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日本文化の素晴らしさを広めたい。田井中将希が選んだ、自分にしかできない役割と使命

生ボイス

「自分のやりたいことってなんだろう?」

進学、就職、転職。そして独立・起業など、人生の節目に直面するこの問いの答えは、千差万別です。

今回お話を伺ったのは、俳優・文化人の田井中将希さん。

田井中さんは、大手芸能事務所に所属しダンスボーカルユニットのボーカル、そして俳優として活躍された後、事務所を退所。

現在は、一般財団法人「松尾財団」の企画室長として、日本文化の素晴らしさを広める活動をしています。

なぜ「芸能」から「日本文化」にシフトしたのでしょうか?

その理由は、田井中さんにとっての「自分のやりたいことってなんだろう?」という問いの答えにありました。

<プロフィール>
田井中将希(たいなかまさき)さん

大阪芸術大学建築学科卒業。

劇団俳優座 28期生。

Dance & Vocal unit BRIDGETのボーカル、俳優として映画、舞台、PV 等に従事。

avex事務所を経て、長崎県新上五島町観光物産大使に任命され、2017年世界遺産登録に向けて長崎県のPR活動にも従事。

「日本文化を新しい視点で分析・若い世代に向けての発信」をテーマに、松尾財団企画室長(カルチャー・コーディネイター)として国内外に情報を発信中。

「自分のやりたいことって、本当はなんだったの?」―田井中将希と日本画との出合い

ーもともと芸能界に入ることが夢だったのでしょうか?

田井中さん
僕は小さい頃から映画を見ることが大好きだったので、俳優になりたいという気持ちは漠然とありました。

でも大学を卒業する時までは、いわゆる普通の学生生活を送っていました。絵を描いたり、物を作ることが好きだったので大阪にある芸術大学で、建築を学んでいたんです。

ー絵やアートにも関心があったんですね。

田井中さん
はい。

そして転機が訪れたのは、就職活動の時期でした。

周りの友人達が就職活動を進めていく中で、「自分の興味のある職業ってなんだろう」と、自分のことを振り返ると、こどもの頃からにわかに憧れを抱いていた芸能界という世界に行き着いたのです。

ーそこで、自らオーディションを受けたのですか?

田井中さん
はい。

幸いにも数社の事務所から声がかかり、最終的に選んだのが、大手芸能プロダクションの「ダンスボーカルユニットのボーカルとして契約をしたい」というお誘いでした。

ー芸能界に入ってからはどのような活動をされていたのですか?

田井中さん
所属していたグループが名古屋出身だったこともあり、東京や愛知を中心に活動をしていました。

デビューした当初は右も左も分からず、とにかく毎日必死でしたね。

ーそれでも、憧れて入った芸能の世界。毎日必死でがんばってきたなら、次第に道は開けてきたのではないでしょうか?

田井中さん
それがそうでもなかったんですよね(笑)。

グループの先輩方にはとても可愛がってもらえて、仕事のイロハを教えていただきましたし、ある程度周りが見えるくらいにはなりました。

しかし、周りが見えてきたところで「自分が憧れていた世界」とは、ちょっと違うなと感じ始めたんです。

ーどういうところがでしょうか?

田井中さん
競争が熾烈というか、出来レースというか。

もちろん自分の努力次第である程度のカバーはできましたが、正直な話、暗黙のコネクションもありました。

どんなに必死でがんばっても、努力と実力だけじゃどうにもならない独特の仕組みがあることを思い知ったんです。

そしてデビューから2年半が経ち、だんだんと自分を見つめ直す機会が増えていきました。

ーその状況をどう乗り越えたのでしょうか?

田井中さん
国内外で作曲家・音楽プロデューサーとして活躍されている松尾由佳さんとの出逢いが大きかったですね。

ある仕事で出逢い、当初はボイストレーニングを受けていたのですが、ステージでの表現や歌のテクニックだけではなく、人としての在り方を教えてくださる由佳さんの指導を通して、自分自身と向き合うようになりました。

そんなある時、「リフレッシュしてみたら?」と提案してくださり、由佳さんの故郷である長崎県にご一緒させていただくことになったのです。

ー都会の競争社会から離れて、長崎へ。何か変わったことはありましたか?

田井中さん
はい。長崎に行ったことで僕の人生は一変しました。

実は、由佳さんのお父さまは日本を代表する日本画家、文化勲章受章者でもある故 松尾敏男氏。日本の美術界に偉大な功績を残され、長崎県の名誉県民でもありました。

この長崎の地で本物の日本画に触れ、その芸術性の高さと尊さに心を奪われました。

命あるもの全てを尊敬され、その美しさや尊さを絵に描きたいという松尾敏男先生の強い想いが絵からもしっかりと伝わってきて、自分自身の価値観や人生観にも大きな影響を与えられている事を感じたのです。

ー芸術性が高いだけでなく、人としての器が大きかったのですね。

田井中さん
はい。

知れば知るほど、人としての偉大な生き方に驚くと同時に、当時、奮闘していた芸能界という限られた世界の中で、しのぎを削る自分の生き方への疑問がますます大きくなりました。

「自分のやりたいことって、本当はなんだったの?」と、真剣に考え直すきっかけにもなりました。

残念ながら、松尾敏男先生は2016年に亡くなられましたが、長女である由佳さんがお父さまの遺志を継いで、日本画を始めとする日本の芸術文化を世界に広めるために、一般財団法人「松尾財団」を立ち上げました。

僕はもともと絵を描くことが好きでしたし、何より日本人として日本画の素晴らしさ、そして本物から学ぶ「決して驕らないとても謙虚な生き方」までも世の中の人々に伝えたいと思うようになりました。

その決心がつくと、自分の進むべき道がスポットライトを照らすように突然見えてきたのです。

とても自然な流れで、芸能事務所を退所し「松尾財団」の立ち上げメンバーとして設立に参加させていただく事になりました。

不安も後悔もなく、目の前にはしっかりと「道」が見え始めていました。しかし全ては芸能界で真剣に取り組んでいた大切な経験があって気づけたことでした。

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