あなたの強みは何ですか?
就職活動の面接で聞かれることの多いこの質問ですが、考えてみるとなかなか思いつかない人も多いのではないでしょうか。
今回お話を伺ったのは、元Jリーガーで現早稲田大学ア式蹴球部(サッカー部)監督の外池大亮さん。
外池さんはJリーガーとして活躍後、現在は早稲田大学ア式蹴球部監督と、スカパーJSATグループの社員という二足のわらじを履いています。
外池さんが監督を務める早稲田大学ア式蹴球部では、サッカーのスキルの良し悪しではなく、部員1人1人の強みを明確にして、部内、ひいては世の中でどのような活躍ができるかを考えているそうです。
今回は、外池さんの経歴を振り返るとともに、外池さんがア式蹴球部で実践されている監督像について伺いました。
外池大亮(とのいけ・だいすけ)43歳
早稲田大学ア式蹴球部監督/スカパーJSATグループ
神奈川県横浜市生まれの元プロサッカー選手。
1997年、早稲田大学からベルマーレ平塚(現湘南ベルマーレ)に加入。
横浜F・マリノスやヴァンフォーレ甲府など複数のクラブを渡り歩き、2007年、湘南ベルマーレを最後に現役を引退。
現役引退後は広告代理店の電通に就職。サッカー日本代表のオフィシャルサポーターであるキリングループの担当営業を務め、サッカー事業に大きく貢献する。
その後はスカパーJSATグループに転職し、サッカーの試合中継や関連番組制作など、サッカーを発信する立場に身を置く。
2018年、母校早稲田大学ア式蹴球部監督に就任。
就任1年目にして、ア式蹴球部を関東大学サッカーリーグ戦で優勝に導く。
スカパーJSATグループと兼任しながら、早稲田大学、そして大学サッカー全体のレベルアップに日々奮闘中。
元Jリーガー・外池大亮が、現役時代にインターンに行った理由
ー元Jリーガーであり、現在は早稲田大学ア式蹴球部監督とスカパーJSATグループの社員を兼任されている外池さん。現在に至るまでの経緯を教えてください。
サッカーと初めて出合ったのは、小学生の時でした。小中学校とサッカーを続け、高校は早稲田実業高校に入学しました。
早稲田実業高校時代は、チームも高校サッカー選手権に出場できませんでしたし、私自身も特に期待されるような選手ではありませんでした。
ーそうなんですね。では、大学に進学されてからはどうだったのでしょうか?
早稲田実業高校から、早稲田大学へ進学しました。
早稲田大学のサッカーのレベルが高いことは、入学前から分かっていたので「レギュラーメンバーとして試合に出るのは無理だろうな…」と思っていたんですが、たまたま1年生の時から試合に出るチャンスに恵まれて。
その試合で活躍することができてから、その後も少しずつですが試合に出られるようになったんです。
そしてその年に早稲田大学がインカレ(全日本大学サッカー選手権大会)で優勝することができ、私自身も優秀選手に選出されました。自分も試合に出ていた分、嬉しさと、もっとサッカーが上手くなりたいという気持ちが強くなりました。
ー大学サッカーでは、良いスタートダッシュを切ることができたんですね。
そうですね。そして4年生の時には、早稲田大学が20年ぶりに関東大学サッカーリーグ戦で優勝することができ、喜びもひとしおでした。しかし大学生活の4年間で、早稲田の伝統に疑問を持つようになりました。
ーそれはどういうことでしょう?
ア式蹴球部は早稲田大学の中でも特に伝統ある部活です。数多くのタイトルを獲得し、著名なサッカー選手を輩出してきました。現在でもJリーグのクラブや日本サッカー協会にはOBが大勢在籍しています。
ただ、マンモス校であり伝統があるが故に、たとえ先輩から理不尽なことを言われても「先輩の言うことは絶対」と言う雰囲気がありました。
例えば学校の授業が長引いた、など仕方ない理由で遅刻をしても、練習に遅れた罰としてグラウンド整備を3カ月やらされたり、走らされたりすることが、しょっちゅうでした。
それでも周りの人は「これが早稲田の伝統だから」と、すんなり受け入れてしまう。自分にとって早稲田大学ア式蹴球部は、次第に窮屈に感じるようになりました。
その後卒業も近くなったタイミングで、Jリーグのクラブからオファーをいただいたんですが、あえて早稲田大学のOBがいない、ベルマーレ平塚に入団することにしました。
ー早稲田大学との関わりがないクラブで、プロとしてのキャリアを歩み始めたのですね。プロの世界はどうでしたか?
プロの世界では、苦しいことの方が多かったと思います。
ベルマーレ平塚で活躍できて、2000年にビッククラブである横浜F・マリノスに移籍したんですが、低迷するチームの変換にあたって、2002年に戦力外通告を受けました。
2003年にヴァンフォーレ甲府のトライアウトを受けて入団しましたが、その後もいくつかのクラブを渡り歩くことになりました。
戦力外通告を受けて、次のクラブを探すのに苦労し、苦しい生活が続きましたが、Jリーガーとしての生活は私にとってとても貴重なものでした。
サッカーを通していろいろな場所に行ったり、いろいろな人と出会えたりして、常に自分にとって新しい環境に身を置くことができましたから。
そうやっていろいろな環境にいる中で、社会の中での「サッカーの立ち位置」を考えるようになっていったんです。
ー「サッカーの立ち位置」というと?
サッカーが、人々の生活の中でどのように扱われているかです。
例えば、人々の生活の中でサッカーがどのようにプロモーションされているか、それぞれのクラブがどれくらい地域の活性化に貢献しているか、などですね。
Jリーガーには、選手がサッカーに打ち込める充実したクラブハウスがあります。いろいろなクラブに在籍して、それを実感しました。
しかしJリーガーの価値は、ただ単に「サッカーが上手くて、チームの勝利に貢献すること」だけではないと思います。
サッカーが上手くてチームを勝たせるだけでなく、応援してくれるサポーターのために、そしてサポーターをより増やすために何ができるかを考えることができれば、その選手の価値はもっと上がると思います。
そのためにはJリーガー自身が、サッカー以外の世界を知ることがとても大事だと気づきました。
ー外池さんは、Jリーガーの新たな価値を作りだそうとしたんですね。具体的にどのようなことをされたのですか?
ヴァンフォーレ甲府のトライアウトを受けた2003年、同時に朝日新聞やアディダスなど、サッカー界と関わりがあるいろいろな企業のインターンに参加しました。
営業の仕事やスパイクなどの道具開発の現場をこの目で見ることによって、今まで選手としてだけしか関わってこられなかったサッカーのことを、複数の視点から見ることができるようになったんです。
しかしチームメイトからは、「引退後のことを考えてインターンに行ってる」と思われていたようで、「引退後のことを考えながらサッカーをしている人と一緒にプレーしたくない」と、冗談交じりに言われたこともあります。
でも実際は、当時のJリーガーとしての自分の価値を高めるためで、決して引退後のことを考えていたからではありませんでした。
例えば当時、応援してくれるサポーターのためにブログを開設しました。情報を発信することで、試合以外でもサポーターと触れ合うことができますし、もっと自分を深く知ってもらう良い機会だと思いました。
サッカーの上手さだけではない価値を生み出す。早稲田大学・ア式蹴球部が新たに目指すこと
ー外池さん独自の価値を示したのですね。では、いつから引退を意識したのでしょう?
これは私の持論ですが、Jリーガーは「選手としての価値がある時」に引退したほうがいいと思っています。
というのもプロサッカー選手の中には、監督との相性が良くないから、試合に出られないからといったネガティブな理由で、人知れず辞めていく選手も少なくありません。
だからこそ私が引退する時は、自分のサッカー人生を肯定できる、前向きな辞め方をしたかったんです。
Jリーグは日本サッカーの最高峰です。そこで自分ができる最高のパフォーマンスをして、チームに貢献したり給料以上の仕事ができたら、そこが辞め時だと思い、現役を続けてきました。
私にとって2007年のシーズン終了後がその時でした。2007年のシーズン終了後、11年間のプロ生活に終止符を打ちました。
ー有終の美を飾っての引退ということですね。引退後は、やはりサッカー関連の仕事に就こうと?
はい。選手としてはもちろん、インターンなどの仕事を通してサッカーと関わってみて、サッカーの価値を広めていくためには、スポンサーとメディアの役割が大きいと実感しました。
なので、引退後は(株)電通に入社しました。(株)電通とJリーグの関係は深く、知人の紹介での入社です。
(株)電通では、日本代表のオフィシャルサポーターであるキリングループの担当営業を務め、代表戦の運営やブランディングに携わりました。
(株)電通で5年間働いた後、今度は自分でサッカー関連番組を制作して、発信する立場になろうと思いました。そこで、(株)電通を退職して、現在も在籍しているスカパーJSATグループに転職しました。
そこで制作したのが、『Jリーグラボ』(https://soccer.skyperfectv.co.jp/relatedprograms/jleague_lab/)や『Jのミライ』(https://soccer.skyperfectv.co.jp/relatedprograms/jnomirai/)という番組です。
ーでは、早稲田大学ア式蹴球部の監督に就任するまでには、どのような経緯があったのですか?
早稲田大学は昨年、関東大学サッカーリーグの2部に降格しました。そこでア式蹴球部のコーチの体制に変化を加えるべきという意見が広がりました。
そこでOBの間で、プロのサッカー選手だけでなく、社会で活躍できる人材を育てることができる指導者が必要という話になり、Jリーガーと社会人の両方の経験がある私に白羽の矢が立ったんです。
ーそうだったのですね。監督としての外池さんに求められていることは何だとお考えですか?
それぞれの学生が社会に出た時に、各々の形で社会に貢献できるようにすることです。
もっと言えば「日本をリードする存在になる」ことです。これは、今年のア式蹴球部のスローガンです。
大学サッカーではどうしてもサッカーの上手さ、つまりプロになれるかどうかで評価される傾向があります。
しかし、プロになることができる学生は一握り。大半の学生は企業に就職します。
プロに行く子も、企業に就職する子も、学生1人1人が部内での存在意義を見出せるような環境を作ることが、私のやるべきことです。
私が学生の時のように、早稲田の伝統に囚われて、考えることを止めてしまうような環境は作りたくありませんでした。
だから、ア式蹴球部での私の役割は、良い意味で早稲田の伝統を変えていくこと。今所属している学生たちだからこそ作れる、早稲田にしていくことです。
それぞれの部員の内に秘めている考えを引き出し、行動に移させるのも私の役割です。
ー部員たち1人1人が存在意義を見出だせる環境、とても素敵だと思います。そうした部を作っていくために取り組んでいることはありますか?
定期的に学生と面談しています。1対1で話す場所を設けると、普段はあまり喋らない学生でも自分の考えをしっかり話してくれるようになります。
中には、面談に2時間かかった学生もいますね(笑)。
さらに、学生たちに好きなテーマでブログを書かせて、ツイッターで発信させるようにしています。それに私が必ずツイッター上でコメントするようにしています。
そうすることで自分の思いや考えもオープンに伝わりますし、そのブログが様々な人の目に触れる機会にもなります。
自分が思っていることを表現して、それを発信していくことは、大学の部活という狭い世界ではなく、社会という広い世界に身を置いている実感にも繋がります。
「日本をリードする存在」になるために、大学サッカーが担う役割
ー学生たちが価値を発揮できる場を積極的に作っているのですね。では、外池さんは大学サッカーにどのような魅力があるとお考えですか?
大学生は、高校生や中学生と比べて時間がありますし、勉強や交友関係といった面で、今までとは違った発見がたくさんあるはずです。
その分、学生がサッカー選手として、人として大きく成長できる可能性が存分にあるのが大学です。そんな学生たちは将来の日本サッカー、そして日本社会の担い手です。
学びの場所、サッカーをするのに充実した場所である大学の価値や魅力を、スカパーの仕事で伝えていくこともまた、私の仕事だと思っています。実際に、早慶戦をライブ中継したりと、大学サッカーを発信する事業を始めています。
ー早稲田大学だけでなく、他の大学も将来の日本を担う可能性があるわけですね。
そうですね。今は早稲田が先頭に立って大学サッカーをリードすることを目指します。
もちろんそれぞれの大学に個性があると思うので、これから先、日本を盛り上げるコンテンツとして大学の魅力を発信していきたいと思います。
ー今後も早稲田大学ア式蹴球部、そして大学サッカー全体に要注目ですね。
はい。
早稲田大学としては、今年度の関東大学サッカーリーグでの優勝が大きなポイントです。
早稲田の伝統を変えて、新たなことにチャレンジしてきた成果としての優勝は、嬉しさが格別です。
そしてそれを見て、来年度以降、今の高校生たちが「早稲田って面白そうだな」、「大学サッカーって面白そうだな」と思って大学サッカーに挑戦してくれるようになれば、勝敗だけではない価値を生み出すことに繋がりますから。