人々を魅了するオーケストラ。
オーケストラの中でも、バイオリンは花形楽器の1つ。時に優しく、時に激しく奏でる旋律は、鑑賞者を魅了します。
今回お話を伺ったのは、プロバイオリニストの松本一策さん。
オーケストラに所属し、バイオリニストとして活躍されていた松本さんは、2014年に独立。現在はWebで積極的な発信を行い、リアルからWebまで様々な領域で活動しています。
松本さんはオーケストラから独立した理由を「自分の力をより発揮するため」と語ります。
その真意に、迫ります。
松本一策/ISSAKU
1980年12月13日生まれ。
名古屋市出身。
2003年に信州大学理学部物理科学科を卒業後、愛知県立芸術大学へ進学。フランス音楽コンクールなど数々のコンクールに入賞する。
卒業後は一般社団法人セントラル愛知交響楽団に所属。楽団の活動の他、自主企画のコンサートをはじめ、レッスン、依頼演奏やアマチュアオーケストラの指導も担当。
2014年10月より、独立。アイルランド民謡やジプシー、ジャズなどをレパートリーにした「悠情楽団」のセカンドフィドル奏者としても活躍の幅を広げ、即興演奏も多く取り入れる。
近年では、L'Arc〜en〜Cielなどのポップアーティストのツアーに参加するなど、クラシックに限らず演奏ジャンルを広げている。
「練習しなさい」ではモチベーションは上がらない。一度辞めたバイオリンを、再び手に取った理由
―現在に至るまでの経緯を教えてください。

私は4歳からバイオリンを始めました。
両親がクラシック音楽を聴くのが好きだったので、親の影響からバイオリンを習い始めました。
また、両親が転勤族だったので全国各地を転々としながら、その土地の有名な先生の元で腕を上げていき、コンクールでも頻繁に金賞を受賞するようになりました。
こう振り返ると、比較的音楽をやる上では恵まれた環境だったかもしれません(笑)。
―幼い頃から英才教育を受けられてきたんですね。そのまま、プロのバイオリニストの道に進んでいったのですか?

いえ、それがそうでもありませんでした。
中学生になってサッカー部に入部し、さらに当時流行っていたテレビゲームに夢中になったことで、バイオリンに対するモチベーションがとても下がってしまったんです。
そこでそれを見かねた母親から「サッカーとゲームとバイオリン、どれか2つにしなさい」と言われたことがきっかけで、バイオリンをやめてしまったんです。
―思春期になると、いろんなものに興味が出てきますからね。しかし、なぜまたバイオリンを弾き始めたのでしょう?

転機になったのは、大学生の時です。
信州大学の理学部に進学した時に、大学のオーケストラサークルに誘われました。
大学からバイオリンを始めた周りの人と比べると、私は経験者だったので、相対的に見るととても上手だったんです。
するとどうなるか。まあ、いろんな人からチヤホヤされるんですよね。(笑)
しかも幼い頃と違い、誰からも「練習しなさい」と言われないし、自分の好きな曲を好きなだけ練習できる。
そうして再び、バイオリンにのめり込んでいきました。
―「練習しなさい」と言われてモチベーションを上げるってなかなか難しいですよね。逆に自ら能動的に練習できると、モチベーションを維持しやすい。まさに「好きこそものの上手なれ」ですね。

ほんとその通りだと思います。
大学時代は、過去のブランクを取り戻すかのように、メキメキと腕を上げていきました。
そして就職活動はせずに信州大学卒業後は、地元名古屋にある、愛知県立芸術大学へ進学しました。
そして本格的にバイオリンの勉強に励んだ後卒業し、26歳で「一般社団法人セントラル愛知交響楽団」に所属することになりました。
月収10万円以下!? 松本さんがオーケストラを辞めて、フリーランスになった理由
―オーケストラ入団後は、どのような活動をされていたのでしょう?

基本的にはコンサートでバイオリンを弾くことが仕事です。
ただ楽団員は本番の時間はもちろんのこと、リハーサルを加え、楽曲の個人練習の時間も仕事の一部になりますので、拘束時間が意外と長いのです。
(1公演あたり本番リハで約16時間+練習時間+移動時間)
その上、公演も月に3本程度から多いときで20本ほどこなすので、収入も時間も安定しません。(少ない月は10万円を切ることも…)
なので楽団員は、基本的にレッスンなどのバイトと両立しながら生活しています。
すると生活のほぼ全ての時間を、オーケストラとバイトで取られてしまうんですよね。
幸い私は名古屋の実家に住みながら活動していたので、バイトにそこまで時間を割かなくてもよかったのですが、1人暮らしのメンバーは大変そうでしたね。
―ステージでの華やかさとは裏腹に、生活は厳しいのですね。

そうですね。
愛知県立芸術大学時代から始めた、ソロやイベントでの演奏活動、アレンジの仕事(主旋律を保ったまま、コード進行や伴奏、使用する楽器などに手を加えて、楽曲に幅を持たせること)といった楽団とは別の、副業的な活動に対して、かなり制約をかけざるを得ませんでした。
オーケストラの活動自体は嫌ではなかったのですが、時間とお金の自由がきかない生活に、違和感を覚えていました。
―その状況をどのように変えていったのでしょうか?

今から7年前、同じオーケストラの楽団員だった同僚と結婚したことが、転機になりました。
当時は2人合わせて、同年代の会社員1人分の平均月収にも至っておらず、2人で生活していくにはなかなか厳しい状況でした。どちらか一方が体調を崩すだけでも危ない状況です。
「このままじゃいけない」と思い、楽団員との生活を両立しながら、安定的にお金を稼いでいける方法を考えたんです。
―具体的に何をされたんですか?

自分たち2人のバイオリン教室を開き、WebでHPを立ち上げて生徒さんを募集しました。
すると意外とすぐに、生徒さんがHPを見て応募してくれて、何人か集まったんです。
その時に初めて、Webの可能性を感じました。
―そこからはWebに力を入れていった、というわけですね。

はい。HPを立ち上げたことでバイオリン教室の募集から始まり、自分がこれまでやってきたアレンジの仕事やバイオリン演奏の依頼をWebを通して受けるようになりました。今ではレコーディングの仕事もオンラインで少しずついただいております。
自分についての情報や自分ができることの発信を続けた結果、たくさんのお仕事をいただけるようになったんです。
「オーケストラに所属していなくても音楽はできるんだな」とだんだん実感していきました。
そして、2014年。オーケストラに所属していなくても家族が食べていけるだけの算段がついたので、次のステップへ移るためにオーケストラを退団しました。
自分の強みを発揮できる場所を見つけることも、才能の1つ
―オーケストラを退団しようと決意した時、奥さまにはすぐOKをいただけたんでしょうか?

最初は反対されましたね(笑)。
やっぱり、安定してお金をいただける場所を捨ててしまうのは、それ相応のリスクが伴いますので。
―どう説得されたのでしょうか?

2つの説得材料を作りました。
1つめは、とにかくお金を稼いで貯金すること。退団する前に、ある程度蓄えを作っておけば、仕事が減っても急場を凌ぐことができます。
そしてもう1つは、毎月コンスタントにお金が入ってくる環境を作ること。
単発の依頼だけではなく、定期的に開催されるイベントでの演奏や、バイオリン教室のレッスンなど、毎月必ず一定のお金が入ってくるように仕組みを構築しました。
フリーの仕事は水物ですし、いつ依頼がなくなってしまうかも分かりません。
だからこそ「最低限これくらいの一定収入が見込める」ということを証明したんです。
―楽団員時代と同じように、毎月収入が得られていれば安心できる材料になりますよね。

はい、そして何より、独立して自分の力で稼いでいきたいという熱意を、妻に伝えました。「仕事がなくなったら、アルバイトしてでも生活を守る」と宣言したんです。
その熱意と説得材料でなんとか許してもらうことができました。2年ほどかかりましたが…(笑)。
―大学時代にバイオリンの世界に戻ってきた時も、オーケストラから独立した時もそうですが松本さんは、大きな裁量の中で自分の好きなことをしていく、というところに高いモチベーションが生まれるんですね。

たしかにそうかもしれません。誰かから指示されてやるよりも、自分で好きなことを突き詰めていった時の方が、パフォーマンスは上がりますね。
バイオリンを始め、ゲームや勉強(大学で専攻した物理など)もそうですが、昔から1つのものに興味が出ると、周りが見えなくなるくらい熱中してしまう性格でした。
だから一度「これおもしろい!」って思ってしまうと、もう寝食も忘れて極めたくなってしまうんですよ(笑)。
その性格をご自身でよくご理解されているからこそ、今の松本さんがあるんですね。

好きになったら誰にも負けないくらいの熱量を燃やせるのは、仕事をする上でもとても大切だなって思います。
でもそれだけで独立はできません。根拠のない自信に、家族は巻き込めない。だからこそ、ちゃんと毎月稼いでいける算段をきちんと立てたんです。
―松本さんは、後続のバイオリニストだけにとどまらず、芸術の世界で生きて行く人にとってとても参考になる、ロールモデルの存在だと思います。これから独立を目指す人たちへ、何かアドバイスをいただけますか?

自分の力が最大限に発揮できる場所を見つけることですね。
特にバイオリニストを始め、音楽や美術といった芸術の世界で活躍する人は、専門的な分野のスキルはとても高いにも関わらず、自分の力を活かしきれていないという人が多い気がします。
私は、自分の力が発揮できない場所からは自然と遠ざかってきました。自分が熱中できるポイントはどこなのか、自分の好きなもの(好きだったもの)と上手く照らし合わせながら、どこが向いているのか、どこなら活躍できるのかを探してきました。
そして今のポジション(仕事、収入、働き方)を手に入れたんです。
正直「ここは自分に合わないな」と思うなら、さっさと環境を変えてしまったほうがいいと思います。
自分が輝くための努力も大切ですが、そもそも自分が輝ける場所を見つけることは、もっと重要です。
独立をする前に今、自分が目指している場所は、自分の力を最大限に発揮できるか、ぜひ一度考えてみてください。
取材・文・撮影=内藤 祐介