独立・起業をする上で、大切なこととはなんでしょう?
会社員より多くの収入を得ること。時間的余裕を手にすること……。そのどれもが大切ですが、そもそも事業そのものが継続できなければ……。
今回お話を伺ったのは、株式会社パーリィー取締役会長・創業者の白潟篤さん。
革製品の制作、販売、卸業を営む同社を創業して36年。革製品にはなんと50年近く携わり続けているという白潟さん。
白潟さんはなぜそれだけの間、事業を続けることができたのでしょうか。
白潟篤さん
株式会社パーリィー取締役会長/デザイナー
革製品の問屋に就職し、営業職を始めさまざまな業務を経験する。
その後独立し、昭和60年10月に革工房パーリィーを創業。その3年後に株式会社パーリィーを設立。
同社の創業者・社長として商品の企画・製作から、営業まで幅広く業務をこなす。
現在は代表職を退き、取締役会長として商品企画などを行っている。
未経験からの独立。白潟さんを独立させた、2つの意識
――革工房パーリィー・株式会社パーリィーの創業者として、さまざまな製品を作られてきた白潟さん。白潟さんはいつ頃から、革に関するお仕事をされるようになったのでしょうか?
革製品を扱った問屋に就職してからなので、だいたい50年ほどでしょうか。
当時はデザイナーとしてではなく、営業職で入社したんです。
――元々デザイナーだったわけではないんですね。
はい。でもそのおかげで、この業界の仕組みや成り立ちを知ることができました。その後も会社員としてキャリアを積み重ねていったのですが、2つの観点から独立を意識し始めたんです。
――2つの観点?
1つは、自分で革を作ってみたくなったんです。元々革が好きでしたし、仕事をしていく中で次第に「売るだけじゃなくて、自分でも作ってみたいな」と思うようになって。
もう1つはキャリアを積んでいく中で、会社員としての「先」が、ある程度見えてしまったんですよね。
製品を作ったことはないけれど、どうせなら自分で事業を立ち上げてみたいなと。それで10年勤めた会社を退職して、3年ほど工房で修行した後、革工房パーリィーを立ち上げました。
――最初は個人事業主から始まったんですね。
そうですね。
「革を扱う仕事」と一口に言っても、商品企画から製作、販売、営業までいろいろあるわけです。「製品だけ作っていればいい」というわけにも「製品を売ってさえいればいい」というわけでもなく。
最初はそれら全ての工程を自分1人でやっていたわけですから、すぐに限界が訪れてしまって。
それに人には得意不得意がありますから、僕が苦手な工程は、なるべく人にお任せしようと思っていたんです。
だから少しずつ一緒に仕事をしてくれる仲間を増やしていきました。独立して3年後の1988年、株式会社パーリィーを設立し法人化したんです。
“傷”も野生のデザイン。代表作「エルク」の製品は、こうして生まれた
――得意不得意、という言葉が出ましたが、白潟さんは法人化後どのような仕事をされていたのでしょう?
経営者ですから経営はもちろんのこと、デザイナーとしても自分が作りたいものは作っていましたし、営業もしていました。
代表取締役を引退して頻度は減りましたが、自分の作りたいものは作って、古い付き合いの方々とも変わらずお付き合いを続けています。
僕が得意なのは、商品企画と素材選びでした。
普通こういった革製品は、企画を決めてからその商品に合った革を探すんですけど、僕の場合はまず革を見て、その革に合った商品のアイデアが生まれてくるんです。
例えばこの「エルク」という革も、素材に惚れ込んで商品化に至りました。
――簡単に経緯を聞かせてください。
エルクとは、フィンランドが原産のヘラジカの革です。現地の、あるタンナー(革の※なめし業者)に伺った時、傷だらけの革(エルク)が1枚転がっていました。
ヘラジカは野生の動物のため、傷が非常に多いんです。
見栄えが良く綺麗であることを求められる「革製品」としては、非常に不向きな革でした。
※動物の「皮膚」であった皮が道具として使えるよう、革製品に生まれ変わらせるために用いられる技術。そのままにしていると腐敗してしまったり、乾燥すると硬くなってしまう原皮の、毛や汚れを落として、柔らかくしなやかにする。
↑写真だと分かりづらいが、製品によっていくつか自然の傷が入っており、傷の大小も個体差によるという。
でも僕は、その大きな傷がだんだん「野生のデザイン」のように見えてきて。質感も非常にいいことから、どうにかこれを商品化できないかと奮闘しました。
しかし、そう簡単に上手くいくはずもなく。
製品を作るにも、皮が分厚いため、なかなかミシンが通らず作るのにも苦労しました。
職人にも無理を言って、どうにか販売できたと思ったら、今度は傷を理由にお客様からは返品の山……。
「傷も、その個体にしかない唯一無二のデザイン」という認識を広げていくのに、5年以上かかりました。
そうした苦労の末、リリースしたのがこのエルクシリーズです。こうした個性の強い革ですから、エルクの製品をここまでのバリエーションで販売しているのは、世界でもパーリィーだけですね。
ぜひ一度触ってみてほしいのですが、このふわふわとした質感となんとも言えない柔らかさは癖になりますし、絶対に唯一無二のいい製品になるだろうと。
そう信じて作ってきたからこそ、エルクはパーリィーの看板製品になりました。
事業を長く続けられるために必要な2つのこと
――エルクの製品に限らず、そういった形で職人さんと分業して商品を作っていくのでしょうか?
うちの会社ではそうですね。そのための会社ですから(笑)。
もちろん、自分の頭にあるアイデアを具現化するために、僕が手を動かすこともありますけど、完成した商品を量産していくのはスタッフたちですし。
それに今は息子が社長を継いでいますから、息子や若いスタッフたちが企画から製作まで、前線で頑張ってくれています。
僕が代表取締役を引退しても、こうして事業を続けていくことができるのが、会社の大きな魅力ですよね。
――勝手な思い込みかもしれませんが、こうしたものづくりの会社は、良くも悪くもデザイナーの発言権が強い「デザイナー主義」なのかと思っていました。
有名なデザイナーを抱える会社さんは、そういう気質のところもあるのかもしれませんが……少なくともうちの会社は「僕だけのワントップ」という感じではないですね。
もちろん、エルクのようにとても素敵な革があれば「この革を使って商品開発したい!」と提案することはありますけど。
かといって僕以外デザイナーがいないかというと、そんなことはありません。
「作りたいものだけを作っている」というわけでもなく。生み出したプロダクトがちゃんと世の中のニーズに合っているのか、常に考えるようにしています。
――「デザインへの情熱」と「経営者としての才覚」。その絶妙なバランス感覚が、長年事業を続けてくることができた1つの理由ではないでしょうか。
どうでしょう(笑)。
デザイナーとしてのエゴは大切ですが、それ以上に使う人のことを考えていないと。
ちゃんと売れてくれなかったら、社員への給料も払えませんからね(笑)。だからこそ地道に営業活動も行いますし、展示会にも積極的に出展します。
事業を長く続けられる秘訣が1つあるとすれば、僕はやはり人間関係を大切にできるかということだと思います。
――人間関係、ですか?
ええ。起業して36年、革製品に携わって約50年が経ちますが、結局仕事というのは全て人間関係に成り立っているように感じます。
僕らの世界で言えば、いくら良いものを作れるからといって、もしくはどれだけ営業が上手くて売れるからといって、それであぐらをかいていてはやはりダメなんですよね。
もちろんデザイナーとしては良いものを作るのは大前提なんですが、それと同じかそれ以上に、人と人との関係を大切にする。
それでどうにかここまでやってくることができました。
30年でも40年でも、長く続いていける関係を作っていく
――白潟さんのこれからの展望を教えてください。
やりたいことはたくさんありますよ。
私事ですが娘が石垣島に嫁いだので、船舶免許を取得しました。もうすぐ70になるのですが、この歳になるとなかなか新しいことを覚えるのは大変で……でもなんとか試験に合格することができました。
だから来年は、ずっと海の上にいようと思います(笑)!
仕事に関しては、まだ作りたいものの構想が頭にあるので、それを少しずつでも形にできたらいいですね。
↑最近白潟さんが企画・製作をした札入れ。お札に折り目をつけず、スマートに出し入れする大人の男性向けの商品。
――最後に、読者の方へメッセージをお願いいたします。
先ほどもお話ししましたが、仕事の大半は人間関係で成り立っていますから、そこを疎かにしないことをお勧めします。
独立・起業といえば、うちの会社でもこれまで7人くらい独立していってますね。そのうち何人かは退職して独立した後も、仕事をお願いするなど関係が続いています。
よほどブラックな環境だとか、そういった特殊な事情を除けば、基本的には円満に退職するに越したことはないのかもしれません。
特に独立後も同じ業界で仕事をしていくなら、なおさらですね。
良い人間関係は、30年でも40年でもずっと長く続くもの。仕事はもちろん、あなたの人生そのものを豊かにしてくれるのではないでしょうか。
取材・文・撮影=内藤 祐介