働き方やライフスタイルのヒントをお届けするポッドキャスト番組『安居楽業 ライフとワークを整える』。今回のゲストは、ハロー!プロジェクトを中心に数多くの楽曲を手がける作詞作曲家・星部ショウさん。
デビューのきっかけとなった1曲や、ハロプロ楽曲に込めたこだわり、そして“作り手”としての自分との向き合い方には、ものづくりに関わるすべての人に響く言葉が詰まっています。表舞台を選ばず、裏方として音楽と関わり続けるそのスタンスから、ライフとワークの整え方を伺いました。
西川あやの:
独立の味方、アントレがお送りする『安居楽業 ライフとワークを整える』、フリーアナウンサーの西川あやのです。
今回のゲストは、作詞作曲家の星部ショウさん。私自身、ハロー!プロジェクトのアイドルの皆さんのファンで、けっこう昔からファンなのですが、星部さんは2015年ごろから、突如ハロプロの楽曲のクレジットに名前が現れて、「でも楽曲にはハロプロらしさもあるし、つんく♂さんっぽい魅力もあるし……え、何者!?」と、ファンの間で話題になった存在でした。
今でこそで“おなじみの存在”という印象ですが、その裏にある秘密や、これまでどれほどハロプロ楽曲を研究してきたのか、どんな思いで楽曲を生み出しているのか──星部さんのこれまでの歩みをたっぷりと伺っていきたいと思います。
それでは早速、今回のゲストをご紹介しましょう。作詞作曲家の星部ショウさんです。星部さん、よろしくお願いします。
星部ショウ:
よろしくお願いします。
お小遣いで買ったCDと音楽番組の繰り返し再生が作曲家としての原体験

西川:
緊張します。
星部:
本当ですか。いやいや、僕も緊張していますよ。こんな大きなビルの中に入るなんて。怖いですよ、普段こんな場所には来ないので。
西川:
でも、普段YouTubeに出ていらっしゃるときと同じ風貌というか。
星部:
そうですね。音声収録にも関わらず、ちゃんと変装してきました。
西川:
ありがとうございます。記事には写真も掲載されますので、そちらもぜひチェックしていただければと思います。
この番組のタイトルは『安居楽業』というんですが、「満足して、心穏やかに仕事を楽しむこと」を意味するんです。どうですかこの番組タイトル。
星部:
良いタイトルじゃないですか。
西川:
まさに星部さんじゃないですか。
星部:
そうですね。確かに僕はこの四字熟語のように働かせていただいているような気はしますけれども。
西川:
色々な時期があったのかと思いますので、その辺りも含めて、色々お話を伺ってまいります。それでは星部さんのプロフィールを簡単にご紹介させていただきます。
1985年東北のお生まれです。12歳でギターを弾き始めたことから作曲に興味を持ち、高校卒業後、音楽学校進学のために上京。2015年からハロー!プロジェクトの楽曲制作を中心に、作家としてのキャリアをスタートし、現在も数々の楽曲で作詞作曲編曲をされています。
2020年9月からはYouTubeチャンネル「星部ショウのハッケン! 音楽塾』をスタート。ハロー!プロジェクトの楽曲を教材に音楽作曲理論を教える授業を配信されています。ということで、本当にお会いできて嬉しいです。
星部:
ものすごい熱量ですよね。西川さんもそうですし、スタッフの方々も。
西川:
この番組のスタッフは、いわゆるハロー!プロジェクトのアイドルのファンの方が多くてですね。
星部:
そうなんですね。いや、そうじゃなければ僕は呼ばれないと思っていたので、「やっぱりか」と思いました。
西川:
YouTubeでは専門的な音楽の内容を、わかりやすく多くの方に伝えていらっしゃるということで、今回は働き方や音楽制作についても、いろいろとお話を伺っていきたいと思います。よろしくお願いします。最初はギターを始められたんですよね?
星部:
はい、ギターですね。小学校6年生のときに、近所の友達がエレキギターを始めたのを見て、僕もやりたくなって、その友達の家に毎日通ってエレキギターを覚えました。
当時はLUNASEAとか、L’Arc~en~Ciel、GLAYが流行っていたので、それをコピーする日々でしたね。
西川:
小学生でそれって、早くないですか?
星部:
そうですね。運よくそのタイミングからギターに触れることができたのはラッキーでしたね。
西川:
それで最初は独学だったんですか?
星部:
そうですね。LUNASEAの『IN SILENCE』っていう曲があって、まずはこれを弾けるようになろうと頑張りました。バンドスコアがあったので、それを見ながら一生懸命練習して、弾けるようになったときは「やったー!」って感じでした。
西川:
早いですよね。まだ小学生だったんですよね?
星部:
小6ですね。ちょっと早かったと思います。
西川:
そのときはもう、バンドマンに憧れていたんですか?
星部:
小学校2年生くらいからずっと音楽が好きで、毎週ランキング番組を見ていたような子どもだったんですよ。
西川:
当時はそういう番組、多かったですもんね。
星部:
すごく多かったですよね。CDTVとか、ランキング番組が一気に始まった時期だったので、それを食い入るように見ていました。「今週これが1位か」とか、「これ、いい曲だと思っていたけどやっぱりTOP10に入るんだな」とか、そんな見方をしていました。
西川:
そんな見方をしていたんですか?
星部:
していましたね。音楽が好きだったので、「なんでこれが好きなんだろう?」って考えたり、「好きな曲って、大体同じ作家が書いているらしいぞ」って気づいたりして。
西川:
そこまでチェックされていたんですね。
星部:
小学生の頃から、そういうところに自然と目がいくようになっていました。当時だと、小室哲哉さんだったり、Mr.Childrenの桜井さんがすごいなとか、桑田佳祐さんや松任谷由実さんもすごいとか。作家さんの名前に注目するようなタイプの子どもでした。
西川:
確かに、CDTVって100位くらいまで少しずつミュージックビデオが見られましたけど、その中で同じアーティストが何度も登場したりしていましたよね。
星部:
していましたね。
西川:
でも当時って、今のような音楽の聴き方とは違って、CDを買うのが基本でしたよね。
星部:
そうですね。大変でした。小学校4年生のときにお小遣いが1,000円になって、それでシングルCDを1枚買ったら終わり、という感じで。それくらいCDを買いたかったんです。
西川:
買っていたんですね。
星部:
買っていましたね。初めて自分のお金で買ったCDは、TRFの『Love & Peace Forever』っていう曲でした。それを買った記憶があります。
西川:
相当うれしかったんじゃないですか。
星部:
嬉しかったですよ。だからもうそれしかないんで、兄貴もいたので、CDは割とあるんですけど、でも数に限りがあるんで、その1ヶ月はそればっかり聴くみたいな感じ。
西川:
確かに。
星部:
当時は、そういうリスニング環境だったと思います。今みたいにサブスクで自由に聴けるわけじゃなかったので、逆にそれが良かったのかもしれない。今思えば、より深く聴けていた気がしますね。
西川:
私は91年生まれなんですけど、MD世代なんです。
星部:
MD。
西川:
レンタルCDショップでCDを借りて、MDにダビングしたりしていました。
星部:
僕もしていました。
西川:
していましたか。
星部:
もうド田舎だったんで、高校に入って市内に出るまではレンタルショップがなかったんですよ。だからCDショップに行って、「このCDを取り寄せてください」って頼んで。店頭になかったので、おばちゃんに「注文してくれ」とお願いして、「LUNASEAのこのアルバムが欲しいから」って言って、1週間後に届く感じでゲットしていました。
西川:
で、それも何度も何度も聴いて、って感じですね。
星部:
もちろん。そうすると、自然と深く聴くことになりますからね。
西川:
どうして作曲家など、“作る側”の人に興味を持つようになったんですか。
星部:
「いい曲だな」と思うものはもちろん好きで、どんどん聴いていたんです。やっぱりランキング上位に来る曲は「いいな」と感じることが多くて、「自分の感覚って、もしかしたら一般の人とそんなにズレていないのかも」って思ったんですよね。自分が好きな曲がヒットするっていうのは、みんなと感覚が近いのかなって。
西川:
はい。
星部:
「いいな」と思う曲には、きっと何か理由があるんだろうなと思って。もちろん歌い手にも惹かれていたんですが、やっぱり作り手に目が向くようになったんですよね。どちらかというとメロディーとかコードにフェチがあるタイプなので。
西川:
ギターもされているから、どういうコードが使われているかが気になるんですね。
星部:
どちらかというと、和音・和声とか、音の響き方に惹かれるんです。「この曲はすごく気持ちいい響きがするのに、こっちはものすごくおしゃれに聴こえるな」とか。たとえば宇多田ヒカルさんって、なんでこんなに他と違うんだろう?って思ったりして。でも小室さんもそうで、「あれ?今までの歌謡曲と何か違うぞ」っていう。
西川:
そういうところに着目しながら、自然と音楽を聴くようになったんですね。
星部:
聴くようになっていましたね、自然と。
西川:
本格的に音楽を勉強し始めたのは、いつ頃からなんですか?
星部:
ちゃんと勉強し始めたのは、自分である程度ギターが弾けるようになった中学2年くらいからです。いろんな曲をコピーしているうちに、ヒット曲を耳コピするようになっていきました。
西川:
もう耳コピですか。すごいですね。
星部:
最初は全然できなかったんですよ。だから『月刊歌謡曲』っていう雑誌を使っていて。そこにコードとメロディーと歌詞が載った「Cメロ譜」っていうのがあって。
西川:
ありましたね。分厚い雑誌ですよね。
星部:
そうそう。毎月100~200曲くらい載っている雑誌で、それを買っていました。たとえばMISIAの『Everything』って、すごく難しいコードなんですけど、それも載っていて。それを見ながらギターで弾いてみたりして、意味は分からないけど「すごい和音だな」って思いながら、自分で調べたりしていました。
西川:
でも部活は合唱部だったんですよね。
星部:
高校では合唱部でした。でも中学のときは野球部で、普通に野球しながらギターもすごくやっていて、1人の時間はずっとギターを弾いていました。
西川:
高校生で合唱部に入って、自分でも歌うようになって、音楽学校への進学を目指して、高校卒業後に東京へ、という流れなんですね。
星部:
そうですね。










