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天職と思った仕事を廃業し、シリーズ880万部のベストセラー作家へ。柳田理科雄さんが“失敗した”学習塾経営

生ボイス

アニメのキャラクターや昔話に出てくるあの人が、実在したら…誰しもが子どもの時に、そう思ったことはあるのではないでしょうか。それを科学的に実証し、どうしてそうなるのかを分かりやすく伝えてくれるのが柳田理科雄先生の著書「空想科学読本」。「ウルトランに出てくる怪獣やポケモンのあのキャラクターがこういう行動を取ったら地球にどういう影響が起きる?」など、身近なキャラクターを用いて科学で分析する独特の切り口で人気を博している。

一例を挙げると、心温まるサンタクロースのプレゼントについての考察。2020年の総務省統計局データから、14歳までの子どもたちがサンタクロースからプレゼントをもらえると仮定すると、配るのは約20憶人。子どもたちの就寝時間が22時~5時とすると、たった7時間のうちに世界中に配らないといけない。さあ大変。時差を配慮して地球上を西へと進めば配布時間は32時間となるけれど、地球の陸地面積の何%に14歳以下の子どもがどれくらいの割合で住んでいるかと計算していくと、サンタクロースの移動はマッハ1960!この速度でプレゼントを子どもたちの部屋に投げ入れたら……さあ大変。ガラスを壊すどころか部屋の壁や床に激突して家が大爆裂の大惨事になるという。

サンタクロースを信じる子どもにとってはショッキングな事実なはずなのに、子どもたちはケタケタと笑って読み進める。「科学では証明できない何か不思議な存在」を身近に感じる子どもたちにとっては、「空想科学読本」もまた、面白い“話”なのかもしれない。そうやって笑いながら科学を学べる子どもたちは幸せに違いない。

ウルトラマン好きでキャラクターの実在を“空想”する柳田理科雄さんは、とても真っすぐに“科学”と“教育”に向き合い、“商売”は二の次という少年のような真っすぐな方でした。きちんと削った鉛筆で時折、紙に図解を交えながらお話ししてくださる姿は“教育者”そのもので、塾は廃業されていますが、当時通っていた生徒にとってはとても良い学び舎だったのではないかと容易に想像できます。今回は貴重な“なぜ塾経営がうまくいかなかったのか”についてお話しいただきました。

<プロフィール>

柳田理科雄さん
作家(1961年生・鹿児島県種子島出身)
自身の学びたかった物理を思う存分に勉強できないと知り東京大学を中退。塾の講師としてさまざまな塾で、講師として働いた後に神奈川県で「天下無敵塾」を興すが資金難に陥る。友人でもある編集者の勧めで「空想科学読本」を書き爆発的なヒットに。「空想科学読本」シリーズは累計880万部突破の大ベストセラー作家。

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選ぶしかなかった作家という道

―作家になられた経緯を教えてください。

経営していた学習塾の経営がひっ迫しているところに、「本を書かないか」と友人から提案があったので、資金調達のために書き始めました。

本を書き始めたのは1995年でして、34歳だった僕は学習塾を経営していました。ところが、後でお話するように、全然経営がうまくいかなくて、にっちもさっちもいかない状態になったんですね。

宝島社に勤めていた近藤隆史っていう中学時代の友達(現:空想科学研究所 所長)は、僕が経済的に苦しんでいるのを見て何とか少しでも助けてやれないかという風に考えたんだと思うんですけど、「昔、よく話をしていたウルトラマンや仮面ライダーが本当にいたら、どういうことになるかという内容の本を書いてみないか」って言ってくれたんです。ウルトラマンは身長40m、体重3万5,000tだけど、重すぎるんじゃないかとか、地面の下にドリルで潜っていく地底戦車は実現可能なのかとか、そういった話を学生時代によくしていたんです。そういった内容の本なので、出来上がった本を見ると、題材が30年くらい前のもので、一番新しいのはドラえもんでした。

「空想科学読本」(宝島社)を書いたのが1995年、出版が1996年なんで、「機動戦士ガンダム」(日本サンライズ制作)も「新世紀エヴァンゲリオン」(GAINAX制作)もありましたけれども、僕がその存在をほとんど知らなかったし、読者層も僕たちと同じか少し上の人たちを想定していました。小学生や中学生が読むなんてことは全く前提にしてない本でしたね。

当時は知らなかったんですけど、本を書いた実績が全くない僕に対して、初めから印税契約で、初刷りが1万部っていう破格の好条件でした。

当時は自分が本を書けるなんて思ってもいなかったですし、もう学習塾の経営がひっ迫していましたから「本を書けばお金がもらえるのか!」と思って、いくらもらえるのか聞いたんです。すると96万円だと言うんで、雷が落ちたかのような衝撃を受けて「やる、やる、やる」って言っちゃったんですね。

「96万円もあったら何でもできる!」っていう感覚でした。そんなんだから、塾もうまくいかなかったんですけど、本を書いたお金で完全に塾も立て直せると思って始めたので、なぜ本を書くようになったのかって聞かれたら、それはもうお金のためでしたね。

理想の教育を追い求めた塾経営

―塾の状況はそんなに大変だったのですか?

塾を始めて5年目でしたが、僕の給料はないようなありさまでした。家賃と講師のアルバイト料を払ったら、何にも残らない状態でした。

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