強者生存ではなく、適者生存。
最後に生き残るのは、移りゆく環境に適応できるものである。ビジネスの世界では、そうよく言われます。
独立・起業を検討する上でも、環境に適応し柔軟に自分を変えることは、とても重要であると言えるでしょう。
前回に引き続き、今回お話を伺ったのはプロeスポーツ実況者のアール/野田龍太郎さん。
家族の後押しもあり、プロeスポーツ実況者としてキャリアを歩み始めた野田さんはeスポーツブームとともに活躍の場を広げます。そして2015年には大手配信プラットフォーム会社「Twitch」に就職。
そして2019年、二度目の独立を果たします。
現在は実況者だけではなくストリーマー(動画配信者)として力を入れているという野田さん。野田さんがアールとして今なお“シンカ”を続ける理由。それは一体なんでしょうか。
アール/野田龍太郎
プロeスポーツ実況者
10代の頃からゲームセンターで格闘ゲームに熱中する。
大学を卒業後、ゲーム関連の雑誌の編集者を経験。その際に格闘ゲームの大会などで実況を行うようになる。
結婚を機に会社を退職後、実家が経営する会社に就職。しばらくゲーム業界の一線からは身を引くが、プロゲーマー・ウメハラ氏の活躍に一念発起し、実況者としてのキャリアをスタートする。その後「Twitch」への就職を経て、独立。
自身の格闘ゲーマーとしての経験から、実況の的確さには定評があり多くの格闘ゲームファンから熱い支持を受けている。
まだ世になかったプロeスポーツ実況者という職業を、アール/野田龍太郎はこうして作った
一度、会社員を経験後、再びフリーランスへ。「二度目の独立」を経て変わったこと
——2011年以降、プロeスポーツ実況者としての活動をスタートしていきました。アルバイトとの両立は大変ではなかったですか?
そうですね。でもアルバイトは実況者としての仕事が増えていったので、1年から1年半くらいまでで徐々に入れなくなっていきました。
30歳を超えてのアルバイトはいろいろな意味で貴重な経験ができました。本当にやって良かったと思っています。
その後は実況者として仕事をしながら、配信にも活動の幅を広げていきましたね。
そして2015年から「Twitch」(※)の立ち上げメンバーとして、再び会社員として働くことになりました。
※Amazonが提供するライブストリーミング配信プラットフォーム
——フリーランスの実況者から、会社員に。何か変わったことはありましたか?
とにかく大変でしたね(笑)。
仕事がありすぎて国内外問わずずっと出張が続いてしまったり、競合他社が主宰するイベントに出ることができなかったりと、会社員ならではのしがらみもありました。
とはいえアルバイトと掛け持ちで仕事をしていた時期と比べると生活も安定しましたし、同僚にも恵まれて仕事自体もとても楽しかったんです。
——もう一度フリーランスに戻られたきっかけというのは?
あまりの多忙さに、自分の中でのバランスが崩れかけてしまって。
現場から現場へ、朝早い時は車上生活をしていた時期もありました。とにかく家にいる時間が少なくなっていき、仕事で海外へ行くことも増えていって。
ひどい時は自分が今どの国にいて、何月なのかもわからない感覚になってしまいました(笑)。
好きなことで仕事をさせてもらっているけれど、ふと「自分はなんのために生きているんだろう?」って思うようになってしまって。
Amazon社員という肩書きの大きさは重々承知の上で家族にも相談して、2019年の3月に、再び実況者として軸足を置くために独立をしました。
——現在のお仕事について教えてください。
主に格闘ゲームの実況者として、カプコン様の大規模イベントに呼んでいただいたり、スクウェア・エニックス様が提供しているドラゴンクエストのソーシャルゲームで公式実況者として活動しています。また最近はストリーマー(※)としてゲームの実況や配信も行っていますね。
※ライブストリーミング形式で動画コンテンツを配信する人。主にゲームの実況プレイなどを行う
——会社員を経験して、再びフリーランスへ。以前から何か変わったことはありますか?
自分の中で約束を3つ作って、その約束を守れるように仕事のバランスを調整するようになりました。
——約束、とは?
1つ目は体を鍛えること。
実況者という立場で前に出る人間として、最低限、体を整えておきたかったんです。
会社員時代からそれは思っていたんですが、多忙故にあまり力を入れることができなかった。なので、今はめちゃくちゃ腹筋をしています(笑)。
2つ目はゲームをすること。
「自分がもともとプレイヤーである」というところが、僕の実況者としての大きな強みです。
しかし裏を返せば、プレイをしていなければプレイヤーの心理を言葉にすることができない。
自分の持ち味を担保するためのインプットでもありつつ、純粋にゲームを楽しむために時間を作るようにしました。
3つ目は人に会うこと。
まだ学生でゲームセンターに通い詰めていた頃、様々な人との出会いがありました。
その時からの付き合いの仲間と一緒に仕事をすることも多いのですが、たまには仕事を抜きにちゃんと膝を突き合わせて話したい。
そういう時間を意図的に作らないと、お互いの考えをアップデートできないんですよね。
——フリーランスにとって忙しいということは、仕事に困らない≒幸せなことのように感じますが、必ずしもそうではないと。
そうですね……。
仕事があることはとてもありがたいことですし楽しいんですが、忙しすぎるのもやりすぎるとよくないなと気づきました。
結局、人の幸せって、その人それぞれじゃないですか。
とはいえ、初めて独立をする人にとって「仕事があるかどうか」という懸念が先行するのは、ある種、仕方のないことだと思います。
僕自身も一度目の独立は懸念点ばかりでしたから。
しかしある程度、軌道に乗ったタイミングで、今の自分を振り返ることはとても重要だと思うんです。
自分なりのバランスが安定していくと、人生そのものが豊かになり、楽しくなっていきます。
これ、本当はフリーランスだとか会社員だとか関係なく、人生におけるバランスを検討することって全ての人にとって大切なことだと思うんですよね。
特にフリーランスはそのバランスの自由度がめちゃくちゃ高い。だからこそ自分にとってちょうどいいバランスを取ることができたら、結果的に仕事も上手くいくんじゃないかなと思います。
看板品種を磨きながら、新しい品種の種まきをする。野田龍太郎がアールとして、シンカを続ける理由
——独立後、最近ではイベント実況とは別にゲームのプレイ実況をするストリーマーとしての活動にも力を入れられていると伺いました。
そうですね。昔から継続的に配信活動はしていたんですが、昨今の情勢も鑑みて今年の5月から本格的に「Mildom」での配信を行うようになりました。
コロナ禍という特殊な状況からストリーマーとしての活動を重視した人が多かったので、ウメハラさんを始め、旧知の仲であるプロゲーマーたち組んで、一緒に何かしているのは純粋にとても楽しいですね。
↑「Mildom」より
——野田さん(=アール)といえば「eスポーツ実況者」という印象が強かったのですが、必ずしも実況だけが仕事というわけではないのですね。
はい。振り返るとゲームに関わった最初のキャリアは編集者ですし、ライターやリポーター、MCなども経験してきました。
つまるところ、僕はずっと「ゲームの楽しさを伝える」という仕事をしてきた。だから今のストリーマーとしての活動もその延長線上というか。
自分の中で筋は通ってるんですよね。
——1つの職業に囚われず、柔軟に仕事を増やしていくのも、フリーランスの生存戦略と言えますね。
まさにそうだと思います。
僕のような職業が長く生き残っていくためには「ある分野においてのスキルを特化して極めていく」のと同時に「どれだけ潰しがきく人間でいられるか」を両立する必要があるんじゃないかなと思っています。
要するに、実況者として高いスキルを持ち合わせながら、幅広い視野や見聞を深めていかなければならないなと。
——スペシャリストでありながら、ジェネラリストでもあるということですね。
まさにその通りです。
いくら実況だけが上手くても、いつか誰かに取って代わられてしまう日が訪れるかもしれないし、イベントがなくなるという事態が起きるかもしれない。
もちろん実況という仕事でさらに高いレベルを目指しつつ、同時に自分の可能性を広げて別の手札を作っていく。
言うなれば、看板品種にさらに磨きをかけつつ、新しい品種を作るために種まきをしている感覚でしょうか。
現状に満足をせず、常にシンカ(進化/深化)を続けていきたいですね。
総取りか、無一文か。独立に必要なのは、ゼロをイチにする覚悟
——野田さんの今後の展望を聞かせてください。
2011年に「プロeスポーツ実況者」になることを決めてから、これまでずっと突っ走ってきました。
まだそんな職業がこの世になかった時代からがんばってきて、ありがたいことに今では僕のような「プロeスポーツ実況者になりたい」という若者がいます。
そうした若者たちに目指したいと思われるよう、今後もがんばっていきたいですね。
また、同時に今ではストリーマーとしての側面もあるので、見てくださる方にとってできる限り、身近な存在でありたいなとも思います。
実況の時はパキッとカッコよく、そして自分の番組の時はいい意味でゆるく。オンとオフのメリハリをつけて皆さんに楽しんでいただきたいですね。
——最後に、読者の方へメッセージをお願いします。
振り返ると僕の人生は「オールオアナッシング」でした。
総取りか、無一文か。
実況者としてこうしてとても楽しく毎日を送っていますが、もしこうなれなかったとしたら……そう考えるとちょっとゾッとしますね。
2011年の僕は無一文になりたくなくて、必死でした。そのがんばり、というか必死さが今の自分を作ったんじゃないかなと思います。
もちろん僕みたいな道を選んでほしいというわけではないですし、この世にまだない職業で独立をする方が圧倒的に少数派です。
ただ、どんな独立・起業にも、大なり小なり「成功と失敗」はつきものです。
ないものを作り上げる力。ゼロをイチにする覚悟。
疫病や災害など、予想外の出来事が起き続けるこの世の中で成功するのは難しいようにも思えます。
ですが、そんな中でも成功を引き寄せるコツがあるとするならば、それは案外、自分の心構え1つだったりするのかもしれませんね。
取材・文・撮影=内藤 祐介