日本が世界に誇る「Kawaii文化」。
その発信地として有名なのが、東京・原宿。古着やキャラ物、ロリータ、ゴシックなどに代表される「原宿系ファッション」は若者を中心に根強い人気を誇っています。
今回お話を伺ったのは、そんな原宿の「Kawaii文化」の最前線を走る、株式会社ACDCのデザイナー/店長の土居麟馬さん。
ACDCの運営する直営店「ACDC RAG」は、原宿に直営店を4店舗構える他、取扱店が国内に約20店舗、海外に約30店舗を展開する人気アパレルショップです。
日本はもちろん、海外の人からも絶大な人気を誇るACDCの商品。
今回はACDCの商品デザインを担う土居さんのキャリアを振り返るとともに、なぜACDCが世界から注目されるのか、その理由をお聞きしました。
土居 麟馬(どい・りんま)さん
株式会社ACDC デザイナー/店長1991年生まれ、横浜市出身。
2010年、法政大学国際文化学部に入学。株式会社ACDCの創設者である父の影響で、服飾関係の仕事に興味を持つ。
大学2年時に上海への語学留学を経験し、3年時に1年間大学を休学し、ロンドンでの語学留学を経験。ロンドンでは、株式会社ACDC商品の販売も手がける。
2015年に大学を卒業後、株式会社ACDCに入社。同社の直営店「ACDC RAG」のデザイナー/店長として、日本のみならず世界を舞台に活躍中。
学生時代にロンドンへ留学するも、挫折。「恵まれた環境」があったからこそ感じた、自分の無力感
―まずは土居さんの経歴から教えてください。現在は株式会社ACDCのデザイナーとして活躍されていますが、もともと服飾関係の仕事に興味があったのでしょうか?
いえ、本格的にこの仕事に興味を持ち始めたのは大学生の時です。それまでは中学でサッカー、高校でアメリカンフットボールに打ち込む普通の学生でした。
―なぜ大学生の時にこの仕事に興味を持ったのでしょう?
現在勤めている株式会社ACDC(以下、ACDC)は、父が起業したアパレル会社です。父が会社を立ち上げたのが、今から38年前。まだ表参道に歩行者天国があった時代に、渋谷で洋服屋を開きました。
そんな父の背中を幼い頃から見てきて、漠然とですが自分がどんな仕事をしていきたいのか、考え始めたのが大学生の頃だったんです。
大学のアメフト部からの誘いを断り、独学でアクセサリーを作り始め、原宿の路上で販売し始めました。大学1年生の夏のことです。
―18歳でそこまで覚悟を決めていたんですね。アメフト部と両立しながら仕事をする、という選択肢はなかったのでしょうか?
高校時代もそうでしたが、アメフト部に在籍していると、生活の9割以上の時間をアメフトに捧げなければなりません。大学の体育会系なら余計に、アメフト漬けの毎日になってしまいます。
ただ、父から起業の話を聞いて、僕自身「お店を立ち上げたい」「何かものづくりで成功したい」という思いが強くなっていました。
とはいえ、アメフトも、高校時代にキャプテンを務めるほど力を入れて取り組んでいたので、当時はアメフトを続けるべきか、相当悩みましたね。
それでも自分の夢を叶えるために、アメフトを辞めてものづくりへの道に進むことを決めました。
―その後はどうされたのでしょう?
大学の傍ら、アクセサリー製作・販売、ACDCの仕事を手伝っていました。その後、大学2年時に4カ月間上海へ、3年時に1年間大学を休学してロンドンへ、語学留学に行きました。
ロンドンでは語学留学をしながら、ACDCの商品を現地で販売しました。
「ロンドンの原宿」とも呼ばれるカムデンタウンにお店を出したり、イギリス最大の日本文化総合博覧会「HYPER JAPAN」への出展などを経験しました。
―当時はまだ学生であったのにもかかわらず、大活躍ですね。
しかしそうでもなかったんです。「日本から商品を送ってもらって、現地で売ること」が、当時の僕の仕事だったわけですが実際はそんな簡単なものじゃないんですよね。
言語も違えば文化も違いますし、現地に頼れる人がいるわけでもなければ、特別なコネがあるわけでもない。
カムデンタウンも「HYPER JAPAN」も、結局ACDCという会社の土台があっただけで、自分の力で何か結果を出せたわけではありませんでした。
留学から帰ってきて残ったのは、何もできなかった自分への不甲斐なさだったんです。
帰国後は、ACDCの仕事に打ち込みました。そして大学を卒業して、そのままACDCに入社し現在に至ります。