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たった1人でも、文房具メーカーをやれるんです

文房具クリエイター阿部ダイキさんは、中小かばんメーカーから独立し、たった1人で文房具メーカーとして創業。文房具ブランドBeahouse(ベアハウス)を世の中に送り出している。
企画も製造も営業も流通も出荷もすべて阿部さん1人で行うベアハウスの商品は、ロフトや東急ハンズなど、全国で取り扱われているとのこと。
たった1人でもメーカーとして成り立つ、ユニークで新しい仕事のスタイルを生み出した、文房具クリエイター阿部ダイキさんに、1人文房具メーカーの創業から現在に至る経緯と阿部さん自身の思いを伺った。

<プロフィール>
Beahouse
文房具クリエイター 阿部ダイキ
たった1人で文房具の企画・開発・デザイン・検査・営業・ホームページの作成やパッケージのデザインまで行う1人文具(ひとりぶんぐ)メーカーの代表取締役社長。
「自分の欲しい文具を創りたい!」という想いから2011年に文房具ブランドBeahouse(ベアハウス)を1人で立ち上げ「フリーサイズブックカバー」や「どや文具ペンケース」など革新的な文房具を次々とリリースする。ポリシーは「自分の欲しいモノを創る」

株式会社ベアハウス
https://www.bea-house.com/

もしかして、自分で全部できるかも

ー阿部ダイキさんが独立したきっかけを教えてください

阿部さん
かばんメーカーで、9年間営業の仕事をしていました。
営業なのですが、企画から製造、事務、経理と、小さい会社だったこともあり職種に関わらず、必要なパートをこなしていました。おかげさまで、仕事はいろいろと経験させて頂きました。
そのかばんメーカーには自社製品もあったのですが、大手の下請けがメインでしたから、状況次第で、売り上げが左右される脆さを個人的に感じていました。
そんなとき、改めて自分の仕事を振り返ったところ、会社の全部の工程を自分でやっているんだったら、自分で好きな会社を経営したほうが面白いんじゃないかと思いはじめたのです。

ー独立するにはリスクや不安はありませんでしたか?

阿部さん
そうですね。おっしゃるとおり、敢えてリスクは取りたくありません。
ですから、副業から始めようと。
ただ、勤めている会社は副業禁止だったので、嫁さんの名義でまずはブックカバーを作ってみることにしました。副業ではなく、嫁さんのお手伝いということで(笑)。
最初は90個作ったのですが、1ヶ月で完売しました。Amazonで売っていただけなので、もちろん店舗はありません。初期投資以外のリスクもありません。自分でデザインして、工場に小ロットでお願いして、自分で発送しました。これが起業に繋がる1人文具メーカーの原点です。ブックカバーは今でも、文房具ブランドBeahouseの主力商品です。

好きな文房具を作る会社を自分でやろう

ーどのタイミングで独立を決めたのですか?

阿部さん
コツコツ続けていたら、副業の売り上げが年収の4倍になったのです。副業の期間中に、流通大手で取り扱って頂けるようになったからです。

東急ハンズやロフトで商品を取り扱ってくれることが決まり、作った商品が売れていく導線が見えたことで、独立しても良いかなと意志をかためました。そして、会社を辞め、個人事業主として、文房具ブランドBeahouseを動かし始めました。どうせ仕事にするならば、好きな文房具を作る、自分の欲しい文房具を自分で作ろうと思ったのです。前職の経験を活かして、自分の欲しいものを企画して、製造先を探して創り上げ、販路を開拓し、発送も梱包も行うのは、副業時代も本業になってからも同じです。規模が大きくなってからは、外部にお願いすることも多くなりましたが、基本的な業務フローは変わりません。

今は、個人事業主から法人になっていますが、1人でやっています。細かい経理は税理士さんに任せたり、発送業務は外部の出荷センターに作業してもらっていますが、指示は私がやっています。もちろん、一番大事な企画/開発し、デザイン(商品/WEB/グラフィック)して、商品を営業するところは同じです。


ー第1号商品のブックカバーについて教えてください。

阿部さん
面ファスナーで大きさを調整できるブックカバーです。
文庫、漫画、ハードカバーと大きさの異なる本があると、それぞれ違うサイズの布製ブックカバーを用意するのが普通だったと思います。ベアハウスのフリーサイズブックカバーは、通常の大きさであれば、どんな本でも、1枚でカバーできるというのが特徴です。書店の紙のブックカバーは折り目を調整していると思いますが、布だと折れても安定しないところを面ファスナーで安定化させるというのが私のアイデアです。この商品がロフトや東急ハンズで取り扱って頂けることになり、今では、Beahouseフリーサイズブックカバーは、素材や色などのバリエーションも増えました。その後は、第2号、第3号の文房具も作っています。ぜひ、ベアハウスのサイトを見てください。

ー最初の資金はどうされたのですか?

阿部さん
リスクをかけないようにということで、貯金を崩して作れる範囲から始めました。最初は、貯金から投資できた90個からのスタートだったのですが、すぐに完売したので、次の商品を作る元手ができました。
特に借り入れなどを検討するのではなく、商品を回して儲かったら、その分で規模を拡大していくことが、1人文具メーカーとしての方針になっていきました。ですから、基本的に借金しないで、資金が出来たら、次の商品を回すというようなサイクルにしようと思っています。
私の個人的な気持ちの問題かもしれませんが、借金をすると、ストレスがたまるような気がして(笑)。無借金経営でやっています。

ー阿部さんの話を伺うと、好きなモノを作るメーカーになりたいと思う起業家さんも多くなるかもしれません。その場合、メーカーとして投資はどれくらい必要ですか?

阿部さん
工場を持っているわけではありません。ファブレスなので、作りたい製品や数量にも寄りますが、紙製品であれば、100万円〜200万円もあれば、製品化可能です。もっと少なくい投資で作れる商品もあるでしょう。投資額は通常のメーカーほど必要ないのです。ですから、アイデアが勝負です。
欲しいと思う商品をいかに企画するのかが、文房具クリエイター 阿部ダイキとしての腕の見せどころなのです。

ー製品がパクられたりしませんか?

阿部さん
自分が折角考えたアイデアや商品ですから、特許や意匠などで権利化はしています。絶対に真似されないとは思ってはいませんが、そっくりそのままというのは、出来ないようには気をつけています。
1人文房具メーカーですから、自分の身は自分で守らないといけないという考えです。

フリーサイズブックカバーは特許取得済みです。

目標設定しないストレスフリーな会社を目指す

ー阿部さんが1人文具メーカーとして心がけていることを教えてください

阿部さん
独立して自分で会社を設立するときに、目標設定しないって決めたんです。社員を雇って、売り上げを毎年いくら上げて…というような目標設定をしないことで、ストレスフリーな会社にしたいと思ったのです。社員を雇わないというのも、その人の生活の責任を持つ必要がないので。管理する業務は私にとってストレスだったからです。ストレスを無くすという意味でも、私の会社は、無借金の経営です。儲かったら、投資しますが、無理してまでは投資しないという方針です。
作った商品が売れなかったときだけは、ストレスになりますが…(苦笑)。

ー今後やってみたいことはなんでしょうか?

阿部さん
1人文房具メーカーとして、どれくらい1人で売り上げを上げ、会社を回すことができるのかを見極めたいと思っています。人を雇わず、どこまでやれるのか、それが見えてからでしょうね。仮に人を増やすとしても、限界を見極めてからです。

文房具ではありませんが、サバイバルゲームも個人的に好きなので、サバイバルゲーム用グッズのブランドURBAN REGIONを最近作ってしまいました。こちらも1人で回してみるつもりです。自分の欲しいモノを作るという方針は同じです。

ー最後に、起業を考えている読者にひとこと、お願いします。

阿部さん
今は、リスクの小さいスモールビジネスができるようになった時代だと思います。私の会社も事業の規模はすこしずつですが、大きくなってきました。それは、工場、販売、発送などで助けてくれる人、協力してくれる人がたくさんいるからです。本当に皆さまには感謝しています。ですから、これから起業を考えている人も、必ず助けてくれる人が出てくると思います。

独立を目指すのであれば、どんどん挑戦してください。
やりたいことがあれば、あきらめずに、でも無理せずに(笑)。
一緒にストレスフリーな社会を作っていきましょう。

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日本が世界に誇る「Kawaii文化」。

その発信地として有名なのが、東京・原宿。古着やキャラ物、ロリータ、ゴシックなどに代表される「原宿系ファッション」は若者を中心に根強い人気を誇っています。

今回お話を伺ったのは、そんな原宿の「Kawaii文化」の最前線を走る、株式会社ACDCのデザイナー/店長の土居麟馬さん。

ACDCの運営する直営店「ACDC RAG」は、原宿の直営店4店舗構える他、取扱店が国内に約20店舗、海外に約30店舗を展開する人気アパレルショップです。

日本はもちろん、海外の人からも絶大な人気を誇るACDCの商品。

今回はACDCの商品デザインを担う土居さんのキャリアを振り返るとともに、なぜACDCが世界から注目されるのか、その理由をお聞きしました。

<プロフィール>
土居 麟馬(どい・りんま)さん
株式会社ACDC デザイナー/店長

1991年生まれ、横浜市出身。
2010年、法政大学国際文化学部に入学。株式会社ACDCの創設者である父の影響で、服飾関係の仕事に興味を持つ。

大学2年時に上海への語学留学を経験し、3年時に1年間大学を休学し、ロンドンでの語学留学を経験。ロンドンでは、株式会社ACDC商品の販売も手がける。

2015年に大学を卒業後、株式会社ACDCに入社。同社の直営店「ACDC RAG」のデザイナー/店長として、日本のみならず世界を舞台に活躍中。

学生時代にロンドンへ留学するも、挫折。「恵まれた環境」があったからこそ感じた、自分の無力感

―まずは土居さんの経歴から教えてください。現在は株式会社ACDCのデザイナーとして活躍されていますが、もともと服飾関係の仕事に興味があったのでしょうか?

土居さん
いえ、本格的にこの仕事に興味を持ち始めたのは大学生の時です。

それまでは中学でサッカー、高校でアメリカンフットボールに打ち込む普通の学生でした。

―なぜ大学生の時にこの仕事に興味を持ったのでしょう?

土居さん
現在勤めている株式会社ACDC(以下、ACDC)は、父が起業したアパレル会社です。

父が会社を立ち上げたのが、今から38年前。まだ表参道に歩行者天国があった時代に、渋谷で洋服屋を開きました。

そんな父の背中を幼い頃から見てきて、漠然とですが自分がどんな仕事をしていきたいのか、考え始めたのが大学生の頃だったんです。

大学のアメフト部からの誘いを断り、独学でアクセサリーを作り始め、原宿の路上で販売し始めました。大学1年生の夏のことです。

―18歳でそこまで覚悟を決めていたんですね。アメフト部と両立しながら仕事をする、という選択肢はなかったのでしょうか?

土居さん
高校時代もそうでしたが、アメフト部に在籍していると、生活の9割以上の時間をアメフトに捧げなければなりません。

大学の体育会系なら余計に、アメフト漬けの毎日になってしまいます。

ただ、父から起業の話を聞いて、僕自身「お店を立ち上げたい」「何かものづくりで成功したい」という思いが強くなっていました。

とはいえ、アメフトも、高校時代にキャプテンを務めるほど力を入れて取り組んでいたので、当時はアメフトを続けるべきか、相当悩みましたね。

それでも自分の夢を叶えるために、アメフトを辞めてものづくりへの道に進むことを決めました。

―その後はどうされたのでしょう?

土居さん
大学の傍ら、アクセサリー製作・販売、ACDCの仕事を手伝っていました。

その後、大学2年時に4カ月間上海へ、3年時に1年間大学を休学してロンドンへ、語学留学に行きました。

ロンドンでは語学留学をしながら、ACDCの商品を現地で販売しました。

「ロンドンの原宿」とも呼ばれるカムデンタウンにお店を出したり、イギリス最大の日本文化総合博覧会「HYPER JAPAN」への出展などを経験しました。

―当時はまだ学生であったのにもかかわらず、大活躍ですね。

土居さん
しかしそうでもなかったんです。

「日本から商品を送ってもらって、現地で売ること」が、当時の僕の仕事だったわけですが実際はそんな簡単なものじゃないんですよね。

言語も違えば文化も違いますし、現地に頼れる人がいるわけでもなければ、特別なコネがあるわけでもない。

カムデンタウンも「HYPER JAPAN」も、結局ACDCという会社の土台があっただけで、自分の力で何か結果を出せたわけではありませんでした。

留学から帰ってきて残ったのは、何もできなかった自分への不甲斐なさだったんです。

帰国後は、ACDCの仕事に打ち込みました。そして大学を卒業して、そのままACDCに入社し現在に至ります。

年齢も国籍も、性別も宗教も、関係ない。ACDCが世界から支持される理由

―大学を卒業後、入社して取り組んだことはなんでしょう?

土居さん
デザイナーとして商品を企画、デザインする傍ら、ACDCの直営店「ACDC RAG」の店長も兼任しました。

学業との二足のわらじを終え、実際に仕事をして思ったのは「自分が会社を変えていかなければならない」ということでした。

―なぜでしょう?

土居さん
これまでACDCは、海外への進出が十分にできていませんでした。

僕は留学での経験もありましたし、ACDCを海外で流行らせたいという気持ちがあったからです。

とはいえ課題は山積みでした。

まずは世界各国のファッションショーへの出展や、ACDCの商品を扱っていただける、取扱店の拡大など、露出や流通経路の確保をしなければなりません。

そして世界を相手に戦っていくためには、そもそもACDCの商品の企画、デザインがより良質でなければならない。

僕はデザイナーとして、ACDCというブランドを認識してもらうための商品作りを徹底して考えるようになり、また海外へのアプローチも地道に進めていきました。

―昨今、日本の「Kawaii文化」がSNSを中心に世界的に人気を博しています。原宿に直営店があり、数々の個性的なデザインの商品を扱うACDCはいわば「Kawaii文化」の一端を担っているのではないかと思うのですが、そもそもなぜこの「Kawaii文化」は海外に受け入れられているのでしょうか?

土居さん
2000年代に流行した「ファストファッション」のカウンターカルチャーなのではないか、など、様々な理由が考えられます。

これは個人的な意見ですが、僕が海外の方と接してて思うのは、世界的にジェンダーや年齢といったものがどんどん自由になっているから、でしょうか。

原宿に勤める「ジェンダーレス男子」のショップ店員などが話題になりましたが、原宿だけでなく世界的にそういった風潮が広まっているように感じます。

「Kawaii文化」と言われるファッションや音楽には、性別や年齢、国籍といった枠組みから自由になる、という考え方と近しいものがあるのかもしれません。

―なるほど。では、その中でACDCはどのような位置づけをしているのでしょう?

土居さん
ACDCは「No Borders」(無境界)をブランドコンセプトとして、掲げています。

このコンセプトには「年齢・国籍・性別・宗教といったものは関係なく、自分の好きなものを着よう」といった意味合いが込められており、着物から洋服、キャラクター服までありとあらゆるジャンルの服を扱っています。

―たしかに着物からセーラー服、チャイナ服、オーバーサイズのパーカー、キャラ物など多種多様な商品がありますね。商品を企画する上で、特に気をつけていることはなんでしょう?

土居さん
1つの国のものや、1つのコンセプトにこだわりすぎないよう、様々な国や文化のファッションと組み合わせを考えてデザインするように心がけています。

自分の着想に基づいて作りたい服をデザインすることが多いですが、その根底にはあくまでも「売れるもの(お客さまに求められるもの)を作る」という視点を忘れないようにしています。

僕の独りよがりにならないよう、スタッフの意見やお客さまの反応、反響には特に耳を傾け、より求めていただける商品を作れるよう試行錯誤しています。

「No Borders」というコンセプトへの共鳴、そして多種多様な商品展開を実践の甲斐があってか、とてもありがたいことにアメリカや中国、ヨーロッパを始めとする多くの海外のお客さまから支持を得ることができました。

いきなり「すごい人」になんてなれない。どんな人も必ずゼロから始まる

―土居さんの今後の展望について教えてください。

土居さん
まずは、もっと様々な国でACDCの服を着る機会を創出していきたいですね。

そのためにはもっとたくさんのイベントに参加して、現地のお店とコラボレーションをしていく必要がある。

地道さが求められますが、コツコツと自分の足で稼いで1人でも多くの人にACDCの服を着てもらいたいですね。

またここ数年で、お客さまの層がかなり広がってきたので、ブランドラインを増やしていきたいですね。

現在の「多ジャンル低価格」ラインは残しつつ、今後はこども向けのキッズラインや、高級路線のハイグレードラインも展開できるよう、視野を広げていきたいです。

―最後に読者の方へ、アドバイスをいただけますか?

土居さん
僕は、父の影響でこの道を選びました。

僕が物心つく前から、父は社長で自分のお店を持っていたのですが、そんな父も最初から自分のお店を持っていたわけではありません。

起業してゼロから始めて、今があるんです。

何か始めようと思うと、つい他の人の「完成形」とゼロの自分とを比べてしまって、気疲れしてしまうことがありますが、どんな人も必ずゼロから始まっています。

僕の場合も同じです。ロンドンに留学した時は、何もできない自分にとても悔しい思いをしました。

だからこそACDCが今までできなかった海外へ挑戦し、コツコツと実績を積み上げてきました。

そして、僕の挑戦はまだまだ続きます。

誰しも、いきなり「すごい人」になんてなれません。挫折してしんどい思いをすることもあると思いますが、1歩ずつがんばっていきましょう。

<「ACDC RAG」デザイナー・土居麟馬さんが、写真展を開催!>

期間:2018年11月28日(水)-12月2日(日)
開場時間:12:00 - 21:00 (2日は18:00まで)
場所:東京都渋谷区神南1-10-7テルス神南301
入場料:無料
特典:限定ステッカーと中国茶
Web:www.rimmadoi.com

2018年11月20日

企業では10月から12月にかけて、年末調整を行うことと思います。年末調整のやり方というのは企業によって若干変わるかもしれませんが、だいたいが従業員に年末調整のための書類を記載してもらって会社側でチェックするという方式ではないでしょうか。
(さらに…)

2018年11月19日

大人になれば誰しも1つは持っているお財布。

お金との付き合い方は人それぞれなように、お財布との付き合い方も人によって異なる。デザインや容量など、特徴の異なる一品を持っている人もいるだろう。

私事ではあるが、筆者はm+(エムピウ)というブランドの「ミッレフォッリエ」という財布を使っている。

これは小銭、お札、カードがコンパクトにまとめられる財布。気づけば10年ほどの付き合いで、現在は同じモデルの2代目を使用中だ。

ミッレフォッリエは根強いファンの多い財布で、同じモデルを使い続ける人が多く、発売から14年が経った今でも、月に800個は出荷されるという。

このお財布を生み出したエムピウの代表・村上雄一郎さんは、元・建築士という異色のキャリアの持ち主。彼は、一級建築士から革製品のデザイナーへと、どのように転身を果たしたのだろうか?

<プロフィール>
村上雄一郎さん

バッグ/革小物デザイナー。建築事務所に勤務していたが、素材としての革に興味を持ちバッグ・革小物のデザインを開始し、2001年「m+」(エムピウ)をスタート。設立から4年後、創業支援施設台東デザイナーズビレッジに1期生として入居。
台東区での業務の利便性を感じ、蔵前に拠点を構える。

遊ぶものは自給自足、ものづくりの楽しさを学んだ幼少期

− まずは村上さんが建築士になるまでをお聞きしたいです。建築士と革製品のデザイナーはプロダクトを生み出すという点で共通していますよね。ものづくりは昔からお好きだったのですか?

村上雄一郎さん(以下、村上さん)
幼少時代から好きでしたね。田舎に生まれて遊ぶものがないから、自分で作るのが当たり前だったの。拾ってきた真鍮を磨いてピカピカにしたり、木片で工作をしたり、手を動かして結果が現れるのが楽しかった。そうするうちにものづくりが好きになってしまったんだよね。

建築の道に進んだのも作ることに興味があったから。大学で建築を学んで、そのまま設計事務所に入ったんです。

− 事務所ではどのようなお仕事をされていたのですか?

村上さん
就職した事務所は建物だけじゃなく、都市計画やマップ、時には建物のなかで使う家具など、幅広く空間をデザインしている場所でした。

当時は幅広く様々な分野のアシスタントとして働いて、3年目から建築設計に携わりましたね。建築設計はよくドラマとかで出てくる、図面や模型を作る仕事です。でも、僕はその仕事に違和感を抱いてしまったんです。

「ものづくりがしたかったのに」という思いで始めた革工芸

− なぜ違和感を抱いてしまったのでしょうか?

村上さん
端的に言うと、ものづくりに関われなかったから。その事務所では、僕たちは設計とディレクション、施工は職人さんに分業されていて、現場と接する時間が少なかった。

ものづくりがしたいと思って建築業界に入ったのに、作る現場に携われないから「なんか違うな」と思うわけです。

自分は施工の現場を知らないのに、クライアントには図面や模型を前にして、「素材はこれがいいですよ」とか、まるで自分の目で見てきたようにプレゼンしないといけない。家も建物も一生の買い物ですよね。そういう性質のものを、想像だけで提案してしまうのが怖かったんです。

− そのモヤモヤが革製品を手がけるきっかけになったのでしょうか?

村上さん
その通り。ものづくりがしたいなら自分の手を動かせばいいんだと思って、革工芸を始めたんですよ。

− なぜ革だったのでしょうか? 木とか鉄とか、素材は色々ありますよね?

村上さん
革は手軽にできるんです。たとえば家具を作ろうとしたら、広い工房が必要でしょ? 機材もいるし、音が出るから都心では難しい。革なら大きな機械はいらないし、音も出ない。当時は設計事務所の仕事終わりに車のなかでコツコツ製作してましたね。

− それをお仕事にしようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

村上さん
事務所の先輩に見せたことかな。作ったものは誰かに見てもらいたいじゃない。だから設計事務所の先輩を捕まえて、完成した小物を見せていたんです。

そうしたら褒められて。クリエイターはものを見る目がありますよね? そんな人に褒められたのが嬉しくってね。

作っては見せ、作っては見せを繰り返していたら、「お前こっちの方が向いてるんじゃないか? やるならイタリアの工房で修行して箔つけてこい!」って言われてその気になっちゃいました(笑)。

− いよいよエムピウが生まれるお話が聞けそうです。ちなみにその時、ご結婚はされていました? 奥さんがいると、説得も必要ですよね?

村上さん
結婚は建築事務所時代にしていました。イタリア行きはカミさんに黙って行くわけにもいかないので、相談したら「行ってらっしゃい」とお許しが出て。それで事務所を退職し、家族を日本に残してフィレンツェの職業訓練校に入学することにしたんです。

イタリア修行とエムピウの誕生、帰国直後は二足のわらじを履いていた

− イタリアに修行に出かけた村上さんですが、イタリア語は話せたのでしょうか?

村上さん
イタリア語どころか英語も話せなかったね。でも革工芸の基礎的なことは日本で一通り学んで行ったから、実技は見ていれば分かる。だから困ることはなかったかな。

職業訓練校を卒業した後は、イタリアの代表的な革ブランド「ベネトン」の工房に入ることができて、そこで1年間修行することができました。

1年経つと、今度は別の工房から引き抜きの話が来たんです。技術にも自信を持ち始めていたし、いよいよ日本にいる家族をイタリアに呼べると思っていたんだけれど、カミさんに相談したら「そろそろ戻ってらっしゃい」と言われちゃって。カミさんには逆らえませんよね、それで日本に帰国したんです。

− 志半ばという感じでしょうか?

村上さん
そうでもないんだけどね。でも、革のデザインを仕事にしたいという思いはあって。帰国後はすぐにでも自分のブランドを立ち上げたかったんだけど、家庭もあるし、取引先もなかったから、設計事務所に戻って建築士と革デザイナーを掛け持ちしてたの。

当時は革製品のメーカーから委託でデザインを請け負っていたりしてた。そのなかで、クライアントと打ち合わせをしたり、製品を作って卸したり、ブランドを運営するうえで一連の流れは勉強できたんだけど、やっぱり自分の作りたいものを手がけたい気持ちが強くなってきて。

自分のブランドが必要だと思って2001年にエムピウを設立したんです。

− エムピウとして最初のお仕事はどのようなものだったのでしょうか?

村上さん
最初に発注してくれたのは、銀座にある文具専門店でしたね。
製図用のA3サイズのバッグを作って提案したら置かせてもらえるようになった。でもそのバッグは5万円したから、全然売れなくってね(笑)。

色んなところに売り込みをかけながら製作を続けていたんだけれど、2004年には活動の幅を広げようと思って、台東区にあるファッションやデザインの創業支援施設「デザイナーズビレッジ」の第1期生に応募してみた。

無事選出されて、エムピウ1本で活動できるようになって、財布やペンケース、キーケースなどを、デパートの催事場などに置かせてもらって売り込みをかけていたんです。

看板商品ミッレフォッリエ、ヒットのきっかけは新聞記事だった

− ところで、看板商品の「ミッレフォッリエ」はいつ頃生まれたんですか? 今日はそのお話も聞きたくって!

村上さん
2004年にはもう販売していたね。ミッレフォッリエは発売して14年経つけれど、いまだに月間800個は出荷されていく。エムピウが続いているのもこの財布のおかげですよ。

− 根強いファンが多いお財布ですけれど、看板商品になるまでにはどのような経緯があったのでしょうか?

村上さん
ヒットは新聞記事がきっかけでしたね。松屋百貨店の催事場でミッレフォッリエを見た新聞記者がコラム枠で紹介してくれて、電話やFAXで問い合わせがじゃんじゃん来たの。それから先は口コミでファンが増えていったんです。

その時は、メディアの力ってすごいなと思いましたね。狙ってやったわけではないんだけど、人の目に触れさせることって大事なんだなと。

ミッレフォッリエはその後、パクリ製品が出るくらい人気になりました。お客さんから「パクられてますよ!」ってお怒りの電話がかかってくるんですよ(笑)。心境は複雑だったけれど、それだけお客さんから愛されているのは嬉しかったですね。

− 村上さんは蔵前に工房とショップを構えていますけど、お店はいつごろ構えられたんですか?

村上さん
2006年のことだったね。店はデザイナーズビレッジを卒業するときに事務所兼ショールームが必要になって構えたの。製品が売れるようになったら大家さんが2階も貸してくれるようになって、1階がショップ、2階が工房兼事務所という現在の形になりました。

承継は考えていない、エムピウは僕一代のブランドです

− エムピウは、財布以外にキーケースやペンケース、バッグなども手がけていますよね。これらの製品はどのようにデザインされているのでしょうか?

村上さん
うーん、ものによって様々だけど、基本的には自分が必要なもの、欲しいと思うものをデザインしてます。「デザインを考えてくれませんか?」という依頼もないことはないんだけど、納期を決められちゃうと嫌なんです。自分が興味関心を感じられるものじゃないと作れない。

製品が生まれるまではだいたい生みの苦しみがあるんだよね。うんうん唸って、長いこと悩んで。でも、生まれる瞬間は、頭に寝かせておいたアイデアや構造が組み合わさって腑に落ちるんです。「おっ! これだっ!」ってね。

村上さん
それをスケッチに落とし込んで、試作品を作って、あとは微調整かな。「うーん、ここのアールが違うな」とか(笑)。楽しいですよ。

− そんな風に作られているんですね。これだけ評判になると、ブランドは村上さん1人では運営しきれないですよね? 全国にお取引先もあると思いますし、組織としてはどのようにされているのでしょうか?

村上さん
言っても小さなチームですよ。営業はいないし、店舗の運営と受発注の作業だけスタッフに手伝ってもらっています。生産は工場に委託しているので、僕は工房でデザインしたり、お取引先や工場と打ち合わせをしたりすることが多いですね。

− 最後に、これからのエムピウについてお聞きしたいです。事業は軌道に乗っていますが、誰かに受け継いだりなどは考えていませんか?

村上さん
実はあまり考えていないんです。「m+(エムピウ)」は、村上の「m」と、使う人を表す「+」を合わせた名前。だから、僕がいなくなったら違う名前にするべきだと思っている。他の人が考えたデザインに「エムピウの商品です」って言うのも嫌だしね(笑)。

ブランドとしてはミッレフォッリエに負けない看板商品をもうひとつ生み出したいと思っています。色々試行錯誤はしているんだけれど、これを超えるものはなかなか生まれなくって。だから当面の目標はそこですね。

<インタビュー終わり>

このインタビューのなかで、「エムピウは僕一代のブランドです」という言葉が印象に残った。

なにか事業を始めて、それが軌道に乗ると、事業承継は考えずにはいられない問題だ。けれど村上さんはきっぱりと「承継は考えていません」と話してくれた。きっとその決定は、デザイナーであり職人である自分を大切にしたから生まれたものなのだろう。

仕事は大切なものだけれど、なぜ自分がその仕事をしたいのかは無視できないもの。
独立する前には一度立ち止まって、ゆっくりと考えてみたい。

M+(エムピウ)
住所:東京都台東区蔵前3−4−5
URL:http://m-piu.com/

<執筆・撮影:鈴木雅矩>

2018年11月16日

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