「今日はお声がけいただいてありがとうございます。よろしくお願いします」と、にっこりあいさつをされた前田公輝さん。
長身なのに威圧感もなく、色白で細くて長い指からはある種の繊細さも感じられる。
だが実際は、映画「HiGH&LOW THE WORST」の轟洋介役で知られているように、ストイックなまでに鍛え上げられた肉体の持ち主だ。
インタビューということで無色透明のオーラをまとってきてくれたのだろう。そんな配慮からも彼の器用さがうかがえる。
くしゃっと笑うこどもっぽい笑顔を見せたかと思うと、サイコパスさながら冷酷な表情をのぞかせる役者、前田公輝さん。
前編では、幼いころから仕事をされてきたゆえのかっ藤と仕事と学業の両立について語っていただいた。
前田公輝さん
俳優1997年ホリプロ・インプルーブメント・アカデミーに第1期生として入所し、6歳で芸能界デビュー
2003年から2005年までNHK教育テレビ『天才てれびくんMAX』でてれび戦士として3年間出演。
2007年ホリプロに所属。
2008年映画『ひぐらしのなく頃に』で、前原圭一役に抜てきされ、初主演を果たす。その後さまざまな役を重ね、
本日公開の映画『カイジ ファイナルゲーム』に高瀬強士役で出演中のほか、
1月23日からは、主演舞台「天才てれびくん the STAGE~てれび戦士REBORN~」が上演される。
6歳にして初めての挫折。悔し涙があふれた瞬間が次へのエネルギーに
-子役時代から長く役者として活躍をされていますが、きっかけは何だったのでしょうか?
親の情操教育の一環で、 兄妹とともにホリプロ・インプルーブメント・アカデミー第1期生のオーデションを受けたのがきっかけです。もともと、手を動かすと脳の発達がよくなるからとピアノを習ったりもしていましたし、大人にもまれてコミュニケーション能力をつけさせたいという思いがあったんだと思います。
以来6歳から28歳の現在まで22年間、役者を続けさせていただいています。
-今でこそ多くの子役さんが活躍をされていますが、当時は大変だったのではないですか?
初めてのオーディションで、誰もが知っている大きなCMに受かったんです。たくさんの子役の中から選ばれて、6歳にして天狗になってたんですよ。最初から順調だったこともあり、なんでも受かると勘違いしちゃってて。その後、何百人もいるような別のオーディションに行った際も、天狗になっちゃっているから。
そのオーディションの第一次審査で見事に落ちたんです。まさか自分が落ちることなんてないと思っていただけに、本当にすっごく悔しくて…その時は家でずっと泣いてて。人生初めての挫折ですよ。
でもこれがこの仕事を続けたいというエネルギーになったんですよね。ほんの6歳でしたが、今思えば人生ですごいことを経験したな、と。この悔しさは、今でも強く覚えていますね。
-そこからは心を入れかえて(笑)、順調に歩まれたのでしょうか?
その後は『さわやか3組』に主演メンバーとして出演していました。道徳の時間に小学校のクラスメイトが僕の出ている映像を見てくれるのが嬉しかった半面、「本当はやりたくないのにな~」とも思っていました。
-やりたくなかったんですか?
実は、16歳くらいまではバラエティタレントになりたかったんです。お芝居はあまり好きじゃなかったというか、役を演じるのではなく、自分自身を表現したくって。僕、おしゃべりも好きだし、そのとき興味があったのが「自分」だったんです。
-それが『天才テレビくんMAX』での、てれび戦士につながっていくのでしょうか?
てれび戦士は、小学6年生から中学2年生までの3年間務めましたね。これは素の自分が出せてとっても楽しかったのですが、てれび戦士時代はロケとかスタジオ収録で、延べ半年くらい学校にいけなくて。学校に行けないとまったく勉強がわからないし、友だちと仲良くなっても2週間くらい沖縄ロケに行っている間に仲良しグループも変わってて、学校での友達の作り方もわからない…という状態になるんです。
学校に行っても疎外感はありましたね。それもあって中学時代は、周りにあわせるために愛想笑いとかして、家族にしか素を見せられなかった時期もありました。
だから自然と仕事でつながった友だちが多くなり、当時番組で一緒だったてれび戦士のみんなとは、今でも大の仲良しです。