事業を受け継ぐ。
高齢化に伴い、事業の跡継ぎ手がいないことは非常に深刻な問題です。そんな中、事業承継という形で、独立される人も少なくありません。
今回お話を伺った文野淳さんもその1人。
文野さんは、母・マリさんが運営していた高級ランジェリーの販売・卸売業「神戸マリー」に参画し、跡を継ぎ法人化。現在は株式会社MARIEの代表取締役として活躍しています。
ランジェリーといえば、女性が身につけるもの。なぜ文野さんは母・マリさんから事業を受け継いだのでしょうか。
そして偉大な母を持つが故の2代目の葛藤、その先に見つけた自分の役割について語っていただきました。
文野淳さん
株式会社MARIE代表取締役
1986年、母・文野マリ氏がランジェリー販売・卸売店として「神戸マリー」を開業。
マリ氏はイタリアランジェリーを初めて日本へ輸入したうちの1人であり、その後日本でのランジェリー普及に一役を買った。
大学入学前に、マリ氏とともにイタリアへ渡り、現地の人の仕事への情熱ぶりを目の当たりにし衝撃を受ける。
大学卒業後はイタリア・ミラノの専門大学院へ進学し、ブランドマネジメントをはじめ、ファッションについてのイロハを学ぶ。
帰国後、母の事業の手伝いを始める。2014年に法人化を果たし株式会社MARIEが誕生、同社の代表取締役を務める。
イタリア・ミラノ。ランジェリー業界の最先端は、男たちがしのぎを削る“カッコいい世界”だった
――高級ランジェリーの小売・卸売業を営む、株式会社MARIEの代表を務めていらっしゃる文野さん。まずは起業に至るまでの経緯から教えてください。
法人化をした僕なのですが、実は事業そのものを僕が興したわけではないんです。
元々は私の母である、文野マリが個人で高級ランジェリーの輸入・卸し・販売といった事業を営んでいました。
僕は母の仕事を手伝う形でこの仕事を始め、現在は母の跡を継ぐ形で、この株式会社MARIEを経営しています。
――昔からお母さまの姿を見て、事業を継ごうと考えていらっしゃったのでしょうか?
いえ、事業を継ごうだなんて全然考えていなかったんですよ。
僕は男性ですし、自分自身がランジェリーをつけるというわけでもないですから。むしろ小さい頃は“恥ずかしいもの”くらいのイメージすら抱いてました。
ただ母は非常に仕事に対して、強いこだわりを持っていたので、そういうところは知らず知らずのうちに影響されていたのかもしれません。
転機が訪れたのは高校生の頃でした。大学入学祝いで、母にフランス・パリ、イタリア・ミラノに連れて行ってもらったんです。
母は仕事を兼ねて現地へ行っていたので、僕も一緒になって現地で開催されている世界的なファッションコレクションを間近で見せてもらって。そこで大きな衝撃がありました。
――衝撃?
ランジェリーというのは女性が着るものですから、今までどこか「女性のモノ」という認識がありました。
実際母も、ランジェリーは「女性のためにあるべきものだ」という信念の元に仕事をしていたので、自分の中に“性別の壁”みたいなものがあったんです。
しかしパリやミラノでランジェリーのコレクションに携わっている人たちを見渡すと、驚くことにそのほとんどが男性だったんです。
デザイナーやバイヤー、運営スタッフなど、そこではカッコよくてスマートな男性たちが活躍していて。その人たちがめちゃくちゃカッコよく見えたんですよね。
同時に「ランジェリーってちょっと恥ずかしい」と思っていた自分こそが、恥ずかしいな思えてしまうほどで……。
――当時はまだこどもですからね(笑)。その後ランジェリーの世界に?
いえ、ランジェリーを始めとしたイタリアのファッションの世界に興味が生まれたんです。
だから大学を卒業した後、ミラノにある専門大学院に進学し、ファッションのデザインや経営、ブランディングなどさまざまな勉強をしたんです。
ミラノには学校に通いながらインターンもしつつ、3年半過ごしました。
それで日本に帰って何をしようかと考えた時に、自分の原点は母に連れて行ってもらった、あの時の出来事だなと気がついて。
もし母がランジェリーの仕事をしていなかったら。もし母と一緒にミラノに行っていなかったら。
そう考えた時に、自分の人生には母とともにランジェリーの存在があったことに気がつきました。そして母に仕事を手伝わせてほしいと、頭を下げたんです。
大切にしている信念は忘れずに、偉大な先代とは違うアプローチで。それが2代目の役割
――それでランジェリーの世界に入ったと。しかしミラノでは男性が活躍していたとはいえ、何かと苦労をされたのではないですか?
そうですね。最初は輸入卸しの仕事を手伝うようになったのですが、母からは実務は何も教わったことがなく……(笑)。
仕事はひたすら見て覚えて、加えて方々に営業に回ったりと、自分が思いつくできることはやってみました。
ただ正直手応えはなかったですね。というのも僕が参画した頃にはもう、ある程度事業がちゃんと回っていたので、僕が何をしようがあまり関係ないという感じで……。
ただそれでも世の中は確実に変わっていっていました。
ファストファッションブランドの流行、リーマンショック、東日本大震災……。国内外問わず、さまざまなものやことが移り変わっていく中で、漠然と「今の繰り返しをしているだけじゃダメだ」と思うようになっていったんです。
――なるほど。それで法人化を?
そうですね。
実は法人化する前は、百貨店さんと取引がなかったんです。それでこれからは百貨店さんともお付き合いしていくために、個人ではなく法人登記したという意図もありました。
母を会長、僕が社長という形で株式会社MARIEが発足しました。東京・六本木に小売店「マリー六本木」をオープンしたのもその取り組みの1つです。
↑「マリー六本木」の店内。イタリアをはじめ、さまざまな国のブランドの高級ランジェリーが取り揃えられている。日本ではここでしか買えないものも。
――世の中に合わせて、忖度なく事業の形を変えていく。それが文野さんの役割だったのかもしれませんね。
そうだといいですね。母の話で恐縮ですが、実は神戸で「マリーさん」というと、ちょっとした有名人だったりします。
母は元モデルで、それでいてランジェリーを日本に持ち込んだうちの1人、という経緯を面白がられて、関西中心にメディアでたまに取り上げてくださっていました。
今でも母は歩いているだけでよく人から声をかけられていますし、僕も友達や知り合いから「マリーさん元気?」と言われることがしばしばあって。
そんな偉大な母の後を継ぐというのは、正直やはり大変だったところもあります。でも母と同じ土俵で競ったところで、何も生まれません。
だから僕は僕のやり方で、事業に向き合えたらと思っているんです。
――事業を継いだ、2代目ならではのお話ですね。事業をする上で大切にしていることはなんですか?
母はよく「ランジェリーは美しい。でもそのランジェリーを着た貴女は、もっと美しい」と言っています。
よくテレビに出たりと、何かと目立つのが大好きな母ですが、仕事の根っこの部分ではお客さまのため、着ている女性のためにとても真摯なんです。
母が大切にしているその信念は忘れずに、これからも仕事をしていきたいですね。
事業を長く続けていくからこそ、ランジェリーの文化は広がっていく
――文野さんの今後の展望を教えてください。
ランジェリーの文化を、これからより広げていきたいですね。
よく「ランジェリーと下着の違いが分からない」というお声を耳にします。そもそもランジェリーと下着は別物です。
下着とは文字通り、服の下(肌の上)に直接着るもの。体温を維持したり服が汚れるのを防いだりするのが主な役割です。
一方でランジェリーというのは、パートナーなど、人に対して見せるためのもの。自分をより美しく、魅力的に見せるためのファッションなんですよね。
この業界に入って10数年経ちますが、日本にはそういった価値観がまだまだ広がっていないなと、常々感じます。
1人でも多くの女性に、ランジェリーの魅力を知っていただけるよう、これからも目の前のお仕事に向き合っていきたいです。
――最後に、読者に対してメッセージをお願いします。
独立・起業というと、どうしても儲かるか儲からないかの軸を大切にしている方が多いように感じます。
もちろん実際、事業が赤字続きだったら立ち行かなくなってしまいますし、綺麗事を言いたいわけではありません。
ですが派手に儲かっていなかったとしても、自分で事業を立ち上げて、細々とでもその事業を長く継続している人はたくさんいます。
事業は続けていくことが大切だと思います。僕の話で言えば、事業を続けていかなかったらランジェリーの文化を広げることはできません。
儲かるか儲からないかはもちろん、長く事業を続けられるかという視点でも、ぜひ一度考えてみてください。
取材・文・撮影=内藤 祐介