「お金いっぱい欲しいんだったらさぁ。年金あてにしちゃダメじゃない? 自己防衛。投資。海外移住…日本脱出だよね」。
これはあるTVニュースで、年金問題について街頭インタビューが行われた際の、やり取りの一節です。このインタビューに答えていたのが今回お話を伺った鉄平さん。
そのインタビューでの発言と、雰囲気や表情などがSNSで話題となり、通称“自己防衛おじさん”の愛称で一躍時の人となった鉄平さん。
鉄平さんの本業は、なんと占い師。
なぜ占い稼業をすることになったのでしょうか。今回は“自己防衛おじさん”誕生の裏側をお聞きするとともに、鉄平さんのキャリアから考える、自分らしく楽しく生きるためのコツを伺いました。
鉄平さん
占い師大学在学中にロサンゼルスへと渡り、10年間海外で過ごす。
2010年に帰国。
帰国後、職を探すために占いに行ったところ、占い師になるよう勧められる。
以降、占い師として活動し始める。
新橋駅前SL広場で応えた、年金問題に関する街頭インタビューが「正論すぎる」と、ネットで大きな話題となり、一躍時の人になる。
その街頭インタビューでのフレーズから“自己防衛おじさん”の愛称で親しまれる。
実は18年前に「日本脱出」をしていた? “自己防衛おじさん”こと鉄平さんが、占い師になった理由
―“自己防衛おじさん”の愛称で親しまれる鉄平さん。本職は占い師をされているんですね。
はい。かれこれ10年前から占い師として活動しています。
―なぜ占い師として活動されるようになったのですか?
なぜ…?それは成り行きとしか言えないですね(笑)。
―…ではその成り行きを教えてもらってもいいですか(笑)?
分かりました。話は遡ること大学時代。若気の至りから六本木でよく飲んでたんですが、そこである外国人と仲良くなったんです。
その人がアメリカから来ていた大手テーマパークの社員の人で、浦安にある夢の国が開園する前の立ち上げに携わっていて。
最初はただの飲み友達だったのですが、その人に通訳を頼まれたことがきっかけで、ロサンゼルスに行くことになりました。
以来10年間、アメリカで生活していたんです。
―2001年には既に「日本脱出」していたんですね。アメリカではどのような生活をしていたんですか?
向こうの大学に編入して、2年間大学に行ってました。残りの8年は…。人生を謳歌していました(笑)。アメリカで出会った人に助けられながら、その時その時でいろいろな「経験」をさせてもらっていました。
それで30歳になる前に「そろそろちゃんとしなきゃな」と思って帰国したんです。
―帰国後はどのような仕事を?
特に日本で働いていたわけでもなかったので、何をしたらいいかなと。日本の社会の中に居場所がなかったんですよね。それで横浜のベイシュラトンホテルの近くにある占いに行って、どんな仕事をしたらいいか聞いてみたんです。
すると話を聞いてくれた占い師に「あなたは占い師に向いている。占いをやってみたら?」と言われて。
安易かもしれませんが、なりゆきで占いの世界に入ったんです。
―占いとの出合いは、まさかの占い師からの勧めだったんですね!
ええ(笑)。最初は勧めてくれた先生から占いを教えてもらいつつ、自分でも占いの勉強をして経験を積んでいきました。
まぁ占いの仕事だけで食べていくのもなかなか難しいので、コールセンターでバイトをしたり、深夜の倉庫で荷物の仕分け作業をしたり…。
そんな感じで今に至ります。