人生100年時代。
特に会社員には「定年」という概念があり、今まで続けてきた仕事や業界から離れる人も少なくありません。
「これからは誰もがそれぞれのタイミングで、セカンドキャリアを考える時代になる」と言っても、過言ではないのでしょうか。
今回お話を伺ったのは、元なでしこリーガーの鳥谷部梢さん。
幼い頃からサッカー一筋だった鳥谷部さんは、大学卒業とともになでしこリーガーとして活躍し、26歳の時に現役の引退を決意。その後はWebコンサルティング事業を展開する会社へと転職を果たしました。
今回は鳥谷部さんのこれまでのキャリア、そしてセカンドキャリアを築く上で必要なことについて伺いました。
鳥谷部梢さん
元なでしこリーガー/プラスクラス・スポーツ・インキュベーション株式会社
新潟アルビレックスBB広報兼ファンマーケティング
青森県出身。
幼少期からサッカーを始める。高校は仙台の聖和学園高等学校に進学し、日本体育大学を経て、なでしこリーグ1部「伊賀フットボールクラブくノ一(現伊賀FCくノ一三重)」に入団。
その後、埼玉、熊本とチームを渡り歩き、26歳の時に現役を引退。
引退後はWebコンサルティング事業を展開する、株式会社プラスクラス(プラスクラス・スポーツ・インキュベーション株式会社)に入社。
現在は同社から、プロバスケットボールチーム「新潟アルビレックスBB」の広報兼ファンマーケティング担当として出向中。
元なでしこリーガー・鳥谷部梢さんが、セカンドキャリアを歩むまで
――元なでしこリーガーであり、現在はWebコンサルティング事業会社に籍を置きながら、プロバスケットボールチーム「新潟アルビレックスBB」の広報兼ファンマーケティングを務めている鳥谷部さん。まずはサッカー選手としてのキャリアについて聞かせてください。

サッカーは幼少の頃から、プレーをしていました。小中学校の頃は女子サッカー部がなかったので、男の子たちに交じってサッカーをしていましたね(笑)。
地元は青森県なのですが、高校からは仙台にある聖和学園高校へ進学し、女子サッカー部に入部しました。
――その後はなでしこリーグに?

高校の頃には、プロサッカー選手になりたいと思っていました。
高校卒業後は日本体育大学に進学してプレーした後、大学を卒業とともになでしこリーグ1部の「伊賀フットボールクラブくノ一(現伊賀FCくノ一三重)」に入団。
以降は埼玉、熊本とチームを渡り歩いて26歳になるまでの4年間、現役としてプレーしていました。
――引退の理由はなんだったのでしょう?

大きくは3つあります。
1つは、ケガによる故障でリハビリが多かったこと。
2つ目は最後の熊本の地域リーグに在籍していた時に、熊本地震(2016年)の影響で1年間ほぼサッカーができなくなり、チームが解散してしまったこと。
そして3つ目は、そうした状況の中で自分がもう一度上を目指して行けるか、考えてしまったことです。
サッカーをやるからには、上のリーグにも行きたいし、日本代表にも選ばれるくらい活躍したい。でも今の自分に、その可能性が本当にあるのかと考えたんです。
――それで引退を決意されたんですね。

サッカーへの未練がなかったと言ったら嘘になりますが「サッカーができないのなら、違う世界で勝負をしていきたい」という気持ちが徐々に強くなっていきました。
年齢も26歳だったので、これからの人生やキャリアを真剣に考えた方がいいなと。そして引退を決意し、転職活動をスタートしたんです。
未経験からの会社員生活。新しい世界に飛び込むのに必要なのは、素直さ
――引退後はどのようなセカンドキャリアを歩まれたのでしょう?

Webコンサルティング事業を展開する株式会社プラスクラスに入社しました。
入社当初は、クライアント企業のWebサイトのSEO対策や広告運用といった、Webマーケティング業務全般の仕事を行っていました。
サッカー選手からWebマーケティングの世界は、あまりにギャップがありすぎて、最初は覚えることも多く苦労しましたね……(笑)。
――たしかに全く違う業界ですよね。しかしなぜ、プラスクラスに入社を決めたのでしょう?

転職エージェントにご紹介されて、そこでご縁があったからというのもあるのですが……。
代表の平地が元バスケットボールの選手なんです。渡米してNBAを目指していたんですが、挫折してそこから起業したという経歴を持っていて。
そういった経緯があるからか、サッカーしかやってこなかった私も温かく受け入れて、ビジネスパーソンとして1から育ててくれたんです。
現在はプラスクラスから、新潟にあるプロバスケットボールチーム「新潟アルビレックスBB」に出向という形で、チームの広報や集客、ブースター(チームのサポーターの意)とのコミュニケーション機会の創出やSNSの活用、イベントの企画開催などといった業務を行っています。
――これは会社員の転職や独立にも言えることですが、自分がいた業界の仕事と現在の業界の仕事との間で、ギャップに苦しむ人が多いように思います。鳥谷部さんはいかがでしたか?

それはもう、本当にそうですね(笑)。
生活リズムだったり、考え方だったりが全く違いついていけないことが本当に多かったです。
私は特に、自分の思ったことや感じたことをそのまま言葉にするタイプなので、時には上長とぶつかることもあったりして。
仕事ができない自分に嫌気がさして、トイレで号泣したことも何度もありました(笑)。
――そういった状況をどう乗り越えたのでしょう?

自分に「正直」でいることだけは忘れないようにしていました。
いいことも悪いことも、見栄は張らずに正直でいようと。
だから「できない」ことは「できない」と、「わからない」ことは「わからない」としっかり意思表示するようにしていましたね。
当たり前の話なんですけど、人って誰でも最初は初心者。「できなくて当たり前」の状態から始まります。
新しいことにチャレンジするのって、勉強も必要ですしストレスもかかります。でもだからこそ自分に素直に、正直にいることが大切なんじゃないかと。
それに最初こそ大変ですけど、仕事はがんばればがんばっただけ、それが結果になって戻ってくるという経験をしていくうちに、「働くのが楽しい」と思えるようになっていったんですよね。
スポーツ選手じゃなくても、セカンドキャリアを選ぶ時代に?
――鳥谷部さんの今後の展望について聞かせてください。

今の私の仕事に深く関わってくるのですが、スポーツをビジネスにできるような取組みを増やしていきたいですね。
私がプレーしてきたなでしこリーグ(日本女子サッカーリーグ)はもちろん、今仕事で関わらせていただいているプロバスケットボールリーグといった、日本のスポーツのプロリーグというのは、主にスポンサー企業からの収益が大半を占めています。
勝敗や昨今でいえばコロナ禍だから、という理由で離れていくスポンサー企業も少なくありません。仕方がないことだとは思うのですが、プロスポーツクラブと関われたら企業もプラスになる!と思ってもらえるようなwin‐winの関係を築きたくて。
そういった関係を築けるとクラブの経営が安定するので、選手はもちろんクラブで働くスタッフの環境をいいものにできると思うんです。
――最後に、読者の方へメッセージをお願いします。

「人生100年時代」という言葉が叫ばれている今の世の中においては、私のような元スポーツ選手だけでなく、会社にずっと勤めていたビジネスパーソンの方にとっても、それぞれの「セカンドキャリア」を選ぶタイミングがやってきているのではないでしょうか。
セカンドキャリアの選び方は人によってそれぞれですが、私のように全く違う業界、全く違う仕事を選んだ人にとっては、勉強しなければならないことも、うまくいかないこともたくさんあるでしょう。
人間、最初は誰でも初心者です。未経験、初心者だからこそ、素直に正直に、自分の気持ちに従って、仕事をすることが大切なのではないでしょうか。
取材・文・撮影=内藤 祐介