事業を始める上で必ず必要になる、お金。
特に融資を受けた「借金」ともなると、上手に付き合っていけるかどうか、不安ですよね。
今回お話を伺ったのは、税理士・公認会計士である、齋藤雄史さん。
齋藤さんは20代〜30代をはじめとする、多くの若手起業家をお金の管理・使い方という側面からサポートされています。
今回は、齋藤さんが税理士事務所を開業するに至るまでの経歴から、お金、中でも「借金」との付き合い方についてお聞きしました。
<プロフィール>
齋藤雄史さん
税理士/公認会計士宮城県仙台市出身。
齋藤雄史さん
税理士/公認会計士宮城県仙台市出身。
高校卒業後、進学資金を貯めるため、新聞販売店に勤務。その後、地元の簿記専門学校に進学、東日本大震災同年の2011年公認会計士試験合格。
合格後、新日本有限責任監査法人福島事務所勤務。
法律の世界に魅せられロースクールに進学し、同時期に板橋区にて会計事務所を開業。
ITやクラウド対応を武器に顧客開拓に成功し、20代〜30代をはじめとする多くの起業家から厚い信頼を得ている。
お金が足枷になって、挑戦できない人を減らしたい。税理士事務所を開業したワケ
―これまでの経緯を教えてください。
齋藤さん
高校時代はコンビニでアルバイトをしていました。
当時はコンビニの店長になりたいと思っていたので、簿記の勉強を始めたのがきっかけです。ところが高校を卒業する時、家庭の事情で大学への進学が厳しくなってしまいました。
高校時代はコンビニでアルバイトをしていました。
当時はコンビニの店長になりたいと思っていたので、簿記の勉強を始めたのがきっかけです。ところが高校を卒業する時、家庭の事情で大学への進学が厳しくなってしまいました。
そこで一旦就職をしてお金を貯めてから大学へ行こうと思いました。
―どんなお仕事をされていたのですか?
齋藤さん
地元の仙台から上京して、新聞配達の仕事を始めました。1年で100万円ほど貯金してそのお金を元手に、地元仙台の税理士・公認会計士の専門学校に入学しました。
地元の仙台から上京して、新聞配達の仕事を始めました。1年で100万円ほど貯金してそのお金を元手に、地元仙台の税理士・公認会計士の専門学校に入学しました。
―なぜ税理士・公認会計士の専門学校だったのですか?
齋藤さん
私はこれまで、お金によってキャリアの選択肢が狭められてきたからです。お金をもっと自由に扱うことができたら、と思い勉強を始めました。
私はこれまで、お金によってキャリアの選択肢が狭められてきたからです。お金をもっと自由に扱うことができたら、と思い勉強を始めました。
そして専門学校に入学して数年が経ち、公認会計士の試験に合格した年に東日本大震災が起こりました。
―仙台で震災に遭われたんですか、それはとても大変でしたね…。
齋藤さん
はい。地元仙台をはじめ、東北地方全体でとても大変な状況でした。その経験から「復興関係の仕事がしたい」と思うようになり、監査法人に就職し、3年ほど働きました。
はい。地元仙台をはじめ、東北地方全体でとても大変な状況でした。その経験から「復興関係の仕事がしたい」と思うようになり、監査法人に就職し、3年ほど働きました。
―具体的にはどのようなお仕事をされていたんですか?
齋藤さん
主に国や地方公共団体、上場企業の監査を担当していました。しかし、国や上場企業など、大きな組織を相手にするのではなく、お金に困っている人、特に若い起業家や、中小企業やベンチャー企業のサポートがしたいと思うようになりました。
主に国や地方公共団体、上場企業の監査を担当していました。しかし、国や上場企業など、大きな組織を相手にするのではなく、お金に困っている人、特に若い起業家や、中小企業やベンチャー企業のサポートがしたいと思うようになりました。
―なぜでしょうか?
齋藤さん
自分自身が、お金に困った経験がありましたし、自分の親も小さな飲食店を経営し、お金に苦しんでいた様子を近くで見ていたからです。だから、お金が原因で選択肢が狭められている人の助けになる仕事をしたかったのです。
自分自身が、お金に困った経験がありましたし、自分の親も小さな飲食店を経営し、お金に苦しんでいた様子を近くで見ていたからです。だから、お金が原因で選択肢が狭められている人の助けになる仕事をしたかったのです。
よりお客さまに近い距離で仕事をするために監査法人を退職し、税理士・公認会計士の事務所を開くことにしました。