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無鉄砲にフリーとなり長い間、苦悩した声優・近江知永さんが、新たな夢に挑戦するまで

生ボイス

アニメソングが好きで、声優になろうと思ったという中学生時代の夢を叶えた近江知永さん。養成所にいながら、声優としても歌手としてもデビューし、国立代々木競技場第一体育館で初ステージを踏み、上り調子だった当初から今まで・今後をお話しいただきました。

「デビュー当時が恵まれた環境だったことに気付かず、フリーになって初めて自分を過信していたと分かり、長い間、自分に自信が持てずに苦悩しました」と、振り返る。今は「2人の子どもたちに、ママとパパ(お笑い芸人・TAIGAさん)の挑戦する姿を見てほしいし、“自分が自分であるため”に、夢に向かって毎日、勉強しています」と、取材中、窓から差し込む光を浴びながら、透き通る茶色い瞳をキラキラさせてお話してくださいました。

<プロフィール>

近江知永さん
声優・歌手・俳優(1982年生・埼玉県出身)

2つ目の養成所に在籍してからわずか半年でテレビアニメ「スクールランブル」(テレビ東京)の声優に。翌年には数多くのアニメヒットソングを手掛ける奥井雅美さんのプロデュースで歌手デビューも果たす。

現在は、声優・歌手・俳優として活動しながら、アニメソングの作曲家デビューを目指し勉強中。

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アニメソング好きだった中学生が声優に

―声優の道を選ばれたきっかけは何ですか?

アニメソング(以下、アニソン)が好きだったのと、同級生と声優の真似ごとをしているうちに仕事にしたいと思うようになったからです。

中学生の頃、声優さんの深夜ラジオやアニソンの紹介番組をよく聴いていたんですが、声優になろうとは思っていませんでした。でも、声優に詳しい子と友達になって、彼女からテレビアニメでしゃべっているのはアニメキャラクターではなく声優だということを教わって(笑)、一緒にテレビアニメのセリフを書き起こして、録画したテレビアニメを消音で流してアテレコする遊びをしたり、漫画の読み合わせをして録音したり、声優さんの深夜ラジオを真似して番組を作ったりと、楽しく遊んでいるうちに、声優の仕事をしたいと考えるようになったんです。

 

―声優の道を目指されたのは、いつからですか?

高校を卒業してからです。

本当は高校ではなく、当時有名だった専門学校に行きたかったんですけど、親に「お願いだから高校だけは卒業して。卒業後は、自分の好きな道に進んだらいいから」と言われたので、普通の高校生活を送りました。

高校時代は、野球部のマネージャーになったり、文化祭の時に人前で歌ってみたり、未経験のことに挑戦するようにしていました。結果的に、いいエピソードトークになりましたね(笑)。

高校卒業後に養成所に入りました。高校時代に発声練習など下準備をしていなかったので、一気に集中して勉強しよう!と意気込んで通ったんですけど、その養成所の事務所オーディションに最終選考で落ちてしまったことと、アルバイト先の店長さんに「もし声優になれなかった時のことも考えると、学歴はないよりもあった方が就職先を探しやすくなると思うよ」と、アドバイスを受けていたこともあったので、親にお願いして、養成所と並行して短大にも行かせてもらいました。

でも、短大で軽音サークルに入って、バンドで歌を歌い始めたら、芝居より音楽の方に傾倒してしまったんです。養成所は卒業したものの、芝居に熱中できなかったことが心残りだったので、別の声優事務所の養成所が1期生を募集しているのを知り、「1年そこで頑張ってみて、駄目だったら声優は諦めよう。もう後はないぞ」と覚悟を決めてその養成所に入りました。

最初の養成所での後悔があったので“やれることは何でもやろう”と決めて、発声練習や歌を録音しては確認したり、座禅を組んで精神を鍛えたり、毎日ルーティーンにして取り組んでいましたね。

その結果、入所して半年ぐらいで、テレビアニメの役がもらえたり、アニソン界で有名な奥井雅美さんのオーディション『奥井雅美 O-Live』に受かって、奥井雅美さんプロデュースでデビューが決まったりしました。そこで、やっと事務所にも所属できるようになったんです。

もしかしたら、あの時に自分がやっていたことと目指すゴールの方向が、たまたま合っていたから、運を掴めたのかもしれないと思いますね。

声優・歌手として順調に歩んだデビュー当初

―華々しくデビューした当時を思い返して何を思われますか?

最初が恵まれすぎていましたね。

運よく、いきなりいろいろ手にしてしまったので、「天狗にならないようにしないといけない」とは思っていましたけど、今思うと天狗だったし、恵まれた環境が当たり前だと思っていた節があります。

所属事務所は他の事務所さんと違って給料制だったし、寮にも入れてもらえて恵まれた環境だったと思います。事務所を退所してフリーになってから「一人でやっていくって大変だな」「事務所はいろいろ自分にお金をかけてくれていたんだな」って知るんです。フリーになってアルバイトをしながら仕事の案件を獲得していかないといけなくなると、「事務所に所属していた時は、お給料ももらえて、住むところもあって、光熱費まで払ってもらっていたので、なんて自分は恵まれていたんだろう」って、すごく思いましたね。

事務所に所属していた当時の私は、かごの中の鳥で、アニソンも歌わせてもらえるし、仕事も来て当たり前だと思ってしまっていましたから。

デビューした時も、「Animelo Summer Live(通称アニサマ)」というアニソンの大きいイベントの第1回目に、私も奥井さんがプロデュースする子だということで出演させてもらったんですよ。だから初めて人前で歌う場が国立代々木競技場第一体育館でしたし。

一気に、そこまで行っちゃったので、今、私はデビュー20年目になるんですけど、当時の自分に「もっと苦労をしとけ」って強く思いますね。人って努力を重ねて掴み取ったものは、すごく大切にすると思うんですけど、運よくいきなりいろいろ手にしてしまったので、天狗になってしまっていたと思います。

長らく失った自信を取り戻すまで

―どうしてフリーになったのですか?

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