点と点が線でつながる。
独立・起業や転職といった人生の転機には、これまでの人生で起こった点がまるで一本の線のようにつながる瞬間があります。
今回お話を伺ったのは、マンガ家の岩ちんさん。
現在はLINEマンガでの連載を中心にマンガ家として活躍されている岩ちんさんですが、実は高校生の時に難病・クローン病を発症し、療養生活を送ることに。
これまでの考え方を変えざるを得なかった2度目の療養生活からホストになり、そしてマンガ家へ。雑誌からWebへの活動拠点の変遷——。
今回は、そんな岩ちんさんのこれまでの人生を振り返ります。
一見して関係なさそうなそれぞれのターニングポイントが、線でつながる。岩ちんさんの半生には、まるで伏線が回収されるようなストーリーがありました。
岩ちんさん
マンガ家
高校在学中から4コママンガを雑誌に投稿する。高校3年時に難病・クローン病を発症し入院を余儀なくされる。
退院後、20歳でマンガの専門学校に入学。その後、週刊少年マンガ雑誌でアシスタントなどを経験するも、クローン病が再発。入院中に人生を見つめ直す。
再び退院後は歌舞伎町でホストを経験し、以降は雑誌の持ち込みを続けながら、アルバイトを両立。昨年専業マンガ家となる。
講談社で『魔物学校』を連載の後、現在はLINEマンガにて『レビュー低い勇者』を連載中。
「明日は自分が“そう”なってしまうかもしれない——」。難病・クローン病を経て、ホストになった
——現在マンガ家として活躍されている岩ちんさん。まずはマンガ家になるまでの経緯を教えてください。
マンガを描いてそれを世に出す、という活動に関しては高校生くらいの時からやっていました。ゲーム系の雑誌に4コママンガを描いて送って。それが意外と評判良くて、毎回載せてもらっていました。
ただ高校在学中にある難病を発症してしまって。
——難病ですか?
クローン病(※)という病気です。
比較的勉強に熱心な家だったので、親からは「国立大学を目指せ」と言われていたんですが……。病気のせいもあって受験勉強もできずしばらく療養することになり。
結局2年間の療養生活を余儀なくされました。
※炎症性腸疾患の1つ。原因不明の難病。
——それで専門学校に?
はい。長い療養生活が原因で、しばらく無気力状態が続いてしまって。それを見かねた親が心配して「国立大学でなくてもいいから、進学してくれ」と。
その時に前から好きだったマンガを学ぶため、専門学校に入学したんです。20歳の時のことでした。
——専門学校を卒業後は?
ご縁があって専門学校の先生の紹介で、週刊少年チャンピオンの作家さんのところでアシスタントをしていました。それと並行して舞台の背景を作る仕事をやっていたり……。
マンガ家としてではないですが、フリーランスとして仕事をするようになったのはこの頃からですね。お願いされたことを受けて仕事をして、という生活が始まりました。
ただ「頼まれたらやる」スタイルのせいで、少々働きすぎてしまって。再びクローン病を発症してしまったんです。
25歳くらいの時に再発して、結果的に療養生活は1年ほどだったのですが、今思えばその時の入院が僕にとって転機だったのかもしれません。
——転機?
ええ。
僕と同じ病室の患者さんはみんな、例えば大腸ガンのステージ4とか、それくらい重い症状を持った方ばかりだったんです。
隣のベッドで仲良くなった方が、しばらくして亡くなったという知らせが入ったり。
まだ20代くらいの方だったでしょうか。余命宣告を受けた患者さんの恋人が、ベッドで泣き崩れていたり。
明日は自分が“そう”なってしまうかもしれない。死というものをそれくらいリアルに感じる毎日に、身を置いていました。
——死について考える日々が、岩ちんさんの人生観に影響を与えたんですね。
ありきたりかもしれませんがその時、本当に人生について考えさせられました。
というかたくさんの方の死と直面しすぎて、考えざるを得なかったんです。
自分もいつか必ず死ぬ。なら後悔しないように、自分がやりたいことをやろうと。ここ(病院)を出たらいろんなことをやろうと。
そして退院して紆余曲折の末、ホストになりました。