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劇作家:根本宗子さんは広い視野で演劇界の今後を見据えて新たな挑戦をし続ける

生ボイス

演劇を観たことのない人に、演劇の面白さを知ってもらいたい。どうやったら劇場に足を運んでもらえるのかを考え続け、テレビ・映画・本・Webと様々な作品を手掛け、ときには出演し、ときには全く異なる業界とコラボレーションをして演劇界を盛り上げていく根本宗子さん。演劇が心底好きだからこそ、演劇以外の仕事もして、“演劇も面白そう”と、知ってもらえる機会を増やしているそう。

ご自身は「0か100かの性格なので」とお話しされていたが、さっと判断できるくらい自身についても演劇業界全体についても熟考していることが伺える思慮深さ、視野の広さを感じさせます。舞台で聞く透き通るクリアな声を編集部は独り占めし、お話をお伺いしてきました。

<プロフィール>

根本宗子さん

劇作家・演出家(1989年生・東京出身)

若干19歳で月刊「根本宗子」を旗揚げし、ほとんどの作品で作・演出を手掛け、時には内外の作品に女優として出演することも。「夏果て幸せの果て」(2015年)ほか、岸田國士戯曲賞最終候補となった作品が多数ある。

演劇活動以外にも、テレビ番組の脚本、「I am…『マスタッシュガール』」(FOD)などオンライン作品を手掛けるほか、映画『もっと超越した所へ。』(ハピネットファントム・スタジオ)の原作・脚本、現在公開中のオムニバス長編映画『アット・ザ・ベンチ』(2024年)の第3編で脚本を務めるなど幅広く活動。SNSミュージカル作品「20歳の花」では、第25回文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門で新人賞を受賞。著書に今、出来る、精一杯。」(小学館)など。2025年7月にNetflixで配信される「My Melody & Kuromi」では脚本を、同年8月23日からは新国立劇場にて作・演出を手掛ける音楽劇「くるみ割り人形外伝」の再演が決定。

持病のある自分も舞台に立てるように脚本家へ

―脚本家になろうと思われたきっかけを教えていただけますか? 

母親が観劇好きだったので、ミュージカルや歌舞伎を一緒に観に行っているうちに、「演劇をやるのも楽しそうだな」って思うようになりました。 

スキーのモーグルをやっていたんで、将来はスキーにまつわる仕事に就くと思っていたんですけど、中学1年生のときに怪我をしてスキーができなくなってから人生が180度変わりました。そのタイミングで、演劇の人が“ナマ”でやっている熱量が、ものすごく楽しくて演劇にはまって、18歳の時に、いろんな演劇のワークショップを受けられるところに参加して、19歳の時に劇団「根本宗子」を旗揚げしました。 

 

―学生時代にたくさん観劇されていたそうですが、演劇にはまったキッカケは何ですか? 

大人計画っていう劇団の松尾スズキさんの「ニンゲン御破算」を観てからです。 

それまで観てきた芝居と違って、観た時に何が起きているのか、わけがわからなかったんです。それまで思っていた演劇とは全く印象が違って、「面白かったけど、何が面白かったのかがよくわかんなかったから、また松尾さんの作品を観たいな」って“腑に落ちなかったこと”で興味が湧いて「また観たい!」と演劇に通うようになりました。あと、テレビやドラマに引っ張りだこになる少し前の阿部サダヲさんが出ていたんですけど、阿部さんが素晴らしくてかっこよくて「こんな役者さんがいるのか!」っていうくらい衝撃的に面白かったんです。 

 

―最初から脚本家を目指されていたんですか? 

最初は「演劇が好きだから、やってみたいな」っていうくらいで、役者がやりたいのか、脚本を書きたいのか、演出がしたいのかは特に定まっていなくて、ぼんやりしていました。 

小さい頃から冷静に自分を客観視するタイプなので、演劇のワークショップに行ったんですけど、私は足の持病で走り回ることなどできないことがあるので、役が限られてしまうということと、ビジュアル含めて特徴的な何かもないし、事務所にも所属していなかったので、役をもらうことはあんまり現実的じゃないと感じて、役者として成功するビジョンが持てなかったんです。 

脚本を書き始めたのは、自分で書けば自分に無理な役は書かないので、自分が出演するためでもありました。日常的な動きに制限があるわけではないんですけど、走るとかアクロバティックな動きには制限があって、「この動きはできるけど、これはできない」というのは私と主治医にしか分からないもので、そのさじ加減も、自分が演出をしていれば問題ないので。 

―演劇の道に進むことを、どなたかに相談されましたか? 

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