環として「ショップを開こう」という話になり、友人が高円寺に構えていた店舗の2階にギャラリーを借りたんです。

そのショップは3週間続いたんですけど、千円札を950円で売るとか、とにかく「訳わかんないことをやったもん勝ち」というルールで運営して、『散歩の達人(首都圏の散策情報を掲載する雑誌)』にも取材されて。

全然売れなかったけれど、店をやるのはめっちゃ楽しかったですね。『素人の乱』を一緒に運営していた松本哉とも、この店で出会いました。

思えばこの時から今まで、僕の行動基準は「やっていて面白いかどうか」で判断していて、稼ぐことはあまり考えていないんです。

その後、『散歩の達人』から「もう一度取材をさせてください」と相談されたんですけど、期間限定ショップだったので肝心のお店がない。

「取材日までに作るから」と返事をして始めたのが、『場所っプ(場所+ショップ)』という活動です。これは高円寺のマクドナルド前でただ座って、何も買わずに何も売らないお店なんですけど。

その活動を続けるうちに、いろんな人が集まって、知り合った高円寺の北中通り商店街でお店をやってる人が「いつもここで集まっているなら店をやりなよ」って副会長さんを紹介してくれて店舗を借りることができたんです。

紹介された物件は3カ月後に取り壊す予定の建物で、賃料は月5万円で敷金礼金もいらなかった。ここで友人たちと開いた店が『素人の乱』だった、というわけです。

店は独立採算制で7店舗に拡大、東日本大震災を機に店を閉める

――当時の高円寺には自由な空気が流れていたんですね。山下さんは同時期に『途中でやめる』の活動も始めています。お店はその後どうなったのでしょうか?

山下さん

『途中でやめる』は2004年に始めて、フリマで売れない古着をリメイクしていました。『素人の乱』を開いたのは2005年です。お店はその後も、街の隙間にあるような格安物件を転々としながら、直営で最大7店舗まで拡大しました。

『素人の乱』は少し特殊で、僕らのコンセプトに共感した人は名前を名乗っていいですよと勝手にフランチャイズになれる仕組みを取っていたんです。

加盟したからといってお金を取るわけでもなかったですし、もう何店舗あったか忘れてしまったんですけど。

当時、お金はほんとに持ってなくて。店を開いていると毎日1000円くらい何かが売れるんです。

それを持って飲みに行っちゃったりとか。自宅の家賃は半年も滞納していましたし、電気・ガス・携帯電話もしょっちゅう止まっていました。

後にきちんと返しましたけど、友達からたくさん借金もしていましたし、自堕落な生活だったと思います。でも友人の間では「山下は何か面白いことをやる奴だから」と思われていて、周りが助けてくれたから生活できていた。

――その後2011年にはお店を閉めています。なぜ閉店を選んだのでしょうか?

山下さん
理由は東日本大震災でしたね。店を一緒に運営していた松本に誘われて反原発デモに参加するようになり、店に対するモチベーションが保てなくなりました。

もうひとつ、店を閉めるきっかけがあって。店をたたむちょっと前に、僕は服を全部無料で売ってみたんです。そうしたらもう店はいいかなって。

人1人が年間に買う服って、平均10kgで、そのうち9kgを捨てているみたいなんです。

それなら捨てる人に頼めば服を貰えるし、無料で配ったら面白いだろうと考えました。0円ショップは2週間くらい続けたんですけど、商売に対する考え方が変わってしまったんです。

無料で売るなら、お客さんと店主に利害は生まれません。でもお金を介すると、そこに上下関係が生まれてしまう。

無料なら喜んで持って行ってくれるし、万引きの心配もいらないし、煩わしいことが全部なくなるから、お店を続けているのがバカらしくなっちゃって。

結局、僕はただ、店に人が集まって楽しそうにしていたら満足だったんです。

なぜリーズナブルな価格にこだわるのか、独自の活動哲学

山下さん
閉店後にはスマホが急激に普及して、2012年にはBASEというネットショップのサービスが始まりました。

Webで物が売れるから店舗も必要なくなりましたし『途中でやめる』の服をBASEで売って、その売り上げで暮らしてましたね。

ちょうどタイミングも良かったんです。店を閉めた直後に、パルコが運営するECセレクトショップのバイヤーだった吉成佐恵さんに声をかけてもらって、渋谷パルコに服を置いてもらえるようになりました。

それからは順調で。EC販売だけでなく、直売会もするようになって、人手が足りなくなったからアルバイトを雇ったり。

2013年には結婚して、こどもも生まれる予定だったので地元の長崎県に戻って、2017年には地元に飽きて福岡市に引っ越しました。

――ECなので、場所は関係なかったのですね。

山下さん
そうですね。他県に引っ越しても、2カ月に1回は服の生地を買うために日暮里に来ているんですけれど、日暮里で買える生地は日本一安いから、移動費を入れても赤字にはならないですし。

それに、僕の場合は引っ越しをすると、なぜか服が売れるようになるんです。 環境が変わるので、使っていなかった脳みそを使えているからだと思うんですけど。

――お金の話が出ましたが、『途中でやめる』の服は全てデザイナーズの1点ものなのに、すごく手頃な価格ですよね。Tシャツが3000円、ワンピースが7000円とか。

山下さん
安くした方が面白いので。というのも、個人でやってると利益率が上がらないから、どうしてもそれなりの値段になってしまうんですね。でもそれって売り手の都合で、買い手の都合を考えていないと思うんです。

世の中に流通している物の値段も、思い込みに影響されている部分が大きいと思っていて。

Tシャツもファストファッションが出て来る前は3000から4000円はしていたじゃないですか。でも今は1500円で買える。ユニクロは大量に作って、買い手の都合に合わせているんです。そこは時代に合わせた適正な価格があるはず。

同じような話で、ブックオフはお客さんから1500円の本を150円で買い取って、その価格の何倍かの値段をつけて売っています。

でも、メルカリを使えば、手数料が10%取られるだけ。書店で購入した1500円の本を、送料込み1200円で売ると、1000円くらい戻ってくるんですよ。

メルカリの方がお客さんに寄り添っていますよね。だから成長している。

僕もBASEができてから、これまでお店に必要とされてきた、家賃や敷金礼金、人件費、光熱費が一切いらなくなったんです。スマホがあれば商いができるようになって、月にかかっていた50万円くらいの経費がなくなりました。

経費がかからない状況で、1円も売値を安くしないのか。僕は安くしたいと思いました。

――今よりもうけたいとか、お金を貯めておきたいという気持ちにはならないのでしょうか?

山下さん
使い道がないというか。持って貯めてだと余裕が出すぎちゃって。それに、お金が必要な時って、自然と集まりそうな気がするんですね。

僕は今、東京の下町に引っ越したいと思っているんです。生地を仕入れに行く日暮里にも近いし、家賃も比較的安いし。もし本当に引っ越すなら、東京の知人にカンパしてもらったら、すぐに集まるような気がします。

引っ越しも移動できればいいだけなので「敷金礼金がいらない家を紹介するよ」と言ってくれる人がいれば100万円もいらないと思います。

Tシャツも、中国やインドネシアで作ると、日本の10分の1くらいの値段で作れちゃうんです。経費も抑えられてめちゃくちゃもうかるじゃないですか。やろうと思えば理論上、いくらでもできちゃう。

そんなにもうけてやりたいことがあるんだったらやればいいんですけど、僕はないんです。

だから、僕は雇っているアルバイトの人の時給もできるだけ上げたいと思っていて。今、一緒に働いてもらっている人は7人いて、そのうち1人は2年くらい続けてくれているんですけど、今年の夏に時給を1500円に上げました。

払う側としてはめちゃ大変なんですけど、いい子なので時給を上げたくてしょうがなくて。でも「上げる」と言うとその子は「そんなにいらない」と言うし、そのせめぎ合いも面白いんですけど。

お客さんには安く売って、関わる人にもめちゃ給料をあげて、自分たちはつつましく暮らせるなら、お客さんから僕らまで全員が楽しいじゃないですか。

みんなが描いてる理想を先にやってしまう方がいいんじゃないかって。

――とはいえ、わりと特殊な価値観ですよね。今はクラウドファンディングが登場してお金を集めやすくなりましたが、確信が持てなくて、貯めたり借りたりする人も多いので。

山下さん
確かにそうかもしれないですね。僕は独自ルールを作ってやってたらなぜか暮らせるようになったので、世の中の常識と接点を持たなくても大丈夫になっちゃったんだと思います。

「こうじゃなきゃダメでしょ」という価値観とあまり接することなく生きていけているので。

――どのような独自のルールを立てたのでしょうか?

山下さん
お金がなくなったら洋服を作って売ることです。「その日暮らしのインターネット版」じゃないですけど、結局、高円寺時代からグータラさは変わってなくて、計画性もなくて。

「今月、家賃払えないかも」という危機感で、2週間くらい全力で服を作って売ると、速攻で売れるんです。それで売れているんならいいかと思っています。

それに、今の暮らしをご褒美だと思っているのかも。こんなに楽しく暮らせていることって今までなかったので。めちゃくちゃ楽しいのに、それ以上稼いでもしょうがないでしょうと思っている。

病気になって働けなくなったら、それはそれじゃないかなと。

私たちはなぜ働くのか、山下さんの答えとは

――お話を聞いていて考えていたんですけれど、なんで僕らは働いているんでしょうか。世の中には働かなきゃいけない。スキルを研鑽しなくちゃいけない。そういう空気が流れていますよね。

山下さん
なんですかね。僕は支払いがあるから、という感じでしかないですかね。でも抜け道はあると思っていて、福岡市の僕の家って、ヤフードームがすごく近いんですね。

だから野球やコンサートを狙って民泊で貸し出せば、旅費も宿泊費もプラスマイナスゼロにできる。うまいことやれば働かなくてもいいのかなと考えたりします。

――山下さんの価値観って、常識に染まった人から見るとすごく特異なものに感じられると思うんです。しがらみって時に息苦しいものですよね。常識から解放されるためにはどうすれば良いのでしょうか?

山下さん
今って世の中が超絶変化していて、自分で仕事が作れる時代なんですよ。

なのに、学校教育や世間や親の存在がでかすぎて、「こうしていなきゃいけない」と思い込んでいることが多すぎると思います。それから解き放たれたら楽勝というか、家があって暮らせていればいいや、ということなのでそんなに難しいことじゃないんですよ。

多くの人が仕事のなかで、今、世の中にないものを価値として提供しないといけないと思っているけれど、既存のものでも十分仕事にできると思います。

たとえば「やらなきゃいけない」を「やる」と思わせる仕事も求められているんじゃないかなって。

今って何でも検索しちゃうし、選択肢が無限にあるので、決断ができない人も多いですよね。だからみんな、ポンと肩を押されるのを待っていると思うんですよ。

やりたいことはあるけれど、面倒くさいからどうしようかなとか。そこで、学校の先生じゃないですけど、やらないと怒るよ! と言ってくれたら仕事になる。

こういう仕事をどう見つけたらいいかというと、自分でやっていることを細かく分析して、「こうやったらうまく行くんじゃない?」と客観的に言ってくれる人が近くにいたらいいんじゃないでしょうか。

僕にもいるんですけど。そいつは高円寺時代の友人で、父親がコンサルをやっていて、会うたびアドバイスをくれるんです。「在庫を1回大量に作って、残ったものを他に売ればいいんじゃないか」とか。

そんなこと考えたこともなかったので、その通りにやったら売り上げが3倍くらいになりました。

SNSとかも似た人しか集まらないじゃないですか。似た人に会っても、そいつといかに違うことをするか、という袋小路に入ってしまう。

でも、全然関係ない人が見たら「なんでこれをやらないの?」となりますよね。快適さを選べば選ぶほど、自分と似た意見しか集まらないので、あえて違う意見に触れる方がいいのかなって。

それが路上というか、ストリートの面白さだと思うし、雑多な感じがいい。

確かに雑多な状況は疲れるんです。SNSで疲れたくもないし、考え方が違う人に会いたくもない。けど、意外とそこが空席なんだと思います。

考えが違う人に会わないと、「なるほど」と思ったり、本気でムカつくこともないし。凝り固まってきた考えをどうにかしていきたい。そういうことを僕はやりたいですね。

山下さんの話を聞いていると、世の中の当たり前に染まった自分に気づく。お金を得ることはとても大事なことだけれど、そういえば、この仕事を始めた当初はそればかりでもなかったよなと。今も別の形で楽しさは感じているけれど、もっと「楽しい」にまっすぐではなかったか。

山下さんは「家があって暮らせていればいいや、ということなのでそんなに難しいことじゃないんですよ」と言った。その通りで、仕事を続けていくうちに、僕らは知らないうちに問題を大きくしてしまいがちになる。

もっと軽やかでいい。縛られなくてもいい。そんなことを山下さんと話しながら感じた。

取材・文・撮影=鈴木 雅矩

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