NPO法人農スクール/横浜市中区
小島 希世子さん(35歳)
1979年、熊本県生まれ。2009年に(株)えと菜園を設立。農家と消費者を直接つなぐネットショップのほか、体験農園、農作物の自社生産事業を展開。一方、生活保護受給者などの就農支援プログラムで「横浜ビジネスグランプリ2011ソーシャル部門最優秀賞」を受賞したことで、活動を本格化させるべくNPO法人農スクールを設立。生きる意欲、働く意欲を取り戻すためのペアワーク、グループワーク、農業日誌など独自のプログラムを開発し、提供している。
熊本県に生まれた小島希世子が「将来は農業をやってみたい」という、同世代の人間たちとはちょっと違う夢を抱いたのには、その生育環境が影響している。幼い頃、遊び回っていた地には広々とした畑が一面に広がり、牛が草をはみ、軒先ではリタイアした老人が熊手を手づくりしている――。そんな風景が、「農家っていいな」という思いをはぐくんでいった。夢をかたちにし、(株)えと菜園を設立したのは、大学卒業後の2009年。現在は、契約農家の農作物を直販するネットショップ、体験農園、そして自らの畑での野菜の生産が事業の3本柱となっている。
憧れの道に足を踏み入れてみて、わかったことがあった。多くの農家が人手や後継者不足に直面しているという事実である。他方、大学生活を送るために出てきた東京には、田舎では目にしたことのないホームレスの存在があった。農家と働き場のない人たちを結びつければ、農業を通じた社会貢献が可能ではないか。そう直感した小島は、自立支援を目的とした活動を始め、2013年にNPO法人農スクールを設立した。これまでにスクールを巣立って職に就いた人は、非農家も含め12名。まかれた種は、着実に芽吹いている。
人手不足に悩む農家と、「働きたいのに職がない」人々をシンプルに結ぶ
━ ご両親は高校教師だったとか。
だからよけいに、トラクターを操って畑を耕している姿なんかがまぶしく映って(笑)。農業を志したきっかけは、そういう環境に加えて、小学生の時に、アフリカの子供たちを題材にしたドキュメンタリー番組を見たこと。自分と同じ年格好の子供たちが、食べ物がなくて餓死していくという内容は、衝撃的でした。
「砂漠地帯で作物を育てるためには、とても高い技術が必要だ」という母の言葉を聞いて、ならば自分が、それをできる農家になってやろうという気持ちが強く植え付けられたのです。
━ えと菜園の事業は、どのように始められたのでしょう?
やりたかったのは、無農薬で化学肥料なども使わない農業でした。ところが農家に話を聞きに行ったら、「今はやめたほうがいい」と。基本的に、評価基準は安心や味ではなく、「量」になる。どんなつくり方をしようが、自分で値段を決めることはできない。生産物に対する消費者の声も聞けない――。要するに、「今の流通システムでは、あなたのやりたいことはできないよ」ということです。
ならば、既存のルートに乗らず、直接、生産者と消費者をつなげばいいと、ネットショップを立ち上げたのです。その後、お客さんに生産の現場を理解してもらうための体験農園も始めました。もちろん自分でもつくっています。
雑草を抜かずに刈り取り、畑にまいて土に返すといった農法で。このほうが土壌微生物の活動が活発になって、実は土の状態がよくなるんですよ。
━ 農スクールについてうかがいます。ホームレスと農業とは、一見結びつきにくい気もするのですが。
上京して初めてそういう人たちを目にした時、ショックを受けたんです。で、路上で雑誌を売っているおじさんなんかに話しかけてみると、「働きたいけれど、雇ってはもらえない」と言うんですね。その言葉が、ネットショップの仕事で回った農家の多くが人手不足を嘆いていたことと、パッとリンクしたわけです。この人たちに農業に従事してもらえば、双方の問題が解決できるのではないか、と。
スクールでの「講義」は、3カ月1クールで、作物の種まき、苗・うねづくりといった作業を行ってもらいます。職を失った人は、自信も失っていることが多いんですよ。
栽培技術を磨くと同時に、グループで作業を行うことで、他者の目を通して長所を見いだしたり、農業日誌をつけることで自らを見つめ直してもらったり……といった、働く意欲を高めるためのプログラムを導入しています。
━ 参加者の様子に変化は?
初めは目を合わせて話さなかった方が、実際に何回か収穫を体験すると、目に見えて自信を取り戻していくんですよ。
農業日誌にも、どんどん自分をさらけ出すようになる。そういう姿を見て、意義のある取り組みだったのだと、私自身確信が持てました。
最近は“ニート率”が高まって、今はニート7名、生活保護受給者3名が参加しています。
━ 今後の課題を教えてください。
頭の痛いのが、活動資金です。働いていない人が就労して納税者になれば、「利益」を得るのは国や自治体なのですが、そこからお金をもらえるわけではありません。
将来的には、人材を紹介した先から報酬をいただけるようなスキームを確立させたいと考えています。そして何よりも、うちだけでやっていても「点」にもなりませんから、同じような取り組みをしたいという人たちが、全国津々浦々に生まれてくるような動きにしたいですね。
そのためにも、より多くの成功事例を発信できるような活動を繰り広げていかなければ、と思っています。
取材・文/南山武志 撮影/刑部友康 構成/内田丘子