スタイルのある生き方へシフトしたいビジネスパーソンのためのニュース・コラムサイト。
検索
起業家・先輩から学ぶ

畳屋を継ぐという起業

畳屋を継ぐという起業

畳屋の4代目になる青柳 健太郎さん。今では畳屋を継ぐという人はほとんどいない中、デザイン会社を経て戦略的に畳というものを新しいビジネスとして、畳と日用品を融合したプロダクトを作っています。

青柳さんは単純に古い家業を継ぐのではなく、新規事業で新しい畳の世界を切り拓いています。

青柳さんの産み出す畳の鞄、畳の名刺入れなどは斬新な製品で、世界のVIPへの贈り物としても選ばれています。
日本が誇る優れた地方産品「The Wonder 500」や、日本の優れた商品・サービスを発掘・認定し、国内外に発信するプログラム「OMOTENASHI Selection 2018」 商品部門にて金賞も受賞されています。

人が減っていく業界で、新しいことを産み出すこともできる。

畳という日本を代表する古くからある仕事を新しくしている青柳さん流の、新しいものを産み出すコツと楽しさを伺いました。

<プロフィール>
青柳 健太郎さん
高校卒業後、専門学校でインテリアデザインを学んだのち、東京のデザイン会社に就職。企業やデパートの催事で空間デザインなどを手がける。フリーランスとしてその仕事を業務委託でこなしつつ、畳屋に弟子入り。その後、畳の素材にこだわって産地と密にやりとりをすることで、畳と日用品を融合したプロダクトを開発し、日本を代表するお土産物として世界中のVIPに愛される畳商品を生み出す。その後、青柳畳店の4代目となる。

和座一針

畳屋という家業

ー青柳さんが、畳屋を仕事に選んだきっかけを教えてください。

青柳さん
こどものころにおじいちゃんのしていた畳屋の仕事を見ていました。畳ですから、お客さまの家の中に上がります。お客さまとの距離感が近く、喜んでいる顔が直接見られる仕事というものに魅力を感じていたのです。ですが大人になるにつれて、このまま畳屋という仕事は続くのか? という疑問も感じるようになりました。そのため高校のときに、単なる畳屋ではダメだろうと考え、デザインを勉強することに決めました。そしてデザイン学校に行き、デザイン会社に入ることになりました。

―畳ではなく、これからはデザインだと?

青柳さん
いえ、畳屋の仕事をやるつもりでデザインの仕事をしたいと思っていました。
まだその時点では、どうすれば新しい畳屋としてやっていけるのかは分かっていませんでしたが、正直な性格でしたので、入社時に「将来は畳屋をやりたい」と面接で言っていました。具体的なプランはないのですが、畳屋をやりたいという気持ちは伝えたのです。そうしたら、受かりました(笑)。そして「いろんな会社を見て勉強したほうが良い」と言われて、いろいろな会社のデザインの仕事を担当させてもらいました。本当に良い会社と上司に恵まれました。

ーそのデザイン会社ではどんな仕事をしていたのでしょうか?

青柳さん
たとえば百貨店のスペースを企画する場合ですと、空間をデザインして具体的に作り上げるところまでやりました。さまざまなデザイナーさんや制作する会社さんとやりとりして図面に起こし、それを現場で設置するまでを担当していました。
その仕事が結果として今、畳屋だけの仕事ではなく、いろいろな技術や素材を使う商品を組み上げるマネジメントに活かされています。当時はそういう意識はなかったのですが…。

ーデザイン会社での仕事から現在のビジネスモデルを思いついたのですか?

青柳さん
いえ、そうではありません。何年か仕事をさせてもらって、27歳のときに会社を卒業させてもらいました。まだどういう畳屋の姿がいいのかという理想は見えていませんでしたが、畳に関する修行もしたかったので、この時期だろうということで…。
会社の人には引き留めて頂きまして、最初はフリーランスとしてデザイン会社の仕事も委託して継続しつつ、畳屋で修行するという生活になりました。1年くらいはそういう形態でやっていました。

ー修行してみて感じたことはありますか?

青柳さん
このままでは、先輩の職人さんに追いつかないということです。畳屋の職人は定年がありませんから、このままでは一生先輩職人に追いつかないと思い焦りました。そこで思いついたのは、畳の元である“い草”、その産地まで含めて自分の目で見てみようということでした。畳の原料を問屋さんを通じて買うだけではなく、実際の産地とつながるという現在のビジネスモデルはこの課程で発見したのです。

無農薬、高品質の畳の産地とつながること

ー畳の原料の生産はどこでやっていることが多いのでしょうか?

青柳さん
畳の原料の“い草”は育てるのが大変な作物だと言われています。それを上手に育てている産地が熊本です。ですから、熊本の産地とつながって素性の分かる原料を仕入れることにしました。“い草”の品評会で賞を取るような良い畑があるのですが、そのお隣の畑を知ることもでき、高品質だけど価格がリーズナブルという兄弟畑の“い草”も手に入れることができるようになりました。
これは青柳畳店で人気商品になりました。
現地を知ることで、海外セレブにも人気の鞄や雑貨を作るヒントになったんです。

ー海外セレブにも人気の鞄や雑貨とはどんなものですか?

青柳さん
畳の素材と天然素材、帆布と革との融合で作った鞄や名刺入れなどです。とても良いグレードの“い草”を使って作っています。というのは、これを思いついたのは、農家に行ったときに廃棄されている短い素材を見たことでした。大きな畳にすることができる長い素材以外は、“い草”として良質でも廃棄されていたのです。良い“い草”でも、短いと価値がなくなってしまうのです。大きな畳には加工することができませんから。それで、大きくないものを作れば、この素材を無駄にしないで済むんじゃないかという、もったいない精神からの発想だったのですが、美しいデザインにすることで人気の商品になったのです。

ー畳屋さんが良い商品を作っても、販路はどうしたのですか?

青柳さん
百貨店のディスプレーの仕事をしていたことが活きました。
最初は、畳を使ったディスプレーの仕事を手がけさせて頂いたのですが、そうやってつながっている人が、人づてに伝統的な畳で面白いことをやっているということを理解して紹介して頂くようになり、百貨店の催事イベントでも畳に関連する商品を陳列させて頂くきっかけを得たのです。そして、百貨店にくるお客さまの紹介で、海外のセレブに贈答されるような商品になったり、さまざまな賞を受賞させて頂くことになったのです。

ーどうしてそんなにうまくいったのでしょう?

青柳さん
新しいことに取り組んでいたからだと思います。古い畳屋は住宅の下請け的な仕事が多く、一般的に表に出てきません。ですが、日本人のDNAとも言える畳ですから、畳というものに新しい価値を吹き込んだことで評価されたんだと思います。これが新素材でしたら、私には難しかったかもしれませんが、畳にはこだわりがありますから。

畳屋という仕事を残したい

ー畳屋さんの仕事は今もやっているのですか?

青柳さん
もちろんやっています。
私がおじいちゃんの姿を見て畳に興味を持ったように、千葉の地元では今まで通りの畳の商売をしています。畳を敷いている家が減っている中で、高付加価値や高機能なものなどいろいろと変化はありますが、畳屋の仕事は残したいんです。

ー最後に、独立や起業を考えている方々へアドバイスをいただけますか?

青柳さん
私の経験からお話しすると、やらない後悔よりやって後悔してほしいと思います。今はいろいろなことが変わっていく時代だと思います。ですから、思いたったことはやってみることで何かよい方向に動くはずです。こどもの頃の文集に、「海外の有名な方に畳を持って行く」、「海外で畳屋をする」というのを書いたのですが、実際に叶っています。畳を使ったプロダクトが世界のVIPに贈答されたりすることで、私の仕事はこどもの頃の単純で素朴なイメージとは違いますが、実現しています。もちろん失敗もありますが、やった上での失敗ならば後悔はありません。

ぜひ、皆さんも新しい何かをやってみてください。

アントレ 独立、開業、起業をご検討のみなさまへ

アントレは、これから独立を目指している方に、フランチャイズや代理店の募集情報をはじめ、
さまざまな情報と機会を提供する日本最大級の独立・開業・起業・フランチャイズ・代理店募集情報サイトです。