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”鈴木おさむ”さんが自分とそのアイデアに賭けてくれる人と歩むB To Cファンド

生ボイス

若干19歳にして放送作家の道を歩み始め、「SMAP×SMAP」(フジテレビ系列、以降「スマスマ」)など、次々と人気番組を手掛けていった鈴木おさむさん。ヒットを生み続けて32年経った昨年、”放送作家は天職”だけど”アドレナリンが出なくなった”と感じ、放送作家を引退して、B To Cファンド「スタートアップファクトリー」を設立したそう。

交際0日婚や、当時珍しかった男性の育休取得、自身を”ソフト老害”と捉えるなど、エッジの効いた物事の選択・見方も話題となってきたのは、”常にワクワク・ドキドキを求めた生き方”にあるよう。

インタビューでも「僕、好奇心旺盛で”好奇心おばけ”って呼ばれるんですよ」と言いながら、「この間も、〇〇さんとね……」「〇〇さんがね……」と、たくさんの方とのエピソードを交えてお話ししてくださいました。人に興味があるから、人とのご縁にも恵まれるし、ご自身のファンドも「ある意味、人を応援すること」と言う通り、人を大事にされる方だから、人の心を動かす作品をつくり続けてこられたのだと感じました。現在のファンドでも、「早く結果を出して、ファンドも天職だったと言いたい」とのことで、現在のファンドについてお伺いしてきました。

<プロフィール>

鈴木おさむさん
スタートアップファクトリー代表(1972年生・千葉県出身)

明治学院大学在学中から放送作家となり、「SMAP×SMAP」など数々の人気番組を手掛ける。32年間、テレビドラマや映画、舞台、ラジオと幅広く活動をし、2024年3月をもって放送作家を引退。現在はB To C向けのファンド「スタートアップファクトリー」の代表を務めている。

スタートアップファクトリー公式HPはコチラ

放送作家とファンド、”人生に2つの天職があった”と言いたい

―昨年、放送作家を辞めてファンドを立ち上げられましたが、ファンドで成し遂げたいことは何ですか?

自分のファンドを通して、ちょっとでもいいから、日本の何かを変えることができたら嬉しいと思っています。

放送作家になって「SMAP×SMAP」とか、「めちゃ×2イケてるッ!」(フジテレビ系列)とか、人気番組を担当させてもらって、テレビ番組を色々と変えることができた部分もあると思うんです。

僕のファンドって”投資して終わり“じゃなくて、会議をして一緒にアイデアを出して、僕と投資先と二人三脚でやっている所が多いんです。自分が加わることによって、その会社の成長スピードを2倍から3倍に上げられる会社こそ自分が参加する意味があると思ってるので。投資した会社が、10年後にメルカリや、サイバーエージェントみたいな大きな会社になっていることが一番の目標です。

うちのファンドはB To Cのビジネスに限定してるんですけど、エンタメ的なものが多いです。でも、僕は食品も旅もエンタメだと思ってるんで、幅広いですね。

あと、人生論で言うと、32年間やってきた放送作家という仕事は天職だったと思っています。放送作家としての仕事はやりきりました。50代になって、ここからもう1個、天職を見つけたい、ファンドも天職だったって言いたいと思っています。元気だったら70歳ぐらいまで働くわけだから、これから20年この仕事をして、「人生で2個、天職があった」って言いたいのが一番です。

10年ではなかなか結果が出にくいだろうけど、もし10年続けられていたら、10年目ぐらいでめっちゃ乗ってくると思うんで(笑)。

放送作家を辞めれば、またアドレナリンの出る人生を歩める!

―ファンドを始められたきっかけは何ですか?

40歳で生き方を変えたことで、新しい人に出会って、新しい世界を見つけたからです。

40歳になって”なんとなくのルーティーンを変えよう“と思って、テレビ業界の人とご飯を食べに行くのをやめたんですよ。会議が終わった後に飲みに行って、ずっと愚痴を言うなら、会議室で話せばいいやと思ったんですよね(笑)。

その代わりに新しく出会った人とご飯に行くようにしました。お相撲さん、ホスト……。その中にサイバーエージェントの人がいたんです。サイバーエージェントと仕事を始めたのが40歳ぐらいの時で、人気の携帯ゲームをテレビ番組にする企画だったんですけど、そのゲームのプロデューサーが24歳だったんです。テレビの世界だとそんなに若い人がプロデューサーなんてありえないことなのでびっくりしました。でも、その子が全部決めて、とてつもないヒットと利益を生み出してるのを見て、テレビの世界はやばいなって本当に思ったんです。

そこから、サイバーエージェントの人たちと、すごい仲良くなって、インターネットの世界を知るようになったら、そこには今まで僕が知ってたものと違う世界があった。「これは、世界が音を立てて変わっていくな」と思いました。

そんな中、2010年に都内にビルを買って、2階を自分のオフィスにして、上の階は友達に貸したけど、下の階が空いてたから、「どうしたらいいかな」と思っていた時に、サイバーエージェントの人に「シェアオフィスにしたらどうですか」って言われたので「スタートアップの子にタダで貸すから、僕と相性のいい会社を紹介してほしい」って頼んだんです。そうしてシェアオフィスに入ってきた子たちと飲み会をするようにしたら、今までと違ういろんな新しい情報が入ってくるようになりました。

とにかくルーティーンを壊し続けていた中で、新しい出会いが生まれて、その流れで初めてエンジェル投資もし始めました。スタートアップの子と、めちゃくちゃ出会うようになったのは40代後半です。

SMAPが解散した時、僕は45歳か46歳くらいだったんですけど、すっかりアドレナリンが出なくなってしまったんです。もちろん新しい仕事もしていたし、面白い仕事もたくさんしていたんだけど、いっぱいにアクセルを踏んでもなかなかスピードが上がり切らないみたいな感じがありました。

会社員じゃないから”辞める”っていうことは思いもつかなかったんですけど、山下達郎さんのライブで「LAST STEP」っていう曲を聴いた時に、なぜか突然閃いたんです。「その選択肢があった!」みたいな。「辞めたら、新しいことに挑戦できる!!」って、パーッと世界が明るくなったんですよ。

そうして、放送作家を辞めると決めたんですけど、コロナ禍になって、辞めるどころじゃなくなっちゃったんです。今までと違う状況になって、番組づくりを手探りで進めることも多くて、ある意味、アドレナリンが出てたとは思います。

それから3年ぐらいして、世の中が落ち着いてきた時に「また、コロナ禍以前のようなテレビの仕事をやるのか」と思ったら、もうアドレナリンが出る自信がなくて、そこで、「やっぱり辞めよう」って本当に決めました。辞めると決めた時に、仲のいい若い起業家に、「僕、放送作家を辞めたら何が向いてるかな」って聞いたら、「なんで本気でファンドをやらないんですか?」って言われたんです。エンジェル投資を5年間やっていたけど、自分のことって自分じゃ分からなかったりするから、そう言われた時に「それがあったかー!」って思って、ファンドを設立して、スタートアップの起業家たちと100%向き合っていくことにしました。

―ご自身を”ソフト老害“とおっしゃっていたこともありますが、若い人の意見を聞き入れるのは自然なことでしたか?

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