最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。
唯一生き残るのは、変化できる者である。
進化論で有名なダーウィンの名言にもある通り、変化とは、この世界で生き抜く者にとって、極めて重要なことです。
今回お話を伺った、ハイタニさんの職業はプロゲーマー。プロ同士が熾烈な戦いでしのぎを削る、eスポーツ界の第一線で活躍するプレイヤーです。
厳しい世界で生き残るために、常に自分の可能性を模索し、変化をし続けているというハイタニさん。
今回はハイタニさんがプロゲーマーになるまでの道のり、厳しい世界で生き残るために実践していること、そして仕事観についてお伺いしました。
ハイタニさん
1986年生まれ。大阪府出身のプロゲーマー。
プロゲーミングチーム 『Fudoh』所属
格闘ゲーム「ストリートファイター」シリーズで世界的に活躍する“格ゲー五神”の1人。格闘ゲーム界の雄として数々の激戦を制し、多くのファンを魅了。その攻撃的なプレイスタイルは日本という枠を超え、世界中のプレイヤー達に感動を与えている。
ゲームを創る側から「ゲームでご飯を食べる」プレイヤーへ。1人のゲーマーがプロへの扉を開くまで
ー現在はプロゲーマーとして活躍されているハイタニさん。まずは、これまでの経歴を教えてください。
小学生の頃からずっとゲームをしてきていたので、いずれはゲーム関連の仕事に就きたいと思っていました。なので中学校を卒業してから1年ほど経った17歳の時、大阪に本社を置くゲームメーカーでアルバイトを始めました。
普通の高校生であれば、学業を優先しつつ、空いた時間でアルバイトをすると思います。しかし、僕は将来のことを考えて、できるだけ早くゲーム業界で多くの経験を積みたいと考えました。
加えてアルバイトが平日5日勤務ということもあったので、できる範囲で学業とアルバイトを両立させるために単位制高校に通うことを選択したんです。
単位を取得するには土日に登校するしかなかったので、丸1日休みの日は当時、ありませんでしたね(笑)。
ー学生の頃からハードな生活を送っていたんですね…。アルバイトはどれくらいの期間働いたのですか?
4年ほど勤務していたので、21歳になるまで続けていましたね。そして、いつも仕事終わりにゲームセンターに通っていたのですが、ある時そこでよく一緒に遊んでいたゲーム仲間が、アパレル企業の社長だということを知ったんです。
僕がアルバイトを今後も続けるか迷っていたところに、その社長から「うちの社員はゲーマーの集まりだから、よかったら一緒に働かない?」と誘っていただきました。
それをきっかけに勤めていたアルバイト先を辞め、その社長のもとで働くことを決めたんです。
ーゲームがお好きなのに、なぜでしょう?
理由として1番大きかったのは「ゲームばかりやっているのはマズいな」と将来に対する危機感を抱き始めていたからです。というのも、今でこそeスポーツのように、プロゲーマーとして生活できる世界がありますけど、当時は「ゲームでご飯を食べる」という選択肢がありませんでしたからね。
「そろそろゲーム以外の仕事を経験していかないといけないな」と、思い切って就職しました。
ー確かに、昔は「ゲームをする」ことを仕事にできるなんて到底考えられませんでしたよね。アパレル企業ではどのような仕事をされていたのですか?
アパレル系のネット通販の会社だったんですけど、倉庫での顧客対応や受発注管理が主な仕事でした。ただこれも結構ハードで…。
月末は家に帰る時間もなかったので、会社にあるダンボールを布団がわりに倉庫内で寝泊まりすることも多々ありましたよ(笑)。
ー納期に追われる仕事ですからね(笑)。
そうなんです。当時は、趣味でゲームをする時間を確保することも難しかったですね。
それからアパレル企業では3年間働かせていただいたのですが、やっぱり「ゲームに関する仕事がしたい」と思い始めたんです。
ーなぜですか?
一通り、ゲーム以外の仕事を経験してみましたが、やっぱりゲームの仕事ほどテンションが上がらないんですよね。そこで、大手ゲーム会社の下請けの制作会社に転職して、ゲームの総合的なシステムを作ったり、アクションゲームのステージを考えていましたね。
ー本格的にゲーム製作に携わっていったんですね。
そしてその後、アパレル企業の社長から「最近eスポーツが盛り上がってきたから、私もゲーム会社を立ち上げたい。プレイヤーとしてウチに入ってくれないか」という話がありました。社長自身もともとゲーマーだったという背景や時代の流れもあり、今度はゲーム事業に転換しようと思ったのでしょう。
そして社長は、ゲーム配信代行会社の株式会社YOUDEALを新たに設立し、2015年に僕とスポンサー契約を結んでくれました(現在は株式会社忍ism(シノビズム)が運営するプロゲーミングチーム「Fudoh」に移籍)。
その頃にはプロゲーマーとして数名活躍している選手がいたので、僕も改めて「ゲームをする側」の世界に挑戦しようと、決意を固めたんです。
また、大阪より東京の方がeスポーツ専用の施設や環境が整っていますし、YOUDEALには東京のオフィスもあるので、スポンサー契約を結んでくれるタイミングで上京することも決めました。
ーそれまで、さまざまな企業で仕事を経験されてきましたが、プロゲーマー1本で生きていくことに不安はなかったのでしょうか?
正直、不安はありました。まず出身が大阪なので、そもそもプロゲーマーになるために東京に来ること自体、ハードルが高かったんです。
やはり、これまで仕事ができていたのは大阪の人とのつながりが大きかったので、知り合いがいない東京で働くことは人間関係もリセットされ、ほぼゼロからのスタートになりますから。
でもそれ以上に、ゲームをプレーすることを仕事にできる喜びの方が勝っていたので、迷いはありませんでしたね。