挫折、それは人によって種類がさまざまです。
努力不足や経験不足から満足のいかない結果を迎え、挫折を味わうこともあれば、病気や事故、災害といった、自分の努力ではどうにもならない要因で挫折することもあります。
今回お話を伺ったのは、山森隼人さん。
ヴィジュアル系ロックバンド・DuelJewelのボーカリストとして、19年バンド活動を続けてきた山森さんは、発声障害という病を発症。その病気によりバンドは一時、解散に追い込まれてしまいます。
現在はDuelJewelを再結成し、また病気の経験を活かしてボイストレーナーとしても活躍をする山森さん。
今回はそんな山森さんの病気の戦い、そして現在の事業への想いを伺いました。
山森隼人さん
ReVocalCoaching 代表/ボイストレーナー
ヴィジュアル系ロックバンド・DuelJewel ボーカル
1997年にヴィジュアル系ロックバンド・DuelJewelを結成。
以来、19年に渡りバンド活動を続けてきたが、2012年頃から発声障害を患ってしまう。闘病しながらバンド活動を続けるも、病状が悪化し、2016年に同バンドを解散。
2017年の春、回復の兆しが見られるようになり、その数カ月後に完全に克服。2019年にDuelJewelを再結成する。
現在はバンド活動を継続する傍ら、ボイストレーナーも務める。
通常の歌唱レッスンも行う他、自身と同じく発声障害を発症した方の回復にも尽力する。
同じく発声障害となった、ロックバンド・flumpoolのボーカル・山村隆太氏の病状克服にも一役買うこととなった。
原因、治療法も不明? 19年のバンド活動に終止符を打たざるを得なかった、発声障害の恐怖
――ロックバンド・DuelJewelのボーカリスト、そしてボイストレーナーとしても活躍されている山森さん。まずはバンドとしてのキャリアから伺わせてください。
バンドを結成したのは1997年。僕が17歳の頃でした。
幼い頃から音楽が好きで、小学生の頃にはもうプロになりたいと思っていました。だから中学校を卒業後は高校には進学せず、アルバイトをしながら音楽活動を続けていて。
そんな中で見つけたメンバーと一緒に、19年間ずっとバンド活動に邁進してきました。
しかし僕が発声障害(※)を発病したことで、2016年に一度バンドが解散してしまって。
※声帯などの発声器官に、器質的な障害がないのにもかかわらず起こってしまう声の障害。これといった明確な原因が分からないことが多く、薬や手術で治せる病気ではない。ボーカリストのように声を使いすぎて発症するケースが多かったが、最近ではそこまで声を使わない職業の人でも発症するケースがあるという。
――詳しく聞かせていただけますか?
最初に声の異変を感じたのは、2012年頃でした。
ある音域になると、なぜか急に声が裏返ってしまう、という症状から始まって。最初は「あれ?」くらいの違和感だったのですが、次第に問題の音域がどんどん広がっていきました。
文面で、この病気について分かりやすく説明するのは、少し難しいのですが……。
発声障害と向き合う方の間でよく言われる話をすると、例えばお店で、ちょっと離れた距離にいる店員さんに声をかけることができないんですよ。
「すみませーん!」と、声帯を張ろうとすると、すっぽ抜けたような変な声になってしまったり、もしくは声が詰まってしまって音にならないことがあるんです。
そうなることを知っているから、恥ずかしくて声を張ることができなくなる。
僕も同じような感じでした。最終的には日常生活にも支障が出るレベルになり、歌うどころかちょっと声を張ることも、ままならなくなってしまったんです。
――そうだったのですね……。それでバンドを解散せざるを得なくなってしまったと。
闘病しながらどうにか活動を継続しようと、発症から4年間は騙し騙し歌い続けてきました。しかし病状はどんどん悪化していって。
当時この病気は発症の原因も分からなければ、これといった薬や治療法もありませんでした。これ以上活動を続けても、周りのメンバーやスタッフ、ファンの皆さんにも迷惑をかけてしまうなと。
それならもう音楽活動を引退して、心機一転、全く違う道で生きていこうと、そういう覚悟で解散という選択をしました。
突然訪れた回復の兆候。きっかけは、GACKTさんからの受けたあるオファーだった
――バンドの解散後は何をされていたのですか?
これから自分に何ができるのかを模索するため、いろいろな経営者の方にお話を伺いました。
バンド時代から、音楽活動と並行して株式投資をしていました。引退後、より株式投資に注力した中で自分自身、経営に対して興味が湧いてきたんです。
商品やサービス、ひいては会社経営について、積極的に株主総会に参加したり、経営者の方とお会いして勉強させていただきました。
ずっと音楽しかやってこなかった僕にとって、貴重な経験・時間となりましたね。
――そこからなぜボイストレーナーの道に?
理由を話すと長いので、順を追って説明します。
2017年の春に、ひょんなことから声帯が「戻った」感覚がありました。ちょうどその感覚が生まれたのは、GACKTさんが主催する『神威♂楽園』(※)のリハーサルに向かう車の中で。
※ミュージシャンのGACKTさんが主催する、学園祭エンタテインメントショー
――2017年というと、音楽活動を引退された後ですよね?
ええ。『神威♂学園』にはバンド時代から、長年出演させていただいていました。
ただこうした事情で音楽活動を引退した身ですから、2017年にオファーをいただいた時はおことわりをしようと思ったんです。GACKTさんや皆さんの足を引っ張ってしまうからと。
ですがGACKTさんはそんな僕に「それでもいいから、一緒にやろうよ」と、誘ってくださったんです。
もしたとえ声が上手く出せなくても、今の僕ができる最大限のパフォーマンスで、GACKTさんや皆さんに恩返しをしたいと、そんな心意気でステージに臨もうとしていました。まさにその時でした。
「今、声出したらいける気がする……」。そんな予感がして恐る恐る声を出してみたら、ちゃんと声が出せるようになっていたんです!
――再び声が戻ってきたんですね、本当に良かったです。
自分の声がなぜ戻ったのか。今とは違いその時点では、その理由が分からなかったんです。
ともあれ、そこから再び声を出せる「感覚」が自分の中に生まれて。その感覚を少しずつ大切に養っていきました。
そして今では、もう自由に声を出せるようになり、歌も歌えるようになりました。解散していたバンドも、2019年にもう一度再結成することができたんです。
声が出ない理由は、声帯“だけ”の不調とは限らない。ロックバンド・flumpoolの復活にも尽力した、山森さんの「基本方針」
――その後はバンド活動と並行しながら、ボイストレーナーの事業も始められたんですね。なぜボイストレーニングを?
思い起こせば、20年以上歌っているのに、一度も声帯や身体について勉強をしたことがないなと気がついたことがきっかけでした。
加えて「発声障害を発症した後、再び歌えるようになるまで回復する」という経験は、専門医から見ても貴重な例だったそうで。
自分の声帯や身体に、一体何が起こっていたのか。発声の根本にスポットを当てて研究できないかと探求心が生まれたんです。
その研究を深めていくことで、もしかしたら僕と同じように、この病気で苦しんでいる他の誰かの役に立てるかもしれない。
そう思って始めたのが、ReVocalCoachingなんです。
そしてこのボイストレーニング事業を初めてすぐに、サポートさせていただいたのが、ロックバンド・flumpoolのボーカルの山村隆太さんでした。
――山村さんも発声障害を?
ええ。発症した当初は、ツアー中だったのにも関わらず、残りの日程を全てキャンセルしなければならないほどの状態でした。
flumpoolは活動を休止して、所属事務所の全面バックアップのもと、山村さんと僕、そしてスポーツトレーナーの庄島義博さんを加えた三人四脚で、徹底的にトレーニングを開始したんです。
膨大な試行錯誤とトレーニングの末、発症から約1年後の2019年に、無事に山村さんも発声障害を克服され、flumpoolは音楽活動を再開することができました。本当に嬉しかったですね。
そして山村さんと庄島さんと三人四脚で歩んだ1年の間に、気づいたことがたくさんありました。
――例えばどういったことに気づかれたのでしょう?
元々は僕は声、庄島さんは身体の側面からアプローチするという座組みで始まったトレーニングだったのですが、進めていけばいくほど「声と身体は密接に繋がっている」ということに気がついたんです。
ケガや病気の“患部”をピンポイントで“治療”するのが、西洋医学の考え方だとすると、こうした声の不調は声帯だけでなく、“全身”を診て不調の“原因”を探る、東洋医学的な考え方も両方必要だと。
つまり声が出ない理由は、声帯や喉“だけ”の不調とは限らない。
裏を返すと、「良い声」を出すために必要なのは、声帯をはじめとする“身体の使い方”を知ることなんです。
今の僕の「基本方針」とも言えるこの考え方にたどり着くに至った、山村さんとのトレーニングの時間は、僕にとっても貴重な財産となりました。
自分の苦しみは“ただ苦しいだけ”じゃなかった。無駄じゃなかった。そう言える日が来るまで
――山森さんの今後の目標を教えてください。
もっとたくさんの人に、声帯と身体の効果的な使い方を知っていただけるような場を作っていきたいです。
目に見えてパフォーマンスが推移するアスリートではない限り、自分の身体にどこか“不調”を感じていても、気合いと根性でどうにか乗り切ろうとしてしまいがちですよね。
身体と声の使い方を知る機会が増えれば、どんな仕事をされている方ももっとラクに働くことができます。
だから今後は、企業研修や後進の育成にもっと力を入れていきたいと考えています。
――最後に、読者の方へメッセージをいただけますか?
独立・起業、ひいては人生において必要なのは「転び方を知る」ことだと思います。
僕はバンドを解散した後、経営者の方とたくさんお話をさせていただきました。その際、共通して聞かれたのは「失敗談」でした。
どれだけ大きな失敗をして、それをどう乗り越えたか。
その経験が多ければ多いほど、失敗した時、転んだ時のダメージが少なくなりますし、スムーズに立ち直れます。
そして中には、自分にはどうしようもないものの影響で、転んでしまうこともあるでしょう。
例えば、僕の場合は病気でした。
この記事では内容をかいつまんでいるので、まるですぐ立ち直ったのかのように見えるかもしれませんが、発症した時は、文字通り悪夢の中に迷い込んだようで、目の前が真っ暗になる感覚がありました。
歌う人間でなくても、だんだん“声が出なくなる恐怖”は誰にとっても怖いものだと思います。
でも病気になったからこそ、ボイストレーナーを始めることができました。
そして今、こうして歌手や声優さんをはじめ、誰かの役に少しでもなれているなら。
僕の苦しみは、ただ「苦しかっただけ」じゃなかった。決して無駄じゃなかったなって、思うんです。
時間はかかるかもしれませんが、転んで失敗して挫折しても、どうにかそれを受け入れて前に進んでいく。
そのためにも「転び方を知る」経験は、欠かせないんじゃないかなと思います。
Twitter:https://twitter.com/dueljewelhayato
書籍:「自分でも気づかなかった 美しい声になる歌がうまくなる奇跡の3ステップmethod」
取材・文・撮影=内藤 祐介