肩書きを捨てた”鈴木おさむ”が自分とそのアイデアに賭けてくれる人と歩むB To Cファンド
若干19歳にして放送作家の道を歩み始め、「SMAP×SMAP」(フジテレビ系列、以降「スマスマ」)など、次々と人気番組を手掛けていった鈴木おさむさん。ヒットを生み続けて32年経った昨年、”放送作家は天職”だけど”アドレナリンが出なくなった”と感じ、放送作家を引退して、B To Cファンド「スタートアップファクトリー」を設立したそう。
交際0日婚や、当時珍しかった男性の育休取得、自身を”ソフト老害”と捉えるなど、エッジの効いた物事の選択・見方も話題となってきたのは、”常にワクワク・ドキドキを求めた生き方”にあるよう。
インタビューでも「僕、好奇心旺盛で”好奇心おばけ”って呼ばれるんですよ」と言いながら、「この間も、〇〇さんとね……」「〇〇さんがね……」と、たくさんの方とのエピソードを交えてお話ししてくださいました。人に興味があるから、人とのご縁にも恵まれるし、ご自身のファンドも「ある意味、人を応援すること」と言う通り、人を大事にされる方だから、人の心を動かす作品をつくり続けてこられたのだと感じました。現在のファンドでも、「早く結果を出して、ファンドも天職だったと言いたい」とのことで、現在のファンドについてお伺いしてきました。
放送作家とファンド、”人生に2つの天職があった”と言いたい
―昨年、放送作家を辞めてファンドを立ち上げられましたが、ファンドで成し遂げたいことは何ですか?
自分のファンドを通して、ちょっとでもいいから、日本の何かを変えることができたら嬉しいと思っています。
放送作家になって「SMAP×SMAP」とか、「めちゃ×2イケてるッ!」(フジテレビ系列)とか、人気番組を担当させてもらって、テレビ番組を色々と変えることができた部分もあると思うんです。
僕のファンドって”投資して終わり“じゃなくて、会議をして一緒にアイデアを出して、僕と投資先と二人三脚でやっている所が多いんです。自分が加わることによって、その会社の成長スピードを2倍から3倍に上げられる会社こそ自分が参加する意味があると思ってるので、投資した会社が、10年後にメルカリや、サイバーエージェントみたいな大きな会社になっていることが一番の目標です。
うちのファンドはB To Cのビジネスに限定してるんですけど、エンタメ的なものが多いです。でも、僕は食品も旅もエンタメだと思ってるんで、幅広いですね。
あと、人生論で言うと、32年間やってきた放送作家という仕事は天職だったと思っています。放送作家としての仕事はやりきりました。50代になって、ここからもう1個、天職を見つけたい、ファンドも天職だったって言いたいと思っています。元気だったら70歳ぐらいまで働くわけだから、これから20年この仕事をして、「人生で2個、天職があった」って言いたいのが一番です。
10年ではなかなか結果が出にくいだろうけど、もし10年続けられていたら、10年目ぐらいでめっちゃ乗ってくると思うんで(笑)。
放送作家を辞めれば、またアドレナリンの出る人生を歩める!
―ファンドを始められたきっかけは何ですか?
40歳で生き方を変えたことで、新しい人に出会って、新しい世界を見つけたからです。
40歳になって”なんとなくのルーティーンを変えよう“と思って、テレビ業界の人とご飯を食べに行くのをやめたんですよ。会議が終わった後に飲みに行って、ずっと愚痴を言うなら、会議室で話せばいいやと思ったんですよね(笑)。
その代わりに新しく出会った人とご飯に行くようにしました。お相撲さん、ホスト……。その中にサイバーエージェントの人がいたんです。サイバーエージェントと仕事を始めたのが40歳ぐらいの時で、人気の携帯ゲームをテレビ番組にする企画だったんですけど、そのゲームのプロデューサーが24歳だったんです。テレビの世界だとそんなに若い人がプロデューサーなんてありえないことなのでびっくりしました。でも、その子が全部決めて、とてつもないヒットと利益を生み出してるのを見て、テレビの世界はやばいなって本当に思ったんです。
そこから、サイバーエージェントの人たちと、すごい仲良くなって、インターネットの世界を知るようになったら、そこには今まで僕が知ってたものと違う世界があった。「これは、世界が音を立てて変わっていくな」と思いました。
そんな中、2010年に都内にビルを買って、2階を自分のオフィスにして、上の階は友達に貸したけど、下の階が空いてたから、「どうしたらいいかな」と思っていた時に、サイバーエージェントの人に「シェアオフィスにしたらどうですか」って言われたので「スタートアップの子にタダで貸すから、僕と相性のいい会社を紹介してほしい」って頼んだんです。そうしてシェアオフィスに入ってきた子たちと飲み会をするようにしたら、今までと違ういろんな新しい情報が入ってくるようになりました。
とにかくルーティーンを壊し続けていた中で、新しい出会いが生まれて、その流れで初めてエンジェル投資もし始めました。スタートアップの子と、めちゃくちゃ出会うようになったのは40代後半です。
SMAPが解散した時、僕は45歳か46歳くらいだったんですけど、すっかりアドレナリンが出なくなってしまったんです。もちろん新しい仕事もしてたし、面白い仕事もたくさんしてたんだけど、いっぱいにアクセルを踏んでもなかなかスピードが上がり切らないみたいな感じがあった。
会社員じゃないから”辞める”っていうことは思いもつかなかったんですけど、山下達郎さんのライブで「LAST STEP」っていう曲を聴いた時に、なぜか突然閃いたんです。「その選択肢があった!」みたいな。「辞めたら、新しいことに挑戦できる!!」って、パーッと世界が明るくなったんですよ。
そうして、放送作家を辞めると決めたんですけど、コロナ禍になって、辞めるどころじゃなくなっちゃったんです。今までと違う状況になって、番組づくりを手探りで進めることも多くて、ある意味、アドレナリンが出てたとは思います。
それから3年ぐらいして、世の中が落ち着いてきた時に「また、コロナ禍以前のようなテレビの仕事をやるのか」と思ったら、もうアドレナリンが出る自信がなくて、そこで、「やっぱり辞めよう」って本当に決めました。辞めると決めた時に、仲のいい若い起業家に、「僕、放送作家を辞めたら何が向いてるかな」って聞いたら、エンジェル投資を5年間やっていたんで、「なんで本気でファンドをやらないんですか?」って言われたんです。自分のことって自分じゃ分からなかったりするから、そう言われた時に「それがあったかー!」って思って、ファンドを設立して、スタートアップの起業家たちと100%向き合っていくことにしました。
―ご自身を”ソフト老害“とおっしゃっていたこともありますが、若い人の意見を聞き入れるのは自然でしたか?
名もない放送作家だった時、自分みたいな若造を打席に立たせてくれた人にとても感謝してるし、昔から”何歳だろうが、当てる人は当てるだろう“って思ってるので、年齢に関しては何とも思ってないです。
結果が全てだし、”当てることか一番難しい “って思うから、そういうことに対しては昔からニュートラルですね。そう考えると、ファンドは自分に向いているのかもしれないですね。
シェアオフィスを始めていた2018年ぐらいに、サイバーエージェントの藤田さんから、しばらく休んでいた“藤田ファンド”と言われる会を久しぶりに復活させて、若手の起業家が集まると聞いて、面白いそうだなと思って参加させてもらったんです。
その会には僕のことを知らない人もいて、面白いから仲良くなろうと思って、また別日に飲みに行ったら、「おさむさんってWikipediaに、めっちゃ記載あるんですね」とか言ってきて(笑)。そうして、どんどん仲良くなっていきました。
僕は”好奇心おばけ“っていろんな人に言われるんですけど、昔から自分のことを知らないとか言われたら仲良くなってやろう、っていうことに異常に燃えちゃうんですよ(笑)。
―なるほど。だから色々なことに挑戦されるんですね。
新しいことの方が興味深いし、アドレナリンが出るんですね。もしかしたら刺激中毒みたいなところがあるのかもしれないです。
SMAPと仕事をしてた時、どんどん新しい景色が見られたんですよ、「スマスマ」も新しいことをどんどんやっていったし、彼らがスターダムにのし上がっていく姿を、ずっと横で見てたんです。僕は、すごく恵まれた放送作家だと思います。人がやったことのないものをどんどんやれて、すごく刺激だったし、噓みたいな奇跡をいっぱい目の当たりにして仕事をしてきたから、アドレナリンが出てないと満足できない。だから、放送作家を辞めたんだと思うんです。
今は何がいいって、ファンドを始めたばかりで、まだ結果を出してないから、みんなまだ穿った見方をしていると思う。それがめっちゃいいなと思ってます。実績がないから、フラットな立場で頑張れるし、燃えるし、僕のことを面白がってくれる若者もいるし、僕に出資してほしいっていう人もいる。
それが、すごくいいし、自分に合ってると思います。
―ファンドをやって良かったことは何ですか?
放送作家の時も相当”情報量の多い人“だったんですけど、より多くなったことですね。
5月から8月まで100人と面談するってXに投稿したら、ありがたいことに、申し込んでくれる人がたくさんいて、この数ヶ月でめちゃくちゃ若い人に会って話を聞いてるんです。彼らのアイデアの中には、流行ってるものもあるし、面白いものもある。前よりも自分がアップデートされてるのが分かるんです。
放送作家でなくても自分という”人”に賭けてくれる人たち
―ファンドを立ち上げて大変だったことは何ですか?
資金調達です。
ファンドを設立するのにまず、資金を集めなきゃいけないんです。最初にサイバーエージェントの藤田晋さんに「実は僕、来年で放送作家を辞めて、ファンドを立ち上げようと思ってるんです」と伝えたら、藤田さんが「面白いですね。おさむさんがファンドをやるなら、お金が集まれば勝率が高い」って言ってくれました。そこで出資の相談をしたら、すぐに決めてくれたんです。そして、サイバーエージェントの中でもファンドに詳しい人をサポートにつけてくださいました。本当に、ありがたかったです。こうして、最初の出資者が決まりました。
次に、個人的に繋がりがあったmixiの笠原健治さんにファンドを始めることを伝えたら、驚かれたんですけど、その日の夜に「出資します」って言ってくれたんです。
お二人からの出資と自分個人でも出資をして、ファンドとしてまず形を作ることができたので、お二人には本当に感謝しています。滑り出しが良かったんで、「おーし、このままの勢いで行くぞー」と思って、テレビ局などを回り始めましたが、これがめっちゃ苦戦しました(笑)。これまでファンドやLP出資をしてないところも多く、まさかの、自分がずっと仕事をしてきたところで苦戦しましたね。
とはいえ、会って話を聞いてはもらえていたので、資金調達に動く人たちの中でいえば僕は、幸せな方だとは思うんですけど、でもやっぱり苦戦して、”負のスパイラル“に追い込まれた感じで、一生決まらないんじゃないかと思いながら2ヶ月ぐらい過ごしました。
それまで、一緒に仕事をしてきた人に出資をお願いするのは、申し訳ないと思っていたから、近しい人ほど頼まなかったんですよ。でも、ある人から「おさむさん、ファンドをやるらしいですね。出資、集まりました?」って聞かれたんで「実は苦戦してるんですよ」って言ったら、「水臭いじゃないですか」って言って協力してくれて、次々と色んな人に声を掛けてくれて決まっていったんです。他にも「おさむさん、ファンドをやるらしいですね、うちも参加します」って言ってもらえたりしたんです。
そこからどんどん、いい風向きになって、1年半ぐらい資金調達で奔走していたんですけど、フジテレビが最後に入ってくれました。フジテレビは「笑っていいとも!」や「ココリコミラクルタイプ」の番組をずっと一緒につくってきた人がめちゃくちゃ頑張ってくれて、すごい時間がかかったんですが、最後に決まったんです。
その時、放送作家じゃない僕には価値がないと思う人もいる反面、僕自身に期待してくれて、賭けてくれる人もいるんだっていうのが分かったのがすごく嬉しかったです。
あと、出資の相談に行ったら、雰囲気でやる気がないのが伝わるような感じの対応をされた時に、一緒に回ってくれていた人が「ちょっと失礼じゃないかな」と怒ったんです。それが、すごく嬉しかった。自分が新しくやろうとしてることに、こんなに真剣になってくれてることに、本当に感動しましたね。
―仕事は、趣味のようなものですか?
元々、オンとオフがないんで全部、同化されてるんです。
放送作家の時はもっとピリピリしてたんですけど、今はもっと緩やかというか、自分の人生にちょっと余裕を持ちながら、人を応援する気持ちも大きいという感じです。
40代後半の時に仕事で直島に行った帰り、「踊る大捜査線」(フジテレビ系列)の本広克行監督と同じ船で話をしたんです。本広さんも20代でドラマを撮って、30歳で大きな映画を撮っていて、僕も23歳の時に「スマスマ」(フジテレビ系列)をやっていて、お互い業界では若手の時に大きな仕事をやらせてもらってきました。
本広さんが、「僕らみたいな人間がこれからやらなきゃいけないことって何かわかる?」って言うから、「何ですか?」って聞いたら、「応援だよ」って言われたんです。本広さんは、『カメラを止めるな!』(2017年)の上田慎一郎監督が売れる前から注目して応援していたり、映画祭をやったり、本広さんなりの応援をしてきていたんです。
僕はファンドも、ある意味で応援だと思ってるんです。応援って力もお金も必要で、とてもクリエイティビティの高いものなんです。だから、今は”応援って素晴らしいな“と思っていて、今後、応援しようとする人はきっと、どんどん増えていくのかなとも思います。
―仕事で迷ったりとか相談する時ってどなたかに相談されたりとかすることあるんですか?
一緒にファンドをやってる仲間です。
僕が詳しくないビジネススキームのこととか、分からないことは「分からない」って言うと決めてるから、そこは彼に相談します。分からないことはちゃんと聞いて、知った顔をしないようにしているんです。
でも、投資先企業の目利きに関しては自分がやってきたことが活きています。例えば、麹の会社にも投資しているんですけど、放送作家として健康番組を数えられないほどやってきたので、視聴者が気になるポイントについてめっちゃ詳しいんです。だから、麹をどういう風に売り出したらいいかっていうアイデアが出てくるんです。
―今後の展望を教えてください。
早めにファンドで結果を出したいですね。
3,000万円投資する会社もあれば、1億円投資する会社もあって、最終的に何社に投資するかは分からないんですけど。ファンドを1年やってきて、だんだん投資するのが自分じゃなくてもいいなと思う会社と自分じゃなきゃダメだなと思う会社が分かってきたところです。
決断する時は”ワクワクする道”を選ぶ
―交際0日婚や育休が普及していない中での育休取得など決断をされる時って何を一番大事にされていますか?
自分がドキドキするか。ワクワクするかです。
これまで自分で大きく人生の舵をきるとき、後頭部がざわざわする感覚があったんです。
最初は放送作家の仕事が軌道にのって、大学を中退することにした時。教務課に退学届の書類を出すんですけど、書類を出したら目の前でハンコを押されて「はい、お疲れ様でした」って言われたんですよ。退学することを引き留められるのかと思って、僕、何回か振り返ったんですよ、でもそんなことはなくて、校門を出るまでの間に「そうか。お金を払っているから、ここに入れてくれてるだけで世の中は僕に興味ないんだ。これが社会か」って、強く感じたんです。学校を辞める時、誰も友達は見送りにも来なくて、教務課から校門を出るまでの間に首の後ろが熱くなったんですよね。
その足でニッポン放送に行ったら、仕事仲間がいて、みんなが退学してきた僕を拍手で出迎えてくれたんですよ(笑)。そういうのがすごく良くて。“自分の居場所を自分で作った”っていうことに、すごい自信が持てたことを、よく覚えています。
交際0日で結婚した時も、そういう感覚がありましたね。あと、「人にやさしく」(フジテレビ系)で初めてドラマの脚本を手掛けた時、十何本やってたバラエティ番組の大部分をお休みさせてもらったら、意外と番組をクビになったんです(笑)。そりゃあ、そうですよね。
でも、「いきなり!黄金伝説」(テレビ朝日系列)みたいに「休み中もお金を払うよ。半年後また帰ってきて」と言って待っていてくれた番組もあったんです。その時期は、めっちゃ収入が減りましたけれど、復帰したら、残っていた番組が幹となってまたバーッと花が咲いていきました。思えばクビになった番組って、ちょっと嚙み合っていない番組だったんですね。
あと、育休を取って1年間休むって決めた時も、やっぱりドキドキした。当時は育休を取る人なんてあまりいなかったんです。その時も意外とクビになりました。だけどそうなったから、できるようになって始まった仕事もあったんですよね。その時、ワクワクする先には何かあるんだなって思いましたね。
―仕事の断捨離ですね、放送作家以外にもいろんな仕事をされていますが、副業ですか?
いえ。僕は全て“放送作家の鈴木おさむがやっている仕事”だと思ってたんで、全部一緒でしたね。
僕、退学した大学の文学部で去年まで、5年も非常勤講師を務めたんです。大学からオファーがきた時に、「僕、大学を途中でやめてるんですよ」って言ったら、「それがいいんです」って言われて。でも、全然副業だとは思っていなかった。ドラマの脚本も、脚本家が書いた方が良いに決まってるけど、放送作家の僕じゃなきゃ書けないドラマがあると思ったし、大学で教えていた時も放送作家の僕にしかできない授業があるとも思っていたんです。放送作家は”何をやっていい仕事”だと思ってるので。
放送作家をやめた今も、辞めきれなかった仕事でドラマの脚本を書いてるんですけど、今、ドラマの脚本を書いたりテレビに出たりすることの方がバイト感覚ですね。ファンドが本業だと思ってるんで。
選択肢が増えている今、全力になれる自分の生き方を選ぶべき
―昔は会社を辞めることが独立という世の中でしたが、副業やパラレルワークという言葉もできた今の時代については、どう思われますか?
めちゃくちゃいいことだと思います。生き方の選択肢が増えるんでね。
昔だったら、大企業に入ったらそれが一番の幸せで、会社を辞めるなんてありえない時代でしたが、今はエンターテイメントも含めて全てが細分化してるから幸せの選択肢もたくさんあるべきだと僕は思っていて、いい時代になってきたなと思いますね。
この間、知り合いから、大きな芸能プロダクションを辞めて東北の代理店で働いてると連絡が来たんですよ。50歳で子どももいるけど、年収は300万円も落ちたんだそうです。
今は、年収が減ってでも家族と一緒にいる時間が多い方が幸せだっていう価値観もあってそうやって生きてる人がたくさんいるっていうのは、すごい変化ですよね。
今後もそういう人はきっとどんどん増えていくのかなと思います。
―アントレではフランチャイズ起業を検討する方に向けて加盟募集の広告も載せていますが、フランチャイズビジネスについてどう思われますか?
僕、お店を出したりしているんで、すごい思うのは“地の利”が分かってないと当たんないですね。
フランチャイズビジネスも、めっちゃいいと思うんですけど、扱う商品やサービスがすごい好きとか、めちゃくちゃその業界に興味があるとか、何かがないと当たらないと思いますね。”中学生の時に恋をする“くらいの気持ちで「うなぎが好きだ!うなぎ屋がやりたい」と思ったら、めちゃくちゃうなぎを好きになって勉強すべきだと思いますし、それが楽しいと思います。めちゃくちゃ好きにならないと絶対うまくいかないと思います。
なぜならプロがいっぱいいるから。
自分がラジオパーソナリティをやるときも放送作家を名乗ってましたけど、ラジオもDJや芸人さんの方が絶対にうまいんです。だけど放送作家の僕じゃないとゲストから聞き出せない話があると思ってやっていました。だから何かやる時に他の人の方がうまいことは絶対にあるけど、それを超えられるとしたら”好きという気持ち“。自分じゃなきゃダメなことっていうのを見出すためには、絶対に、とてつもなく好きにならなきゃいけないですね。逆に好きになれないのであれば、絶対に当たらないからやめた方がいいと思います。
ただお金を稼ぎたいだけだったらフランチャイズはやんない方がいいですよね。僕だったらフランチャイズやる分のお金を投資する方がいいかなと思っちゃうけどね。
結果として、儲かることはもちろん大事ですけど、自分の生き方の問題なんじゃないかなって気がしてます。会社員はしんどいとか、違う生き方をしたいと思う中で、フランチャイズが面白いかもしれない。なぜなら自分が全力になれるから、っていうことでしかないような気がする。会社を辞めるとか、それまでの仕事を辞めるって簡単じゃないので。
―最後に、読者にメッセージをいただけますか?
本当に”人生一回“っていうことですね。
ずっと一緒に仕事をしていたプロデューサーが去年、白血病で亡くなられたんです。とてもショックでした。自分が45歳を過ぎてから、携帯電話の連絡先に入ってる人で亡くなっていく人が増えてきたんですよ。年上の人だけじゃなくて、意外と同年代の人が病気になって亡くなってしまったりとかすることも多くて、”人生、何が起きるかわかんないな“っていうのを本当に実感する日々なんですよね。何か新しいことに踏み出そうか悩んでいる間に、時は進んでいくので、家族とかいろんなことを考えないといけないことは分かるけれど、”人生一回“なんで”振り切らないともったいない”って思ってしまいます。
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取材・文:石塚代史子