仕事内容にも環境にも慣れた30代。
そろそろ新しい世界へ飛び込み、新しいことにチャレンジしたいと思う半面、働き方を抜本的に変えることは、なかなか難しいものですよね。
今回お話を伺ったのは、今年の4月まで日本フットサルリーグ(Fリーグ)のバルドラール浦安に所属し、現在も日本代表選手として活躍している星翔太さん(2018年シーズンから名古屋オーシャンズに移籍)。
星さんは、30歳を迎えた時にプロデュースカンパニーでインターンを始め、現在では株式会社アスラボの代表としてもご活躍されています。
今回は、現役のプロアスリートでありながら会社を立ち上げるまでに至った経緯、そして新しい領域へ挑戦するにあたって必要な心構えを伺いました。
星翔太(ほししょうた)選手
Fリーグ・名古屋オーシャンズ所属のプロフットサル選手/株式会社アスラボ・代表取締役
早稲田大学スポーツ科学部卒業後、2009年にFリーグ・バルドラール浦安へ入団。翌年にはフットサルの本場スペイン1部リーグ・UDグアダラハラFSに移籍し、2年間プレー。その後、日本人初となるカタールリーグでのプレーも経験する。
2012年6月にはバルドラール浦安に復帰を果たし、同年の2012FIFAフットサルワールドカップ日本代表メンバーに選出。2014〜2016年までは日本代表キャプテンを務める。
2016年9月から株式会社エードットでインターン活動を開始し、翌年の6月には株式会社アスラボを設立。現役生活を続けながら企業に勤める「プレイングワーカー」を体現している。
また、2017〜2018シーズン限りでバルドラール浦安を退団し、2018年4月には名古屋オーシャンズへの移籍が正式に発表された。
スポーツ以外の世界を知りたい。現役のフットサル選手が社会人を目指した理由
ー星さんの現在に至るまでの経緯を教えてください。
今はフットサル選手として活動していますが、高校生まではサッカーをやっていたんです。卒業後は、一般受験で合格した早稲田大学に進学を決めました。
早稲田大学のOBである高校の先生から「早稲田でサッカーを続けてほしい」と言っていただいたこともあり、はじめは大学に入ってからもサッカーを続けるつもりではいたんですが、次第に「敷かれたレールの上は歩きたくない」「自分の道は自分で決めたい」と思うようになり、サッカーをやめる決断をしたんです。
ーフットサルと出合うきっかけというのは?
先輩に「フットサルやらない?」って誘ってもらったことがきっかけですね(笑)。
それまではテニスや格闘技など、いろんなサークルに所属してみたのですが、自分の中でしっくりくるスポーツが見つからなくて。
それでフットサルをやってみたら、サッカーとの細かい戦術の違いに衝撃を受けたんです。
ーサッカーとフットサルは似ているようにも思えますが…?
見た目は似ていますが、中身は全く違いました。
僕はサッカーでのポジションがセンターバックだったんですが、フットサルではディフェンス陣も攻撃に参加できますし、1人1人のボールに関わる回数が多い。
戦術的な部分もそうですが、新しい感覚でフットボールをするのがすごく面白かった。
なにより生き生きと楽しくプレーしている先輩方の姿がとても魅力的に感じたので、フットサルをやってみようと思ったんです。
ーそこからフットサルの競技人生が始まったわけですね。
はい。そこから大学のサークルでプレーして、段々と真剣にフットサルに打ち込むようになっていったんです。
大学2年目からは、「BOTSWANA FC MEGURO(現・フウガドールすみだ)」に入団して、関東のフットサルリーグでプレーしました。
その後、日本代表にも招集されて、ありがたいことにスポンサーもついていただき、一選手としての僕の活動を支援していただきましたね。
ーすごいですね! ということは、その頃には既にプロのフットサル選手として、やっていこうと決めていたのでしょうか?
本当にプロになろうと決めたのは、大学3年生の就職活動をしている時期ですね。当時はプロとしてフットサル選手になるべきか、それとも就職するべきか、まだ迷いがあったんです。
そのタイミングで父親と、今後の進路について話をする機会がありました。
父は「フットサルで全日本に選ばれるのは、100人いて、そのうち1人しか選ばれないくらいすごいことじゃないのか? だったらお前はそれをやるべきだと思う」と、プロ入りを後押ししてくれました。
それで大学卒業後、Fリーグ(フットサルのプロリーグ)の「バルドラール浦安」に入団したんです。
ーとても理解のあるお父さんですね。それからプロとして活動していくわけですが、会社員としてのキャリアをスタートさせようと思うまでには、何があったんですか?
きっかけとなったのは、度重なるケガですね。2015年シーズンにグロインペイン症候群という股関節周りが痛くなる疾患を抱えてしまって、半年間プレーができませんでした。
それが治った2016年シーズンの開幕前にも、右膝の前十字靭帯を断裂してしまって…。
結局、2シーズン棒に振ってしまったんです。
そのリハビリ期間中、大学時代の同級生と会う機会がありました。
そこでふと、社会人(会社員)とスポーツ選手ってどんなところが違うのだろうと思い、聞いてみたんです。
一例ではあるんですが、友人の会社は「年齢関係なく、勤続年数で上下関係が決まる。すなわち年上の人が転職してきても、年次が上の年下の人には敬語を使う」など、驚くことがたくさんありました。
というのも、スポーツ界は全く逆で、年数よりも実年齢で上下が決まるからです。
このルールの違いを知った時に、「社会に出たら、もっと知らないことがあるんだろうな」と、社会に対してとても興味が出てきたんです。
ーそれで企業で勤めてみたいと思うようになったんですね。
はい。ケガでプレーはできなかったので、リハビリをする日以外も有効活用しようと思い、会社に入ってみようと思いました。
そのタイミングで、スポーツ選手が抱える社会的課題について取り組んでいる株式会社エードット代表の伊達晃洋さんを、知り合いに紹介され、お会いしたんです。
会社で仕事をするなら「仕事とスポーツのシナジーが起こせそうな環境で、面白いことをやりたい」と思っていました。
そこで、アスリートのセカンドキャリアに関心がある同社で、2016年9月から週2日のインターンシップとして、仕事を始めました。
事業を通じてビジネスを学べるメディアにする。アスリート自身の価値を上げるために
ー株式会社エードットではどのようなお仕事をされていたのですか?
インターン時代はセールスプロモーション部に入って、営業として挨拶まわりや資料作りをしていました。
その中で名刺の渡し方や電話の掛け方など、社会人に必要なスキルやマナーを本当に1から教えてもらいましたね。
ただ、これから本格的に営業をしていくにあたり、週2日しか来れない僕に任せられる案件って限りがあるじゃないですか。
ー確かに限界がありますよね。どうされたのですか?
社会人としての基礎をある程度身につけた後は、PR部に移ることになりました。
そこでは自分自身を商材として、各メディアに売り込みをかけたんです。
要するに、どの媒体なら露出できるかを調べて、電話してアポをとり、プレゼン資料を作る。この全ての工程を自分1人で行いました。
実際にやってみて分かりましたが、スピードが要求される営業より、やはりPR部での仕事の方が自分のペースに合っていましたね(笑)。
ーリハビリがある中で、外回りの営業をするというのも大変でしょうしね(笑)。その後、2017年の6月には起業をされていますが、何がきっかけだったのでしょう?
社内でスポーツメディアを立ち上げようという話が出たことがきっかけです。
そこでぜひ「事業に関わらせてください」とお願いしました。
ケガでリハビリ中とはいえ、僕自身、現役のアスリートですので、僕だからこそできることがあると思ったんです。
それで社内の了承を得て、事業計画書を作成したり、各メディアにPRしたりと、いろいろ勉強しながら、一緒にメディアを立ち上げる準備を進めていきました。
その中でも特に、メディアが目指す「アスリートと社会の接点を作る」というビジョンを、自分で手掛けてみたいと思うようになりました。
ーなぜでしょう?
僕は、会社で様々なことを学びました。
そしてスポーツ以外にも、社会人としての経験を積んでいる方が、現役でも引退後でも大きなアドバンテージになると、僕自身の経験を通して実感したからです。
そういった考えを周りに伝えると、多くの選手が賛同してくれました。
準備が整い、仲間が集まったところで、株式会社エードットのグループ会社として株式会社アスラボを立ち上げました。
出典:株式会社アスラボより
https://athlete-lab.jp/
ーなるほど。「アスラボ」は具体的にどのようなサービスなのですか?
簡単に言うと、一般の方に対して、スポーツに触れる場を提供するためのWebサービスです。
その講師として、僕のような現役アスリートだったり、引退された元アスリートを招いています。
フットサルでいうと、「フットサルクリニック」という技術を伝えたり、楽しくゲームをしたりするものがあって、現役の選手が休日に開催しているんですね。
それと同じ感覚で、フットサルに限らず、いろんな競技のクリニックを実施しているんです。
事業を通じて、アスリートと社会の接点を作っていく世界を目指していきたいです。
また、レッスンをして人と触れ合うことで、イベントの集客や自身の収入、さらには事業を展開するまでのプロセスなど、アスリートが、ビジネスについて学ぶことができますよね。
こうした仕組みによって、アスリート自身の価値を上げることにも繋がるんです。
ー 一般の方にスポーツの楽しさを伝えるのと同時に、アスリートの教育の場としても成り立っているわけですね。
その通りです。
だいたいのアスリートは学生時代からその道一筋で歩んできた人間ばかりです。
その人たちが、例えばケガで唐突に引退に追い込まれてしまった場合、スポーツの世界とはまったく異なる一般社会に適応するのは大変なはず。
だからこそ、現役生活を続けながら企業に勤める「プレイングワーカー」という、アスリートの新しいワークスタイルを確立していきたんです。
ーケガからは無事、復帰されたんですか?
はい、おかげさまで(笑)。
現在はFリーガーと会社員、2足のわらじを履く「プレイングワーカー」として、活動しています。
苦しい時は、目的を明確にすればいい。新しい仕事を成功に導くための意識の持ち方
ー星さんは先程、ケガの影響で2シーズン棒に振ってしまったとおっしゃいました。きっと心が折れそうな時もあったんじゃないかなと思うのですが、そこをどのように乗り越えて、社会人という新たな世界に挑戦できたのか、教えていただけますか?
とにかく、まずは「やってみよう」と、何でも積極的に取り組んでみたことが、結果的によかったんじゃないかと思います。
僕自身、ケガをして会社に入ろうと思った時、正直「辛いなぁ」って思う部分もありました。
それまでフットサル選手としてのキャリアは積んできていますけど、その中に新しいことを取り入れるのってかなり大変なので(笑)。
でも動かなきゃ始まらないのも事実です。
それでいろいろ挑戦してみて、もし失敗したとしても「次はこうしよう」と、軌道修正できるチャンスが生まれる。
そしてなんとか成功するまでトライ&エラーを繰り返すんです。
その結果、今までと違う世界でも、自分の生きる道を見出せたのかなと思います。
ーそれは、これから独立・起業をしようと考えている方にとっても大事な姿勢ですよね。では、星さんと同じように、これから新しい領域に踏み出していきたい方へアドバイスをお願いします。
自分が今後どうなっていきたいのか、何をしていきたいのか、という目的意識を明確にしておくといいと思います。
何かに挑戦するうえで、苦しい時は必ずあります。
でも、目指す目標の根底にある気持ちがしっかりしていれば、「そこに向かうためには、この苦しい時間も必要だな」っていうことに気がつくと思うんです。
僕の場合、ケガをした時、半年後には復帰できると医者に言われたので、しっかり先が見えていたんですよね。
だからこそ苦しい状況をポジティブに捉えられたし、ピッチでプレーするという目的のためには苦しいリハビリは当たり前だと、思うことができたんです。
逆に目的がボヤけて目先の行動に埋没してしまうと、「手段の目的化」に陥ってしまいます。
つまり、ゴールにたどり着くための手段である行動自体が目的となってしまい、「あれ、俺って今何のために頑張ってるんだっけ?」って、本来の目的を見失ってしまうんです。
だからこそ、自分がどうなりたいのかを明確化し、それに向かって何をすべきかを決めておくことをおすすめします。
どんな成功体験や失敗体験でも、その全ての行動は、必ず次のステップに繋がっていくはずですから。
ーありがとうございます。最後に、プレイングワーカーとしての今後の活動目標があれば、お聞かせください。
まずフットサル選手としては、2020年のFIFAフットサルワールドカップに出場できるように頑張っていきたいです。
それと同時に、現在2020年の「FIFAフットサルワールドカップ」の開催地が、日本で行われる可能性も出てきています。
なのでもし開催されるのであれば、そこの出場枠も狙いたいですね。
ちなみに「FIFAフットサルワールドカップ」の日本の成績は、ベスト16が最高位なので、それ以上の結果を収めたいですね。
株式会社アスラボの方は、もっとサービスを広く認知してもらえるように取り組んでいきたいと思います。
その中で、アスラボのレッスンに参加していただいた方々には、技術を学ぶだけでなく、体験を通して元気になって欲しいです。そしてアスリートには、アスリート自身の価値の向上と、それぞれの競技に集中して取り組めるようにサポートをしていきたいですね。
また、僕としてもフットサルに関わっているので、ゆくゆくはFリーグのスポンサーになりたいですし、マイナースポーツを広めていく中でいろんな競技の普及にも携わっていきたいと思います。
(取材・文=佐藤主祥 https://twitter.com/kazu_vks)