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コンテンツを提供する側には覚悟が必要。フリーダイバー・岡本美鈴、プロ意識の重要性

コンテンツを提供する側には覚悟が必要。フリーダイバー・岡本美鈴、プロ意識の重要性

好きなことを仕事にする。

近年、働き方の多様化や個を大切にする社会の流れにより、このフレーズを耳にすることが増えてきました。

一日の大半を占める仕事の時間を、好きなことで使うことができるのは、最高ですよね。

しかし、好きな事を「消費」する側から「提供」する側に変わる際には、好きだけではいけないと、今回お話を伺ったプロフリーダイバーの岡本美鈴さんは言います。

岡本さんは、日本を代表する女子のフリーダイビング選手として、これまで世界選手権で4度、金メダルを獲得。フリーダイビングインストラクターとしても自身のスクールを持ち、講演やイベント出演など多方面で活躍されています。

今回は岡本さんに、現在も継続されている競技人生を振り返ってもらいながら、好きなことを仕事にする上で必要なこと、持つべき意識について伺いました。

<プロフィール>
岡本美鈴さん
フリーダイビングの女子日本代表

カナヅチの状態からイルカと一緒に泳ぐことを夢見て、2003年よりフリーダイビング競技を開始。2006年コンスタント・ウェイト・ウィズ・フィンで初めて日本記録を樹立。

2010年の世界大会団体戦では日本初の金メダルを獲得し、2015年にキプロスで開催された世界選手権個人戦では海洋CWT種目にて優勝し、日本人初の個人戦での金メダリストとなった。

また、2010年にはNPO法人エバーラスティングネイチャーとパートナーシップ契約を結び、海洋環境保全PR活動「Marine Action」を立ち上げる。

現在はフリーダイビング日本代表として世界を転戦しながら、フリーダイビングインストラクター活動、講演やイベント、トークショー出演などを通して、競技の魅力と海の素晴らしさを伝える活動を行っている。

カナヅチだったOLがフリーダイバーに!? 人生を劇的に変えた日本代表との出会い

ーフリーダイビングの日本代表として、世界各地を転戦しながら活躍されている岡本さん。やはり幼少期から泳ぐことは得意だったのでしょうか?

岡本さん
いえ、実は私、もともとカナヅチだったので、海やプールはあまり好きじゃなかったんですよ(笑)。

子どもの頃だけではなく、社会人になってからも全く泳げませんでした。

ーえ!? それは意外でした…(笑)。では、どういった経緯でフリーダイビングを始めたのですか?

岡本さん
最初のきっかけは、26歳の時です。

ふとテレビをつけたら、たまたま小笠原諸島でシュノーケリングの特集をやっていて。リポーターの方がイルカと一緒に泳いでいたんです。

私は泳ぐことはできませんでしたが、昔から水族館でイルカや魚を観察することは好きだったので、その番組を見た瞬間、「一生に一度でいいから野生のイルカを直接見てみたい!」と思いました。

それで、思い切って小笠原諸島に行ってドルフィンスイムツアーに参加しました。

ツアーでイルカが出た時は、足の着かない深い海に入るのが初めてだったので、少し溺れかけてしまいましたが…(笑)。ただ直接、野生のイルカを見ることはできたので、すごく感動しましたね。

イルカたちは、スキンダイバーや他の参加者の方と一緒に遊ぶように、海の中でぐるぐると回りながら泳いでいたんです。

「野生の動物と人間が、ファーストコンタクトでこんなに仲良く泳げる。そんなことがあり得るんだ」って。ものすごく驚いたことを今でも覚えています。

私はライフジャケットを着て、海面に浮きながら見ることしかできなかったので、「今度は一緒に潜れるようになろう」と心に決めました。

ーイルカと一緒に泳げるなんて、すごく神秘的な体験ですものね。

岡本さん
そうなんです。それから小笠話諸島に定期的に通うようになりました。

そしてある時、島で仲良くなった友達と、沖縄に旅行することになりました。

ただ、当時は冬だったので海に入ることは叶わず、海を眺めるだけで終わってしまったのですが(笑)。その帰りの飛行機で、運命的な出会いが訪れたんです。

ーというと?

岡本さん
隣に座っていた方が、なんと素潜りの競技、フリーダイビングの日本代表選手だったんですよ。

もちろん初めは知りませんでしたし、機内で見ず知らずの人と話すことなんて普通ないじゃないですか。

でも偶然、飛行機がトラブルで1時間ほど足止めとなってしまいました。その暇な時間に、隣の方と何となくおしゃべりが始まり、話を伺うとフリーダイバーだったという(笑)。

そこでイルカと上手に泳ぐためのコツを聞いたのですが、「それならフリーダイビングをやった方が絶対にいい」とアドバイスをいただいて。羽田空港に着くまでずっと競技の話をしてくださいました。

そして東京に到着後、神奈川県真鶴で活動している「東京フリーダイビング倶楽部」というサークルの代表の方に電話し、その場で紹介してくれる、という流れになって(笑)。

ーものすごい急展開…(笑)。その出会いをきっかけにフリーダイビングを始めることになったのですね。

岡本さん
はい。ただ、そのクラブに入会するには基本的な知識やスキルが必要だったので、まずは別のフリーダイビングスクールで習うことにしました。

その時にお世話になったのが、日本のフリーダイビング界のパイオニア的存在である松元恵さんです。

Webで探した都内のフリーダイビングスクールが、松元恵さんのスクールだと知り、プロの指導を受けられることにとてもワクワクしました。当時の私は、父のデザイン事務所でアルバイトをしていて、前職の会社員時代に比べフリーダイビングのための時間をつくることができました。

そして貯金をしながらダイビング器材を買いそろえ、恵さんのスクールに通い始めました。

その後、ある程度水中に潜れるようになり、東京フリーダイビング倶楽部に正式に入会することができました。2003年で、私が30歳の時の出来事です。

岡本さん
もうその頃には、小笠話諸島でイルカだけじゃなく、ウミガメやジンベイザメとも一緒に泳ぐことができるようになっていて、当初の目的を達成していました。

だったら次は「競技を突き詰めていこう」と。

やればやるだけ進化する面白さがフリーダイビング競技にはあったので、カナヅチだった自分がこの競技でどこまでいけるのか。その可能性を探求してみたくなったんです。

それから本格的にフリーダイバーとしての活動がスタートしました。

コンテンツを「消費」する側から「提供」する側へ。潜る楽しさを伝えるために持つべき責任と覚悟

ー岡本さんと言えば、選手になってからは、2005年に日本代表として世界選手権に初出場して以降、さまざまな世界大会に出場して数多くのメダルを獲得。加えて幾度となく日本・アジア記録を打ち出してきたと伺いました。ご自身の競技人生の中で、その後のキャリアにとってのターニングポイントとなった試合があれば教えていただきたいです。

岡本さん
2008年と、2010年のAIDAフリーダイビング世界選手権が、私のその後の人生において大きな転機となりました。

というのも、2005年に初めて世界選手権に出させていただいた時は、英語は全く喋れなかったですし、海外の選手に会うのも初めて。その何もかもに圧倒されただけで大会を終えてしまったんです。

しかも、その大会では女子選手は水深80m潜ることができれば金メダル争いができたのですが、私たち日本人女子選手は平均50〜60m。他国の選手はとてもフレンドリーでしたが、ライバルと見られることはありませんでした。

ただ、そのまま帰国するのは嫌だったので、大会期間中、海外の選手が競技の合間に行っているトレーニングやウォーミングアップ方法を観察していました。

その中で「私でもできるな」と思うプールでの練習方法を日本に持ち帰り、自分なりにアレンジし、競技力につながるよう検証を繰り返しました。

試行錯誤の末、ようやく理想の形となった練習メニューを当時の日本代表メンバーや仲間と共有し、それぞれの競技力強化に努めました。

そして迎えた2008年の世界選手権エジプト大会で、練習が実り、日本女子チームで初めて銅メダルを獲得することができたんです。

当時の日本はフリーダイビングの練習環境も少なく、指導者もあまりいなかった。その中で、自分自身で競技力を上げるために練習方法を見出し、それによって結果を出すことができたというのは、自信になりましたね。


photo by DaanVerhoeven

ーフリーダイビングの歴史が浅かった日本に、世界に通用する大きな成功体験をもたらしたわけですね。では、2010年大会の転機というのは?

岡本さん
実は同年の世界選手権は、沖縄でアジア初開催という記念すべき大会で。自国開催ということもあり、私は競技人生で初めて「金メダルが欲しい」と思いました。

それまでは「好きなこと」にひたすら没頭する延長線上だったこともあり、正直、メダルに対する「欲」はありませんでした。

何メートル潜れたとか、何分息を止められたとか、自分の進化が楽しくて練習・大会に臨んでいましたから。

なので、初めて「メダル獲得」という結果を意識した私は、ものすごいプレッシャーに襲われ、ストレスで突発性難聴になりかけるほど、大会前にメンタルに深刻なダメージを受けてしまったんです。

その時に支えとなってくれたのが、側にいてくれたマネージャーや、当時暮らしていた千葉県佐倉市で後援会を立ち上げてくれたお友達と地域の方々でした。

皆さんの応援がすごく力になって、メンタルの弱い自分に勇気を与えてくれました。

それによって、ギリギリではありましたが、世界選手権団体戦で私たち日本女子チームは、日本初の金メダルを獲得することができました。

岡本さん
2008年大会に、トライアンドエラーを繰り返しながら最適な練習方法を見つけ出し、成果に結びついた。そして2010年大会では、応援・支援してくれる方々と一緒に戦い、結果を残すことができた。

この2つの経験によって、私はアスリートとしても、一人の人間としてもすごく変わることができました。この成功体験を、多くの人に伝えていきたい。そう思ったんです。

その流れで、2012年に競技と並行してインストラクター資格を取り、指導を始めました。

現在は、素潜りの基礎であるスキンダイビングと、競技的な素潜りであるフリーダイビングの講習をプール・海洋で行っているのに加え、基礎知識や「耳抜き」など潜水技術をお伝えする座学プログラム、メンタルトレーニングの一環として呼吸法やヨガなど、さまざまなレッスンを開いています。

素潜り初心者の方から、日本代表レベルの選手にまで幅広くレッスンさせていただいていて。今では指導団体からコース整備の相談を頂いたり、指導者の育成にも関わっています。

ーカナヅチから世界トップレベルのダイバーになった岡本さんによる指導となれば、泳ぐのが苦手な方でも「自分でもできるかも」と勇気を持っていただけそうですね。

岡本さん
そう思っていただけたらありがたいです。

振り返れば、以前は海やプールが嫌いだったのに、今ではフリーダイビングが天職だと感じていますから、不思議ですよね(笑)。

こうして好きなものに出合えたことは、本当に幸せだと思います。

最初、フリーダイビングを仕事にするには、「好き」な気持ちや「得意」だけでは無理がありました。何故なら、海に潜ることは命がけの行為。人を海に連れていくことに対して、しっかりとその重みを感じなければならないからです。世界選手権で金メダルに輝いたとしても、それだけでは足りなかったんですよね。

安全に配慮した講習を通して、生徒さんへフリーダイビングの技術や魅力をお伝えし、貢献すること。

それが、フリーダイビングインストラクターとしての役割のひとつであり、コンテンツを「消費」する側から「提供」する側へと、立場を変える際に持つべき責任と覚悟があることを実感しました。

つまり、これまでの代金を支払い価値を受け取る立場から、代金を頂いて価値を提供する立場になる、ということ。代金をいただく以上、価値を磨き続ける覚悟と、適切な価値を提供する責任があります。

今年で競技歴は17年目、インストラクターとしては10年目になりますが、毎年スキルや器材が進化するフリーダイビングは、競技者としても自己ベストを狙い続け、指導に必要な分野の研究や勉強と共に、生涯かけてアップデートしてゆくつもりです。つねに最高のコンテンツを提供できるようにしていきたいと思っています。

今は選手としても現役ですし、大変なことや辛いこともあります。それでも自分の好きな事で社会と関わり、それで誰かの人生に貢献できて、自分自身も成長することができる。ビジネスとしては、まだ勉強不足で挑戦中ですが、プロフリーダイバーとして、この仕事が自分の「本業」であり、自分の生きる意味だと胸をはって言えるようになりました。

提供する側になることは、勇気も覚悟も必要ですが、今は自分の生き方として、とても充実しています。

「挑戦」と「継続」は人を変える。好きなことに対する気持ちは大切に

ー今後の展望をお聞かせください。

岡本さん
フリーダイビングは、息を止めて、潜水するアクティビティなので、一般的にストイックで敷居の高いイメージを持たれることが多いんです。ただ、正しい方法でゆったり潜ると、見た事もないような美しい世界に触れ、心身も健康的になり、素晴らしい出会いもある。ロマンがあり魅力的なマリンスポーツなんです。

スクール主宰者としては、この魅力を多くの方にお伝えできるよう、気軽に体験できる初心者向けプログラムづくりや指導者向けアドバイス、あわせて地元への貢献や環境保全活動を行いながら、安全に楽しむフリーダイビング愛好者を増やしたいと考えています。

フリーダイビングが気になっている方には、どんな動機でもいいので、気軽にこの世界に触れていただきたいです。

私と同じように「イルカと一緒に泳ぎたいから」という入り方でもいいですし、“インスタ映え”する水中写真を撮るためでも、被写体になることが目的でも良いと思います。その延長で海の素晴らしさ、潜ることの楽しさを安全な潜り方を通して感じていただきたいので、私が開催している講習を含め、ぜひお近くのスクールレッスンに参加してみてほしいです。

また、最近は海やプールだけではなく、全国の一般企業のオフィスへ出張講習に伺っています。何を教えているかというと、自身のメンタルをコントロールするための呼吸法です。

フリーダイビングって、メンタルがすごく結果に影響するスポーツなんですね。

例えば、穏やかな気持ちで競技に臨むと、水中で長く息を止めることができます。でも逆に緊張していたり、ドキドキしていると、すぐに苦しくなってしまうんです。

それはメンタルの状態が関わっているのですが、これをコントロールするテクニックとして、フリーダイビングの呼吸法が有効なんです。

この呼吸法はフリーダイビングに限らず、どんな仕事でも、日常生活においても応用できるのでオフィスへ出張し一般の方にもお伝えしています。

いろいろ考えすぎたり、プレッシャーを感じたりして酸素を使うと疲れてしまいますが、呼吸法で心拍数を落とすことで、酸素消費量を減らすことができる。それによって自然と気持ちを切り替えられて、集中力を高めることが可能となるんです。

ー社会においても、フリーダイビングの価値を示すことができますね。

岡本さん
そうですね。これはフリーダイビング競技者だからこそできる、社会貢献につながる仕事だと考えています。プロフリーダイバーの現役引退後はセカンドキャリアの選択肢の1つにもなります。

現在は、講師を養成し、全国で活躍してもらっています。将来的には1つの職業として根付かせていきたいですね。

ー競技者としてはいかがですか?

岡本さん
私は今年で47歳を迎えたのですが、まだ選手としての限界は感じていません。

昨年5月に開催された『フリーダイビング プール日本選手権2019』では、「Static(息を止めて時間を競う種目)」で種目優勝。「Dynamic with fin(フィンで平行潜水の距離を競う種目)」では自己ベストとなる189mを出して勝つことができました。自己ベストが嬉しいですよね。

トレーニングによって、まだ限界を突破できると感じているので、今の自分に合った心技体の高め方を模索し、挑戦してゆきたいと思っています。

正直、何歳までできるかはわかりませんが、好奇心のまま、お腹いっぱいになるまで続けていくつもりです(笑)。

ーまさにレジェンドですね(笑)。応援しております! 最後に読者に向けてメッセージをお願いします。

岡本さん
好きなことや、自分の武器を仕事にできるチャンスがあるのであれば、ぜひチャレンジしてほしいですね。

なかには「どうせ無理だよ」「成功する保証がない」と諦めてしまう方もいるかもしれません。

ですが、一歩踏み出すと、その先には歩みを後押ししてくれる方がいますし、必ず成長できるチャンスが訪れます。

私もフリーダイビングを始める前は、できるだけ困難な道は避け、無難な人生を歩んできました。でも、競技と出合ったことで、カナヅチだった私が潜ることを職業にできました。人生が180度変わり、生きる事が面白くなりました。

挑戦し、それをやり続ければ、人は変わることができるということを私は学びました。

なのでもし、何かに挑戦したい思いを抱いているのでしたら、その気持ちを大切にしてください。そしてそこに提供する側としての責任と覚悟を持つことができたなら、その道に飛び込んでみてほしいなと思います。

取材・文・撮影=佐藤主祥

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