一見、華やかなプロ野球の世界。
活躍すれば、スター選手としての地位を確立することができ、膨大な報酬がもたらされます。
その反面、高年俸を稼ぐ選手はわずかひと握り。試合で結果を残せず、表舞台から身を引く選手の方が圧倒的に多いのです。
その中には、かつて「松坂世代No.1スラッガー」と呼ばれた、甲子園のスターの名前がありました。
その選手の名は、古木克明さん。
現在は「Baseball Surfer(ベースボールサーファー)」
(https://baseballsurfer.com/)を立ち上げ、野球の楽しさを伝えるための事業を展開しています。
現役生活では楽しさよりも、苦しさを味わうことの方が多かったと語る古木さん。にも拘らず、なぜ野球の事業を立ち上げたのでしょうか。
その真意を、伺いました。
古木克明(ふるきかつあき)さん
1980年生まれ。三重県松阪市出身の元プロ野球選手。元総合格闘家。
豊田大谷高校時代には、高校通算52本塁打を記録した長打力でチームを牽引し、甲子園に2度出場。3年時にはベスト4に進出。
1998年のドラフト会議にて、横浜ベイスターズ(現、横浜DeNAベイスターズ)から1位指名を受けて入団。2003年には自己最高の22本塁打を記録。
2007年オフには交換トレードでオリックス・バファローズに移籍。2009年オフに現役を引退。
2009年12月に総合格闘家に転身し、2010年にDynamite!!、2011年にはDEEP 53 IMPACTに参戦。
2014年には事業構想大学院大学に入学。アスリートのセカンドキャリアについて研究し、事業構想修士(MDP)を取得。2016年に同大学院を修了した。
そして2017年に個人事業として、野球を指導するスクール事業やオリジナルのアパレルブランドを展開する「Baseball Surfer」を立ち上げる。
プロ野球選手から格闘家、大学院、そして独立。古木克明がセカンドキャリアを見つけるまで
ー現在に至るまでの経緯を教えてください。
僕は1998年度のドラフト会議で横浜ベイスターズから1位指名を受け、翌年に同球団へ入団しました。
いわゆる“松坂世代”と呼ばれる1980年生まれのプロ野球選手の1人です。
球団からは将来の4番打者として期待していただき、プロ4年目にはレギュラーとして自己最高の22本塁打を放つことができました。
ーまさに期待された通りの打者への道を、歩んでいかれたんですね。
それが、翌年からは思うような結果を出すことができなくなっていったんです。
僕の長所は、やはり「ホームランを打つこと」。しかし得意なホームランが打てなくなり、次第に自信がなくなっていきました。
その後オリックス・バファローズにもお世話になったのですが、結局、期待に添えるような活躍をすることができませんでした。
そしてついに、2009年のオフには球団から、戦力外通告を受けたんです。
ーそれが、プロの世界の厳しさなんですね。その後はどうされたのでしょう?
総合格闘家へ転身しました。
戦力外通告を受けた時、ご縁があって当時立ち上がったばかりの格闘技団体「スマッシュ」に声をかけていただいたんです。
ー野球への未練はなかったのでしょうか?
当時は正直、野球への未練よりも「もう野球をやらなくていいんだ」という安心感の方が強かったですね。
結果が出ない中、かなり苦しい思いをしてきましたから。
そこから格闘家として2年ほど活動してきたのですが、次第に野球への未練が湧いてくるようになりました。
ーなぜでしょう?
僕の人生において、ここまで野球から距離をおいていた時間は、後にも先にもこの時だけでした。
再びプロ野球界への復帰を目指すことを決意し、プロ野球のシーズンオフに行われる12球団合同トライアウトを2度受けました。
しかし、結局どの球団からも声がかかることはありませんでした。残念ではありましたが、2年間必死に練習しての結果だったので、悔いはありません。
ーその後、事業を立ち上げるまでに何があったのでしょうか?
僕は人生の大半の時間を、野球に費やしてきました。
次のステップに進もうにも、どこにいって何をしたらいいのか、正直分かりませんでした。
そんな時に「やりたいことを探したいなら、大学院に行って学んでみたら?」と、知り合いからアドバイスをいただいたんです。
そして2014年に事業構想大学院大学に入学し、アスリートのセカンドキャリアについて研究しました。
2年間の学びを経て事業構想修士(MPD)を取得し、自分が得た経験や生き方の中から「社会に役立つことは何なのか」「自分が本当にやりたいことは何なのか」を考えました。
そこで、改めて自分がいた野球の世界に目を向けると、昔と比べて競技人口も減り、プレーできる環境も少なくなっていることに気付いたんです。
「こどもたちが自由に、そして楽しく野球をできるような環境づくりをしたい」
そんな想いから、2017年に「Baseball Surfer」という事業を立ち上げました。