NPO法人クロスフィールズ/東京都品川区
共同創業者・代表理事
小沼大地さん(34歳)
1982年、神奈川県生まれ。一橋大学社会学部卒業後、同大大学院に籍を置きながら青年海外協力隊(中東シリアの環境教育活動)に参加する。大学院修了後、マッキンゼー・アンド・カンパニー日本支社に入社。2011年、同社を退職し、共同創業者である松島由佳氏とNPO法人クロスフィールズを設立。現在、常勤スタッフは11名。企業向けに、社員を途上国支援のNGOに数カ月間派遣する「留職」プログラムを提供、これまでに12社の導入実績がある。中小企業、行政機関も対象に、プログラムの拡充を目指す。
2005年春、大学卒業を控えた小沼大地が青年海外協力隊に志願したのは、「教師になる前に社会経験を積んでおこう、という軽い気持ち」だった。ところが、貧しい国に貢献するつもりで赴任したシリアで出会ったのは、先進国の援助をひたすら待つ人々などではなく、「自分たちの力で国をつくっていくんだ」という気概に満ちあふれた人間たち。そこには、日本が見失った情熱があった。わずか2年程度の体験で、自国にそれを取り戻すことを人生の目標に定めた小沼のもとに、想いに賛同した仲間が集まる。そして試行錯誤の末、企業で働く若手を、途上国の抱える問題解決に取り組むNGOへと派遣する、留学ならぬ「留職」プログラムを考案した。
クロスフィールズを設立したのは2011年のこと。手探りのスタートではあったが、3年あまりですでに大企業12社が同プログラムを導入し、延べ25人がベトナム、インドネシアなどでの活動を経験した。途上国でもまれ、職場復帰した“情熱の種”は自ら花開くだけでなく、周囲にその熱き魂を伝播する役割を担っている。人を変え、企業を変え、そして日本を変えたい――異国の地で誓った想いは、着実にかたちになりつつある。
企業人が失いかけた理念や情熱を途上国の「熱き想い」でよみがえらせる。
━ シリアではどんな体験を?
「貧しい国を、自分の力で良くしたい」と真正面から語り、頑張っている現地の人が大勢いて、驚くやら圧倒されるやら。で、気づかされたんですよ、日本に一番足りないのは、目の前にいる人間たちが持っているような強くて熱い“想い”ではないのかと。
帰国してマッキンゼーに入ったのは、国際協力と企業活動をつなぐことができたら何か生まれるのでは、というひらめきがあったから。そのために、次はビジネスの最前線を知っておきたいと思ったのです。
━ 企業に「留職」の意義を理解してもらえましたか?
最初は連戦連敗。知恵を絞って何とかパナソニックに導入してもらい、そこからは「あのパナソニックがやってるんですよ」と(笑)。でも事業を始めて改めて気づいたのは、日本企業のミッションは素晴らしい、ということ。どこも「当社は社会の発展のために存在する」っていう理念を堂々と掲げている。それと「留職」プログラムの目指すベクトルが合致したからこそ、採用する企業が順調に増えたのでしょう。
現実に目を向けると、自分が身を置く小さな世界で専門性を磨くうちに、ともすれば視野狭窄に陥り、本来持っていたはずのクリエイティビリティも失ってしまう人が非常に多いわけですね。
僕らがやりたいのは、まずそんな人たちに理念や情熱を思い出してもらうこと。実際、途上国ですさまじいまでの熱意を持ったリーダーと仕事をすると、どんな人でもスパークします。
━ 「スパーク」の例をぜひ(笑)。
日立製作所でパソコンの耐久性を高める仕事をしていた方が、ラオスで太陽光を使ったランタンの普及に取り組むNGOに派遣されました。ある時、実際にランタンを使っている村に行くと、照度が最低に設定されていて薄暗い。聞けば、「これはとても大切な光なので、明るくして故障すると困るから」と。その瞬間、彼は自分のやっている「耐久性を向上させる仕事」というのは、本来、こんなふうに暮らしている人たちの助けになるためのものなんだと、気づいたそうです。
彼は帰国後、「ただ品質向上を唱えていた僕は、エンジニアとして恥ずかしい。これからは、世の中の人たちにとって本当に役立つモノづくりとは何なのかを問い続けながら、挑戦していきたい」と語りました。やはり根っこには、途上国で奮闘する人たちと同じ“熱”が、日本の企業人の中にもあるのです。それを表に出しにくい空気感みたいなものも、この取り組みを通じて払拭していきたいと思っています。
━ 今後の課題を。
今は大企業が主ですが、近い将来、中小企業や行政なども対象にした仕組みをつくり、「留職」の幅も数も増やす計画です。ゆくゆくは情熱を持った人たちに導かれた企業、行政、NPOが、協働して日本の直面する課題に立ち向かっていく社会を実現する―それが掲げるビジョンです。
実はマッキンゼーを辞めたのは、奇しくも2011年の3月11日。辞職のあいさつをメール送信しようとしていたら、揺れに襲われました。起業しようにもできる状況ではなくなり、2カ月ほど被災地支援に取り組みましたが、そこでもいろんな経験をさせてもらいました。
東北には、まさに「俺の手で復興を果たすんだ」という強い想いを持った方がいる。海外ばかりでなく、そうした人のところに「留職」してもらうのもアリだと思っています。それが実現できて初めて、僕にとっての3・11が単なるめぐり合わせではなく、明確な意味を持つものになるのかな、という気もしているのです
取材・文/南山武志 撮影/押山智良 構成/内田丘子