CATEGORYカテゴリー

「芸人」という肩書きがもたらす自由度│大島育宙さんのサグラダ・ファミリア的な人生(後編)

生ボイス
この記事は、アントレのPodcast番組「安居楽業」にご出演いただいた方のお話を記事として書き起こしているものです。これまでの仕事やプライベートのこと、苦難を乗り越えたエピソード等、”楽業”を手に入れるまでを語ってくださっています。

働き方やライフスタイルのヒントをお届けするポッドキャスト番組『安居楽業 ライフとワークを整える』。前回に引き続きゲストは、芸人・大島育宙さん。今回は、趣味や特技を仕事にする視点、YouTubeや怪談師など多岐にわたる挑戦とその気づき、そして“嫌じゃない”を基準にした働き方の哲学についてじっくりお話を伺いました。

「芸人」という肩書きがもたらす自由度│大島育宙さんのサグラダ・ファミリア的な人生(前半)

「就活、怖っ!」一括採用に違和感を抱いた大学時代

西川あやの:
先週は「なんで芸人という職業を選んだのか」っていう、そもそもの部分からお話を伺ったんですけれども。 大島さんって、大学時代の就活とか、一括採用の仕組みとかに疑問を感じていたそうですね。

大島育宙:
そうですね。

西川:
自分にはあまり向いてないかもって?

大島:
向いてないと判断しましたね。なぜかわからないんですけど、大学1年くらいのときから就活中の先輩にES(エントリーシート)を添削してって、よく頼まれてて。

西川:
エントリーシートって、企業への思いとか、学生時代に頑張ったこととか、個性を出して書くところですもんね。

大島:
そうそう。それを「ここは意味わからないから直したほうがいいですよ」とか言いながら見てたら、いつの間にか知らない人からもESが送られてくるようになって(笑)。

西川:
書けないですよね。あれ。

大島:
でも、文章の繋がりが変だったりすると、やっぱりわかるんですよ。「この人、そんな人じゃないはずなんだけどな」とか思いながら。「なんでエントリーシートになると、こんなにガチガチで変な文章になるんだろうな」って。

西川:
わかります。私も当時そうでした。

大島:
大学1、2年の間に、たぶん数十人のESを見たんじゃないかな。「怖っ! 一括採用の就活、怖っ!」って思ってましたね。僕、集団生活も苦手だったから、「あ、これはたぶんまとめて“人”として見られるの、相当無理な部類だな」って最初から思ってました。

西川:
グループ面接とか、みんな嫌ですよね。もちろん時代にもよるけど、自己肯定感がガリガリ削られて、辛い思い出しかないって人も多いと思います。大島さんの場合は、向いてない人がそういう土俵に挑み続ける必要があるのか?って考えたと。

大島:
ない、ないですね。だから僕、大学1〜2年の頃には就活っていうものをかなり憎んでて。「就活しないほうがいいよ!」って、周りに布教してました(笑)。

西川:
謎の人だ(笑)。

大島:
でも、みんな「いや、就活するでしょ」と言って、気づいたら大学にスーツで来るようになってるんですよ。それが本当に嫌で。僕、スーツもネクタイも大っ嫌いで、今でもネクタイ結べないんです。冠婚葬祭のときはネクタイをポケットに丸めて持ってって、現地で友達に結んでもらうっていう(笑)。

西川:
あらがってたんですね。

大島:
めっちゃプロテストしてました。

ベン図で考える「好き・得意・需要」の重なり

西川:
ご自身では、世の中にちょっとニーズがあるものを、自分の“好き”で発信していこうって方向に進んだってことですか?

大島:
そうですね。当時からずっと考え方の中心にあって、よくベン図の話をしますね。「好きなこと・得意なこと・需要があること」っていう3つの丸を作って、その中で2つの丸が重なっている部分はかなり良い、3つの丸が重なっている部分はめっちゃ良いという、その中心を目指して歩いていくのが人生だなって。

で、「好きなこと」と「得意なこと」は、特技とか趣味になると思うんですけど、「需要があること」っていうファクターを、みんな趣味とかなり切り離してしまうんですよね。

でも、そこをかぶせると、「好きなことをできるだけ頑張っているだけ」で、仕事につながって収入にもなるし、同時に営業活動にもなるのが大きいかな、という気はしますね。

西川:
確かに、特に近年は副業で、たとえば趣味の物作りがネット販売に繋がったりとか、趣味でやってる活動が仕事に繋がるっていう、実際経験されてる方も多いかもしれません。

大島:
あと最近はもう、SNSが人生というか世界の、割と当たり前のものになってきてるから、どんな仕事でもかなり発信と結びつきやすいっていうのはありますよね。

前は発信の仕方のフォーマットがなかったから、それを作るのも大変だったけど、今は自分の発信を載せるだけで見てくれる人とか、コミュニティがもう既に存在するっていうことは、結構多いと思うので。この考え方は、よりみんな真似しやすくなってるんじゃないかなっていう気はしますけどね。

西川:
時代が追いついたってことだ。

大島:
それを当時から言ってるけど、「みんながやってることをやった方がいいよ」っていうのは、同世代からも上の世代からもすごい言われてたし。

でも僕は当時は、結構尖ってたというか、イキってた部分もあって、反発みたいな感じでディベートしてましたけど、なんか「そりゃそうだろ」って時代になってきたなって感じは確かにしますね。

西川:
それが大島さんの場合は、いろんなドラマだったり映画だったり、エンタメ作品に繋がってる。ただの紹介じゃないんですよね。深く潜って発信している印象でしたけど。

大島:
元々はラジオで映画評のコーナーとかいろいろ聴いたり、あと図書館で映画雑誌とか読むのがすごい好きで。でもお小遣いがすごい少なかったんで、友達の宿題をやって、金持ちの友達からお金をもらってたんですけど。

1本の映画を1000円で、渋谷とか新宿まで歩いて観に行って、歩いて帰ってくるっていう重労働だったんです。その1本を何としてでも元を取りたいというか。だから行く間に、学校のパソコン室で見た予告編を1場面ずつ全部思い出しながら行って、帰りには全シーン冒頭からセリフをよみがえらせながら帰ってくるっていう作業をしてたんです。

それだけだともったいないから、キネマ旬報とか映画芸術とかスクリーンとかを読んで、「この場面があったな」とか、「この評論家こういうこと言ってるんだ」っていうのを見ていれば、さらに何時間も楽しめるっていう。1本の映画だけで十何時間楽しむっていうことを、命をかけてやってたんで。

西川:
最初そんな動機だったんですか。味がしなくなるまでこの1本を味わい尽くすみたいな。

大島:
本当に遊びとか趣味のためのお金は一切くれない家だったんで。親は、中学生のときに僕が毎週1本ぐらい歩いて映画を観て帰ってきたことは知らないんですよ。めっちゃ図書館にいるなとは思ってたと思うんですけど。

なので、そのときにいろんな評論家の人とかの見方を教えてもらったのはあるんですけど、やっぱり前線でやってる書き手の方って、20代の人とかはいないから、最初からその人生を歩めるって思わせてくれないんですよね。

西川:
いろんな経験を積んだ人の評じゃないと、みんながアクセスしないと思います。

大島:
当時から映画ブロガーとかドラマブロガーみたいな人はいて、そこから地位を築いた人もいるとは思うんですけど、最初から映画評論家って22歳のときに名乗れる気がしないですよね。

西川:
難しいと思いますね。

大島:
なので、これはもう40代とかでやることなのかなって思いながら、なんとなくでも「自分で発信するにはどうしたらいいだろう」っていうことを考えて、SNSとかYouTubeを試行錯誤していったっていう流れなんですけど。

人から頼まれることに、自分の能力が隠れている

こちらの記事の続きを読むには無料会員に登録する必要がございます。

無料会員登録

ログインして続きを読む

タイトルとURLをコピーしました