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マスメディアが報道できない映像を、個人の力が集まって、伝えていく

テレビ局の仕事を辞め、フリーの映像ディレクターという仕事を選び、東日本大震災後の福島を描いたドキュメンタリー映画「Life 生きてゆく」を5年半の長い撮影を経て完成させた笠井千晶さん。その作品は口コミで広がり、全国で有志が主催する上映会も行われている。クラウドファンディングでもたくさんの支援者が集まった。

ドキュメンタリー映画「Life 生きてゆく」は、東日本大震災後の福島県で、家族を亡くした男性と、その妻、そして震災後に生まれた娘との生活を5年半密着取材して生まれた。
山本美香記念国際ジャーナリスト賞を2018年5月に受賞。

マスメディアが報道できない映像を、個人の力が集まって、伝えている。大手テレビ局の仕事を辞め、フリーの映像ディレクターの道を選んだ笠井千晶さんの活動について、話を伺った。

<プロフィール>

笠井千晶さん

15年以上のテレビ報道記者勤務を経て独立。フリーの映像ディレクターとして、撮影〜編集までを手がけ、テレビ・映画のドキュメンタリーを制作。震災後の福島に通い、原発周辺の街で映像記録を続ける。
また死刑囚の再審請求事件「袴田事件」を十数年に亘り取材。死刑囚・袴田巌さんが2014年に釈放された瞬間に同行し、47年ぶりに自由の身となった直後の様子を記録した。裁判所組織を描いたものなど司法に関するテーマが多い。

会社員時代に、日本民間放送連盟賞テレビ報道番組部門 最優秀賞 (2004年度)、「地方の時代」映像祭 優秀賞 (2006年度)、石橋湛山記念 早稲田ジャーナリズム大賞 奨励賞 (2010年度) などを受賞。独立後に、山本美香記念国際ジャーナリスト賞 (2018年度) を受賞。

フリーの映像ディレクターとして笠井千晶が伝えたいこととは

ー「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」、受賞おめでとうございます。まずは、受賞の経緯と感想を聞かせてください。

笠井さん
ありがとうございます!
「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」は、2012年に中東のシリアで取材中、銃弾に斃れた山本美香さんのジャーナリスト精神を引き継ぎ、果敢かつ誠実な国際報道につとめた個人に対して贈られる賞なのですが、今回私が福島の被災地で5年半かけて撮り続けた映像をまとめたドキュメンタリー映画「Life 生きてゆく」を選んでいただきました。時間をかけて撮り続けた東日本大震災後の福島を描いたドキュメンタリーですが、家族を奪った津波、そして原発事故。失意の底から立ち上がろうとする被災者とともに、「長い時間をかけて紡ぎ出した作品」と評価していただきました。関係者の皆さまのおかげです。大変嬉しい受賞となりました。

ー笠井千晶さんが被災後の状況を撮り始めたきっかけを教えてください。

笠井さん
中京テレビに勤めていたとき、取材として、震災直後の被災地に行くことがありました。
そのときに感じたことは、被災後の今だけではなく、継続してこの現状を誰かが記録しなければいけないんじゃないかと思ったのです。
ですが、報道の仕事は取材対象もたくさんありますから、被災後の状況だけを撮り続けることができません。そして、思い立って会社の仕事ではなく、私個人として被災地に行き、記録を撮り続けることにしました。
最初はテレビの仕事をしながら週末などの休みの日や仕事を終えたあと、プライベートの活動として夜行バスに乗って東北まで脚を運び、また、会社の始業に間に合うように、夜行バスで戻ってくる生活を続けました。仕事の合間に、名古屋から東北、東北から名古屋という往復です。

ー休みのない大変な生活ですね。では、笠井千晶さんが独立したきっかけを教えてください。

笠井さん
会社の仕事ではなく、個人として撮影することで、放送する、番組を作るという視点に囚われずに、状況を映像として残し伝えることができるかもしれないという気持ちで、会社の仕事と並行して撮影を続けていました。ドキュメンタリーの映像を撮ってもその報酬があるわけではありません。ですが、体力的にも時間的にも無理があると感じて、思い切って会社を辞め、フリー映像ディレクターとなりました。固定収入は無くなりますが、私しか撮れないものを撮るための時間を作ろうと。

マスメディアでの報道で伝えられない現実を映像に

ーマスメディアでの報道で伝えられないというお話がありましたが、もう少し詳しく教えていただけますか?

笠井さん
報道の仕事では、企画を決め、何分の番組で、どのくらいの予算で作るというのを決めて、撮影に入ることが多いのですが、被災地の状況を映像で撮るのは、ゴールが明確ではありません。
時間も予算も予測できないのです。今後いつ何が起こって、どういう結果になるのか分かりませんから。
そのため、番組の企画としては成立しづらいのです。

ただ、私個人として、この状況は映像として残して伝えていく必要があると思ったのです。もう1つ私が撮影している袴田巖さんについてもゴールが明確ではありません。ですが、記録として残して伝えていくべきだと感じたので、記録し続けているのです。

ードキュメンタリーの映像は撮るのが大変ではないですか?

笠井さん
はい。人を撮っていますから、信頼関係がなければできません。また、人生の転機となるような場面はどのタイミングで訪れるか分かりませんから、足繁く通うことになります。私が今取材しているのは、被災後の福島の状況と静岡で47年ぶりに釈放された死刑囚袴田巖さんです。ですから、静岡と福島を往復して映像を撮影する生活を送っています。

マスメディアが報道できない映像を、個人の力が集まって、伝えていく

ーフリー映像ディレクターとして、収入はどうやって得るのでしょうか?

笠井さん
Readyforでクラウドファンディングしたことで支援者の皆さまから資金が集まりました。また、経産省の創業・第二創業促進補助金に採択され、機材の購入費用も補助していただきました。撮影・編集機材はテレビ局の仕事で使えるレベルの機材です。本当に皆さまのおかげです。私自身は映像のこと以外は詳しくないので、応援してくださる皆さまのおかげで、ここまできました。上映会を開催することによる収入があります。

ドキュメンタリー映画「Life 生きてゆく」トレーラー

舞台は震災後の福島県沿岸部。
これは、2011年3月11日、津波に見舞われた南相馬市萱浜(かいはま)地区に生きる、ある家族と”命”の物語です。
震災から7年。
いまだ届かぬ声が、ここにー。

監督・撮影・編集/笠井千晶

ー笠井さんの映像作品はその上映会で見られるのですか?

笠井さん
はい。有志の方が上映をフェイスブックページから申し込んで主催してくださっています。その上映会で作品を見た方がまた他の場所で主催するという口コミが伝播する形で、全国に広がっています。ボランティア活動を東北で経験した方や、福島出身の大学生がご自身の通う関東の大学で開催してくださったり、自治体単位でも上映をしてくださっています。ありがたいことです。

ー笠井千晶さんがこのドキュメンタリーの映像で伝えたいことは何ですか?

笠井さん
ドキュメンタリーの映像を見てもらって現実を感じてもらえればと思っています。感動してもらうとか、泣いてもらおうという意図ではありません。演出的なことは全くしていませんが、置かれた過酷な現状、現実をそのまま、伝えたいのです。


ー最後に、起業を考えている読者にひとこと、お願いします。

笠井さん
私が起業家として成功しているわけではないので、起業家の皆さんにアドバイスできる立場ではありません。ただ私が心がけているのは、仕事に妥協しないことです。私は誰にでもできる仕事ではなく、自分だからできる仕事を見つけたら、その仕事に妥協しないということで、撮り続けてきました。
撮影や編集というスキルは色々なニーズもありますが、私しかできないドキュメンタリーを撮り続けてきました。
お金を得るために自分のスキルを安売りしないこと、自分しかできないことを続けることが大事だったんだなぁと今になれば思います。
もちろん、経済的には楽ではありませんが、どうしてもやりたいことのために使う時間を奪われないように。

自分しかやれないことを続けていれば、いつか誰かがその価値を見つけてくれると信じています。

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先代の後を継ぐ。

実家が自営業の方は、いずれ継ぐか否かの大きな決断をすることになるでしょう。

一方で実家の家業ではなく、自分が本当にやりたいと思っている仕事に就きたい場合は、その板挟みになることも。

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偉大な先代である父の後を継ぐ、2代目の覚悟と役割とは、一体何でしょうか?

<プロフィール>
川口元気(かわぐち・げんき)38歳

寿司茶屋すし活 2代目/高校英語教員

実家は国内外問わず人気を博す「寿司茶屋すし活(以下、すし活)」。

初代である父と共に、「すし活」の人気を支えている。

大学卒業後から家業を継ぎながらも、ツアーコンダクターや家庭教師派遣業務にも携わり、常にパラレルキャリアを実践する。

現在は寿司職人と同時に、大阪の私立高校で英語教員としても働いている。(現在は育児休暇中)

世界1周旅行やツアーコンダクターの経験から得た幅広い知見で、独自の英語教育を展開する。

※以前アントレnet Magazineでは「寿司茶屋すし活」の大将で、世界的に有名な寿司職人である、川口正弘さんにお話を伺いました。

「寿司茶屋すし活」大将、川口正弘さんの記事はコチラから!
世界一なんて、他人が決めた物差しでしかない。世界一の寿司職人が目指す、更なる“高み”

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自分の興味の幅が広いからですかね(笑)。

幼い頃から父の背中を見ていて、寿司には興味はありましたし、一方で前編でお話したように、外国語にも興味がありました。

だから寿司職人だけでなく、自分が好きな外国語の勉強を生かせる英語教員や、バーの経営者、ツアーコンダクター、塾の講師など、その時に自分が興味を持った仕事に就きました。

せっかくやりたいことがあるのに、1つの仕事だけに囚われて、他のやりたいこと(仕事)を諦めてしまうのはもったいないなと思ったんです。

ー複数の仕事をこなそうとすると、時間の制約や業務量など、大変なことが多いと思います。元気さんはどのようにして複数の仕事をこなしているのでしょうか?

元気さん
今は育児休暇中なので少し異なりますが、僕の場合はシンプルに、仕事を曜日で分けていました。

月火水は英語教員、木金土は寿司屋で働く、といった具合に。

ちなみに二足のわらじ生活そのものは、今に始まったことではありません。

大学卒業後から、バーの経営をやっていた時もツアーコンダクターをやっていた時も、曜日で分けて複数の仕事をしてきました。

ー常にご自身がやりたいことを実践し続けるために、様々な工夫をされているのですね。

元気さん
そうですね。

僕は自分の仕事を、

①やらなければならないこと
②やりたいこと
③できること

の3種類に分けています。

僕の場合は、①が家業である寿司屋、②は教員(その都度変わる)、③がツアーコンダクター、寿司屋といったところでしょうか。

ポイントは、②の「やりたいこと」を大切にするということです。

<元気さんが教室長を務める、知窓学舎大阪サテライト教室>

ーそれはどういうことでしょうか?

元気さん
③の「できること」というのは、すなわちその仕事で、しっかりお金を稼ぐことができる、という意味です。

生計を立てられる仕事の種類が増えれば、どれかの仕事を急にできなくなってしまったり、あるいは仕事がなくなってしまっても、致命的なダメージを受ける可能性は低くなります。

他の仕事である程度収入のカバーができますからね。

先程もお話した通りポイントは、②の「やりたいこと」を尊重すること。

なぜなら②の「やりたいこと」をやった結果、いずれ③の「できること」、すなわちお金を稼ぐ仕事へ変わっていくからです。

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先代と自分を比べる必要はない。「資本主義より“幸せ主義”」を支える、2代目の役割

ー①の「やらなければならないこと」についてですが、やはり寿司屋は「家業だからやらなければならない」ということでしょうか?

元気さん
一応便宜上、①を家業である寿司屋の仕事について書きましたが、正直「やらなければならない」というほど、肩肘を張っているわけではないですけどね(笑)。

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ーこどもの頃から寿司屋を継ぐことを考えていたのですか?

元気さん
そうですね。こどもの頃は「自分もいずれ寿司職人になるのかなあ」くらいに、漠然としていましたけど(笑)。

一方で「絶対に店を継がなければいけない」という意識はなかったです。先代である父からも、継ぐことを強制されたわけではありませんし。

ーしかし、大学を卒業してすぐ寿司職人の道を進むことになるんですよね。

元気さん
はい。ターニングポイントになったのは、自分が外国に行った時でした。

就職を考える時期になって、いよいよ寿司職人になることが現実味を帯びてきた時、急に逃げ出したくなったことがあるんです。

ーやはり、先代の背中の大きさでしょうか?

元気さん
そうですね(笑)。

「寿司職人になること」が現実味を帯び始めた途端、寿司に関して世界一と言われる程、圧倒的なスキルを持つ父の後を継ぐことに、かなりのプレッシャーを感じるようになったんです。

「2代目になって味が落ちた」と言われるのは、やっぱり怖いなあと。

そこで一度家を出て、外国へ逃亡してみました(笑)。

逆説的ですが、実はそこで寿司職人になる決心が固まったんです。

ーなぜでしょう?

元気さん
外国に行くと、日本の文化についてめちゃめちゃ聞かれるんですよ。ましてや日本が好きな方と会話する時はなおさらです。

周知の通り、日本の「寿司」という食文化は外国でも圧倒的な人気を誇ります。それこそ「すし活」にも、日本だけでなく海外からも多くのお客さまがいらっしゃいますし、海外メディアからの取材も多く受けてきました。

外国の人は僕の実家が寿司屋だと知ると、目をキラキラさせていろんなことを聞いてきてくれました。

そこで思ったんです。

そんな世界が注目する寿司文化というステージで仕事ができるなんて、冷静に考えたらなかなか経験できることじゃないですし、寿司を通して日本の文化をもっと世界へ発信していきたいなと。

ー日本を離れてみて改めて、自分のルーツを知ったんですね。

元気さん
はい。

こうして寿司屋で働くことを決めたのですが、ただ漠然と寿司屋で仕事をするのではなく、もっと僕にしかできない役割を考えながら仕事をしようと思ったんです。

ー元気さんにしかできない役割とは、具体的にはどのようなことですか?

元気さん
例えば、食材の仕入れやその仕込みといった下準備、父と一緒にお客さまの接客、海外からのお客さまへの対応、お金周りを始めとする、店に関するその他の業務などですね。

もちろん僕自身も寿司を握ることはありますが、やはり「父の握る寿司のレベル」には及びません。

しかし父が握るその寿司は、僕が仕入れたもので、父が握れるように仕込んだものなんです。

父のような寿司が握れずとも、その父を支えることはできます。

父が店作りで大切にしている「資本主義より“幸せ主義”」という理想を叶えるには、きちんと現実をしっかりと見た上でサポートする人間が必要ですから。

※資本主義より“幸せ主義”とは、利益重視ではなく、少数のお客さまの満足度を最大限に高める経営スタイルのこと。
https://entrenet.jp/magazine/10895/

ー寿司屋にとって「寿司を握る」という役割と同じかそれ以上に、寿司を「握る前」と「握った後」は大切ですからね。

元気さん
そうなんです。

無理に先代と自分を比べる必要なんてないんですよ。僕は僕のやり方で「すし活」を盛り上げていければいい。

「すし活」に来てくださるお客さまは、そのお客さまにとって特別な日に来てくださることが多いです。

そんな特別な時間を、最高のおもてなしでお出迎えしたい。僕も父も、そこにかける想いは同じです。

見ている方向が同じなら、後は役割分担をするだけ。父は父の、僕は僕の得意なことをやっていければと思います。

「自分の代で、家業を畳む覚悟があるか?」― “家業を継ぐ者”としての責任

ー現在は先代と共にお店を営まれていますが、いずれは先代も引退される日が訪れると思います。その時、元気さんは「すし活」をどうしていこうとお考えですか?

元気さん
具体的には考えていませんが、その時の自分の中の「最善のやり方」でお店を継ごうと思っています。

例えばスポーツのチームでも、同じですよね。ある選手が引退したら、その時に在籍している選手で最善の布陣を組んで試合に臨む。

うちの店にも限らず、どんな会社でもそうですが、先代と同じことをやる必要はないんですよ。

経営者なら、その「最善」考えていくことが大切だと思います。

ーでは最後に、家業を継ぐかどうか迷っている人へアドバイスをいただけますか?

元気さん
人によって様々な事情があるとは思いますが、僕はやっぱり、自分がその家業を楽しめないのなら、無理に継ぐ必要はないと思います。

家業を継ぐことは、正直そんな簡単なことではないからです。

ー家業を続けるにはそれ相応の覚悟が必要、ということでしょうか?

元気さん
そうですね。

どんな家業にも歴史があるわけですが、僕は自分の店を、自分で終わらせてもいいくらいの気持ちで日々働いています。

自分が楽しいと思えない、つまり本気になれない仕事をダラダラと続けるくらいなら、いっそ店を畳んでしまった方がいい。

それはここまで家業として続けてきてくれた、先代たちへの敬意だと思いますし、仕事をする上での最低限の礼儀だと思っています。

逆に、自分が継がせる立場になった時、こどもが僕と同じかそれ以上にこの仕事を楽しめないなら、無理に継がせようとは思っていません。

そうなった時に自らの手で店を畳む覚悟を持っているからこそ、毎日の仕事に悔いが残らないように楽しんで続けていきたいですね。

2018年9月21日

PLOFILE

塙 茂さん(76歳)

NPO法人グラウンドワーク笠間/茨城県笠間市
1942年生まれ。高校卒業後、日立工機(株)に就職。
57歳で早期退職するも、地元IT企業へ再就職。管理部長、役員、子会社の社長を歴任する。
やがて地域貢献活動に目覚め、12年にグラウンドワーク笠間を設立。
コミュニティーカフェや農業の6次産業化、社会貢献活動などに尽力する。 (さらに…)

2018年9月20日

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