「あなたの長所はなんですか?」
就職活動の面接などで問われる、この質問。皆さんはどのように答えますか?
自分の短所は目についても、長所をすらすらと言える人は少ないのではないでしょうか。
今回お話を伺ったのは、寺田ユースケさん。
寺田さんには生まれつきの「脳性マヒ」があり、脚が不自由なため、普段は車イスを使って生活をしています。
しかし寺田さんはこれまで野球、海外留学、芸人、そしてホストと、様々な経験をしてきました。どれも、車イスと結びつきづらいものばかりです。
今回はそんな寺田さんの経歴、そして自らの長所の見つけ方についてお聞きしました。
寺田ユースケ
車イスホスト。1990年 愛知県名古屋市生まれ。
生まれつきの脳性マヒがあり、足が不自由のため車イスを使って生活している。
19歳までは足を引きずりながら生活しており、性格も内向的だったが、20歳の時に、車イスに乗ることを決意する。車イスでどこへでも行けるようになり、性格も明るくなる。
大学在学中にイギリスに単身で1年間留学を経験。また、大学在学中にお笑いの道を志し、NSC(吉本総合芸能学院)36期生となる。
大学卒業後に上京するも、お笑い芸人への道を挫折。その後、歌舞伎町でホストクラブを経営する手塚マキ氏と出会い、歌舞伎町ホストクラブ・Smappa!Group「APiTS」で『お酒の飲めない、終電で帰るホスト(源氏名)クララ』として働く。
現在は同社のオフィスで働きながら、ラジオのパーソナリティ、本の執筆、車イスヒッチハイクで日本全国を駆け回る「HELPUSH(ヘルプッシュ)」の立ち上げなど、様々な方面で活動している。
車イスで、ホスト? “クララ”誕生の経緯
―車イスホスト“クララ”として活躍されている寺田さん。ホストクラブで働くことになった経歴から、教えてください。
大学在学中にお笑いの道を志し、NSCというお笑い養成所に入学しました。
大学卒業後は上京し、東京を拠点に芸人として活動をしていたのですが、生活できるほどの収入を得ることはできませんでした。
収入がないなら芸人以外の仕事、アルバイトをして生計を立てていこうと思ったのですが、車イスでできるアルバイトってかなり限られてしまうんです。
―立ち仕事や移動の多い仕事ですと、なかなか難しいですよね。
はい。
そうなると必然的にコールセンターなど、座っててもできる仕事になるのですが、正直芸人を志す僕の中ではあんまり乗り気になれなかったんですよね。
―なぜでしょうか?
足が不自由だからコールセンターで働くだと、みんなの予想を良い意味で裏切れないじゃないですか(笑)。車イス芸人として活動していく中で、他の芸人さんや、お客さんの「予想の範囲内」ではいけないと、当時は強く思っていたんです。
とはいえ悩んでる内に、どんどんお金がなくなってしまって「これはまずいぞ…!」と。
そんな時、知り合いから紹介されたのが、歌舞伎町でホストクラブを経営する、手塚マキさんだったんです。
「なんで僕がホストクラブ?」と、最初はとてもびっくりしました。
でも信頼する先輩からの紹介であったこと、その時すでに芸人としての夢に破れていた僕にとって他の選択肢を見つけられなかったことから、もう勢いで「ホストやります!」と伝えました。
ホストをステップの1つにしてほしい。元カリスマホストが「歌舞伎町ブックセンター」を立ち上げた理由
https://entrenet.jp/magazine/12645/
―車イスとホストの世界が、正直なかなか結びつかないのですが、ホストとして仕事をしていける自信はあったのでしょうか?
いえ、全くありませんでした。
今となってはお恥ずかしい話なのですが、二つ返事でお願いしたにも関わらず改めてホストの世界に入ると思うと怖くなってしまって、マキさんのこともめちゃくちゃビビってました。
新しい夢を追いかけるチャンスを頂いたのにも関わらず「いっそ面接で落としてほしい…」と思ったほどです。矛盾してますよね(笑)。
―ですが、落とされずに受かってしまった(笑)。
はい。しかも即決でした。
マキさんとお会いして、ものの数分で「いつから出勤できる?」「源氏名は…クララでいい?」と聞かれましたから(笑)。
―マキさんはなぜ即決したのでしょう?
後々分かったことですが、僕を雇うことで、従業員のホストたちに障がい者と共に働く、ということを学ばせたかったそうです。
また、知人がホストの仕事を勧めた理由は、お金どうこうの問題じゃなくて、そんなマキさんの元で、僕に生き方を学ばせてくれようとしたんだと思います。