©︎うさぎ写真家uta
独立すればやりたい仕事だけができる、というのは本当でしょうか。
思うようにいかず、「こんなはずじゃなかった」と夢を諦める人も多くいる中で、本当に好きなことを仕事にしている人もいます。
今回お話を伺ったのは、写真家ユニット『うさぎ写真家uta(うた)』のお2人。大好きなうさぎを撮影して生活するご夫妻です。収入が厳しく、思うような働き方ができなかった時期もあるようですが、お2人はどのようにして、うさぎ専門の写真家として生活しているのでしょうか? これまでの経緯や現在の活動内容について伺いました。
うさぎ写真家uta(うた)うさぎ撮影が専門の2人組(うたお&うたこ)写真家ユニット。2000年より大久野島に生息するうさぎを撮影。うさぎの環境保護活動にも力を入れている。2011年より移動式のうさぎ撮影会を始め、全国のおうちのうさぎを撮影するために年間約10ヵ所を回る。
Twitter:@utajima
Instagram:https://www.instagram.com/uta_photosession/
Blog:https://ameblo.jp/maron0/
大久野島に通い続けて19年!うさぎ専門の写真家ユニット『uta(うた)』が生まれるまで
ーうさぎ撮影専門の写真家として活動されているutaさんご夫妻。現在に至るまでの経緯を教えてください。
うたおさん
私たちはもともと一般企業で働いていました。付き合い始めてしばらく経った2000年4月、デートで初めて大久野島へ行ったんです。大久野島は瀬戸内海に浮かぶ、700羽以上(当時は約300羽)のうさぎさんが生息する島です。
このときの僕たちは、うさぎさんのことは好きでしたが、今ほど「大好き!」というわけではありませんでした。
ところが島でうさぎさんの姿を目にすると、その飾らない姿に「うわぁ、かわいい!!」と大感動(笑)。そこから2人で徐々に島に行くことが増え、最終的にはほぼ毎週通うようになりました。今でも島に通っていて、今年で20年目になります。
ー2人とも大久野島のうさぎに惚れ込んだのですね。そこからどのように『うさぎ写真家uta』の誕生につながるのでしょうか?
会社員時代に結婚した後、僕は昔から好きだった写真の仕事がしたいと思い、2005年に写真館に転職しました。そこで1年ほど経験を積んでフリーランスの写真家になったあと、うたこも会社を辞め、2007年に写真の仕事を2人でやっていこうと決めました。
ーすぐにうさぎの撮影だけで生活を成り立たせることができるようになったのでしょうか?
うたこさん
最初のうちは、うさぎさんの撮影で生活をしていくというのは夢だと思っていました。仕事としては、主に人物や広告用商品の撮影をしたり、画像加工の仕事を外注で受けたりしていました。また、2人とも生活のためにバイトも掛け持ちしたりしていました。
2008年から、大久野島で撮影したうさぎさんの写真やカレンダーなどの販売をしてきましたが、この売り上げはすべて大久野島のうさぎさんのために還元しています。
2011年頃から、うさぎ撮影の仕事が増え、3,4年前からは完全にうさぎさんの撮影のみで2人で生活できるようになりました。完全にうさぎさんの撮影だけを仕事にできるようになってから、ようやく「うさぎ写真家」と名乗らせてもらうことに決めました。
ーうさぎ撮影の仕事が増えたきっかけはなんだったのでしょうか?
うたおさん
移動式のうさぎ撮影会を始めたことです。
全国を回り、うさぎ専門店や各地でレンタルスペースを借りたりしておうちのうさぎさんを撮影して、写真のデータやそれを加工して作ったオリジナルグッズを販売しています。
ずっと続けてきたうさぎ撮影のニーズが世の中にあるんだと気づけたことで、仕事の幅が大きく広がりました。