葬儀や法事など、おそらく誰もが何らかの形でお世話になったことがあるであろう、お坊さん。
お坊さん(=僧侶)というと、法事・法要などでお経を上げ、普段は仏教の修行に励む…というイメージをお持ちの方が多いのではないでしょうか。
今回お話を伺った大洞龍徳(おおほら・たつのり)さんは、東京都荒川区町屋に位置する「町屋光明寺」の住職であるとともに、IT企業の社長も務めています。
なぜ僧侶である大洞さんは、起業を決意したのでしょうか。
起業の経緯、お寺の生き残りをかけた厳しい仏教界の現状―。
そして大洞さんの長い僧侶生活の中で培ってきた「嫌いな仕事を好きになる方法」について、取材しました。
大洞龍徳/おおほら・たつのり町屋光明寺住職・エンジニア・有限会社ベアーシステム代表取締役
1969年生まれ。
岐阜県に本坊を持つ無量寿山光明寺では責任役員を、町屋光明寺では住職として執務に当たっている。
室町時代に建立された浄土真宗寺院である光明寺は、現在、東京(新宿・町屋)をはじめ、京都、千葉、埼玉にも展開。
世界遺産保護や講演会の開催など、文化活動にも力を入れている。
有限会社ベアーシステムでは主に、寺院を顧客としたコンピューターに関するソフトウェアの企画開発、製造販売を行っている。
また、高齢化社会を見据えた「苦労なき供養」を提唱。
「東京御廟」をはじめとした数々の自動搬送式納骨堂をプロデュースする。
伝統と変化を受け入れて革新を生み出すお寺を目指し、寺院職員の終活カウンセラー資格取得を推奨。
現在、全ての正社員が資格を有している。
お寺の住職が、IT企業の社長に? 大洞さんが起業した理由
ー「町屋光明寺」の住職でありながら、「ベアーシステム」の代表を務められている大洞さん。なぜ、僧侶になる道を選んだのですか?
私の実家が僧侶の家系で先祖代々、お寺を継ぐことが当たり前になっていました。したがって私も、半ば強引に僧侶の道に進むことになってしまったのです。
ー反発しなかったのですか?
学生の時は反発しましたね(笑)。やはり、自分の人生を勝手に決められるのは嫌でした。
とはいえ育ててもらった恩もありますし、ひとまず仏教系の大学に進学し、卒業後は実家のお寺を継ぐことにしました。
ー大学を卒業するまでの間に、何か心境の変化はありましたか?
仏教って2500年もの間、人間の在り方について研究されているので、あらゆる悩みに対するヒントになるような教えが多いんですよ。その中で「人生の歩み方」について、言及された教えがありました。
結局、自分の人生は自分のもの。たとえ親に決められた「寺を継ぐ」という決められた道だとしても、それをどう歩むのかは自分次第だということに気がついたんです。
そこに気づいてからは心が軽くなって、「実家を継ぐのも悪くないかな」と思えるようになりました。
ーご実家をお継ぎになった後、システム開発会社「ベアーシステム」を立ち上げられました。僧侶という仕事の傍ら、なぜ起業されたのでしょう?
事の発端は、今から20年ほど前、当時の寺の事務員が手作業で伝票を作っていたことです。伝票を作る、という機械的で単純な作業にも関わらず、終えるまでに相当な時間を要していました。
それを見た時「もっと効率よくスピーディーに終わらせることはできないか」と思い、独学でシステムの勉強をし始めました。
ーお坊さんがシステムの勉強ですか、とても意外です(笑)。
私はもともと理系が得意分野だったので、システム作りの勉強を始めるのは苦ではありませんでした。さらに僧侶の仕事は、繁忙期と閑散期がはっきり分かれるので、閑散期は結構時間が空くんです。
その時間を上手に使って、電話帳並みに分厚いマニュアルを読みながら、システムを構築していきました。
当時はインターネットがあまり普及していなかったこともあり、ネットを使って調べることができなかったので、今思うと大変でしたね(笑)。
ーそして徐々にシステムを使って、作業的な仕事を減らしていったのですね。
はい。集計システムから供養の予約システム、お金や顧客の管理システムなど、様々なデータベースを作っていきました。
結果、伝票作成を含めたほぼ全ての事務作業をPC内で完結させることができました。
ーその成功から、ビジネスにも発展させたのですね。
はい。あらゆる仕事を電子化するようになり、各地のお寺から「うちにもシステムを作ってほしい」と、依頼がくるようになりました。
そこで光明寺の作業効率化のためだけでなく、1つのビジネスとしてデータベースを構築して販売をしようと考え、「ベアーシステム」を立ち上げたんです。