仕事終わりや湯上がりに「プシュ!」と開栓し、腰に手を当て一気に飲み干すビール。これが私の生きがい、という人も多いだろう。
近年ではクラフトビールが流行し、お店に醸造所が併設され、できたてのビールを飲ませてくれる「ブリューパブ」が増えている。能村さんが経営する「ビール工房」もその1つで、都内に6店舗を構え、常時8種類程度のできたてビールが楽しめる。
「ビール工房」を運営する株式会社麦酒企画創業者の能村夏丘さんは、2010年に開業。
「街のビール屋さんが造ったビールを地域の人が飲む。そんなことを当たり前にしたい」という思いから新店舗を次々に開店してきた。2018年には卸売りの酒店、株式会社柴田屋酒店の子会社となり、会社として新たなステージに直面している。
今回は能村さんに、開業から多店舗経営、そして子会社化に至るまでに直面した課題と、解決までのエピソードを伺った。
能村 夏丘(のうむら・かきゅう)
麦酒企画 創設者
1981年、東京都板橋区生まれ。上智大学中退後、広告代理店に入社。5年間勤務した後、同社を退職し、麦酒企画を設立。「街のビール屋さん」をコンセプトとしたビール店を都内で6店舗運営する。
一生できる生業がしたい、広告代理店の営業から小さな醸造所のオーナーへ
ー まずは開業までのお話をお聞きしたいです。ビール工房を開業するまで、能村さんはどのようなキャリアを積んできたのでしょうか?
もともとは広告代理店の営業職として働いていたんです。大手ビールメーカーの販売提案をしていて結婚もしていましたが、27歳の時に広告の仕事に疑問を感じてしまいました。広告は生み出して終わり、その後に具体的な“モノ”は残りません。将来を考えると、同じ仕事をし続けたくはなかった。幸い妻も理解してくれたので、一生できる「生業」をするために代理店を退職することにしました。
ー ビールの販売提案をしていたから、お店を開こうと思ったのですか?
それが、退職直後はまだ何をやろうか考えていなかったんですよ。半年間は自分を棚卸しする時期でしたね。色んなところに出かけては刺激を受け、何をやろうか考えていたんです。
僕は長く続けられる仕事をしたかったので、「数十年後も存在する仕事は何だろう?」と考えました。生活のベースになる衣食住ならどうだろうと思いましたが、「衣」にはそもそも興味がない。私の父は一級建築士なのですが「住」はその父に敵いそうもない。「食」なら毎日の営みだしずっと残り続けるだろうと。でも、寿司職人や焼き鳥屋の店主になっているイメージもしっくりこない。
そんな時に栃木のビール醸造所に立ち寄り、感銘を受けたんです。できたてのビールがすごく美味しくて、この味を自分の街でも楽しみたいと思ったし、この規模なら自分でもできるかもと思いました。ビールって紀元前からあるものだし、なくなることもないだろうと。
ー だからビールを造ろうと思ったんですね。
そうなんです。その後、偶然出合った醸造所の社長のもとで修行させてもらい、ビール工房を開業することになります。開店は2010年12月のことでした。
開業資金は貯金と少額の融資から捻出した500万円。費用を節約するため、醸造タンクは中古のものを購入し、内装は設計を父に頼み、自分たちでできる箇所はDIYで仕上げました。これが1号店の高円寺店だったんです。