2024年11月に吉本興業を退所し、フリーになったお笑い芸人のエハラマサヒロさん。“何をやっても鼻につく”“芸人イチの嫌われ者”、とご自身が言うように、その言動は逐一、ネットニュースで取り上げられ、炎上することもしばしば。
しかしどうして、お会いしてみると超ポジティブ思考で絶えず分析をし続ける努力家。会社にいたら、“快活な好青年”とも“面倒見のいい先輩”とも“情に厚い上司”とも言われて、一目置かれる“デキる人”にしか思えない。
情に厚く、マーケティング能力に長けたエハラマサヒロさんに、フリーになってからの心境をお伺いしてきました。
吉本興業にとっても僕にとっても“僕はフリーの方がいい”と思い退所
―2024年11月に吉本興業を退所されましたが、何が理由でしたか?
大企業にあまり向いていなかったからです。
僕は歌ったり、ダンスをしたり、コミックエッセイを出版したりしているんですけど、そういう仕事って言うのは吉本興業に依頼が来た仕事ではなくって、知り合いから直接、声をかけてもらった仕事なんです。そうやって「一緒にやりましょう」って仕事を作っていくのが好きなんです。40歳を超えたので、今まで築き上げてきた信頼関係の中でお仕事をしていきたいっていうのがありましたね。
僕は仕事を作っていくのが好きだったんですけど、吉本興業は“お笑いを売る”会社なんで、“お笑い”がベースで、お笑いという芸を磨くことに特化したスケジューリングと、そのマネジメントをしてくださる会社なんですね。その“お笑いを売る”会社に所属しているのに僕は“お笑い以外のやりたいこと”がどんどん増えてきてしまって、吉本興業はその対応に時間がかかってしまっていたんです。吉本興業もノウハウがない訳じゃないし、色々なことができるんですけど、お笑い以外は専門ではないから対応が二の次になってしまう。
僕のお笑い以外の仕事で会社に確認を取るにも、たくさんの部署や何人もの人を介すので、時間がかかってしまう上に、会社として専門の“お笑い”じゃないことだから、対応の優先順位も高くなかったのが、少しストレスでした。会社のことを考えたら致し方ないことなんですけどね。
あと、会社の方針なので仕方がないんですけど、担当マネージャーがよく変わるんですね。僕はずっと同じマネージャーとがっちり組んでやっていきたかったんですけど、やっぱり会社のことを考えた時に、僕だけマネージャーを変えないっていう特例を出させてしまうのは会社に迷惑をかけていると思ったし、僕が他の芸人と違う動きをしてお笑い以外の仕事ばかりしているっていうのも、ちょっと会社からしたら面倒くさいんじゃないのかなと思っていました。
ほかにも、僕は別に悪いことだとは思っていない発言でも、僕の発言がネットニュースになったり、よくない取り上げられ方をしたりすると会社に所属している限りは会社に迷惑がかかってしまうなと思ったんですよね。
会社のことを思っても、一人の方が気楽だから、“僕は、やっぱりフリーの方が合っているのかもしれない”って思いました。
―吉本興業に退所の意向を伝えてから、退所されるまでの期間が長かったようですがその理由は何だったのですか?
2024年3月に退所したいと申し出て、2024年11月まで“自分の意志で”在籍させてもらいました。
吉本興業はすごく良い会社で、契約自体は12月までだったんですけど、「双方が合意したら、すぐ辞められるから“いま辞めたい”と思ったなら、契約期間を気にしなくても大丈夫だよ」って言ってくれたんです。でも、吉本興業でやり残したことはないかを考える期間にしようと思って「今年1年はやらせてもらいます」ってお返事しました。結果としては、やり残したことはあまりなくて、先輩に呼んでいただいた舞台は出ましたけど、常設劇場の通常公演も出ずで結局、いままでと余り変わらない半年でした(笑)。
11月までにしたのは、年明けからの仕事をもらうためです。もともと2024年中は在籍するつもりでいたんですが、12月31日に退社すると、年末年始の情報量が多くて特番も多いタイミングに埋もれてしまうのと、12月中に翌年の仕事の調整を始めた方がいいなと思ったからです。
―円満な退所だったのですね?
本当に超円満な退所です。
どれだけ円満かというと、11月末に退所したんですけど、退所する前より退所した翌月以降の仕事の方が、吉本興業の芸人と一緒に仕事をしているんですよ。色んな現場で共演しています。
昔の芸能界は暗黙の了解で芸能事務所を辞めると1年間とか2年間は活動できないっていう契約がありました。そういうことを考えると、事務所を辞めてすぐ他の仕事ができて、元の会社の所属タレントと共演できるって、すごく風通しのいい時代だと感じますね。お正月のテレビ番組の現場で、吉本興業所属のタレントさんや吉本興業の上層部、社員さんにご挨拶したんですけど、皆さん「頑張って」って言ってくれたのが、本当に嬉しくて頑張らなきゃ!って思いました。本当にありがたかったです。
お世話になったマネージャー2人への恩返しを終えて退所を決意
―退所を決断した時、どなたかに相談されました?
いや、全くですね。いつ退所しても良いっていうスタンスでいたんで。
退所していなかったのは、吉本興業の2人のマネージャーさんに恩があったからなんです。一人は僕が、「もう吉本興業を辞めようかな」って思った時に、付いてくれていたマネージャーです。僕、マネージャーが次々と変わるのがちょっとストレスだったんで、常々「君がマネージャーを外れたら俺も退所するわ」って言っていたんですけど、人事異動があって、そのマネージャーさんが僕の担当を外れる事になったと言うので、本当に僕も退所しようと思ったんです。でも、その時に「引き留められるかどうか分からないですけど、今後は移動時にグリーン車になりますから」って言ってくれたんです。
吉本興業でグリーン車移動になるって、本当に難しいんです(笑)。M-1グランプリを獲ってもグリーン車移動になれないくらいです。タレントさんって普通、グリーン車に乗るものだと思うじゃないですか。知名度があって、スターになって、仕事のスケジュールがびっしり埋まっている人でも、20年かかってグリーン車移動になるくらい難しいんですよ。だから「移動がグリーン車になります」って言われたときに、そのマネージャーさんが何とか僕を引き留めようと思ってグリーン車移動にしてくれたんだろうなと思ったので、その気持ちを踏みにじってまで退所するわけにはいかないと、踏みとどまりましたね。
でも、去年、ミュージカルの仕事で移動するとき、普通席だったんで、マネージャーさんに「何で普通席なの?」って聞いたんです。そうしたら「吉本興業が管轄している劇場出演や営業の仕事は、グリーン車移動が適用されるんですけど、管轄外の仕事は適用されません。例えば、東宝さんが移動のチケットを普通席で取っているものに関しては、吉本興業が特別席に変えることはないんです」って言われて「僕、吉本興業の仕事もう5年もやってない!じゃあグリーン車が適用されることはないな。ということは、グリーン車移動に変更してくれたマネージャーに対しても、もう申し訳なさを感じることはないなと思って、すぐ退所を決めました。
―情に厚いタイプなのですね。だから事務所経由でない仕事も多いのですかね?
僕、結構“人に対する想い”で動いているんですよ。
人とのつながりでお仕事も作っていきたいし、一緒に仕事をするからにはエハラマサヒロを使って得してもらいたいと思っているから、自分でお金を稼いで、仲の良い人とか周りの人とか、愛のある人たちに与えたいって思っています。
この間、音楽ライブを開催したんですよ。ライブハウスの人から「何かライブをやってくれませんか?」って声を掛けてもらったのが嬉しかったので「やりましょう」って二つ返事でしたね。お客さんがパンパンに入ったので、僕はギャラを貰わずに売上金はバンドメンバーさんに全部渡して、打ち上げの飲み会代を払って帰ったんですよ。感覚としては、稼いだお金をゲームセンターで使うのと同じで、僕は本業のステージでお金を稼いで、“遊び場”のライブハウスで歌って楽しむ。楽しんだ分のお金を払って帰るっていう感覚なんですよ。
バンドメンバーさんはプロなので、きちんと仕事に見合う額のギャラを渡すと「またお願いします!次、いつやりますか?」って言ってくれる。僕も「エハラと一緒におったら得するし、楽しいな」って感じる人が増えてくれたら嬉しいし、そういう人がもっとプラスになるようにしたいんです。
僕にお金を借りに来る人とかいて貸すこともあるんですけど、返せなくなる人もいるんです。そういうときは、この仕事をやってくれない?って、仕事をしてもらって相殺するんです。それなら、借りに来た人も罪悪感はないし、学びにもなるでしょうし、その仕事がその人の何かにつながったりもするかもしれないって考えるからです。
あとは、芸能事務所って、芸人なら芸人、アーティストならアーティストが、自分の芸を磨くことに専念するために、マネージャーやスタッフさんに、ステージの用意をしてもらうところですよね。でも、僕は色んなことに興味があって何でも全て仕組みを知りたいと思ってしまうので、お金の流れも勉強したし、ステージも自分で作りたいと思ってしまうんです。
以前、自分のステージに出てくれた後輩に、ギャラがほとんど渡っていなかったことがあって、「せっかく出てくれたんだから得をして帰って貰いたいのに、“ギャラが安いな”って思われるのも嫌だな」と思ったんですよ。腑に落ちないことが嫌な性分なので、全部明確にしたくて、10年以上かけてお金の流れを勉強しました。
芸人の中には、「お金なんか関係ない」とか、「面白いことだけを本気でやったらいい」とか、「お金がどうこう言う奴なんか最低だ」とか言う人もいっぱいいるんですよ。「芸人なんて仕事がなくなったら、のたれ死んだらいいんだ」っていう心意気も、芸人道としては格好いいじゃないですか。
でも僕は、芸人とはだいぶ意識が違って一般人と同じぐらいの感覚で、20代で結婚して、子どもが生まれて家族も増えているので、割と堅実な人間だったのかもしれません。だから、お金の流れを勉強して自分でステージを作るようになりました。
もともと、分析をするのがすごく好きで、昔から“これは、なぜこうなっているのか”を考えて動くタイプだったので、オーディションを受ける時も、面白いネタを作るより“このオーディションはどれくらいの規模で、どういう人が求められているか”を考えて、主催者側の意図に添うようなネタを見せに行くタイプだったので、作り手側のことを常に考えていたことがあるからかもしれないですね。