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COEDO KAWAGOE F.C代表・有田和生はなぜ100年続くクラブを目指すのか

COEDO KAWAGOE F.C代表・有田和生はなぜ100年続くクラブを目指すのか

100年続く事業。

規模や目的によりますが、基本的には事業とは「長く続ける」もの。長く続けば続くほど、信頼となり実績となり、そして文化となります。

今回お話を伺ったのは、有田和生さん。有田さんは埼玉県川越市に拠点を置く、サッカークラブチーム・COEDO KAWAGOE F.Cの代表取締役を務めています。

COEDO KAWAGOE F.Cを「100年続くクラブ」にしたいと語る有田さん。

通常、スポンサーからの支援を元に運営することの多いクラブチーム。しかしその支援だけに依存しない企業体質を作っている最中だと言います。

今回は有田さんのキャリアを伺うとともに、100年続くクラブを作るために挑戦していることを伺いました。

<プロフィール>
有田和生さん
COEDO KAWAGOE F.C株式会社 代表取締役

東日本大震災をきっかけに起業を志す。
大学生活と並行しながら正社員として、飲食店で働き始める。
新規店舗の立ち上げなどを経験した後、2017年、25歳の時に飲食店を経営する会社を起業。

その後同社の経営しつつ、2020年10月にCOEDO KAWAGOE F.C株式会社を設立。
埼玉県川越市を本拠地とする社会人サッカークラブチームとして、Jリーグ出場を目標としている。

「フットボールクラブを通じて、川越に夢と感動を創出し続け、100年続くクラブへ」をコンセプトに、従来のサッカークラブ経営に囚われない、さまざまな取り組みに挑戦している。

起業のための“起業”? 有田さんが飲食店を起業した後、COEDO KAWAGOE F.Cを立ち上げた理由

――社会人サッカーチーム、COEDO KAWAGOE F.Cの代表を務めている有田さん。まずはチームの発足の経緯からお聞かせください。

有田さん
元々、スポーツが好きだったんです。

ただ僕自身はサッカーではなくて野球をずっとやっていて。高校時代は甲子園出場を目指していたりと、結構頑張っていました。

ただその反動からか、大学時代はどこか燃え尽きてしまったんです。

そんな時に起こったのが、東日本大震災でした。「今、僕らが生きていることは当たり前ではない」。人の生死をとても身近に感じた時に、改めて自分がどんな人間になりたいかを考えたんです。

そして出た答えが「社会に大きな影響を与えられる人になりたい」という思い。そして「やっぱりスポーツが好きだ」ということでした。

――それで起業を決意したんですね。

有田さん
はい。でもいきなりスポーツクラブチームを立ち上げたわけではなくて。

スポーツクラブチームを作るにはお金や設備はもちろん、経営者としての経験も必要です。当時、ただの大学生にすぎなかった僕にとって、そのハードルはとても高かった。

そこで、まずは「身近なビジネスから始めてみよう」ということで、当時アルバイトをしていた居酒屋に社員としてジョインして、起業のためのお金を貯めながら経験を積もうと思ったんです。

そして25歳の時(2017年)に、飲食業をメイン事業とする会社を設立しました。

――スポーツクラブチームを立ち上げるために、別の事業で起業したと。その後COEDO KAWAGOE F.Cを立ち上げたんですね。

有田さん
はい。起業から3年後、2020年の10月にCOEDO KAWAGOE F.Cを設立しました。

飲食業を経て、経営の経験もある程度積んでいたこと。そして東日本大震災に続き、コロナ禍という新たな厄災が起こったことが大きかったですね。

世の中に閉塞感が漂っている今だからこそ、スポーツの力でできることがあるんじゃないかなと。

そういった思いから、ようやくCOEDO KAWAGOE F.C株式会社として走り出したんです。

街に根ざして100年クラブを続けていくために。スポンサーの“寄付”に頼りすぎないクラブ経営

――しかし有田さんは先ほど、ずっと野球をされていたとおっしゃっていましたよね。なぜサッカーのクラブチームを立ち上げることにしたのでしょう?

有田さん
僕と一緒に会社を立ち上げた、取締役の中島がサッカーの経験者でした。

中島に聞くと、サッカーのクラブチームはプロ野球球団と異なり、プロ(※ここでいうプロとは、J1からJ3までのJリーグ出場チームを指す)とアマチュア(J3未満の地域リーグや都道府県リーグ)までが通貫しているそうで。

つまり極端な言い方をすれば、チームがアマチュアリーグで勝ち続けていれば、いずれJリーグ(プロ)に昇格することも夢じゃないということです。

一方でプロ野球の球団になるためには、ただクラブが強くなるだけでなく、さまざまな関門を乗り越えなければなりません。そこでサッカーという競技を選ぶことにしました。

――ゼロから作ったクラブが、Jリーグを目指す。とても夢がありますね。

有田さん
はい。「クラブ」としての目標はJリーグ出場ですが、一方で「会社」としての目標はまた別にあるんです。

それは「川越に100年続くクラブ」として、存在し続けること。

COEDO KAWAGOE F.Cが拠点を置く、埼玉県川越市は、観光や農業などが盛んなとても素敵な街です。

しかしさいたま市には浦和レッズ、所沢市には西武ライオンズなどが拠点を置いている一方で、川越市にはこれといったスポーツの文化や歴史がないんです。

だからこそ、スポーツという手段を使って、川越市を元気にできるような街おこしをしようと思いました。

――「100年続くクラブ」であるためには「サッカーが強いチーム」であることはもちろん、経営的にも安定して収益を確保できるチームでなければなりませんね。

有田さん
その通りです。多くのサッカークラブは、スポンサー収益を元手にクラブ経営を行っています。

スポンサーが集まる背景にはさまざまな理由が考えられますが、その多くはいわばスポーツの活性や街おこしのための“寄付”的な意味合いが、強いと言えるでしょう。

しかし“寄付”というのは、自分たちの事業の余剰分のお金を、社会的に意義のある活動や団体に贈るもの。慈善事業に近い行為なんです。

逆に言えばその“寄付”に頼りすぎてしまうと、今回のコロナ禍のような、経営を逼迫する非常事態が発生した場合、クラブは一気に立ち行かなくなってしまいます。

そこで僕たちは“寄付”だけに頼るのではなく、川越の街に根ざすクラブだからこそできる「事業」に挑戦しているんです。

――具体的に教えてください。

有田さん
ありがたいことに2022年7月現在、COEDO KAWAGOE F.Cは140社以上のスポンサー企業さまに支えられています。

もちろん業界や業種は多種多様です。そこでCOEDO KAWAGOE F.Cが広告塔となり、スポンサーさまを紹介するオウンドメディアを運営しています。


#川越より

有田さん
加えてスポンサー企業同士を結ぶ、ビジネスマッチング事業や営業代行、コンサルティングなども行っています。

従来の「スポンサーから支援を受けるスポーツクラブチーム」という構図から「スポンサー同士を結び、新たなビジネスを創出するスポーツクラブチーム」という役割を担っていけるよう挑戦しています。

応援してくださる企業さんに「事業」という形で恩返しができるような、独立した企業にならなければ「100年続くクラブ」には、なれないんじゃないかなと思っています。

サッカーはもちろん、経営にも「強いクラブ」を作っていきたい

――有田さんのこれからの展望をお聞かせください。

有田さん
街に新たな歴史を作っていきたいですね。

川越という街は、先人たちが多くの伝統ある文化を残していってくれました。今度は僕たちが、新たに次の世代へスポーツの文化を残していけたらいいなと。

そのためにも、サッカーも経営も「強い」クラブを作っていく必要があると思っています。

僕たちの取り組みが、川越の街の活性化に繋がったら嬉しいですね。

――最後に読者の方へメッセージをお願いします。

有田さん
僕にとっての起業のきっかけは東日本大震災でした。

ありきたりな言葉のようですが、いつ自分が死んでしまうかも分かりません。その時に後悔のないように、今できることややりたいことを探して見つけたのが、COEDO KAWAGOE F.Cの事業だったんです。

きっと読者の皆さんそれぞれに「こうなりたい」「こうしてみたい」といったビジョンがあるんじゃないかと思います。

僕の場合は起業という選択でしたが、もちろんそれは手段の1つにしかすぎません。

自分の目的を明確化して、それに合ったやり方を逆算する。大切なのは手段ではなく、自分にとって後悔のないように生きること。それが一番なんじゃないでしょうか。

取材・文=内藤 祐介
写真提供=COEDO KAWAGOE F.C

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